4話 空を歩く怪物 感謝を込めて殺してあげるから


「ふむ。助けは不要みたいだね」


 空に固定した花びらの上に立っているアスラが呟いた。

 アスラの視線の先には、槍の軌道を逸らしたアイリスの姿があった。

 ちなみに、アスラは1度海に落ちているので、ずぶ濡れの状態である。


「さて、じゃあ私は次の船を沈めよう」


 数多の魔法陣が浮かび、空中に花びらの道を創り上げる。

 アスラは踊るように軽やかなステップでその道を進み、喫水の深い船を探した。要するに、荷物をたくさん積んでいる船のことだ。

 船から矢が大量に飛んでくるが、アスラはヒラヒラと躱した。

 矢を避けながら、次の目標を選定。指をパチンと弾くと、船が何度か爆発。そのままゆっくりと沈没していく。

 乗組員たちは海に飛び込んで逃げている。


 トントン、とアスラは花びらの上を歩き、更に目標を探す。

 と、槍が飛んで来たのでアスラは回避。

 槍を投げた男は、それなりに強そうに見えた。30代前半ぐらいで、黒髪を三つ編みにしている。

 ああそうだ、私の気持ちを伝えておかないと、とアスラは思った。

 ピョンピョンと花びらの道を進み、三つ編み男のいる船に向かった。

 三つ編み男が周囲に指示を出したのか、矢は飛んでこなかった。

 アスラが甲板に舞い降りると、三つ編み男が槍を構える。


「我は天聖候補70位のグレゴリンである」


 それは広大な領地と人口を持つ大帝国で、天聖を除いて70番目に強いという意味。フルセンマークだと余裕で英雄になれるレベルの強さ。


「私は最近だと銀色の魔王って呼ばれているよ」


 ヘラヘラと笑いながらアスラが言った。


「ふん。何が魔王だ。我らの船をいくつも沈めた報い、受けてもらおう!」

「あ、ちょっと待った」

「なんだ? 遺言か?」


「お気持ち表明がしたいんだよ。いいだろう?」ニタッと笑いながらアスラが言う。「まぁ、ダメって言われても関係ないけどね」


「お気持ち?」


 グレゴリンが首を傾げた。他の船員たちも、何言ってんだこいつ、という表情を浮かべる。


「そう。私はね? 君たちに感謝しているんだよ? 本当だよ? わざわざ、わざわざ、遠い国から、こんな素敵な戦争を仕掛けてくれてありがとう。こんな遠くまで戦いに来てくれてありがとう。君たちのおかげで毎日が楽しい。ある街の惨状を聞いた時は心が躍った。別の街が燃え尽きたと知った時は居ても立ってもいられなかった。君たちの素敵な進軍を上空から見た時は、一人ぼっちで君たちの前に立ってみたかった。踏み潰されたい! 踏み潰したい! ああ! 戦いたい! 感謝を込めて! おいで魔王剣・十六夜! 一緒に遊ぼう!」


