7話 キュートアグレッションが止まらない 死ぬほど重くて潰れそうな愛の形


 中央フルセンと西フルセンの境界付近。

 神国イーティスの国境。

 純白のフルプレートアーマーに身を包んだエステルは、神聖十字連を率いてエトニアル帝国軍と戦っていた。

 エステルは馬上で指揮を執りながら、槍で敵兵を突いている。


「……このままでは負けるな……」


 エステルは苦い表情で呟いた。

 この戦場はほぼ神聖十字連だけで回していると言っても過言ではない。ゾーヤ軍もいるが、数が少ない。

 援軍を要請したが、どこの戦線も余裕がない。エトニアル帝国の物量が尋常ではないのだ。

 唯一、傭兵団月花が暴れ回っているトラグ大王国の戦線だけが、連戦連勝だと聞いた。だからもしかしたら、そちらから援軍がくる可能性はある。


「もう歌声とは戦いたくないしな……」


 エステルは槍で敵兵を突きつつ、今日はまだ後方にいるネレーアの顔を思い浮かべた。

 すでにネレーアとは一戦交えていて、危うく殺されるところだった。

 即死魔法を解除するために、エステルは自身の身体を傷付けた。フルプレートの拳で自分の顔面を自分で殴るという荒技。

 痛くて泣きそうだったが、命は助かった。


 あの魔法はあまりにも厄介すぎる。事前に知っていたから回避できたに過ぎない。

 ちなみに、ネレーアの情報(主に即死魔法とその解除方法について)はアスラたちがゾーヤ軍に売却したのだ。

 と、神聖十字連の隊員たちが突如、雄叫びを上げ始めた。

 何事だ、とエステルは周囲を確認。そうすると、白虎に乗ったスカーレットがすごい速さでエステルの側を駆け抜けて行った。


「神王様……」


 スカーレットの威風堂々とした姿を見て、エステルは今すぐ膝を折って祈りたい気分になった。

 以前スカーレットと鍋を囲んだ時は、「鍋にチョコを入れるなんて、こいつ本当に大丈夫か?」なんて思ったこともあったなぁ、とエステルは思い出す。

 しかし今、エステルはもう心の底から安堵していた。その実力を知っているからだ。

 スカーレットは忙しいとか面倒臭いとか言って、この危機をずっとスルーしていたのだが。


「さすがに自国が戦場になったら、出てくるか……」


 スカーレットが戦場に出て来たということは、


「勝ったな……」


 エトニアル帝国軍は終わったという意味だ。



 歌声のネレーアはそのあんまりな光景に絶句した。

 最上位の魔物である白虎に乗った女が、骸の軍団を率いてエトニアル軍を蹂躙していた。


「……魔法なの……?」


 凄まじい数の骸が、カタカタと骨を鳴らしながら攻撃している姿は、どう見てもこの世の光景とは思えない。


「クソ……」


 ネレーアは骸と白虎女に向けて即死魔法を使用。


「し・ね」


 とても美しい声で、とても澄んだ声で。

 しかし骸には効果がなかった。すでに死んでいる上に、脳がないから無意味なのだ。

 白虎女は『覇王降臨』を瞬間的に使用し、ネレーアの即死魔法を消し飛ばした。


「ちっ……直接戦うしか……」


