第22話 彼女を怒らせると怖い
「俺じゃダメですか?」背後からささやきかけると、腕の中でリアナの緊張が感じ取れた。
「俺なら、あなたから離れたりしない。繁殖より、家や国のことより、あなたのことだけを一番に考えてる。……だから、俺を夫にして。一番近くで守らせて」
「フィル」
ふり返りかけた彼女のまつげが震えたように見えた。が、すぐに向かい側から歩いてきた人影のほうに目が向けられた。
「エクハリトスの二頭の竜を手なずけるなんて、さすがですね、リアナ陛下」
まだ声変わりもなかばの少年じみた声が、挨拶もなく言った。「だけどやっぱり、フィルとも熱愛中なんですね? 先日は、違うとおっしゃっていたけど」
「ごきげんよう、王太子殿下」フィルの腕のなかから身を起こし、リアナが堂々と言った。
これほどに気合の入った、いい場面を邪魔されて、フィルが面白いはずがなかった。貼りついた笑顔の裏では、目の前の全員を斬り捨てても許される何らかの言い訳がないものかと考えていた。
目の前にいたのは残念ながら、身内だった。身内とて、たとえばヒュダリオンくらいなら何とか、斬って捨てた後の言い訳が立たないこともないと思ったが、そこにいたのは
じゃあ、まあ、関節を外すやつにするか、とフィルは思った。それか……足の指くらいなら、切り落としても靴で隠れるんじゃないか?
めぼしい関節や足指あたりを見つめていると、ナイムが「ひっ」と声をあげて一歩下がった。それで、隣にいた面々がよく見えるようになった。いわゆる貴族のお取り巻き連中というやつで、若い
まだ
王位を
ともあれ、リアナが無理にほどかなかったので、後ろから抱くような体勢のままだった。すぐに離れれば、それこそ後ろ暗いように見える。悠然と構えているように見せたいのだろうなとフィルは感心した。高貴な身分ながら、リアナにはケンカ慣れしているところがある。言うまでもなくそういうところも好きだ。『野ウサギ六匹殺し』なんて自慢しているときには抱きしめたくなる。
今まさに抱きしめているところだから、フィルは多幸感に満ちていて、子どもたちへの殺意もあり、頭の中が忙しかった。
「ご夫妻は仲睦まじくて、シーズンの務めからも離れておられるでしょう。デイミオン陛下に子どもができないので、エクハリトスの家はやきもきしてるんですよ」
ナイムは大人ぶって言った。「でもフィルバート卿がおられるなら、陛下も別のパートナーを探せますし、そのほうが生産的ですよね」
自分はシーズンに入ってもいないような成人前の子どもなのに、何を言ってるんだ、とフィルは思った。本当に、ついこのあいだまでおもちゃを壊されて泣いていたくせに。
物心がつくかつかないかという幼児の頃に、〈呼ばい〉によって王位を継ぐ身と確認された子どもである。王太子ともてはやされ、未来の王に取り入りたい貴族連中にいいようにあしらわれているのかもしれない。
リアナは黙っている。
「今のうちから、候補者を探しておくのはいいことでしょうね。リアナ陛下なら、よりどりみどりでしょうし。……ああ、でも白竜の領主家はシーズンで敬遠されているとも聞きますね。なにしろ、生まれた子どもはみんな北部に連れていかれてしまう。シーズンの務めが無駄になっては残念ですしね」
フィルの頭に疑問符が浮かんだ。ナイムはどうして、わざわざリアナをこき下ろすようなことを言っているのだろう? ……そしてどうやら、王配と王太子という立場での派閥争いがあるらしいことが想像できた。なるほど、リアナは相変わらず政治的闘争に満ちた生活を送っているらしい。
リアナが無言のままふり返り、なにごとか指示する目つきをした。灰色の目の奥が負けず嫌いに燃えている。意図を
彼ら全員に見えるよう、角度を変えながら何度も唇をはむ。思わず目が吸い寄せられるような、濃厚なキスだった。
「大人の事情にあまり口を出すのは褒められないわよ、ナイメリオン殿下」唇を離すと、リアナは冷ややかな顔で言った。「ご学友の皆さまがたもね」
おお……。
青少年たちは赤くなったり顔をそむけたり、畏敬に打たれたようなざわめきを漏らしたりという反応だったので、フィルは(こいつらもなかなか可愛げがあるな)とほほえましく思った。思春期だ。
ナイムとそのお取り巻きたちが、なかば圧倒されたように立ち去っていく。フィルは心からの笑顔でそれを見送った。邪魔をされたときには苛立ったが、どこも切り落とさなくて良かった。彼らがケンカを売ってくれたおかげで、リアナにキスすることができたのだ。
もちろん、その場を解決する上でもベストに近い一手だったとは思う。リアナの立場を考えれば、ナイムを言い負かすのはたやすい。だが友人連中の前で恥をかかせると、いらぬ
こういうはったりはリアナやデイミオンの得意分野で、フィルはあまり詳しくない。「鮮やかな解決でしたね」と褒めると、リアナは彼の腕からするりと抜けて、嘆息した。
「困った子たちだわ。ハダルク卿は舐められているのよ。もうちょっと手綱を引き締めるように言わないと。……あれが跡継ぎでは、デイも頭が痛いはずね」
「確かにね」
彼ら兄弟が小さかったときには、大人たちは兄のヴィクトリオンのことを案じていたものだ。ライダーばかりが揃う名家に生まれた、竜の心臓を持たないハートレスの子ども。しかも弟は王太子としてちやほやされている。剣士見習いとしてフィルに託されたのも、世を拗ねて非行に走ることがないようにという親心の発露だった。一時期のヴィクは、「どうせ自分は要らない子なんだ」と口にしていたのである。
しかし、どうやら見通しは外れたようだ。
ヴィクトリオンがすこやかに成長しているのに対し、ナイメリオンのほうが甘やかされたわがままな少年になってしまっている。
これは、グウィナもハダルクも苦労が尽きないな、とフィルは心配になった。
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