 アスラが右手を横に伸ばすと、バリバリと空間が裂けた。

 ちなみに十六夜というのは魔王剣の名前。アスラが名付けたのだ。

 十六夜は強烈な負のエネルギーと共に異空間から姿を現した。その現実離れした凄まじいエネルギーに、船員たちが言葉を失った。

 心の弱い者は尻餅を突き、震えた。

 グレゴリンですら、その強烈な呪いの魔力に怖じ気づきそうになった。

 それに、さっきのアスラのお気持ち表明も悍ましかった。狂ったような表情で、だけど心から楽しそうに、アスラは侵略者に感謝を述べたのだ。


「う、うわぁぁぁぁぁ!!」


 船員の1人が、恐怖で混乱し、海に飛び込んだ。それを皮切りに、船員たちが次々に海へと逃げ出した。

 甲板に残ったのは、震えて動けない船員たちとグレゴリンのみ。


「おや? 君に怯えてみんな逃げてしまったよ?」


 アスラが言うと、十六夜がしゅーんと悲しそうな雰囲気をまとった。


「人格の統合は順調かい?」


 十六夜がコクコクと頷くように身体を揺らした。


「それは良かった。統合が終わったら姿を決めようね」


 言ってから、アスラは十六夜の柄を握る。


「化け物めぇぇぇ!」


 恐怖に駆られたグレゴリンが突っ込んだ。

 アスラは微笑んだけれど、動かなかった。

 十六夜が自分の意思で『絶界』を発動。薄くて透けた黒い膜がアスラを包み込む。

 グレゴリンの槍は絶界を突いて砕けた。

 グレゴリンは目をまん丸く見開いた。

 十六夜が絶界を解除。


「本当にありがとう」アスラが言う。「できることなら、永遠に続く戦争を望むよ」


 ぶん、っとアスラは無造作に十六夜を振った。

 そうすると、十六夜が放った魔力の衝撃波がグレゴリンを消し飛ばし、船も破壊した。

 アスラは再び空中に固定した花びらに飛び乗った。


「君たちはわざわざ、私たちを殺しに来たのだから、私たちに殺されても本望だろう?」


 その後、アスラはネレーアの魔法で殺されかけるまで、空から一方的に十六夜を振って貨物船を破壊し続けた。



 ネレーアはアイリスの実力を自分と同等であると認識した。

 大英雄でもおかしくないし、なんならフルセンマークで一番強いのではないか、とさえ思った。


「アイリスさん。この船で何を?」とサルメ。


「フルセンマークを裏切って、大帝国エトニアルの大帝の嫁になるの」

「軽っ……!」


 ネレーアはアイリスの発言があまりにも軽快だったので、思わず突っ込んでしまった。

 裏切りってそんな気楽なものだったかしら? とネレーアは思った。


「分かりました」とサルメ。


「こっちも軽っ……!」

「あ、これは結婚祝いです」


 サルメのローブからレコ人形がストンと落ちてきて、アイリスの方に移動。

 レコ人形はヒョイヒョイっとアイリスの身体を登って肩に腰掛ける。


「流れるように……お祝いまで!?」


 ネレーアは驚愕した。

 フルセンマークの人間は帝国人とは感性が大きく違うのかもしれない、とネレーアは思った。


「そんなわけで」アイリスが言う。「この船を沈めるのだけは止めてね?」


「分かりました。では私たちはこれで」


 ササッとサルメが船から飛び降り、グレーテルもそれに続く。2人は海に落ちたわけではない。いつの間にか水浴びしていたゴジラッシュの背中に飛び乗ったのだ。


「……殺すつもりだったのに……」


 ネレーアが呟いた。

 まぁ、今からでも殺そうと思えば殺せる。ゴジラッシュはまだ飛び立ってない。

 問題はアイリスがどう動くか、である。

 裏切ったと言っても、知り合いを殺す気はないでしょうね、とネレーアは思考した。

 ここでアイリスと戦ったら、たぶんどっちか死ぬ。ネレーアとしても、そんな状況は望んでいない。


「あっちは派手にやってるわね」


 アイリスの視線の先では、アスラが船を爆発させていた。

 ゴジラッシュがバッサバッサと飛び立つのを、ネレーアは見送った。


「あっちは殺すわ」ネレーアが溜息混じりに言う。「あんたは大人しく、船室に戻りなさい……」


「殺す? え? 殺す?」


 アイリスは酷く動揺した風に言った。


「そうよ……。邪魔しないでね? あんたと戦いたくないから……」

「え、うん。邪魔しないけど、その、大丈夫? アレ魔王だよ?」


 アイリスは驚くべきことに、ネレーアの心配をしていた。

 ネレーアは意味が理解できなかった。どう考えても、ネレーア的にアスラは大したことない。さっきの挨拶代わりの蹴りを、受け止めることも躱すこともできなかったのだから。

 もちろん、船を破壊するだけの魔法が使えるのは認めるけれど。

 まぁ考えても仕方ないか、とネレーアは息を吐く。


「それにしても、縄はどうしたの……?」


 そういえば、アイリスのことはギッチギチに縛っていたはずなのに、とネレーアは今更ながら思い出した。


「あ、ごめん、切っちゃった」


 てへへ、とアイリスが笑った。その笑顔が可愛くて、ネレーアは少しムカついた。自分より可愛い女は基本的に嫌いなのだ。

 と、強烈な魔力を感じてネレーアはそっちを向いた。


「大帝様……?」


 大帝の呪いに似た魔力だったから、思わずそう呟いた。


「魔王剣、呼んだんだ……」とアイリス。


