5 もどかしい思い 【デイミオン②】
第23話 夫婦の事情
フィルは自室へ送ると申し出たが、リアナはそれを断って足音も高く竜舎に戻った。言うまでもなく、夫の計略が腹に据えかねたからである。
「これはこれは」
呼びつけると素直に出てくるあたり、デイミオンも大人になったものだ。
「入り口で幼女のように足を踏み鳴らしている王配がいると報告を受けたが、あなたでしたか、奥様」
「そうよわたしよ、わたし以外に王配はいないじゃないの」リアナは憤然と言った。首が痛くなるほど上を向いて、夫をにらみつける。
「フィルに聞いたわよ」
「ほう?」デイミオンはそしらぬ顔をした。
そして、いったん妻から目線をはずし、背後に控えていた竜騎手と医師になにごとかを命じた。どうやら打ち合わせを終えようというところだったらしい。
「帰りながら聞こう」
着々と例の件を進めているようで、そちらも気にかかるが、リアナはひとまず先ほどフィルから聞きだした話を夫にぶつけた。
「どういうことなの、フィルを無理やりシーズンに参加させて、あげくわたしの愛人にしようとしてたなんて。返答によってはただじゃおかないわよ」
「どういう返答をしてもただで済ませそうには見えないが」
隣を歩きながら、デイミオンが答える。
「別に無理にあいつをあてがおうと画策したわけじゃない。いざというときの保険というやつだ」
「フィルはシーズンに参加したくないのよ。どうして無理やり参加させようとするの!?」
夫はあきらかにむっとした。「誰だって、喜んでやっているわけじゃない。竜族の男の義務なんだ」
「じゃあ、そういうあなたはどうなのよ。十年もシーズンに参加していないじゃないの」
「おまえを愛しているからだ」デイミオンは、道理のわからない子どもに言い聞かせるような、馬鹿にしたような口調で言う。
「よその女の家に通うと嫌だとおまえが言うから、万難を排してやってるんじゃないか」
「わたしのせいなの!?」リアナは目をつり上げた。
「そりゃあわたしだって、複数婚はイヤよ。夫婦でいられるように努力するのは正しいわ。だけど、わたしたちの結婚のために、ほかの人を犠牲にしていいわけじゃないでしょ? フィルがかわいそうよ」
デイミオンは鼻を鳴らした。
「あいつはどうせ、
「わたしを狙ってって……」リアナは反論しかけて、ふと黙った。
フィルの低く甘い声を思いだす。
『あなたが欲しい。でも、愛人になりたいわけじゃない。こうやって取引みたいな形で結ばれても、あなたの心まで全部手に入るんじゃないなら、意味がないんです』
『俺じゃダメですか?』
『俺を夫にして。一番近くで守らせて』
言われてすぐに反応できなかったのは、何かというとハグしたりキスしたりしてこようとする今日のフィルの態度のせいだと思う。さっきはなんとなくあしらってしまったが、今さらながらに疑問がわいた。
「……フィルは、わたしのことが好きなの?」
「おまえな……」デイミオンは絶句した。「俺だってあいつの横恋慕を目障りに思っているが、いくらなんでも、そのセリフはどうかと思うぞ」
「だって、フィルから直接そう言われたことがなかったもの」
「だからあいつの性格的に……いやいい。なんで俺が擁護してやらなきゃならないんだ」
「十年前に一回、過去形で告白されたことはあったけど、『夫にして』うんぬんは今日が初めてよ」
「おい、いま聞き捨てならないセリフがあったな」
リアナとしてはまだ怒り足りなかったが、デイミオンのほうがやる気が削がれてしまったらしい。そのあとは何を言っても「そうか」「わかった」「善処する」といった応答しかなかった。
♢♦♢
紙をめくる音と、
――寝室に仕事を持ち込まないって約束したのに。
結局、ファニーもフィルも別件の打ち合わせが入ったと言うので、夕食は夫婦だけで軽く済ませてしまった。デイミオンは仕事仕事だし、ファニーのみやげ話も明日以降に持ち越しになり、つまらない。お互い忙しい身だから、時間を作るようにがんばって予定をすり合わせなければならない。
彼女はもう薄手の夜着に着替えているのに、デイミオンはまだ昼のシャツにズボン姿のままで、
リアナのほうも本の一冊くらいは持ち込んでいるが、もともと熱心な読書家でもなく、数
「書類の下読み、手伝うわよ」
背中に向かって声をかけると、夫が立ちあがって寝台にやってきた。彼女の上にかがみこんで、目の上に口づけた。
「先に寝ていろ。こっちももう片付くから」
そう言いながら、寝かしつけてくれるつもりなのか、デイはしばらく彼女の上にいた。
頭の両脇に手をついて、髪をすいてくれる。愛情深い手つきが心地いい。その手に性的な情感がこもっていない日も最近はあるが、それでもいいとリアナは思う。妊娠の気配はないにしろ、二人ともまだ若いのだし、まだ夫婦の間だけで工夫してできることはいろいろあるはずだ。パートナーを変えるのではなく……。
「眠くなってきたわ」
夫の、藍色の目を見つめながら言う。
「そんなに目をぱっちり開けてか? 狸寝入りはお仕置きだぞ」
最後のセリフは、口のなかに直接流しこまれた。デイミオンの独善的な行動にはいらだつことも多いが、こうやって甘やかされるのも慣れて、嫌いではなくなってきている。アーダルの件は、一度きちんと話し合わないといけないけれど……。
唇が離れて、夫がまた書類仕事に戻ったのがわかった。だがそれを意識するのと同時に眠気が襲ってきて、自分はどうやら寝ついたらしかった。
夢を見ていた。風を切って飛ぶ
「夢を見てたわ」
どれくらい時間が経ったのだろうか。真夜中だ。まだ、なかば夢のなかにいたが、リアナはそう言った。
「あなたと初めて竜に乗ったときの夢……ものすごく高くて、スピードが出て。『怖くなかったですか?』って、あなたは聞いたわね」
リアナはそう呟いて、また夢のなかに戻っていった。
隣の男が凍りついたように身を固くしたのに、眠る彼女は気づかなかった。
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