第30話 王妃を手に入れるには……

 フィルバートは部屋をひと通り確認してから、護衛としてふさわしい位置に立った。

 部屋のなかにいたのは、館の当主、ナイルとリアナだけではなかった。見知らぬ女性が、もう一人。

(いや、どこかで見覚えがあるな)

 フィルは思いだした。剣術大会の、女性軍人プロの部に出ていた――王都警備隊の所属。モーガン、とか言ったっけ。


「妻が失礼しました」

 扉を閉めたナイルが、リアナに向かって言った。「先に、こちらの話を終わらせてしまいましょう」

「そうね」

 リアナはエメラルドグリーンのドレスを着ていた。あまり彼女が好まない色にフィルは引っかかったが、すぐに理由に思いいたった。


 。ルーイ自身がよく、リアナの身代わりを務めていたように。それほど、機密性が求められる情報をやりとりするつもりだということだろう。


「このようなことを上王陛下にご相談するのは筋違いというのは、重々承知しているのですが……」と、女性軍人が言った。竜族らしい、平凡だが美しい銀髪碧眼の女性だ。こちらも、いかにもそれらしい青いドレス姿で偽装していたが、腰には短刀を収めるホルダーが見えていた。


「気にしないで。乗りかかった舟じゃない」リアナが励ますように言った。「いっしょに、あの恥ずかしい女奴隷の衣装も着た仲だし」

 モーガンは顔を赤らめた。「あれは……ご放念ください。まさか陛下があのような格好をなさるとは」


「陛下はそういう方ですよ」聞いていたナイルが、面白そうに口を挟んだ。「ねぇ、フィルバート卿?」

 妻の間男に向けるものとしては、温和な声だった。


「えっ」ぐるん、と音がするほど激しく首を振って、モーガンが背後を振り返った。「ふ、フィルバート卿」

「どうも、モーガン隊員」フィルは苦笑した。「剣術大会、女性の部の入賞おめでとう」

 モーガンは、思わぬ場所で憧れの人物を見た喜びに顔を上気させた。しかし、すぐに表情を引き締める。

「〈剣聖〉にお声がけいただけるとは、光栄です」


「続けてくれる? モーガン」リアナが先をうながした。


「はい。……申し上げたように、先日の地下オークションと女性の奴隷売買の件で、王都警備隊で捜査を進めています」

 モーガンが説明をはじめた。

「混血の女性を取引している者たちのなかに、タマリスの由緒ある家のいくつかが関与しているらしいということは、お二方もごらんになったと思います」

 リアナとナイル、二人がうなずいたのを確認して、さらに続ける。

「その後、貴族への捜査権限のある竜騎手団とも協力して、事件に当たっていたのですが……その情報が、どうも対象の貴族に漏れているようなのです。すでに二つの家が、同じ方法で捜査の手をまぬがれています。タイミングよく」


「竜騎手団のライダーたちは、ほとんどが五公十家か、それに連なる貴族だ。情報は彼らから漏れたのだろうか?」ナイルが口もとに手をあて、自問するように言った。


「私も、最初はそれを疑いました」モーガンが言う。「竜騎手団と、王都警備隊。その連携の指揮をっているのは私です。そこで、両者に違う捜査情報を流しました」

「良い方法だ。それから?」ナイルがうながす。


「結果、陽動に引っかかったのは、から捜査情報を流した貴族家でした。竜騎手団ではなく」


 それを聞いたリアナが考える口調になった。

「竜騎手団の長はハダルク卿よ。中級貴族で、しがらみも少ないし、清廉潔白な人物だわ」

「はい。捜査にかかわるほかのライダーも、ハダルク卿以下五名ほどで、いずれも違う種類の情報を流しましたが、どこの貴族も動いていません。彼らは潔白だと、私も思います」

「つまり……に貴族側との内通者がいると?」と、ナイル。


「残念ながら、そう考えざるを得ません」モーガンが悲痛な顔になった。「当然、この件はハダルク卿にご相談するつもりです。ですが、その前に、陛下にお伝えしなければと思ったのです」

「教えてくれるのはうれしいけど、どうして?」リアナは首をかしげた。


 口を開いたのは、モーガンではなく、背後に立つフィルバートだった。

「あなたの身に危険が及ぶ可能性があるからです」

「フィル」リアナが振りむく。

「内通者をあぶりだすために動きはじめれば、彼らも警戒します。当然、向こうから仕掛けてくることも考えられる。その場合、組織に潜りこんで調べていたあなたも、狙われる可能性がある」


「フィルバート卿のおっしゃるとおりです」モーガンは沈痛な表情のままだ。「陛下にこのようなご迷惑をおかけするのは不本意ですが、御身の安全のため、警護を増やしていただきたいのです。私からのご相談というのは、そういうことです」