「なるほど……」


 ネレーアはアイリスの心配を理解した。これほど強烈な魔力を持った何かが、アスラの側にいるということ。


「てゆーか……剣?」

「そうよ。魔王剣っていう剣だわね」


 アイリスが答えた時、魔王剣の衝撃波が船を破壊した。


「恐ろしい剣ね……」

「え? 割と可愛いのよ?」

「……何を言っているの?」


 若い女の言う可愛いに付いていけない。まぁ、ネレーアもまだ22歳なのだが。

 と、そんなことを考えている場合ではない。アスラが空から一方的に魔王剣を振るって船を沈め始めた。


「くっ……強い剣があるからって、調子に乗って……」

「そんな強いかしら? アスラに逆らえない子なのに……」


 アイリスが思い悩むような小さな声で言ったので、ネレーアにはよく聞こえなかった。

 ネレーアは1度深呼吸して、アスラの方に身体を向けた。

 そして。


「し・ね」


 美しく澄み渡った声で、まるで歌のように言った。

 いや、歌のようではない。

 これは歌なのだ。

 たった2文字の歌。

 ネレーアの魔法。相手を絶命させるための魔法。

 ネレーアの歌に魔力が乗り、振動となって空気を伝わり、アスラの鼓膜から脳へと侵入する。

 そうすると、さっきまで猛威を振るっていたアスラが、海に墜落した。矢で射られた鳥のように真っ逆さまに。

 海に落ちたアスラを、ゴジラッシュが足で掴んで回収。そのまま飛び去った。


「今の魔法、何属性?」とアイリス。


「【歌声】」ネレーアが言う。「歌に乗せて相手を殺す魔法」


「性質は?」


 アイリスの質問が、ネレーアには理解できなかった。


「攻撃魔法とか、支援魔法とか、あるでしょ?」とアイリス。


「何かしら? 強いて……言うなら……攻撃魔法?」


 アイリスがなぜ魔法を分類したのか、ネレーアには分からなかった。エトニアル帝国では、特に魔法を分けたりしない。


((魔法は相手の方が進んでる?))


 アイリスとネレーアはお互いがそう思った。



「ははは! 素晴らしい! 私は死にかけたよサルメ! グレーテル! やはり世界は広い! 即死魔法を使う奴が存在しているなんてね!」


 ゴジラッシュの背中に移動したアスラが、笑いながら言った。

 言ったあと、アスラは頭を振って髪の毛の水を払う。

 水滴が飛び散ったので、グレーテルはサッとローブを被ってガード。サルメも同じようにしていた。


「即死魔法、ですの?」グレーテルが言う。「何それ響きだけでもう怖いですわ」


「ああ、実に恐ろしいね! 神世の魔法かな? よく分からないけど、神域属性だろうね。直接私の生命活動を止めにきた」


「どうして太ももに短剣を刺したんですか?」とサルメ。


 アスラの右太ももには、短剣が深々と突き刺さっている。


「うん。どうもあの魔法は催眠とか暗示とか、そういう系統っぽくてね」アスラが言う。「私の脳が死を選択するような感じかな。生命活動の停止だね。海に落ちたことで少しだけ正気に戻れたから、刺激があれば解けると思ってね」


「なるほどですわ」グレーテルが言う。「強力な分、別の刺激で解ける、と」


「ああ、そうだね。陸上だったら私は死んでいたかもね」


 クスクスと、楽しそうにアスラは言った。

 自らの死をこんな風に笑うなんて、常人には考えられない。でもアスラなら平常運転である。グレーテルもサルメもよく分かっているので、特に反応を示さなかった。


「とりあえず治療しようかなっと」


 アスラは普通に短剣を抜いた。自分の太ももに刺さっている短剣を、小さい棘を抜く時みたいに簡単に。

 そしてすぐに花びらが傷を覆う。


「ふぅ……」


 アスラがサルメの胸にもたれかかった。別に深い意味はない。そこに胸があったから頭を預けただけ。まぁ、サルメの胸はあまり豊かではないが。

 サルメがアスラの頭を撫でる。

 グレーテルも寄っていって、アスラの頭を撫でた。


「君ら、なぜ撫でる?」


「なんとなくです」とサルメ。

「同じく」とグレーテル。


「ああ、そう」


 アスラは小さく肩を竦めた。


「まぁ、それはそれとして、依頼は一応達成ですかね?」サルメが言う。「全然まだまだ船は浮いてましたけど……ゴジラッシュの二射目も忘れちゃいましたし」


 アスラを助けてそのまま逃走したから仕方ない。


「進軍を遅らせるにはちょっと足りないかもね。だから引き返して熱線を吐いて帰ろう」アスラが言う。「ネレーアが出てくる前に、急いで吐いて急いで帰るように。ついでに帰り道で補給基地を探してみようか」


「補給基地も見つけたら襲いますか?」

「もちろん襲うよ」


 実はすでに、いくつかは目星が付いている。


「なるべくダメージを与えて欲しいって言われてるから」アスラが言う。「数日中に敵の司令官でも殺そう。外の国が司令官を殺された時の反応も見たいしね」


「そうですね。ところで」サルメが言う。「十六夜はどうしたんです?」


 アスラは少し考えてから、コテンと首を傾げた。


「落としたみたいだね。まぁでも、呼べばまた来るだろう」


 

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