第12話 人形姫の理想の恋人 ②
屋敷の外は雨模様の春の夜だったが、内側は目もくらむほどの贅が凝らされていた。円柱がくりぬかれたようになっていて、そこに高価なガラスランプがはめこまれ、シャンデリアもあったから夜とは思えぬほど明るかった。火鉢からは興奮をかきたてるような香料の匂いが漂ってくる。
もともと社交的な性格だし、隣には皆がうらやむような素敵な男性を連れている。ルーイは上機嫌で、男の腕に自分の腕を絡ませた。
「フィルバートさま、あの大きなガラスの器にはなにが入っているの?」
フィルは「ブランデー・パンチだよ。いろいろな果実で味がつけてある」と答え、給仕役に目で合図した。給仕がトレイを運んでくると、背の高い薄いグラスを彼女に手渡す。
「どうぞ、お姫さま」
「ふふ、甘くておいしい」
今夜の催しはそれほど格式ばったものではない。音楽はいつ始まるとも終わるとも知れなかったが、人々の流れでどうやらダンスらしいとわかった。
「お姫さまは踊らなくちゃね」
フィルバートが手を差しだしたので、ルーイは手を重ね、一緒に広間を横切った。濃緑のルクヴァにドレスシャツのボタンを二つ三つはずしたフィルを、場の女性たちがうらやましそうに見ている。いい気分だ。
彼は剣だけではなくダンスの名手でもある。だから最初の数曲は、フィルがほかの女性と踊るのを見て優越感に浸ろうと思っていたのだったが、これはこれで悪くない。ブランデーパンチよりこちらのほうが、ずっと自分を酔わせてくれそうだ。
だが、気がつくとそのまま、薄暗い廊下に連れだされていた。ルーイはまばゆく明るい舞踏会場をふり返った。
「踊ってくれるんじゃなかったの?」
「こっちのほうがいい」
フィルはダンスのときのように彼女をくるりと回して、壁に押しつける体勢になった。
耳たぶを甘く噛まれ、流しこまれるような言葉の響きに、ルーイは社交も忘れ陶然となった。
「……きっと気に入るよ」
フィルバートは彼女の手からグラスを取りのぞき、自分であおってから、その中身を口移しで彼女に与えた。しゅわしゅわと弾ける炭酸に、かっと燃えるようなブランデーの味わいが入りこんでくる。飲みきれずにこぼれた液体をフィルの舌が追った。あごに喉に、彼の唇と舌を感じると我慢ができなくて、ルーイは思わず声をもらした。
片方の腕で彼女を抱き、もう片方の手はグラスを指に挟んだまま膝を撫でまわす。太ももに冷たいグラスの感触がして、ルーイは息をのんだ。もう何度も身体を暴かれていて、ほんのわずかな接触でもはしたないほど期待してしまう。
かすれた声でねだるとフィルは笑い、指の愛撫が終わるとすぐに彼自身が入ってきた。本当は、夕方からそれをずっと待っていて……。
壁に背をあずけて揺さぶられながら、ルーイはあえぎ続けた。
「……二回目はここで? それとも、帰ってからがいい?」フィルは熱のこもった声でそう尋ねた。
♢♦♢
タウンハウスで宴が盛りあがりを見せていた頃、城下では泥まみれになって歩く主従三人がいた。スラム街から、ようやく山の手のほうへ戻ってきたばかりである。
暗くて姿は良く見えないのだが、リアナと、護衛の二人だった。
「あーっ、帰るまで天気が持たなかったわね。すそがびしょびしょ」
荷運び竜のようにぷるぷると身体を振って水を落とそうとするが、雨脚が強まっていて、無駄な労力だった。今日の行事は慈善事業でのあいさつだったが、上王リアナの地味なドレスは泥と雨を吸ってじっとりと湿っている。
「いくら短い距離でも、徒歩と車では護衛のやり方も違うんですよ。こんなことになるなら、あらかじめ教えていただかないと……」
〈ハートレス〉の女性兵士、ミヤミが苦言した。しかし主――リアナ・ゼンデンは平気な顔をしている。
「エクハリトス家の車があると思ってたのよ。だけどデイが急に出かけるものだから」
「そりゃあ、デイミオン陛下にだってご用事がありますよ……」
護衛のミヤミは相変わらず小柄で、成人前と言われても信じそうなほど子どもっぽい容貌をしている。兵士の服装で、黒髪をざっと頭頂部にまとめているのが、本人の容姿とどうにもちぐはぐに見えるが、自覚はあまりないようだ。
「どうして、ゼンデン家の竜車がないんですか」
「あれ、売っちゃったのよね」
「ええっ」
「だってゼンデン家って、実質わたし一人だもの。車も家も、維持費がもったいないのよ。さすがにタウンハウスは、
リアナは金勘定をする目つきになった。「あれを売ったらいくらになるのかしらね」
ミヤミはあきれた目で主君を見た。
「車もないなら、スラム街ご訪問は別の日にすべきでした。護衛が二人にライダーだけなんて。デイミオン王に叱られるのは私たちなんですよ」
「ああいうのはね、顔を覚えられてるうちにやったほうがいいのよ」と、リアナ。「このあいだの救出劇で、わたしの人気はうなぎのぼりなんだから」
「人気取りのご政策はけっこうですけど、もうちょっと身の安全にも気を配っていただかないと」
「会場には王都警備隊も来てたじゃないの」
「あれは陛下の個人的な御友人でしょう。護衛のプロとは到底いえません」
こんな雨の夜に街を歩く人影など、彼ら以外に見当たらなかった。石畳の道をときおり竜車が走っていく。
「あっ、ほらあれ、カールゼンデンの家紋がついた竜車よ」道路に目を向けていたリアナが、目ざとく言った。
「呼びとめて、乗せてもらいましょうよ」
「高貴なお血筋なのに、こういうところ図々しいですよね」
「カールゼンデン家は親戚なんだから、遠慮することないわよ」
「だけど、三人も乗せてもらえるか……こんなびしょぬれだし」
「この時間なら、パーティから帰るところだろうし、平気よ」
無口なケヴァンが、手を挙げてさっと合図を出す。御者席のランタンが雨夜に揺れ、キキーッと車輪をきしませて、竜車が停まった。
「ほーら停まったじゃないの。どうせ知りあいよ。……すみません、ジェーニイ卿はいらっしゃる? 車に乗せてもらえないかしら」
前半を護衛たちに、後半を竜車に向かって呼びかける。扉が開くと、車内の灯りで雨が糸のように輝いて見えた。男女の二人連れらしい。
「こんな夜分に、なにをしているんです?」
扉から顔を出した男が、冷たく問うた。「リアナ陛下」
「フィルバート」リアナは雨水を滴らせながら、驚きで目を見開いた。
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