 ネレーアは馬に乗って、白虎女の方へと移動。


「あたくしは天聖・歌声のネレーア! 貴様は何者だ!」


 ネレーアは神槍トリシューラを投擲。目標は白虎女。


「奇遇ね。あたしも天聖よ。天聖神王スカーレット」


 スカーレットは右手でトリシューラを掴んで止め、クルッと回して投げ返した。

 スカーレットが投げたトリシューラは、ネレーアの投擲より遙かに速い。ネレーアはほとんど何の反応もできなかった。

 ただ、幸いなことに、トリシューラが貫いたのはネレーアの馬だった。

 馬が倒れる前に、ネレーアは馬から飛び降りる。そして馬を貫き地面に突き立ったトリシューラを握って、引き抜き、構える。


「貴様がイーティスの王ね……」


 ネレーアは冷や汗を流しながらも、なんとか威厳を保った。

 虚無のロマ、大帝、聖女……あるいは彼ら以上の凄まじい圧力を感じる。死ぬかもしれない、とネレーアは思った。

 ここまでのやり取りだけで、スカーレットが常軌を逸した戦闘能力を持っていると理解した。


「本当はこの戦争に参加する気はなかったのだけど、一度制圧した領土を取られるのってやっぱり気に食わないのよね」スカーレットが言う。「もちろん取り返すのは簡単よ? でも、やっぱりムカつくのよね」


 台詞の途中で、スカーレットは白虎から降りて、白虎の頭を撫でた。

 白虎は気持ちよさそうに目を細める。

 白虎があんなに懐くなんて、とネレーアは驚愕した。


「まぁそういうわけだから」スカーレットがニヤッと笑う。「悪いけどみんな死んで? おいで、魔王剣」


 空間を引き裂いて、白い骨の剣が姿を現す。

 その膨大な魔力と、身も凍るような負のエネルギーを撒き散らしながら。



 アスラは空を歩きながら、スカーレットを見ていた。

 トラグ大王国の戦線が落ち着いたので、《月花》メンバーたちは引き続きトラグ大王国を防衛する班と、各国の戦線を偵察する班とに別れた。

 アスラは偵察班で、担当はここ、イーティスである。

 歌声のネレーアがここにいるということで、アスラは自らここを偵察することに決めた。

 空に浮いた花びらを足場に、ゆったりと移動する。


「まさかスカーレットが出てくるなんて」


 アスラは嬉しい気持ちで一杯になった。スカーレットを見たら、攻撃したくなってしまう。

 なんせスカーレットはアスラのラスボスだから。アスラはみんなのラスボスで、スカーレットはアスラのためのラスボスなのだ。

 スカーレットとの対決は、アスラにとって物語の終わりか、最低でも区切りを思い起こさせた。


 魔王剣を呼んだスカーレットが、上空を一瞥し、勝ち気に笑った。

 アスラに向けて笑ったのだ。


 堪らない、滾るっ!


 アスラはスカーレットを攻撃したい衝動を抑えるのを止めることにした。


 ああ、私は、今すぐ君を殺したいっ!


「十六夜!」


 アスラが呼ぶと、魔王剣・十六夜がバリバリと空間を引き裂いて現れた。

 アスラはすぐに十六夜の柄を握る。

 ああ、確か前にも私は、この気持ちを抑えられなくて星を降らせたんだっけ?

