EX77 ソードマスター・アイリス 平和な後宮生活は退屈だもの
「聖女様を除いて~、帝国でもっとも~、高貴な女性って言ってもさ~」
間延びした声で言ったのは、後宮の下級妃ビアンカ・シーカだ。
ビアンカは19歳の女性で、朱色の髪をハーフアップにしている。
服装はドレスで、胸が大きい。
アイリスは話を聞きながらも、ビアンカの胸を見詰めていた。
「いずれは~、手柄を挙げた誰かに下賜されるわけで~」
要は『お前にこの高貴な女をやろう、結婚しろ』という意味である。
まぁ帝国男子にとって、後宮妃を下賜されるのはかなり大きな褒美ではあるけれど。
「まぁイジメとかはないから、気楽にやっていくといいよ~」
ニコニコと笑いながらビアンカが言った。
ここはエトニアル大帝国の後宮。いくつかある庭園の1つ。色とりどりの花が咲き乱れていて、心が落ち着く香りが漂っている。
アイリスたちは屋外に設置されたお茶会スペースに座っている。
テーブルも椅子も高価で、並んでいるお菓子も一級品ばかり。
厳しく訓練された後宮メイドたちが側に控えていて、後宮妃の要望にすぐ応えてくれる。
「それは残念……」
アイリスが肩を落として言った。
「ふん。面白い奴だなお前」
ビアンカ、アイリスと同じ下級妃のモルガーナ・サンマレッリが小さく笑った。
今日は3人で午後のお茶会をしているのだ。
モルガーナは20歳の女性で、琥珀色の髪をポニーテールに括っている。
ドレスではなく運動着なのは、この後すぐに剣の稽古をするから。
ちなみに運動着もかなり高級なものである。アイリスも同じのを支給されているが、今はドレスを着用していた。
「あたしの知ってる後宮は!」アイリスが力強く言う。「愛憎と陰謀が渦巻く! ラブロマンスの舞台! なのにっ! この後宮は平和すぎるぅ!」
「だって~、上級妃になったからって~、大帝様の目に留まるとは限らないし~? つまり他者を蹴落とす意味が薄いのよね~」
「うむ。選ぶのは完全に大帝様だ。陰謀を巡らせる意味がない。自分以外の妃を全部殺したとしても、選ばれない可能性もある。要するに陰謀など徒労だ」
「そうそう~。どうせわたくしたちは下賜されるのだから、まったり生きていけばいいのよ~」
エトニアル大帝国において、後宮にいられるのは25歳まで。
基本的には全員がそれまでに下賜される。
一部の上級妃は他国の姫だったりするので、下賜不可の場合がある。
その場合、25歳までに大帝の妻になれなければ、自国に戻ることも可能だ。
「下賜されると困るけどね、あたし!」
アイリスはあくまで潜入中なのだ。結婚するために後宮にいるわけじゃない。
「ボクだってそうさ。早く序列をあげないと、もう20歳だから、いつ下賜されてもおかしくない」
モルガーナが小さく首を振った。
「天聖候補なんだっけ?」とアイリス。
「うむ。今回の戦争で、序列が多く変わっているが、最新の序列でボクは25位だった。一桁になれば下賜不可の申請が通るのだ」
「後宮妃なのに天聖候補って~、珍しいわよね~」
「ボクの場合、天聖候補が先だ。ムツィオ様に無理やり後宮妃にされてしまったんだ。逆らえなくて……」
「ああ、あの人、強い女を妃にする癖があるわよね」
何を隠そう、アイリスもムツィオに誘われてここにいるのだ。まぁ、すでにムツィオは死んでしまったけれど。
「今回の戦争だって、ボクは出征したかったんだ……でも妃だから叶わなかった」
モルガーナは小さく溜息を吐いて、アイリスをジッと見る。
「アイリス、君も剣を使うのだろう? 立ち会ってみないか?」
「あら~、いいわね~、だったらみんなを集めて、イベントにしましょ~」
モルガーナの提案に、ビアンカが手を叩いた。
「別にいいけど」
天聖候補25位の実力がどの程度なのか知りたい。
「では決まりだな。明日にでもどうだろう?」
「今からでもいいわよ?」
「あらあら~、じゃあすぐにお触れを出さないと~、2時間後でいいかしら~?」
「ボクはいいよ」
「あたしもいいわよ」アイリスが言う。「モルガーナに勝ったら、あたしも天聖候補になれるの?」
「天聖候補管理委員会の奴を呼べば可能だ。呼ぶかい?」
「よろしく!」
アイリスは思ったのだ。
このまま下級妃として後宮にいても、大帝に近づけないだろうと。
