第20話 おまえが彼女を手に入れる、唯一の方法は……

 壁の向こうから、宴の音楽とざわめきが聞こえていた。エクハリトス家のタウンハウス、グウィナとハダルクの結婚式の夜だ。


 小談話室では、すでに数名の親族たちがカード遊びなどしていたが、デイミオンが「部屋を借りる」と告げると腰を低くして出ていった。若い親族にはデイミオンに似た黒髪もいれば、フィルに似たハシバミの瞳もいる。だが、フィルが彼らに親しみを感じることはなかった。すれ違いざま、好奇心に満ちた数対の目が〈竜殺し〉に向けられ、流れていった。


 デイミオンは椅子をすすめたが、フィルはそれを断って、普段どおり壁を背にしてもたれるように立った。

「それで?」フィルは口を開いた。「わざわざ二人きりになるほどの重要な話っていうのは、なんなんだ?」


「家を代表して、繁殖期シーズンの話をさせてくれ」

 デイミオンはあいかわらず、率直に切りだした。「聞き及んでいるだろうが、エクハリトス家の少子化は深刻だ」


 あまり嬉しくない流れになりそうだな、と思いながら、フィルはゲームテーブルに置かれたグラスを手に取った。ブランデーを注ぎ、ひとつをデイに渡した。

「そうみたいだね。昨今はどの家もそうだ。で?」

「ヒュー叔父、サンディ、ロールはここ数年、シーズンの相手を増やすなど努力してきたが、はかばかしい結果を得ていない」

 デイミオンは親族の名をあげながら説明した。

「当主である私もだ。このまま年長の継承者しかいないようでは、エクハリトス家は存続できない」

「そうか」

 興味がないことを示すために、フィルは琥珀色の液体をすすった。俺には関係ない。


「フィルバート」

 デイはグラスを置き、体をこちらに向けた。真剣な顔で言う。

「身勝手を承知で言うが、エクハリトス家に戻ってくれ」

 

 およそ話の予想がついていたので、フィルは冷たく答えた。

「俺が戻るとでも思うのか? こっちも正直に言うけど、いい気味だ。〈ハートレス〉として追いだされた家が潰れるんだから」

「都合のいい話だということはわかっている。母はおまえを養育しなかった。そのまま成長すれば、エクハリトス家でのおまえの立場は悲惨なものだっただろう。……わが家は、リカルド・スターバウに大きな借りがある」

 養父の名前を出されて、フィルは面白くなかった。

養父ちちは愉快で尊敬できる男だし、剣士として自活できるようにしてくれた。俺は自分の人生に満足してるよ。いまさら窮屈な生活に戻りたくないだけだ」


 デイミオンは深く息をつき、ソファに身をしずめた。

「おまえも今は竜騎手ライダーの資格があるし、その務めも果たしているだろう? 家のことはその延長線上と考えられないか?」

 フィルは肩をすくめた。「ライダーの務めは、好きでやってることだ。家のこととは別だよ」

「リアナのためか? 窮屈な長衣ルクヴァを着ているのは」

「……」

 だったらなんだと言うんだ。そして、なぜそれを口にする必要があるんだ。

 無言でねめつけると、デイはわずかに目線を下げた。

「領地、城、商業権、そのほかおまえが必要と思うものは用意する。老害たちにも文句は言わせない。戻ってきてくれ。……伏して頼む」


「スターバウの当主は俺だし、そっちの家には恩も愛着もある。いいや、デイ、戻る気はない」

「家名についてはあきらめてもいい。ただ、エクハリトス家の血を残すことだけでも考えてくれ」

「血を残す?」フィルは顔をしかめた。もっとも嫌いな言葉だからだ。

「今さら、俺に子どもを作れと言うのか? 〈ハートレス〉の血を残すなと言われ、ずっと繁殖期シーズンから疎外されてきたのに?」

「今のおまえなら、いくらでも相手がいるだろう」 

長衣ルクヴァを身に着けるようになってから、どれほどの女性が俺に『お気持ち』をささやいたか、教えてあげたいね。……あんな浮薄な夜会も、恋の駆け引きも、願い下げだ」フィルは軽蔑しきった笑いを浮かべた。

「〈ハートレス〉には、竜族の男の権利はない代わりに、恋愛の自由だけはあるはずだ。俺は繁殖目的のセックスはしたくない。子どもも欲しくない」

「それは理解できるが――」

「理解?」フィルは壁から身を起こし、目に危険な光を宿らせた。「そんな生ぬるい言葉はやめてくれ。俺が持っていないものをすべて持っているくせに」


「なにが言いたい?」デイミオンはいぶかしむように眉を寄せてみせた。


を手に入れただろう! 彼女以外欲しくないから、彼女に嫌われたくないから、子作りの役目を俺に押しつけるのか!?」

 弟が激昂する様子を、デイミオンはじっと見ていた。その確認する目つきで、自分がまんまと弱点をさらしてしまったことにフィルは気づかされた。普段なら、こんな見え見えの誘いに乗って感情をさらけだしたりはしないのに。