 スカーレットとアルの決闘を見ていた時の話。


「キュートアグレッションってやつかな!」


 スカーレットの勝ち気な笑みが、あまりにも可愛かったから。それと、なぜか白虎に乗っていたのも可愛かったし。

 アスラは足場の花を消して落下を開始。

 スカーレットが剣を振ろうとして、アスラの落下に気付いて少し驚き、即座に防御態勢へ。


 アスラは落下の加速度を乗せたまま、十六夜でスカーレットを斬りつける。

 スカーレットは魔王剣でその一撃をガード。

 凄まじい衝撃と音が響く。

 スカーレットが防御してくれたおかげで、アスラの速度が落ち、簡単な受け身だけで着地できた。

 着地している間に、スカーレットが間合いを詰め、アスラを斬りつける。


「何すんのよ!」


 キレ気味のスカーレットも可愛いな、とアスラは思った。

 アスラは十六夜でスカーレットの攻撃を受け流す。

 そこから斬り合いへと移行。どちらも一歩も引かない。魔王剣と十六夜がぶつかる度に、小さな衝撃波が起こっていた。

 周囲で見ていた者たちは、それが人間同士の戦闘だとは思えなかった。

 高度なテクニックと目で追えないほどのスピードで叩き込まれる斬撃の応酬。

 パワーで負けている分だけ、アスラがやや不利。


「楽しいねスカーレット! もう今日で終わりにしちゃおうか!」


 それでもいい、それでもいいのだ。

 アスラにはまだ、アイリスが残っている。今日、スカーレットという果実を食べてしまっても、きっと大丈夫。


「いきなり、なんなのよアンタは!」


 スカーレットはなぜいきなりアスラが攻撃してきたのか、少しも理解できないでいた。


「愛情表現だよ!」

「そうだったわね! アンタの愛情って死ぬほど重いのよね! 文字通りに!」



 ネレーアはサッパリ意味が分からなかった。

 突然、空から傭兵王アスラが降って来て、なぜかスカーレットと戦い始めた。


「次元が違うわ……」


 その戦闘はもはや人類の枠を逸脱している、とネレーアは思った。

 こんなの虚無のロマか天聖候補1位のあいつぐらいしか、立ち向かえない。

 大帝様ですら、危うい。この二人と戦ったら、大帝様の命が危うい。少なくとも、ネレーアはそのように感じた。

 ネレーアにとっての唯一の救いは、アスラとスカーレットが敵対しているっぽい、ということだけ。


 二人が協力したらどれほどの被害が出るか分からない。物量で押せば最後には倒せるかもしれないが、それまでに軽く10万は死亡しそうだ、とネレーアは思った。

 しかし、これはある意味チャンスだ。

 この規格外の二人を生かしておくわけには、いかない。少なくとも、二人が敵対し、戦っている間に片方は始末するべきだとネレーアは思考する。


「まさか傭兵王が……これほど強かったなんて」


 ネレーアの蹴りで海に落ちたのは一体、何だったのか。あの時はアスラのことを強いとは感じなかった。

 ネレーアは知らないのだ、アスラが割と遊ぶことを。今だって、アスラはギリギリで本気じゃない。そしてスカーレットも。

 二人はまだ剣術しか使っていないのだから。

 ともかく、とネレーアは歌う。


「し・ね!」


 今なら、死闘を演じている(ようにネレーアには見えた)今なら、ネレーアの魔法で殺せるかもしれない、と思ったのだ。

 しかしネレーアの魔法が二人に届いたと同時、二人は瞬間的に覇王降臨を使用してネレーアの魔法を消し飛ばした。


 ネレーアの魔法は強力だが、弱点が明確だ。

 まず、他の刺激で回避が可能な点。自傷する勇気があれば、即死を免れる。

 そして。


 強力な魔力を当てれば魔法そのものを破壊可能な点。

 もちろん、ネレーアの魔法を破壊できるだけの魔力を持った者は、そうそういないけれど。

 アスラとスカーレットの視線がネレーアに向く。

 ネレーアはトリシューラを構えて、構えた次の瞬間には斬り刻まれていた。


「邪魔だよ」とアスラ。


「邪魔しなければ、綺麗な声だったし、うちの国で歌手にでもしてあげたのに」


 ネレーアを瞬殺した二人が、それぞれ淡々と言った。

 この瞬間、ネレーアを殺す瞬間だけ、アスラもスカーレットも本気だった。心の底からネレーアの介入に腹が立ったのだ。


「私が君に歌を捧げてあげようか?」

「いいわね、聞かせてよ、歌ってる間は殺さないであげるわ」


 スカーレットが魔王剣を構え、アスラも構える。

 アスラはそのまま歌を歌い始める。

 いつか拉致された少女と一緒に歌った歌。

 スカボローフェア。

 アスラは歌いながら星を降らせた。

 スカーレットは魔天使を創造し、星に対処させつつ、アスラに斬りかかる。

 ちなみに、スカーレットの骸たちは今もエトニアル軍を攻撃し続けていた。

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