だってあいつ、あの日、アイリスにアスラの国の位置を聞いて以来、一度も顔を見ていない。
後宮は情報が集まるので、悪くはないのだけれど、大帝と会えなさすぎる。
だが天聖になれば、大帝と何度も顔を合わせる機会がある。そう下級妃たちに聞いた。
◇
「そんなわけで、これからモルガーナと戦って天聖候補になる予定なの」
アイリスの声を真似した人形が言った。
ここは聖王城の会議室。
「楽しんでいるようで何よりだ」とアスラ。
「任務は楽しめって教わったもん。アスラに」
アイリスの声は弾んでいた。
「天聖になったあと」ミルカが真面目な様子で言う。「大帝を暗殺できるか?」
「え? あたし人は殺さないわよ?」
「私以外、ね」
アスラが小さく呟いた。誰にも聞こえないように、本当に小さく。
アスラには予感がある。いつかアイリスと殺し合うという予感が。
そして、アイリスもそう予感しているはずだ、とアスラは思った。
「そんなこと言ってる場合ですか!?」
ゾーヤが悲鳴みたいに言った。
「これは信念だから曲げないわ。たとえ世界が滅んでも。てゆーか誰?」
「ゾーヤです」
「えええ!? ゾーヤって聖国で演説してた銀色の神様!? 会議とか出るんだね!」
「ええ、まぁ……」
「神典ではなんかすっごい人みたいに描かれてるけど、そうなの!?」
「し……神典の話は、今は関係ありません」
コホン、とゾーヤが咳払い。
「暗殺しないなら」ミルカが言う。「なぜ大帝に近づこうとするんだ?」
「だってイケメ……ごほごほ、えっと、近くで情報を集めようと思って」
「今イケメンって言った?」
「言ってないわよ。ミルカさんったら何言ってんのよ。真面目な話、大帝を殺さずに打ち倒そうとは思ってるのよ?」
「ほう。聞かせてくれ」
「え? そんな大層な計画じゃないわよ? ただ天聖になって近づいて、隙を見て叩きのめして、アスラたちと連携して拉致して、講和するまで拷問するとかその程度のことしか考えてないわ」
「おぉ、私が勝手に計画に組み込まれているよ」
アスラが肩を竦めた。
「もしくは、大帝の命を盾に軍を引かせるとか」アイリスが言う。「そんな普通なことしか考えてないわね」
「普通……かなぁ?」
ギルベルトが引きつった表情で言った。
「分かった。俺っちは参謀のベンノだ」ベンノが話に入った。「英雄アイリス、そっちはそっちで進めてくれ。それと、新たな情報があればすぐに知らせて欲しい」
「了解。じゃあそろそろ試合だから!」
アイリスがそう言ったあと、人形がコクンと頷く。
「以上だ」
人形はピョンと床に飛び降り、アスラのローブの中に入った。
「アイリスの計画は、時間がかかりそうだな」とミルカ。
「やっぱ俺様が大帝をぶち殺しに行くのが早いんじゃネェか?」
「戦いたいだけだろう?」とアスラ。
「悪いのかヨォ?」
「いいや。別にいいんじゃないかな?」
アスラは淡々と言った。
「こっちはもう防衛しながら」ベンノが言う。「敵地攻撃方法を探すって感じだな」
「捕まればいいと思うよ」アスラが言う。「連中、フルセンマーク人を捕まえて本国に送ってるだろう? 私らはみんな奴隷なんだってさ」
「その手があったか!」
アルが嬉しそうに手を叩いた。
お前みたいな奴隷がいてたまるか、とアスラは思ったが言わなかった。
「なるほどなぁ」ベンノが頷く。「連行される人々に混ぜて精鋭を送り込んで、敵の重要人物を暗殺する。いい手だ。さすが銀色の魔王」
「人選は君らで勝手にやるといい。弱そうに見える奴がいいんじゃないかな?」
「やべぇぞアスラ!」
人形がアスラのローブから飛び出し、ジャンプしてテーブルに乗った。
「どうしたんだい?」
「ティナが拉致されたぞ!」
「ティナが? 誰に?」
「帝国の連中だ! 大艦隊で攻めて来たんだ!」
人形の言葉を聞いて、アスラが勢いよく立ち上がる。
「私のいない時に!? なんてタイミングの悪い連中なんだ!」
「ちなみに城まで攻められたわけじゃなくて、上陸戦だったみたいだぞ」
「それは素晴らしい! すぐ行かないと! まだ戦闘中かね!?」
「いや、もう最初の攻撃は終わったぞ。跳ね返したみたいだ」
「私なしで初撃を終えるなんて酷い!」
アスラは人形を掴んで肩に乗せ、急いで会議室を出た。
「……ティナのことも心配してあげて……」
