第16話 マリウス手稿ふたたび ①

 明るい岩窟ケーブに巨体を横たえ、うずくまるようにして眠る黒竜アーダル。その姿をファニーは見あげた。光をはじいて鎧のように輝く鱗、触ったら手が切れそうな鋭い背鰭クレスト。オンブリア第一の竜、王を乗せる雄竜だ。

 ファニーにつられるように、デイミオンもアーダルへ目線を向けた。眠ったままでも、竜とライダーの間には〈呼ばい〉がある。青い目には信頼が宿っている。

  

 ライダーでありながら、ファニーは古竜を持たないようにしてきた。竜の持つ超自然的な力に頼りすぎることが、長い目では竜族の衰退につながっていると考えてきたからだ。だが自分の手に仔竜を預かる身となってみると、そう簡単に切り離して考えられない情愛が生まれてくる。古竜は武器でありながら、ライダーにとって無二の相棒でもあるのだ。


 リアナはどうか、と見ると、むっつりとした灰色の目線とかち合った。ニザランでの研究をすべて明かしていなかったせいで、疑いをもたれてしまっているようだ。


「今から話すよ」ファニーは取りなすように笑顔を浮かべた。「まずはこれを渡しておくね」


 彼がリアナに手渡したのは、一冊の真新しい手帳だった。

「これ……」ぱらぱらとめくりながら、リアナは呟く。「研究手帳?」


「ニザランのイノセンティウス王――あるいはオンブリアのマリウス卿、あるいは君の養父の『イニ』」ファニーはつらつらと名前を並べた。

「彼は僕の前の〈黄金賢者〉で、すぐれた研究者でもあった。……というより、知識の保全に熱心ではなかったあの時代のオンブリアで、ほぼ唯一の研究者だった、というほうが近いかな」


 リアナは片手で幼竜をあやしながら、渋い顔をした。

「イニにも、研究者にも、あんまりいいイメージは持っていないけど。……でも〈竜の心臓〉の件では助けられた。半死者デーグルモールにならずに、オンブリアに戻ってこられた……それは事実ね」


「おまえだけではなく、オンブリアのすべてのライダーが恩恵を受けた」

 隣でデイミオンがつけ加えた。「大きな功績だ。エリサ王に対するクーデタ未遂も不問に処するくらいに」

「どうせそんなこと、イニは気にしちゃいないわよ」養父に言及するリアナは、さらに顔をしかめた。

「そういうことに全然、関心がないのよ。自分の家や領地がどうなったかすら興味がなかったんだから」


「まあそれで、僕が棚ボタ式に領地をもらって五公に名を連ねるという大出世を遂げたわけだけどね」

 ファニーは苦笑してから、顔を引き締めた。

「ともあれ、事の始まりはこういうことなんだ」


 そして語りはじめた。


 ♢♦♢


 マリウスはある日、『古竜の卵を見つけた』というニザランの行商人のところに出かけた。購入するためではない。「古竜は胎生だから、卵は存在しない」ということを行商人に言い聞かせるために、だ。酔狂というか、この男らしいというべきか。


 しかし、結論から言えば――卵はあった。卵にが。


 それは枯草色のまゆだった。触ったり嗅いだりして特徴を拾ってみる。長い年月を経ているらしく、繭が乾燥して卵のように見えたのだろうと彼は考えた。一般に繭を作るのは昆虫などに限られ、竜種で観察されたことはない。

 似たようなものを見たことがある。

 おそらく先住民エルフの一種が寄生したのだろうな、と彼にはピンときた。エルフはキノコに似たこの大陸の原生生物であり、とても研究しつくせないほどの種々の変わった特性を持っている。たとえば、竜族に寄生した場合には、一見して本体が不老不死となったように見える――マリウスその人のように。


 興味をひかれたマリウスはその繭を購入して持ちかえり、城で研究を始めた。妖精王は嬉々として研究過程を語ったそうだが(リアナにも想像がついた)、このあたりは好奇心旺盛なファニーでさえうんざりするほど長い話だったらしい。

 ともあれ結果として、繭は先住民エルフが作り出したものだった。そして寄生された本体は、たしかに古竜の幼生体だった。計測する方法はないがかなり長い間、冬眠のような状態にあるらしかった――。


 ♢♦♢


「そこまでの話は、おまえからの報告で知っている。重要なのは、だ」デイミオンが言った。「その幼竜がここにいるということは、方法があるんだな。冬眠状態にある古竜を、目覚めさせる方法が」


 ファニーはうなずいた。「ある」

「マリウス卿から、研究ノートの写しを借りてきた。彼はいくつかの方法を試し、その過程と結果をここに記しているんだ。その一つが奏功して、幼竜は長い冬眠から目を覚ました。アーダルの眠りと共通点がある」


「その方法は?」デイミオンが単刀直入に聞いた。


「ライダーの能力を持つ者が、彼と〈呼ばい〉で精神を同期させること。ただ、予想できると思うけど、この方法には難しい点があって――」


「どうしてわたしに黙ってたの?」

 しばらく黙って聞いていたリアナが、ファニーをさえぎり、夫に険悪な視線を向けた。


「確実になるまでは言うべきではないと思ったからだ」デイミオンは淡々と答える。

「確実に? そんなものはないわ。成功例はたったひとつよ。たまたま、イニとその幼竜でうまくいったというだけでしょ」


「だから黙っていたんだ。だが、可能性はある」

「まさか、やってみるなんて言わないでしょうね?」

「考慮には入れている」


「考慮? 冗談じゃないわ!」リアナの激昂に、仔竜たちが動きを止めた。なにが起こったのかときょろきょろして、危険がないと思ったのか、また取っ組み合いに戻った。 

「眠ったままの古竜と、〈呼ばい〉での同期なんて。ライダーと竜の精神はお互いに干渉しあうのよ。あなたが目覚めなかったらどうするの!? そんなことさせないわよ」

 デイミオンの声もしだいに大きくなる。「話は最後まで聞け、おまえのよくない癖だぞ」

「それ、今言うこと!?」


 やれやれ、とファニーはこっそり思った。これは、夫婦げんかに巻きこまれそうだな。

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