第22.5話 長すぎる永遠と、彼の希望の話

 フィルバートとリアナは、何ごとかを打ち合わせるように親密に会話しながら、去っていった。


 物陰に隠れざるをえなかったエピファニーは、彼らを見送ってほっと胸をなでおろした。


「いやもう……心臓に悪いよ、ほんと」


 結局、キスのくだりは、ナイメリオンと腰ぎんちゃくな若様たちを威圧するためのお芝居だったようだが、それにしてもお子さま方には刺激が強すぎるのではとファニーは要らぬ気を揉んだ。愛おしいものをすくい上げる男の手つき、うっとりと迎える女の恍惚は一枚の絵のようで、濡れた音まで聞こえてきそうな口づけだった。


 デイミオンの件で彼女が落ちこんでいるに違いなく、力づけてあげたいと思って探しに来たのだが、どうやらそのチャンスを虎視眈々こしたんたんと狙っていた男がいたようだ。幸か不幸か、出遅れてしまったわけである。


 十年来の親友リアナは、不幸に襲われたからといって、花びらをちぎってめそめそ思い悩むような性格ではない。嵐が来れば張りきって直撃に備えるタイプだ。そこは心配していないのだが、フィルバートという別の災厄さいやくを呼びこんでいるような気がしなくもない。

 フィルバート・スターバウに求愛されるというのは、羊のように従順に、蛇のように執念深くつけ狙われるということになりそうだし、寝台の上では雄竜のようだという下世話な噂もあるのだ。

 リア、大丈夫かなぁ。



 自分が思い悩んでもしかたがない。ファニーは頭をふりつつ竜舎に戻った。扉を開けてもらったところで、一歩足を踏みだして「あっ」と声をあげた。

 白く美しい翼が、中央にふわりと舞い降りるのが見えた。ひとひらの最初の雪のように、花盛りのマグノリアが風に落ちるように。


「レーデルル。久しぶりだね」ファニーは笑顔で近づいて、なめらかな鱗に覆われた前足を軽く叩いた。

 雌竜は不思議な虹色の大きな瞳でファニーをじっと見た。それから、湿りけのある鼻口部を肩にすりつけて挨拶をしてくれた。温かい竜の鼻息が頬にかかって、くすぐったい。


 白竜は夫アーダルの前にするりと移動すると、翼を折り、香箱を作ってやすむ姿勢になった。

 仔竜たちは、遊ぶのが面白くてたまらないらしく、お互いにちょっかいを出してはとっくみあって、まりのように転がりまわっている。レーデルルは優美な口を近づけて、仔竜たちを愛情深くつついた。


「いいお母さんだね、ルル」

 ファニーは話しかけた。「ゴールディはとても長く眠っていたんだ、きみの旦那さまみたいにね。そして最近目が覚めたばかりなんだよ。だから、お母さんもいないんだ。よければ構ってあげてね」


 レーデルルは思慮深いまばたきで答えた。


 『夜明けドーン』という名前に込められた希望のことを、ファニーは思った。父親であるアーダルが目を覚ますであろう、その明け方のために名づけられた子ども。いい名前だ。そして、アーダルが目覚めることを彼も祈る。

 デイミオンの〈呼ばい〉を使って、アーダルを目覚めさせること。その仮説と実験とを、ファニーは妖精の国から持ち帰った。

 デイミオンの不在はリアナには辛い試練となるだろうが、それでも、アーダルとその家族のために、やる価値はあるのではないかとファニーは思っていた。リアナも、きっとどこかではそう感じているのだろう。だからこその、あの動揺なのだ。


 禁断の箱から暗い物語ばかりが見つかっても、底から子どもが顔を出せば、誰もがそこに喜びと希望を見出みいだすだろう。

 希望の持つ力は大きい。だから、マリウスの予言はある意味で正しいけれど、それがすべてではない、とファニーは思った。


 〈黄金賢者〉その人でさえ変わっていくのだ。


「タマリスに一度戻りませんか」と、彼を誘ったことを思いだす。ニザラン自治領を出る前日のことだった。

「実験の内容について、デイミオン王に詳しく説明したいですし、リアナもあなたに会いたがっていると思います」


「いいや、戻らない」〈くろがねの妖精王〉はそう答えた。長身を赤い軍服に包み、褐色の肌と銀色の短髪という、竜族にしかありえない取り合わせの、美貌の王だ。


「三度目の再生から、クローナンの調子が優れないんだ。ずっとせっている。……そばにいてやりたい」

「クローナン王……ニザランの城にいるのに、お見かけしないと思っていました。病ですか?」

 マリウスは力なく首を振った。「先住民エルフに寄生されると、竜族の一般的な病にはかからなくなる。ずっと、より健康で元気だったんだ」

 クローナンは、竜族の王だったころ、病弱で知られていた。強い能力を持つ旧家出身のライダーには、病がちな者も多い。ファニーはうなずいた。


「身体が古びてくると、我々はキノコのように単性生殖し、見た目と記憶が引き継がれる。このようにして永遠を生きるように見えるが、実際には〈竜の心臓〉が機能を停止すれば我々も死ぬ。クローナンの心臓は、もうあまり長く持たないのかもしれない」


 マリウスは石榴ザクロ色の目を伏せ、悲しいというよりも途方に暮れた顔をして、呟いた。

「クローナンがいないのなら、ずっと生きていたくない。見せかけの永遠でも、彼なしでは長すぎる」


 ……結局、手帳の写しだけを借りて、ファニーは一人でタマリスに戻ってきたのだった。


 その言葉を思いだしながら、竜族が伴侶つがいにこだわる理由がわかったような気がした。

 長い寿命と美しい容姿を持つからこそ、孤独を恐れるのかもしれない。〈黄金賢者〉マリウスでさえ、例外ではないのだ。

 いつか失われるにしても、誰かを愛することには意味がある。そして希望を抱くためには、忍耐強くあらねばならない。そう思ったからこそ、厭世えんせい的だったマリウスがいま、絶滅しつつある竜の生態を研究しているのではないだろうか? ……


 ファニーはげんかつぐのが好きだ。自分でつけた『顕現エピファニー』という名は、世界に対する彼なりの言祝ことほぎの言葉なのだ。


「〈黄金ゴールディ〉と、〈夜明けドーン〉か。次の十年は、誰にとってもきっといい時代になるよ。僕はそう信じている」

 四柱の竜に向かい、彼はそう呟いた。


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