ナシオがボソッと言った。
「……帝国の大艦隊を跳ね返したんですか?」
ゾーヤが信じられないという風に呟いた。
◇
アイリスは大きく深呼吸をした。
ここは後宮の運動場。主には後宮妃たちが乗馬を楽しむ場所。そこに多くの妃たちが集まっていて、盛大なお茶会のようになっている。
「ドレスのまま、髪すら結ばないのか?」
アイリスの前に立ったモルガーナが言った。
「服装に関しては、あたしいつもスカートで戦ってるし、大丈夫よ」
髪は普段ならツインテールだが、下ろしていても問題ない。
「ボクを舐めているのか?」
モルガーナが木剣の先端をアイリスに向けた。
「そうじゃなくて、普段と変わらないってだけ。いつもヒラヒラした服で戦ってるのよ、あたし」
「ふむ……それがスタイルというなら、仕方ないか」
モルガーナが木剣を下ろす。
ちなみにアイリスの装備も木剣だ。
「ところで」アイリスが言う。「天聖候補って100人いるでしょ? 実力差ってどのぐらいあるの?」
「一桁以外は大きな差はないだろう。もちろん、100位と20位では20位の方が強いが、圧倒的な差というわけではない……はず」
「へぇ」
アイリスは木剣をクルクルと回した。特に意味はないが、気分は高揚していた。
こういう試合は久しぶりだ。命の危険のない、純粋な試し合い。
「それでは順位戦を始めたいと思うが、双方準備はいいか?」
天聖候補管理委員会、通称・天聖員の男性が少し離れた場所から大きな声で言った。
ザワザワしていた周囲の妃たちが、口を噤んでアイリスたちに視線を集中させる。
「ボクはいつでもいい」
「あたしも」
モルガーナとアイリスが言うと、天聖員が右手を挙げた。
「では順位戦、開始!」
天聖員が右手を下ろす。
同時にモルガーナが闘気を使用し、突っ込んだ。
モルガーナの斬撃をアイリスが受ける。
モルガーナが何度も斬りつけ、それらをアイリスがガード。
なるほど、とアイリスは思った。
フルセンマークなら数年後には英雄になれるレベルだ。問題なく強い。
アイリスはしばらく受けに回った。別に反撃できないわけじゃない。ただ帝国の剣術を余すことなく受けたいと思っただけ。
綺麗な剣筋だなぁ、とアイリスは思った。
丁寧で、美しく、こう、なんと言うか、戦場で人を斬るよりも剣舞に向いてそうな、そんな流麗さ。
ただ、そんな綺麗な剣では、戦場で人を殺せないだろうなぁ、とも思った。
「くそっ、これだけボクが攻撃して、一歩も動かないだと!?」
モルガーナがアイリスから距離を取った。
「オーラすら使わないとは……」
「ごめん、オーラって何?」
アイリスが質問すると、モルガーナは驚いた風な表情を浮かべた。
そして闘気を仕舞って、再び使用。
「これがオーラだ」
「なるほど! あたしらはそれ、闘気って呼んでるの」
言いながら、アイリスも闘気を使用。
今度はアイリスから仕掛けた。
横薙ぎの一撃。
モルガーナはそれをガードしたが、そのまま横滑りするように吹っ飛んだ。
アイリスは追撃しなかった。
「バカな……なんてパワーだ……」
驚愕に満ちたモルガーナが言った。
「どっちかと言うと、今のは型が綺麗だったから、パワーが上手く伝わったんだけどね」
アイリスが微笑み、クルクルと木剣を回転させてから構え直す。
「その余裕……お前、まさかまだ上があるのか?」
「まぁね……」
アイリスはまだ魔法を一度も使っていない。ただの剣士として戦っている。
「ソードマスターの境地なのか?」
「えっと?」とアイリスが首を傾げる。
「赤いオーラを使えるか?」
「これ?」
アイリスが覇王降臨を使用。小さな衝撃波が起こる。
モルガーナも天聖員も妃たちも、全員が目を見開いた。
「くそ、ボクの負けだ。ソードマスターならソードマスターだと言え。お前ならすぐ一桁になれるだろう」
モルガーナは肩を竦めてから、闘気を仕舞った。
完全に戦意が消えていたので、アイリスも覇王降臨を終える。
「すごーい」ビアンカが手を叩きながら言った。「まさかソードマスターだなんて~」
妃たちが「すごい、すごい」と楽しそうに言った。
あんまりみんなが褒めるので、アイリスは少し照れた。
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