「わかったわ。元はと言えば、勝手に動いたわたしの責任だし」リアナはうなずいた。

「わたしの警護責任者に伝えておきます。こっちのことは心配しないで、あなたは自分の安全を大事にして。捜査も大事だけど、隊員の身の安全が第一よ」


「もったいないお言葉をありがとうございます」



 ♢♦♢


 モーガンが退去すると、部屋にはリアナ、ナイル、フィルバートの三人となった。


「あとはこっちで引き取るわ。協力してくれてありがとう、ナイル卿」

 リアナが礼を言った。「この件でしがらみがなさそうな貴族が、まずあなただったの。一緒に聞いてくれて助かったわ」

「いいえ。あの夜のオークションには私も参加したのですし。お役に立ててよかった」ナイルがにこやかに言った。

 北部は巨大な領地と白竜をようし、一国に匹敵する力があるが、タマリスでの影響力は大きくない。上王、そして現王の妻に恩を売るのはお互いに損がない取引なのだろうとフィルは思った。


「それはそうと、ルーイのことはいいの?」

 リアナは帰り仕度をはじめながら、ずばり切りだした。「ずいぶん興奮していたみたいだけど」


「あの子は、あなたみたいになりたいんですよ」

 ナイルは彼女に外套コートを着せかけながら、感情の読みづらい微笑みを浮かべた。

「だから、を欲しがるんです」そう言うと、フィルバートのほうへ意味深な目線を向けた。

「わたしが持っているもの?」

 ナイルの意図に気づかなかったらしく、リアナは従兄を見あげてけげんな顔になった。「領地貴族になりたかったということ?」


 フィルにはそのは伝わったが、北部領主はリアナの言を否定しなかった。

「領地やドレスをルーイにあげることはできる。でも、領主貴族にふさわしい資質は、彼女自身が身につけなければならない。私には手助けしかできません」


「じゅうぶんに手助けしているとは思えないのかもね」リアナがちくりと言った。

「あの子は侍女だったのよ。地位にふさわしくなれるように、夫のあなたが教育してあげる必要があるんじゃないの?」


 ナイルは、ふと大叔父のメドロートを思わせる峻厳しゅんげんな顔を見せた。

「北部領主は、ノーザンの王です。私は寵姫ではなく、王妃が欲しいのです」


「わたしのような?」

 リアナが挑発的に言った。

「あなたのような」ナイルは薄く微笑む。

「血筋、ライダーの能力、人を惹きつけるカリスマ性、為政者としての覚悟。あなたはすべてを持っている」


「じゃあいまここで、わたしが欲しいと言える?」

 リアナは従兄いとこのほうへ一歩、踏みこんだ。白い長衣ルクヴァの胸もとをつかまれ、ナイルはぐっとかがみこんだ。

「もちろん」

 血縁を感じさせる二人の顔が、危険なほど近づいた。指一本分の隙間を残して、唇が触れそうになる……が、そこでナイルがぱっと両手を挙げた。


「……降参です。陛下もおひとが悪い」

 距離を取るように離れて、長衣ルクヴァの胸もとをなおした。「どうしてもあなたにはエリサ王の影がちらつきますよ」

従兄妹いとこ同士は、血が近すぎる?」

「ええ。それに、フィルバート卿に殺されたくありませんからね」

 名指しされたフィルは、感情をにじませない顔で二人を見ていた。これくらいのことで気持ちを乱れさせていては、彼女のそばにはいられない。


「ひとが悪いのはあなたのほうよ。夫に値踏みされて嬉しい女性はいないわ。……それから、度胸試しチキンゲームでわたしに勝てると思わないことね」


「身に沁みました」ナイルは苦笑した。そのまま彼女の肩を押し、玄関まで送るつもりらしかった。

 部屋を出る直前に、青年は言った。

「でも、王妃になれる女性が欲しいというのは、本音です。夜会にともなって見せびらかす、お飾りのような美女が欲しくて結婚したわけじゃない。単に、ライダーの能力を持っているからというのでもない。……彼女が、そのことに気づいてくれれば、と願っています」


 その言葉にリアナは思案げな顔になった。

「やっぱり、ちょっと顔を見てから帰るわ」

 ルーイのところに行くつもりらしい。フィルはうなずいて、彼女の後をついていこうとする。と、ぽんと肩に手を置かれた。


 ほとんど同じ身長のナイルが、フィルを引きとめていた。体格的には片手でひねることもできるほどの差があったが、フィルはなぜか青年領主に気圧けおされるものを感じた。リアナと同じ、スミレ色の怜悧な目のせいだろうか。

「王のようにふるまわなければ、王妃を手に入れることはできない」

 ナイルはフィルの耳もとまで口を近づけてささやいた。「まして、上王たる女性が、の腕の中に落ちてくれると思うか?」


 その冷たい言葉は、直接の侮蔑よりもはるかにこたえた。フィルバートは唇を噛みしめる。


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