5話 騎士の誇りを胸に抱き 「君はよく頑張った」
十六夜はゆっくりと海の底へと沈んでいった。
ヒンヤリとしていて気持ちいい。海の暗さも心地よい。上の方に見えるキラキラした光も綺麗だし、本当にいい気分だった。
そんな風に、十六夜は初めての海水浴を満喫していた。
水圧がかかって、それもまた面白い体験だった。
やがて着底し、柔らかな砂が巻き上がった。
ああ、なんて気持ちいいのでしょう、と十六夜は思った。
人格の統合はもうほとんど終わっている。残すべき人格と削るべき人格を、アスラと一緒に考えて、その通りに統合を進めていった。
元々、十六夜は怨念の集合体なので、尋常じゃない数の人格を内包していた。しかしながら、それでは会話に支障が出るということで、アスラが人格の統合を提案したのだった。
ああ、呼ばれるまでここでゴロゴロしましょう、と十六夜は思った。
この場所をものすごく気に入ったのだ。
◇
数日後。
「た、助けてくれて、ありがとう……」
逃げ遅れた少女が言った。
蒼空騎士団のリュシエンヌ・トマは、少女を左手で抱えて右手の剣で敵兵の一撃を弾いた。
少女が軽くてよかった、とリュシは思う。
同時に、感謝されたことが死ぬほど嬉しかった。このために、弱い者を守るために、リュシは蒼空騎士になったのだから。
とはいえ。
状況は最悪。すでに味方の蒼空騎士は全滅。ゾーヤ軍もほぼ残っていない。リュシは8歳かそこらの少女を抱えたまま片手で戦わなくてはいけない。
ここはトラグ大王国の西に位置する小国。
その西の端の街。大通り。民間人はほとんどいない。動けなかった者や、ここで死ぬことを望んだもの、兵ではないが戦うと決めた者、そして逃げ遅れた者たちが残っているだけ。
午後の日差しはきつく、熱が体力を奪っているようにリュシは思った。
エトニアル兵が5人、リュシを囲んでいる。
リュシは少女を救うことを最優先に考えたが、囲みを突破できそうにない。
エトニアル兵たちが剣でリュシに斬りかかった。
リュシは片手で全部ガードした。抱きかかえている少女が、ギュッとリュシに抱き付く。恐怖を殺すように強く。
少女は泣かなかった。
代わりに。
「騎士様……」と祈るように呟いた。
なんとしても、なんとしてもこの子を救わなければ、とリュシは思った。
エトニアル兵を1人斬って、更に1人斬った。
いけるか、と思った時、屋根の上から炎をまとった大剣が降って来た。
リュシは大きく跳んでそれを回避。
大剣は地面を抉った。
「あら? 躱したんだねー!」
大剣の主が言った。
18歳前後の少女で、燃えるような赤い髪をしていた。
上も気にしていて良かった、とリュシは思った。
騎士見習い時代の教官が、上から敵が来ることもあると言っていたのだ。
「アタシは天聖候補序列88位! 目指せ炎帝! カイナ・クイナ! 青い騎士、名前を聞こうか!」
ああ、クソ、とリュシは吐き捨てそうになった。
天聖候補は英雄並の実力を有している。そのことは、すでにフルセンマーク中が知っている。
「リュシエンヌ・トマ。蒼空騎士団、団長補佐。今は第4小隊所属……だった」
第4小隊はリュシを残して全滅した。
エトニアル兵たちが少し下がった。カイナに任せるつもりなのだろう、とリュシは思った。
「なかなか、良さそうな獲物ね! 英雄じゃないのが不満だけども!」
カイナが大剣を構えた。普通の長剣のような構え方。中央フルセンの額の前で横に構える大剣術とは違う。
「炎龍斬!」
カイナが大剣を縦一文字に振る。そうすると、大剣の周囲の炎が龍のようにうねり、リュシに向かって飛んだ。
これは魔法だ、とリュシは理解し、横に飛んで躱す。
躱した先にカイナがいて、再び大剣を縦に振る。しかし炎はもうない。
「く……そ……」
リュシは片手で大剣を受け止めようとして、無理だと悟って即座に滑らせた。そして後方に飛ぶ。
「やるぅ!」
カイナが楽しそうに言った。
少女を抱えたままでは、というか、万全の状態でも勝てない。リュシはどうやって逃げるか考えた。
そして無理だと結論。
少女をゆっくりと降ろす。もちろん、カイナを警戒しつつ。
少女はキョトンとした感じだった。でも良かった、落ち着いている、とリュシは思った。
「行って。走るの。振り返っちゃだめ。私が敵を止めるから」
「でも……」
「行きなさい!」
リュシが強く言うと、少女が走り出した。
これでいい。カイナも少女を追う気はない。ただ見ていた。
リュシは深呼吸した。
私は今日、ここで死ぬ。
仕方ない。最期まで、騎士の矜持を持って戦い、そして死ぬ。
リュシは剣を両手で構えた。
そして間合いを詰め、斬撃。
それはリュシの人生の中でも、一番か二番にいい斬撃だった。
しかしカイナが大剣でガードし、更に弾き返した。
リュシのバランスが崩れる。
「一刀両断ってね!」
カイナが大剣を振り下ろす。
ああ、終わった。
でも、少女を救えた。
リュシは目を瞑った。
これでいい。それでいい。悪い人生じゃなかった。正しくは、途中で良くなった。バツ組のみんなには生きていて欲しいなぁ。リュシはそんなことを考えていた。
そして金属と金属がぶつかる音が響いた。
あれ?
