第2話 ギャンブル狂いのイカレた爺様 生きるも死ぬも運次第ってね


 予告状が届いた夜。

 アスラが宿に戻ると、ロビーで老年の紳士が待っていた。


「アスラ・リョナ様でございますね?」


 老年の紳士はとっても丁寧にお辞儀をした。


「私に何か用かな?」


 アスラは立ち止まり、淡々と言った。

 アスラと一緒にいたイーナも立ち止まり、老年の紳士を観察。

 ちなみにこの宿はかなりいい宿である。当然、アーニア憲兵団が金を払っている。

 レアと特殊部隊員のハンネスはもっと安い宿に宿泊中。


「はい。ご主人様がアスラ様にお会いしたい、とのことです」


 ロビーには他に誰もいなかった。

 ふむ、人払いをしたのか、とアスラはすぐに理解。


「君の主人は誰だい?」

「それは会ってのお楽しみ、でございます」


 老年の紳士は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「そんなんで、私が会うと思うかね?」


「はい」老年の紳士は封筒を出して言う。「こちらは前金でございます」


 アスラは封筒を受け取り、中を確認する。


「100万ドーラか。これで前金だって?」


 アスラが苦笑いすると、老年の紳士が頷く。

 イーナは「……美味しい依頼……かも」と嬉しそう。


「ご主人様と会うだけで、更に100万ドーラ」と老年の紳士。


「よし会おう」


 アスラは笑顔で言った。金はいくらあってもいい。


「では付いて来てくださいませ」


 老年の紳士が宿を出る。

 アスラは封筒をイーナに渡してから、老年の紳士を追った。

 聖都の夜道を歩くこと1時間。特に会話もなく淡々と歩いて、到着したのは歓楽街だった。


 喧嘩に酔っ払い、客引きに娼婦。煙草の煙に酒の匂い。一気に治安が悪くなったように感じたが、誰もアスラたちの行く手を塞いだりしなかった。

 ふぅん、とアスラは楽しそうに笑った。


「聖都とは思えない場所だね」とアスラ。

「そうでございましょう?」と老年の紳士。


「君のご主人様は随分と名の知れた人物のようだね」

「なぜそう思うのです?」

「誰も君に絡まないから。むしろ君を避けている」


 まぁ、大金をポンッと渡す時点で普通の人物でないことは明らかだけれど。


「ああ、そうでしょうな」


 老年の紳士は楽しそうに笑った。

 そして立ち止まり、大きなカジノを右手で示す。


「ご主人様はこちらでお待ちです」

「ほう。3階建てか。随分と大きいね」

「地下1階、地上3階でございます」

「はん。どちらにしても聖都に相応しくないね」


 ここは東フルセンでもっとも敬虔なゾーヤ信者たちが住む国。その首都なのだ。本来、このような建物があっていいはずがない。

 老年の紳士が再び歩き始め、アスラも続く。

 カジノに足を踏み入れ、老年の紳士は慣れた足取りで関係者用のドアを潜る。

 そして3階まで登り、しばらく廊下を進む。


「こちらでございます」


 老年の紳士はある扉の前で立ち止まった。

 特に何の変哲もない普通の扉だ。豪華でもないし、質素でもない。そのせいで、むしろこの建物に相応しくないとさえアスラは感じた。

 老年の紳士がノックすると、すぐに返事があった。

 老年の紳士が扉を開けて、アスラだけが中に入った。

 老年の紳士は中に入らず、扉を閉める。


 普通の部屋だった。そこは驚くほど普通の部屋。ベッドがあって、テーブルがあって、タンスがあって本棚がある。

 一般的な平民の部屋、と言ったところか。

 唯一、特異な点は壁に飾られた一枚の風景画。どこかの湖と山。湖が鏡のように山を映している。季節は春。美しいがどこか物悲しい雰囲気の絵。


「ようこそ銀色の魔王」


 そう言ったのは今にも死にそうな爺さんだった。

 ベッドを椅子代わりにしていて、身体は痩せ細っている。白髪をオールバックにしていて、眼光だけが異様に鋭い。


「初めまして、カジノ王イーヴァリ・コスケンサロ」


 アスラが淡々と言った。

 そうすると、爺さんことカジノ王のイーヴァリが、驚いた風に目を丸くした。


「さっきの紳士は君のことを話しちゃいない」アスラが言う。「内緒だったんだろう? でもさすがに気付く。この国で3番目に権力を持っている男を、私が知らないはずがない」