 悔しさで、ぐっと拳を握りこむ。


「〈黄金賢者〉にアーダルの治療法を探させている」デイは冷静な声で言った。「可能性のある方法はすべて試すつもりだ」

 話の流れに無関係で、唐突な言葉だ。兄がなにを言いだそうとしているのかわからず、フィルは黙ったままでいる。

「私が不在になる時間が増えれば、為政者として彼女の負担も増す。シーズンをまたげば、私以上の圧力にさらされるはずだ」

「……」 

「ただでさえ希少な白竜の領主筋で、ゼンデン家の最後の一人だ。そして、公にはなっていないが、父親はおそらく南部の最初の領主、エイルモールト家の出だろう」

「……エイルモールトは、半死者デーグルモールを出した家だ。それどころか、名前の由来にもなっている。名誉のある家とはいえないだろう」フィルは慎重に反論した。

「それでも、南部でもっとも古く、由緒ある家であることは間違いない。リアナの血は、途絶えさせるにはあまりに貴重すぎる。

 ……フィル、おまえは見ないふりをしているのかもしれないが、彼女が子を持つことは五公十家全体の関心事になりつつある。政治的派閥を超えて」


 がしゃん、と盛大な音がしたのは、フィルがグラスを卓にたたきつけたせいだった。割れこそしなかったが、琥珀の液体がこぼれてテーブルを濡らした。


「彼女は子どもを産むための道具じゃない!」彼は叫んだ。「どうしてが、こんなことをあなたに言わなきゃいけないんだ!?」


「私がたやすく決断したと思うのか!?」

 がたっと椅子の音をさせて、デイミオンが立ち上がった。「婚姻つがいの十年を二十年に引き延ばすために、あらゆることをやっているんだ。なりふり構わず!」

 

「彼女が自分を犠牲にしなければいけないくらいなら、五公十家なんて滅びてしまえばいい」

 立ち向かうフィルの目が冷酷な色を帯びた。「そう仕向ける奴らはすべて俺が排除する。そんなこともできないくせに、なにが夫だ」

 デイミオンは、その言葉に弟をにらみつけた。

「五公十家を排除? リアナが愛するのは国じゃなく、オンブリアの国民なんだぞ。おまえやグウィナや、北部の家、ライダー、ハートレス、そういうすべての者らの幸福のために二人で統治してきたんだ。彼女がそんな蛮行を喜ぶと思っているなら、おまえこそリアナをわかっていない」


 二人の男は、息がかかるほど間近ににらみ合った。

 肌がひりつくような緊張を感じる。デイミオンのほうがわずかに身長は高いが、フィルの体術は体格差などものともしない。一歩間違えば、殺し合いになってもおかしくない。


「いくら横恋慕しようが、リアナが私をいておまえを選ぶことはない」弟の胸ぐらをつかみ、デイミオンは冷然と告げた。

「繁殖抜きの、気晴らしの婚外恋愛を楽しむ女でもない。……だから、おまえが彼女を手に入れる唯一の方法は、繁殖期に参加することだ。正当な方法でな」


 部屋の外のざわめきが聞こえるほど、二人の間は静まりかえっていた。


「……なんてことを……」

 間をおいて、フィルは苦々しく呟いた。「それが目的か。俺を虫よけに使うつもりなのか」

 リアナのパートナーが不在となれば、五公十家の婚姻可能なあらゆる男が押し寄せるだろうとデイは言っているのだ。フィルバートなら彼らを一蹴できるだけの能力があり、今は立場も備わっているだろうと。

 彼女を愛して子どもをなせば、その子はエクハリトス家の血も受け継ぐことになる。子どもができなければ、夫であるデイミオンの一声でいつでも関係を解消させられる。

 考えてみるほど、有効な一手だった。そしてリアナにもフィルにも、逃げ場はない。

「羽虫をいちいち払うより、一頭の竜を始末するほうがたやすいだろう」デイミオンは間接的に認めた。


「あなたが嫌いだ」

 彼の手をはらい、フィルは言葉どおりの嫌悪をこめてにらみつけた。「だけど、これほど強く憎むようになるとは思わなかった」

 そう吐き捨てると、大股に出口に向かった。


 ♢♦♢


 怒りのあまり、力まかせにドアを開け放った。


 その勢いのまま玄関へ向かおうとするが、あわてたような声が彼を引きとめた。

「フィル!」

 金とスミレ色と白の組み合わせは、それだけで彼の目を引く。「いったい何があったの?! そんなにデイともめるなんて――」

 灰色の大きな目のなかに動揺が浮かんでいるのを、フィルは認めた。男同士の本気の怒鳴りあう声が、彼女を怯えさせてしまったのだろう。

 なにもかもを、今すぐ、ぶちまけてやりたい。あなたの夫は、愛人の座を餌に、俺をシーズンに参加させようとしていると。

 だがフィルはぐっとこらえて、冷たく言い放った。

「あなたには関係のないことです」


「関係ないって……どうしてそんなこと言うの?」

「本当のことだから。……失礼します」

 それ以上尋ねさせる間もなく踵をかえしたフィルに、デイミオンが呼びかけた。


「フィルバート!」

 振り返ると、デイミオンの青い瞳とかち合う。「……頼む」


 その時のフィルバートには、なにも言えることはなかった。なにひとつ。

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