2 恋人たち 【ルウェリン①】

第11話 人形姫の理想の恋人 ①

 真新しい鏡台に、けぶるような金髪の女性の姿が映る。


 まだ成人の歳をいくつも過ぎていないような、年若い、美しい娘である。絹糸のようにまっすぐに流れ落ちる金髪を、くるりと指で巻きとった。


「奥様。お支度を手伝いましょうか」

 ドレスを抱えて入ってきた侍女が、そう声をかけるが、女性は首を振った。

「いいのよ、自分でやるわ。慣れているから、あっという間よ」


 本人の言葉どおり、女主人は熱したコテを器用にあつかい、くるくると自分の髪を巻いていく。外向きにしたり内向きにしたりと方向を変えながら巻き、しばらく冷ましてから、ざっとほぐして整える。メイクは控えめに、明るい緑の瞳は目立たせ過ぎないようにする。上気したような薔薇色の頬だけは少し作りこんで――と。


「本当にお綺麗ですわ。せっかくのまっすぐなおぐしを巻いてしまうのは、なんだか残念ですけれど」

「ありがとう。これでいいのよ」


 ドレスを着るほうは、やはり手伝いが要る。ひざまずいてボタンを留めていく侍女を見下ろし、心が浮きたつのを感じた。以前にはひざまずく側だった。誰かにかしずかれるのは、本当にいい気分。


 すてきな部屋、すてきなお屋敷。

 イーゼンテルレ製の洗練された家具に、肌にとろけるような絹の寝具。彼女のために夫が買いそろえてくれた最高級品だ。タマリスでは、たとえ王妃さまだろうと、これほどの品物はもっていないに違いない。それが、全部自分のものなのだ。


「ルウェリンさま

 呼びかけられると、つい顔がほころんでしまう。すてきな名前。この新しい名前も、とても気に入っている。お姫様みたいじゃない?

 現実には、お姫様だったことはないけれど。でも大貴族の奥様というのは、お姫さまと同じくらいすてきだ。


「旦那さまがいらっしゃらなくて、残念ですね。きっと惚れ直されるのに」

 新しく迎えたばかりの侍女が言うと、古参の一人が「ちょっと」ととがめるような小声を出した。


「あら、大丈夫よ。気にしないで」

「す……すみません」

「私は侍女上がりだけど、いい女主人だと思うわよ。自分がされて嫌だったことは、あなたたちにもしないわ。それに、夫がいないことはちっとも気にならないし」

 恐縮している侍女たちに、にっこりと微笑みかける。

 夫、ナイル・カールゼンデンは北部の大領主。オンブリアの農業を保護する白竜の竜騎手ライダーだ。とても忙しく、いまも〈種守たねもり〉の仕事のために、シーズンにもかかわらず領地に戻っている。

 でも、新妻に構えない罪悪感の分、夫は自分に優しくしてくれる。すてきなお屋敷に使用人たち。ドレスも好きなだけ、何枚だって仕立てられるもの。


「お優しい旦那様で、本当にうらやましいですわ」

 取りつくろうような侍女の言葉に、「新婚なのに放っておかれている妻」への同情が見え隠れする。生まれながらのお姫様なら気づかないような皮肉でも、自分にはわかるのだ。


「それに、その……素敵な恋人もいらっしゃるし。旦那様公認の」

「ふふ、公認と言うより、黙認ね」

 夫は希少な白竜のライダーの血筋だから、子どもは絶対に必要だ。だから領地には別の妻もいて、その分、彼女にも自由にさせてくれるというわけ。

 お姫様みたいな暮らしも、からくりが見えてみればこんなもの。それでも、望みうる限り最高の生活だと、そう思っていた。


 扉が開いて来客が告げられると、ルウェリン卿はぱっと顔を輝かせた。今夜のパーティに同伴してくれる恋人が、彼女を迎えに来たのだ。


「時間通りだわ。もう行かなくちゃ」

 飛ぶように軽やかに自室を出た。


 応接間に入ると、恋人は立ったままで待っていた。彼が座るところを、ルウェリンは見たことがない。

 略式の、濃緑の長衣と白いズボンが、いかにも叩きあげの兵士らしい美しい立ち姿によく似合っていた。明るい茶の短髪、ハシバミ色の瞳。

 ハートレスと呼ばれ、シーズンに参加もできなかったときから、ひそかにかれに恋い焦がれる女性がたくさんいたことを知っている。そんな男が、いまは自分だけのものなのだ。


「フィルバートさま」ルウェリンは男の胸に飛びこんだ。たくましい腕が、しっかりと彼女を抱きとめてくれる。 


「新しいドレス? よく似合ってるよ。かわいい」

 甘く、優しいのに、どこかに冷たさが残る青年の声がささやいた。その手が、ふわふわに巻いた自分の髪をひと房とって、口づけが落とされた。

「本当にきれいだ。……好きだよ、ルーイ」


 いまはルウェリンと呼ばれている少女、ルーイは、その声にうっとりと目を細めた。

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