第21話 俺じゃダメですか?

 それほど長い話ではなかったはずだが、聞き終えたリアナは深々と息を吐いた。

「事の発端はデイミオンというわけね」


「それはわかったわ。でも、ルーイとはどういうことなの?」

 うろんげな目で追及してくる。

「どうって……俺は、シーズンに参加するフリをしなくちゃいけなかったし。その、お互いに利害も一致するし、しばらく付き合おうっていうことになって」

 このことでは、フィルはどうにも歯切れが悪くなってしまう。

「若いを甘い言葉でだまして、夜会の席であんないかがわしいことを」

「騙してって……。ルーはそんな純真な子じゃないですよ」

「ルー、ね」

「俺のことも、パーティに連れて歩くのにちょうどいいお飾りだと思ってるくらいで」

「ずいぶんお飾りさんね」

「違うんです」追及されて、フィルはいよいようろたえた。「彼女はナイル卿に構ってほしいんですよ。注目の引き方が間違っているだけで」

 言いながら、してもいない浮気をとがめられているような気分になってきた。自分はリアナの配偶者ではないのだから、損ばかりしていることになる。

「さっきも言ったけど、彼女のことを思うなら、ナイルのもとに戻るように言ってあげて。デイミオンの脅しに、あなたが従う必要はないのよ」


「俺は……」

 フィルは彼女のほうに指を伸ばしかけてためらい、結局は止めた。そして言った。

「あなたが欲しい。でも、愛人になりたいわけじゃない。こうやって取引みたいな形で結ばれても、あなたの心まで全部手に入るんじゃないなら、意味がないんです」

 それはほとんど愛の告白だったのに、リアナは眉間にしわを寄せてなにやら考え込んでいる。フィルは静かに落ちこんだ。


「フィルまで巻きこんで、どういうつもりなの、デイミオン」

「あの、今デイの名前を持ちだされると俺は傷つくんですが」

のほうは、わたしがなんとかするわ」

 呼び方を変えろという意味ではなくて……。ともあれ、その『なんとかする』は、平手の一発でもお見舞いしたうえでこんこんと説教するとかだろうな、とフィルは思った。いいなぁ。俺も殴られてこんこんとお説教されたい。怒っているときの彼女の顔が好きなのだ。


「あなたは、自分のほうの問題を片づけなさい。ルーイのこと、中途半端にしちゃだめよ」

「わかりました」フィルは多少の下心を胸にしまって、素直にうなずいた。そしてしおらしい顔を作る。

「でも俺、落ちこんでいるんです。デイに都合よく使われて傷ついたし。あなたは俺に一言もなく危険なことばかりするし。デイとばかりいちゃいちゃするし」

 リアナは腕を組み、片方の眉だけを器用にあげてみせた。「最後のは仕方ないんじゃないの?」


 フィルは、落ちこんだ表情のまま上目遣いで言った。

「元気が出るように、キスしてください」

「何を言いだすのよ」

 リアナは、もちろんあきれた顔をした。それくらいで引き下がるわけにはいかないので、フィルはあれこれと言いつのった。

「キスすると健康寿命が延びるって街で言ってました。家族だってキスするでしょう? 場所については譲歩しますから」

「だーめ」

 一蹴されたが、怒ってはいなさそう。あと一押ししてみよう。

「……恥をしのんで頼んでいるのに? どうしても?」



「恥をしのんでって……」リアナは嘆息した。

「じゃあ、ハグしてあげる。でも、わたしからね。あなたは動いちゃだめよ、フィル」

 よくある交渉術だが、なぜかうまく行ったようだ。フィルは内心でガッツポーズをしたが、ハグしてもらいたかったので「はい」とお行儀よく答えた。


 スツールに座るフィルの前に、リアナが立って、腕をまわした。たぶんフィルがハグするとずるずると危険な方向に流されるというふうにリアナは危惧きぐしていて、それは当たっているが、こちらのほうがよりご褒美の度合いが増している。彼女の胸に顔をうずめる形になって、天国だった。

 春用の薄手の生地を通して、柔らかく温かい乳房の感触が頬に伝わった。ドレスに染みこませてある香水の匂いに混じって、彼女自身の体臭がする。ニワトコのシロップみたいに甘く、どこか爽やかで……。

 手を伸ばして背中に触れたい。ぎゅっと抱きしめたら怒るだろうな。

 彼女は髪を撫でてくれていた。手持ちぶさたで手を動かしているだけなのだろうが、とろけそうに気持ちよかった。

「わたしはフィルに甘いわね」

「知ってますよ」


「本当に目が離せないわ、驚くような無茶をやらかすんだもの」

「それはあなたのほうじゃないですか? 俺は自分の身を守れるけど、あなたはそうじゃないんだから」

「全部わたしのためにやったことだ、って言わないの? シーズンのこと……」

「……誰に知ってもらう必要もないことですから」

「あなたの自己犠牲的なところ、好きじゃないわよ」

「嫌いで結構です」 

 その言葉への応答なのか、腕の力がわずかに強まった。くるんと巻いた髪のひと房が落ちて、フィルの耳をくすぐった。

 我慢していたが、やっぱり触れたくなってしまう。そっと背中を撫で下ろすと、「手はお膝」と子どものように叱られた。


 たまにこういう幸福を味わうと、よけいに泥沼にはまってしまう。もっときちんと距離を取るつもりだったのに、それができない。好きでたまらなくて、気になってしようがないから憎まれ口をきいたりして、みっともない面ばかりを見せることになってしまう。竜車のときみたいに。

「俺がこんなふうになるのは、あなたの前でだけですよ」

「はいはい」

 本当のことを言ったのに、リアナは少年を相手にするような返答だった。おざなりに頭を撫でて、最後に頭頂にキスを落とし、言った。「これでおしまい」


「でも、おかげで少し落ちついたわ。落ちついている状況じゃないのかもしれないけど」

 リアナは思いだしたように鼻をすすった。「デイのほうをなんとかしないと」


「……部屋まで送ります」

 いろいろと言いたいことはあったが、フィルは立ち上がった。扉を開け、リアナを先に行かせる。

 その場で小さく息をつき、意志を取り戻そうというように顔をあげた姿を見て、フィルはついにたまらなくなって彼女の手をつかんだ。


「リア」


 勢いのまま、後ろから抱きしめる。彼女がしてくれたような柔らかく甘いものではない、思いのこもった激しい抱擁だった。振りほどかれると思ったのに、リアナはそうしなかった。


「俺じゃダメですか?」背後から顔を近づけ、フィルは熱くささやいた。







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