7 ゾーンの中で 【フィルバート②】
第32話 剣こそ我が安寧の……
カールゼンデン家の竜車に乗りこむリアナを横目に、〈ハートレス〉の兵士二人は険悪な目線を交わした。
ケヴァンは『あんたからもらった名刀〈
フィルバートのほうは『やれるものならやってみろ、無銘の剣で俺に返り討ちにされたら愉快だよな』という目に見えた。
主人であるリアナは嘆息した。
「はいはい、〈
フィルは『俺は相手にしてませんよ』と言いたげな無邪気な顔つきに戻った。
春の雨がそぼつくタマリスの山の手を、車輪をきしませつつ竜車が移動していく。
♢♦♢
車内では、男たちが一時休戦に至ったようだった。二人で手分けしてルートなどの打ち合わせをしているのを見て、リアナは内心ほっと胸をなでおろした。(ルーイもなかなか罪作りな女だわ)と、自分のことは棚上げにして思った。
ナイル卿は「お飾りの女性は要らない」と言っていたが、これまで彼女を影武者として利用してきたのは、リアナやナイルなどの領主貴族たちなのだ。なのであれば、彼女がその立場にふさわしい品格を身に着けるまで、サポートしてやる責任はあるのではないか。……
そう考えて納得し、一人うなずく。流れ落ちる水滴が止まった窓を見て、どうやら雨がやんだらしいと思った。
「陛下」
フィルが形のいい顎に手をあて、思案げに声をかけた。進行方向の座席に一人で座っている。身分の上下に厳しい貴族が見れば苦言したかもしれないが、安全上の理由であり、この場では誰も文句を言う者はいなかった。
「もし銃を持つ敵があらわれて、コーラーが詠唱をはじめたら、俺の言うとおりにしてもらえますか」
「銃? ……ああ」リアナは逆側の座席に、ケブと一緒に座っている。一瞬、なんのことだかわからなかったが、思いだした。オンブリアでは、人間たちの使う銃をまねた武器がある。しかし完全に再現できていないため、
「詠唱はたしか……『来たれ息吹、起きよ炎、放て矢』だったかしら?」
フィルはうなずいた。「『起きよ炎』の部分で点火し、『放て矢』で発射する仕組みです。白竜の力は、黒竜に準じて空気中の酸素濃度を調節できるので……」
おおよそ理解できたので、リアナはうなずいて了承を示した。厳密には白竜の力は、術者を害する可能性のある範囲には使えないが、範囲を銃口付近に限定すればなんとかなるだろう。
「〈竜の心臓〉をあなたに渡したほうがよくない?」
フィルは一瞬、その提案を
「わかったわ」
モーガンが教えてくれた情報が正しければ、後ろ暗い犯罪に手を染めたどこかの貴族(が雇った悪漢)に襲われる可能性は十分にある。そのような事態にならないことを祈りたいが……。
車が市街に入ると、リアナはほっと息を緩めかけた。このあたりなら人通りも多いし、襲われる危険性は低いだろう。
だが、小さな窓から外を注視していたフィルが険しい顔をした。
問いかけようとしたところで、竜車が止まった。
不気味な沈黙があり、そして沈黙を破るように、シューッという竜の威嚇が響いた。
「なに――」
フィルバートが彼女の口を手でふさぎ、人差し指を自分の口に当てて「静かに」のジェスチャーをした。それから、彼女を車の床に伏せさせた。
前にも、こんなことがあった気がする、とリアナは思った。即位の前。自分を守って命を落とした〈ハートレス〉の葬儀に出た後だった。
その不気味な予感は当たったらしかった。
フィルが空気口のような小さな窓を開け、御者の隣で護衛をしていた兵士が顔をのぞかせた。兵士の服装をしているが、それは変装で、内実は手練れの
それは暗号に満ちた報告だったのだが、彼がそれを最後まで言い終えることはなかった。強い雨のような矢音が降りそそぎ、
二つの心臓がおそろしく跳ね、リアナは身をすくませた。ギャアッという竜の鳴き声と、御者たちの叫び声。べったりと血の跡を残しながら、ライダーの身体が窓から滑り落ちる。
――敵襲だ。囲まれている。こんな街中で!
二人の〈ハートレス〉は驚くほど冷静だった。
「合図のとおりに。いいですね?」
フィルは言い、ケヴァンとうなずきをかわした。タイミングを見はからって車から飛び出し、同時にばたん!と叩きつけるように扉を閉めた。ケヴァンは、なかば彼女に覆いかぶさるようにして守っている。
フィルは大丈夫なのだろうかと、リアナはおそろしくてたまらなかった。オンブリアで、いや大陸中で一番の剣豪で兵士だけれど、この矢の雨の中、たった一人で飛び出していくなんてあまりに無謀すぎる。
こんな状況なのに、ひどく落ち着いて打つケヴァンの心臓の鼓動が背中に届いた。しかし、剣をぎゅっと握りしめた拳に、彼の緊張を感じた。いや、緊張ではなく、兵士としての決意なのかもしれない。彼らは誓いにかけ、身命を賭して主人を守っている。
リアナは落ちつくことはできなかった。二つの心臓がばくばくと高鳴っていた。そんな不吉な決意をしないで、と彼らに言いたかった。
ケヴァンは、ほとんど聞き取れないくらいの囁きで、誓いをくり返した。
「剣こそ我が
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