リュシが目を開くと。
「君はよく頑張った。1人でよく頑張った。でも、諦める前に私の名前ぐらい呼んでも良かったんじゃないかな?」
小太刀でカイナの大剣を受け止めた銀髪の少女がいて。
「教官!!」
リュシは嬉しくて泣いた。涙が自然に流れた。
死を覚悟していたのだ。死ぬと思っていたのだ。
でも。
もう助かった。
その安心感が、リュシの涙腺を破壊した。
カイナが後方に飛ぶ。
「もう教官じゃないけど、君の成長を誇りに思うよ。あとは任せたまえ」
リュシのかつての教官、アスラ・リョナは小太刀を持っていない方の手でリュシの頬を撫でた。
「アタシの大剣を止めるなんて、あんた英雄?」
「いや、違う」
言いながら、アスラは小太刀を仕舞う。
それから、背負っていた鉄の筒を取って何かし始めた。
アスラが何をしているのか、リュシには分からない。
「英雄以外にも、強い奴がいるんじゃん」カイナが面白そうに言う。「よぉし! 一騎打ちだ!」
カイナが大剣の切っ先をアスラの方に向けた。
「別に構わんけど、本当にいいのかね?」
アスラは細い棒で、筒の中を突っついている。
本当に何してるの?
「当たり前! アタシは天聖候補序列88……」
「あー、そういうのいい」
アスラが冷めた様子で言ったので、カイナは大剣を降ろした。
アスラは筒に何か火の縄をくっ付けている。
それから筒を構えて、先っぽをカイナの方に向けた。
カイナはかなり不満そうに言う。
「……戦士なら戦う相手の名前ぐらい……」
バァン、という音と閃光があって。
次の瞬間、カイナの額から血が流れ、カイナは地面に倒れて絶命。
リュシは何がなんだか分からなかった。
周囲のエトニアル兵も、理解が及ばないという顔をしている。
「私は戦士じゃないよ」
アスラがまた筒に何かし始めた。
リュシがジッと筒を見ていると、アスラがその視線に気付いた。
「ああ、これはね、鉄砲っていう武器だよ」
「てっぽー?」
初めて聞く名前だ、とリュシは思った。
「この武器があると、誰でも簡単に兵士になれる」
「かかれぇぇぇ! カイナ様の仇を討つぞ!!」
エトニアル兵3人が駆け出した。
しかしアスラは特に何もしない。リュシも動かなかった。アスラが動かないのには理由があるはずだ、と思ったから。
さっきと同じ音が何度か響いて、エトニアル兵が3人とも走りながら血を流して、そのまま勢いよく倒れる。
「便利だろう?」
アスラが言うと、周辺の民家の窓からグレーテル、サルメ、マルクスの3人が出て来た。
3人ともアスラと同じ筒、鉄砲を持っている。
原理は分からないが、恐ろしい武器だとリュシは思った。
戦争が、戦いが、根底から覆ってしまう。そういう類いの武器。
「副教か……じゃなくて、マルクスさん」
「久しいなリュシ。よく鍛錬しているようで何よりだ」
マルクスはリュシに笑顔を向けた。
「あ、はい。お久しぶりです。アスラさんも。また会えて嬉しいです」
「私もだよ。ところで、アルはこの戦区にいると聞いたけど、知ってるかい?」
「ゾーヤ軍総司令官の?」
リュシが確認すると、アスラが頷いた。
「あの人はいつも好き勝手に暴れて、お腹が空くと帰ってくるという話です」
司令官というより、ただの暴れん坊である。作戦もクソもない。ただ目についた敵を倒して回っているだけ。
だが、それが敵にはかなり効いているらしい、とリュシは聞いていた。
「そうか。ではこっちで探そう」
「何の用があるんです?」とリュシ。
「別に大した用じゃないよ。敵の司令官が暴れ回ってるアルを排除するために、この戦区に来てるらしいから……」
「大変じゃないですか!」リュシが言う。「早く教えないと! 敵の司令官ってすごく強いって話ですし!」