 いつも通り、アスラは聖国フラメキアについて事前にある程度調べていた。

 最高権力者は聖王で、次は大司祭。そして裏の世界の権力者であるイーヴァリ。


「特に、聖国にわざわざ歓楽街を作った変わり者は、それなりに有名だからね」


「なるほど。噂通りの聡明さ」イーヴァリがニヤリと笑う。「だが、なぜ聖遺物のことは知らなかった?」


「知ってたさ」アスラが肩を竦める。「でも、ゾーヤに興味のない外国の憲兵たちは知らないだろう?」


「なるほど。責任ある立場として、最初に説明させたわけか」


「そう。知らないのが私なら誰もバカにしないし、話がスムーズだろう? てゆーか」アスラが言う。「単純に自分の諜報能力を私に開示しただけだろう? 聖遺物のことなんか、君はどうでもいい」


 憲兵にも顔が利く、とイーヴァリは示したのだ。


「正解だ。まぁ座れ」


 イーヴァリはテーブルを指さし、立ち上がる。そして自分はタンスへと向かった。

 アスラはテーブルへと向かい、固い椅子に腰を下ろす。


「約束の100万だ」


 イーヴァリはタンスから封筒を出して、アスラの方に投げた。

 アスラは封筒をキャッチして、簡単に中を確認してから懐に仕舞った。


「それで?」アスラが言う。「依頼は何だい? 聖王でも暗殺して欲しいのかね?」


「バカ言うな、奴は客だ」


 イーヴァリは肩を竦めてからテーブルに移動し、アスラの対面に腰を下ろした。


「なるほど。聖王のギャンブル好きは、まぁ一部で有名だね」


 表立っては誰もその話題を出さないし、国民は知らない。聖王だってバカではない。カジノを訪れる時は当然、身分を隠している。


「だからワシはここに帝国を築いた」

「なぜ? ラスディアとかの方が簡単だろう?」


 ラスディアは東フルセンと中央フルセンの境界に位置する国で、犯罪者天国と呼ばれている。アスラたちは以前、そこでギャンブルを楽しんだ。


「つまらんだろうが、簡単だと」

「なるほど。理解できるよ」

「そうだろうな。銀色の魔王アスラ・リョナ。噂を聞く限り、お前はワシを理解できると思った」


「私は誰だって理解できるさ。共感するわけじゃ、ないがね」アスラは肩を竦めた。「それで依頼は?」


「ワシはもう長くない」

「だろうね。見りゃ分かる」

「だから最期に、楽しいことがしたいと思ったのさ」


 ギラギラとした瞳で、イーヴァリが言った。

 その瞳は、死期が近い人間のものだとは思えなかった。一般人であれば、イーヴァリの瞳を見ただけで足が竦むに違いない。そういう瞳なのだ。


「具体的には?」


「ギャンブルさ。当然だろう? ワシはギャンブルで財を成し、ギャンブルで全てを手にした! はははっ! この左手を見ろ! 小指がないだろう!? こいつは負けた時に支払ったのさ! あん時は最高の気分だったぞ!」


 酷く興奮した様子で、イーヴァリが言った。


「イカレたギャンブル中毒の爺さんめ。私と何の勝負がしたいんだい?」

「命をかけたギャンブルがしたいっ! お互いに命を賭けようじゃないか! くはははは! 地獄で自慢するのさ! ワシは魔王とギャンブルしたってな!」

「はん。負ける気じゃないかそれ」


「そりゃそうだ銀色の魔王! 若く前途あるお前が! この老いぼれに負けるはずがない! だからこれはある意味、ワシの死に方の問題だ! お前が直接、ワシを殺すんだ!」

「回りくどいね。別に今すぐ殺してあげるのに」


「アホなこと言うな! ワシはギャンブルがしたい! 脳が痺れるような! ギャンブルがしたいんだ! ワシはギャンブルとともに生きた! 故に! ワシはギャンブルで死ぬ! 老衰など認めるものかっ! ワシを殺していいのはギャンブルだけだ! それも、最高の相手でなければ認めんっ!」


