4 密約と誘惑 【フィルバート①】

第19話 放っておけない

 白い外套、白い長衣ルクヴァ、宝石のようにきらめく長剣。

 そんなものを身に着けた自分は、周囲の目にはどう映っているのだろうかと、フィルバートはたまに考える。人目の多い城内ではなおさらだ。


 白竜の竜騎手ライダーか、黒竜王の兄弟か。女性と目が合うと、微笑みかけられたり、恥ずかしげに目をふせられたりと忙しい。どうやら繁殖期の良い相手候補にはなっているらしい。

 冷ややかなまなざしも多い。城勤めの貴族のなかには、『ハートレス崩れ』と軽蔑の目を向けてくる者もいた。

 今日もまさにそうだった。

 とある竜騎手議員が、すれ違いざまに「半端者が」と吐き捨てたのだ。

「どうも」

 フィルはにっこりと人好きのする笑顔を浮かべた。「議会のお仕事お疲れさまです、スダント卿」

 侮られるのは慣れているし、いちいち〈竜殺しスレイヤー〉の二つ名を思い出させるのも面倒だった。ライダーというのは、面子メンツがつぶれると死ぬ生き物なのだろう。

 あいさつを返しただけなのに、議員はそそくさと逃げるように立ち去った。


 ――好奇も、思慕も、軽蔑も、俺にとってはなんでもない。

 仮面のような笑みを貼りつけて、城内を進むだけだ。今日は、ハダルク卿と警備上の打ち合わせの予定があった。


 周囲が目に入っていないというように足早に進んでいく女性を見かけて、フィルははっと立ち止まった。ふわふわした金の髪に、灰色の飾り帯のついた白いドレス姿。先日、雨の日に竜車もなく歩いている途中でヒッチハイクされたばかりだ。

 ちょうど彼女が気にかかっていたところだった。あの日は顔色が白くて、雨で冷えたせいだろうと思っていたが、今日も爪や唇の色が薄い。それなのに目のふちが赤らんでいて、泣いたばかりのように見えた。

 その哀れな様子に、フィルは身勝手な怒りがわいた。

 もっと自分を大事にしてくれればいいのに。ちゃんと栄養を取ってよく眠って、デイミオンと衝突することもなく、寒い雨の日にドレスを濡らしたりもせず。そうしたら、俺がこんなにも振り回されずに済むのに。


「リアナ陛下」

 近づいて呼びとめると、陰鬱な顔が振りむいた。

「フィルバート卿」リアナはつっけんどんに答えた。「先日はどうも、竜車に乗せていただいてありがとう。ルウェリン卿によろしく。それじゃ」


 通り一遍の挨拶で去っていこうとする主君を、フィルは言葉巧みに引きとめた。

「陛下。そのルウェリン卿のことで、二三ご報告が」

「なに?」

「できればご内密にいただきたいので、どうぞこちらへ」

 そっと、しかし有無を言わさず、彼女の手を引っ張っていく。「こっちです」


「フィル……?」

 困惑する声も、周囲の好奇に満ちた目も、〈竜殺しスレイヤー〉の障害にはならないのだった。


 ♢♦♢


 小さな厨房は、滞在している貴族の食事を温めなおすだけの場所で、今日は使用される予定はない。主はめずらしそうにきょろきょろしていたが、彼は城のほとんどの設備に精通していた。小さなかまどと木製の作業台の周囲に、食器や香辛料を置く棚が並ぶ。彼女をスツールにかけさせると、フィルは棚の引き出しをいくつか開けて、なにかを取りだした。先に毒見を済ませ、彼女の前に立った。


「口を開けてください」

 小さな口が開いた。

「食べて」

 彼女は言われたとおりにした。

「無防備ですね」自分でやったことだが、フィルはあきれた。「俺が一服盛っていたら、どうするんです?」

「一服って?」

「媚薬とか」


 リアナはそれを聞いても、顔に恐怖の色を浮かべたりはしなかった。どこか投げやりに咀嚼そしゃくして、尋ねた。

「干しアンズ?」

「あとクルミもね」フィルはスツールを引き寄せ、自分も座った。テーブルの脇で、二人は向かい合う体勢になっている。

「あなたは血が足りてないんですよ。もうすこし普段から栄養を取ってください」


 差しだされるままに開く素直な口に、干し果物やナッツを少しずつ食べさせる。

 よくしゃべりよく笑うのに、小さな口だ。鼻もあごも小さくて、きゃしゃな女性の骨格だなと思う。灰色の瞳はフィルの指を凝視していて、まつげが濃い色の影を落としていた。俺はこの先、彼女を欺きつづけることができるのだろうか、と彼は不安を感じた。


