第13話 今のあなたは好きじゃない

竜車へようこそ、リアナさま」

 ルーイは精いっぱい威厳を保って、そう告げた。


「ルウェリン卿……ね。思い出したわ」先に乗りこんだミヤミに引っ張りあげられながら、リアナは自分の侍女と視線を合わせた。


「ナイルがそんなことを言ってたわね。妻に領地を与える許可をもらっていたのは、そのせいか」リアナは得心がいったという顔になった。

 女主人と、元侍女。今では、同じ領主貴族同士というわけだ。金髪の二人の女性は、ぱっと見で区別がつかないほどよく似て見えた。

 もっとも、その理由はルーイが彼女にからだった。ふわふわに巻いた金髪も、いきいきした大きな目も、小さく形のいい鼻や口も。

(だけど、やっぱり全然違う)

 間近で見て、そう痛感してしまう。リアナは生まれながらの、本物のお姫様で、私とは違う。お人形のように飾り立てているだけの中身のない自分とは……。


 リアナのほうもじろじろと彼女を眺めまわした。

「ご立派なドレスじゃないの、ルーイ。いいご身分ね」

「ルウェリン卿と呼んでください。私はもう、あなたの侍女じゃないわ」

「それじゃ、わたしのことも『陛下』と呼びなさい」

 リアナは水滴をしたたらせながら凄んだ。「あなたが言っているのはそういうことよ」

「……」

「マウントが取りたいなら、もっとマシな材料を積むことね、ルウェリン卿」

「生まれた家が大領主だからっていうだけで、よくそんなに自信満々でいられますね。今夜のパーティでは、誰もあなたの話なんかしていなかったわ。上王陛下はタマリスの流行にも取り残されて、視察くらいしかお仕事がないんでしょう?」

「言うようになったじゃないの。夜会連中の口端にあがるのがそんなにご自慢なら、男をとっかえひっかえ、せいぜい楽しめば?」

 にらみ合う女たちを、護衛のミヤミがあわあわと取りなそうとしていた。ケヴァンは車内の出入り口を確認するのに忙しい。あるいは、女同士の争いに恐れをなしているのかもしれないが。


「ドブネズミみたいですね。ひどい匂いだ」恋人の援護射撃といったところだろうか、フィルバート卿が皮肉げに言った。本人はぱりっとしたルクヴァで髪もきれいに撫でつけてあり、貴公子然としている。

「それはどうも。浴布タオルは積んでないの?」

 フィルが二枚の布を渡した。

 リアナは一枚を自分に、一枚をケヴァンに渡した。


「俺はいいですから、陛下とミヤミで使ってください」と、ケヴァン。

「遠慮してるあいだに手を動かしたら、終わるわよ。この忙しい時期に、風邪っぴきで護衛のシフトに穴を開けられないでしょ」と、リアナ。

「はあ」


 ミヤミは布を持ち、泥まみれの主君を一生懸命にぬぐおうとするが、あまりうまくはやれていなかった。ハートレスらしく、並外れた身体能力を持つが、侍女としての能力に決定的に欠けているのだ。

 侍女をやっていたときは、いつも自分が率先して動いていたことを思い出して、ルーイは目をそらした。――今の私は、貴族の奥様なんだから。リアナさまの世話を焼く必要なんかないわ。


「ミヤミ、あなた刃物ナイフを持ってないときは本当にぶきっちょね」

 リアナは自分の髪と顔を手早く拭い、ミヤミの頭にばさっとかぶせ、乱雑に動かした。布の下で申し訳なさそうに身じろぎしているのが、小動物みたいでかわいらしい。

 ルーイは、ちりっと胸を焼くような感覚を覚えた。リアナに対してか、ミヤミに対してなのかわからない。

 ふと目線を感じて顔をあげると、ケヴァンがこちらを見ていた。感情が読みづらい男で、どう思っているのかはわからない。ナイルと結婚したと告げたときも、通り一遍のお祝いの言葉が返ってきただけだった。