 それは異常なほどの妄執。常人には理解できないレベルの壊れた願望。

 だがアスラは理解する。死期が迫った老人の最期の願いを理解する。


「いいだろう。万が一、君が勝ったら私はどう死ねばいい?」


「舐めるな」イーヴァリが言う。「短剣で刺せば死ぬだろうが。そのぐらい、今のワシでもできる」


「そりゃそうだ。失礼したね」

「ふん。もしもワシが勝ってしまったら、次は天聖神王か本物の魔王でも相手にせんとな」


 イーヴァリは楽しそうに言った。


「君は人生をギャンブルに捧げたギャンブル王で、私は傭兵だからねぇ」アスラも楽しそうに言う。「そこらの雑兵が私を殺すよりは、遙かに可能性があると思うよ」


「ふん。5日後だ銀色の魔王」

「私は今すぐでも構わないよ?」

「バカか? こんな楽しいイベント、ワシらだけで楽しむのは罰当たりってもんよ。盛大にやらんとな」

「人が死ぬ場面が見たい連中を集めて?」

「おうよ。いい稼ぎになる。心配しなくても、稼ぎの2割はお前にやる。お前が死んだらお前の傭兵団に。それが報酬」


「2割ね……」アスラは肩を竦めた。「舞台を用意するのは君だし、まぁそんなもんか」


 特に不満のない額。3割にしろと言えば通るだろうが、アスラは交渉しなかった。すでに十分な金額を受け取っているからだ。


「よし、不満がないなら、この話は終わりだ」イーヴァリが言う。「トランプでもやって帰れ」


「ふむ。そうしよう」


 アスラとイーヴァリは日が昇るまで、トランプゲームを楽しんだ。

 もちろん、金を賭けて。


       ◇


「それで……団長は勝ったの?」


 朝食を摂りながら、イーナが言った。

 ここはアスラとイーナが宿泊している高価な宿。アスラとイーナの部屋。

 ホテルほど豪華ではないが、綺麗に整った部屋。ベッドは2つ。テーブルには花が飾られているし、クローゼットも広い。

 アスラが戻った時には、すでにイーナが窓を開けていたので、空気は凜としている。


「100万ドーラ失った」


 アスラは気怠そうに言った。実際かなり気怠い。トランプゲームは楽しかったが、それなりに集中力を要した。


「……マジ?」

「ああ。さすがギャンブル王。まともにやったら全然勝てない」


 アスラはベッドに転がっている。今日は昼まで寝るつもりなのだ。


「……読み合いで……負けた? 団長が?」


 イーナはフォークを落としそうになった。それほど衝撃だったのだ。


「全敗したわけじゃないけど、ありゃ強敵だね」

「……怪盗といい、カジノ王といい、この国は……化け物の巣窟……」

「まったくだね。ちなみに100万じゃ足りなくなって、1つ別の依頼を請けることにしたよ」

「……ただ働きって……こと?」


 イーナはあからさまに嫌そうな顔をした。


「まぁそうなるね。でも簡単な依頼だし、私1人でちゃちゃっとやるよ」


「……はぁ」イーナは大袈裟に溜息を吐いた。「分かった……。一応聞くけど、内容は?」


「ギャング団の撲滅」

「へぇ……。聖国にもあるんだ……ギャング団」

「そうだね。光が強い分、影も深いってね」

「ふぅん……。それで、命を賭けたイベントの日は……イカサマするよね?」

「どうかな。イーヴァリの出方次第かな」


 ギャンブル1本で成り上がった人物が、イカサマを使えないはずがない。


「団長が死んだら……」イーナは少し考えて、特に問題ないという結論に至った。「……まぁいっか、死んでも」


「おぉ、なんて冷たいんだろうね。素晴らしい。それでこそ傭兵だよ」


 言ってから、アスラは眠ることにした。

 昼までぐっすり眠って、夢は見なかった。

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