「いや、そこは問題じゃない」アスラが言う。「相手がスカーレット並じゃなきゃ、アルの方が強い。でも敵を殺せるとは限らない。私らは単に、この機会を逃したくないだけだよ。確実に、敵の司令官を殺したいってことさ」
◇
「色々と手伝ってくれて助かってるわー」
東フルセンの大英雄エルナ・ヘイケラが言った。
エルナは43歳の女性で、クリーム色の髪を低い位置で括っている。若い頃はさぞ美人だったのだろう、という顔立ち。
服装はアスラいわくロビンフッド。この世界ではまぁ、普通に狩人の格好。
「おう。成り行きだがな!」
コンラートが言った。
ここはゾーヤ軍の拠点の1つ。元は酒場か何かだった建物。
今、この場所にいるのはエルナとゾーヤ軍数名、それからコンラート冒険団の面々とイーナ。
「あなたたちが、いなかったら、ここはもう落ちてるわー」
エルナは穏やかな雰囲気で言った。
「何か報酬くれんのか?」
元傭兵のペトラが言った。
エルナが肩を竦めた。
「ゾーヤかアル……よりはベンノに聞くのがいいわねぇ」
司令官はアルだが、実際に軍を動かしているのは参謀のベンノだった。
「あ、そ」とペトラも肩を竦めた。
「てゆーか、イチャイチャするなよ」
プンティが言った。
ルミアに抱き付いているイーナを見て、ちょっとイラッとしたのだ。
「ルミア……ルミア……器の小さいプンティとは別れて、うちに……戻ろう?」
イーナはルミアに抱き付いてスリスリと顔を擦っている。
ルミアは立っていて、実は椅子に座りたいと思っていた。しかしイーナが離れてくれないので若干、困っている。
ちなみに、ルミアとイーナ以外はみんな好きな場所に座っている。
「ごめんねイーナ」ルミアがイーナの頭を撫でる。「わたしは冒険者になったから、傭兵に戻ることはないわ」
「……うん、知ってる」
イーナはギュッとルミアに抱き付いて離れなかった。
「戦況の話をしてもいいかしらー?」とエルナ。
ルミアが頷き、イーナがルミアから離れて頷く。
「ここはみんなの活躍もあって、なんとか防衛できてるわねー。一番頑張ってる戦区と言っても過言じゃないわー」エルナが言う。「それで全体的な戦況なのだけど、全体ではボロボロだわー。でも今日、でなくても近いうちに、反撃の狼煙が上がる可能性がある」
「ほう」とコンラート。
「敵の司令官が、こっちの暴れん坊司令官を倒しに行ったらしいのよー」
「例のあの人、よね?」とルミア。
エルナはルミアに、アルの正体をコッソリ話していた。どうせエルナが話さなくても、イーナが話す。
「そう。普通に考えて、彼が負けるとは思えないわー」
「そうだわね」ルミアが言う。「そして、敵の司令官が死ねば、戦況が動く」
「士気が下がったところを、一気に押し返す」エルナがニヤッと笑う。「だから今は、なるべく休んで。もちろん、最低限の防衛は手伝ってもらうけれども」
「一応……言っておくと」イーナが口を挟んだ。「うちも……敵の司令官を殺しに出てる……から、アルが失敗しても大丈夫」
イーナの言葉を、エルナはいまいち理解できなかった。最上位の魔物と化したアクセルが負けるなんて想像できない。
いくら敵も強いとはいえ、スカーレット並の人間がそうそういるとも思えない。
エルナの怪訝な表情を読んだイーナが言葉を続ける。
「……戦えれば、アルは勝つけど……」イーナが言う。「普通に考えて……アルみたいな化け物……ちょっとやり合ったら、勝てないと悟る……でしょ?」
「あぁ」ルミアが納得した風に頷く。「賢い司令官なら、自分が死ぬことの意味を理解しているなら、逃げるわね」
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