「媚薬」

 ふとリアナが口にした言葉に、フィルの肩がびくりと跳ねた。

「ルーイとは、媚薬とかそういうことしてるの?」

「……してませんよ」

 自分で言っておきながら、追及されると居心地が悪い。フィルは目をそらした。


「夜会ではずいぶんみたいね」

「お互いに合意の上です。人聞きの悪いことは言わないでほしいな」

 フィルは裂いた干しアンズをもう一切れ、彼女の口に押し入れた。

 片方が追求し、もう片方が言い逃れていても、指と口の間のやりとりはそのままだった。その光景はフィルにとって、淫靡というよりも、胸が苦しくなるほど甘かった。


 咀嚼し終えると、リアナはまた苦言を吐いた。

「ナイルは優しい人だけど、種守たねもりと領主の義務には厳格よ。そして人を見定める目も甘くはない」

「知っていますよ」

「いまは彼女になんでも与えてくれて、なにをしても許してあげてるのかもしれない。でもこのまま彼女が変わらなければ、いずれ領主の妻として不適格だとみなされてしまうわ。そうなったら、ツケを払うのはあなたじゃなく、彼女なのよ」

「彼女も、それはわかっているでしょう」

 フィルは、彼女の口端についた砂糖を指でぬぐった。

「他人事だと、よく見通せるんですね。自分のことにはうといのに」


 すぐに皮肉が十倍になって返ってくると思ったのに、沈黙が落ちたままだった。扉の外で、通路を渡っていく使用人たちのあわただしい声が聞こえた。じきに、夕飯の支度がはじまると、ここにも人がやってくるだろう。


「そうね」

 彼女が見せた疲れたような表情に、フィルはどきっとした。


「本当にそう。わたしだけ知らなかったのね。デイミオンはシーズンの前から、ずっと根回しをしていた……アーダルを助けるために」

 そう言って、涙をこらえるように目をしばたいた。

「デイから聞いたんですね……いま?」

 確認の必要もなかったが、フィルはあえて尋ねた。リアナはうなずいた。それで、出会いがしらの彼女の怒りに満ちた態度にも納得がいった。


「あなたも知ってたのね。あの、グウィナとハダルクの結婚式の夜……あれも、アーダルとデイのことに関係があるんでしょう?」

 その声はほとんど確認するだけで、非難は混じっていなかった。それがよけいにフィルを落ちつかなくさせる。もちろんフィルは知っていて、リアナに問いただされるものと構えていたからだ。


「どうしたらいいのかわからない」

 彼女は食べやめ、身体を引いて呟いた。「どうしたらいいの? アーダルと一緒にデイが冬眠するなんて。そんなの絶対にイヤ」

 灰色の瞳に、みるみるうちに涙が溜まってきた。

「わたしがノーと言えばやらないってデイは言ったけど、もしそうしたら、デイは自分の竜を見捨てたと一生悔やむことになる。そんな思いはさせたくない。だけど、どっちも選べない……」


 目の際までうるんで、今にもこぼれそうな涙を見て、フィルはうろたえた。汚れた指先を拭き、顔に触れようとしてためらう。

 彼女を抱きしめて、「あなたがそんな重荷を負う必要はない」と諄々じゅんじゅんと説きたかった。あるいは脱兎のごとく逃げだして、彼女の涙も自分の動揺もすべてなかったことにしてしまいたいと思った。

 つっけんどんな態度も、侮りや軽蔑の言葉にも慣れている。ケンカ腰で来られたら、いくらでも言い返したりなだめたりできただろう。イーゼンテルレの、あの宴での再会のように。

 でも彼女が弱ったり、泣いているのを見るのはだった。そうなるかもしれないと予想するだけでも動揺してしまう。

 

「俺を信じてるって言ってください」

 自分を見失ってしまい、フィルは思わずそう口走った。


「信じてるわ、フィル」リアナは涙にぬれた顔をあげた。「だけど、はどうして自分が信じられないの?」


「不安だからです」フィルはほとんど自動的に答えた。リアナがこんなふうにさといから、自分を見通しているからいけないのだ。

「怖いんです。このままやり通せる自信がなくなってきてしまった。この先は、あなたがもっと苦しむことになる……でも、失敗はできない。あなたにだけは俺を信じていてほしい」


「デイミオンとなにを約束したの? どうして、あんなに言い争っていたの?」

 フィルは目をきつく閉じ、ためらってから、「話します」と言った。

 リアナの目が大きく見開かれたのは、おそらくなかば期待していなかったせいだろう。彼女にはいつも『秘密主義だ』と責められているくらいだから。

 他人になにも打ち明けないのは、自分で遂行したほうが早くて確実だからだ。必要なのは仲間や部下の能力で、共感やねぎらいを必要だと思ったことはない。

 だが彼にも欲しいものはあって、それはデイと取引をするだけでは手に入らない。謀略だけでは得られないから、彼女にだけは包み隠さず打ち明けようと思った。


「――聞いてください。あなたは知っておかないといけない」

 フィルは、あの結婚式の夜にさかのぼって、話しはじめた。

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