 彼女の〈竜の心臓〉を持っているのに。


「車内が汚れるのは嬉しくないな」

 フィルバートは呟いて、ルーイのドレスの裾を手前に引いた。ルーイははっとして、自分で裾をなおした。仕立てたばかりのドレスは簡単には洗濯できない素材だった。


「リアナさまは西地区の地下の女性たちと、炊き出しにまわっておられたんです」ミヤミがかつての上官をにらみつけ、憤然と言った。

「人気取りの政策だけど、それで今夜満腹で寝られる人がいる。パーティで遊びまわるより、ずっとご立派です」

「人気取りは余計よ」リアナの声がだんだん小さくなりつつある。

(お疲れなんだろうか)とルーイは思った。リアナは、本人が思っているほど健康でも頑丈でもない。北部領主の血筋は希少で能力も強大だが、若死にするライダーが多いのだ。意外に偏食家で貧血気味だし、多忙で睡眠不足になっていることも多い。それにかつては、デーグルモールになりかかっていたこともあって……。


「だからといって身辺警護を減らしたり、雨のなかを徒歩で移動する理由にはならない」

 フィルの声は、外の雨よりも冷たかった。

「思いつきでばかり行動するから、こんなにずぶ濡れでみっともなく歩くはめになるんだ。無自覚な上王を持った国民がかわいそうですね」


「お説教はいいわよ」リアナの声がさらに小さくなってきた。「疲れてきたわ。すこし寝るから、城についたら起こして……」


 そしてもぞもぞと背面に顔をおしつけ、腕と足を組んで適当な体勢になって、仮眠にはいった。あんなふうにされては、車の背面は汚れてしばらく使い物にならないだろう。夫がどう思うかとルーイは気になったが、たぶん文句は言わないだろうと想像がついて、なぜだか悲しくなった。


 リアナが眠ると車内は一気にお通夜のように静まり返った。ケヴァンもミヤミも、もともと口数が多いほうではない。隣のフィルを見上げると、歯を食いしばるようにして、苦々しい顔で一心にリアナを見つめていた。

 竜族らしく美しく整っているが、どちらかといえば平凡な、どこにでもいる若い女性の顔だとルーイは思う。冷たい外気のせいなのか血の気が失せて白く、まだ水滴で髪が額に張りついている。濡れた髪は明るい茶色に見え、量が少なく見えた。そのせいか、単に眠っているせいなのか、驚くほど幼く頼りなく見えた。

 どういう感情なのかはわからないが、わずかでも注意をおこたると彼女が消えてしまうとでもいうかのように、フィルバートは一瞬も目を離さなかった。


 そんなふうに真剣に、怒りと懇願と情熱がどろどろに入り混じったような視線で自分を見てくれたことがあっただろうか、とルーイは思った。


 フィルバートも。ナイルも。


  ♢♦♢


 掬星城の灯りは落とされ、わずかに車寄せのあたりだけが明るく、不寝番の兵士たちの動きを照らしていた。


「制服、汚れちゃったわね」

 車寄せで抱きかかえられるように降りると、リアナはケヴァンの服に目をとめた。ハートレスの黒いジャケットが泥まみれだ。

「泥まみれは慣れてますよ。ルクヴァよりこっちのほうがいい」


 フィルは彼女が降ろされるところまでをじっと見ていたが、ケヴァンの皮肉にも動じることなく、発車の命令を出した。ケヴァンが最後に窓に目を走らせると、ルーイの緑色の目と目が合った。


「フィルは雨と泥が嫌いだと、前に言っていたわ」

 リアナは去っていく竜車を目で追い、どことなく懐かしそうに言った。「今でもそうなのね」


「俺も雨と泥は嫌いです、あの戦場を思い出すから。……でも主君あなたが泥にまみれるなら、俺たちも汚れます。それがハートレスの誇りのはずだ」ケヴァンは彼にしてはずいぶん長口上をのべて、口をつぐんだ。


「フィルバートさまもそうだったのに」ミヤミが泣きだしそうな声で言った。「大貴族のご領主でも、ほかのハートレスたちと同じように泥のなかで戦ったのに。尊敬してたのに……リアナさまにあんなこと言うなんて」

 その声があまりに悲痛だったので、ケヴァンは彼女の頭をぽんぽんと叩いて、励ましてやった。


「ミヤミはフィルが好きだったのね」リアナは優しく言った。


 ミヤミはくすんと鼻を鳴らした。「でも、今のあの人は好きじゃないです」


「あなたも?」

 問いかけられたケヴァンは顔をしかめた。「俺は……連隊長の考えはよくわからないです。昔からスパイみたいなことをして、平気な顔で味方を騙したりするし。でも今の連隊長は、やっぱり……」


「フィルのことじゃないわ、ケヴァン」リアナが言った。「ルーイのことよ」




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