十八章

第1話 ぼいん☆ぼいん 「喧嘩売ってんのかね?」


 アスラは怪盗紳士を追い詰めていた。


「さぁどうするんだい?」


 アスラは勝ち誇った表情で言った。

 ここはフラメキア聖国、路地裏の袋小路。

 怪盗紳士は目元を隠す白い仮面に、黒のシルクハットを被っているので、顔は分からない。

 怪盗紳士の口元に笑みが浮かぶ。


「ほう。この状況で笑うか」アスラが言う。「私が誰か分かっていないのかな?」


「分かっているさ銀色の魔王」


 怪盗紳士が静かに言った。

 その声はとっても、


「イケメンボイスだね君!」


 アスラが楽しそうに言った。


「私の前世の世界なら、きっと声優になれるよ!」

「……?」


 怪盗紳士は小さく首を傾げた。


「そうだよね、分からないよね。まぁでも、理解する必要はない。君はもうすぐ牢獄に入るのだから」


 アスラが右手を挙げる。

 それを合図に、周囲の民家の屋根や、壁の上に潜んでいた憲兵たちが弓を構えた。

 当然、照準は怪盗紳士だ。


「……まぁ、どんな……犯罪者も、あたしらには……勝てない」


 イーナが言った。

 イーナは怪盗紳士の背後の壁の上に立っている。怪盗紳士が妙な動きを見せたら、イーナは即座に攻撃魔法を放てる状態だ。


「夜ならもう少し苦労したかもしれないけど」アスラが言う。「こんな真っ昼間に盗むなんて、舐めすぎだよ君」


 怪盗紳士が小さく息を吐いた。

 そしてアスラを見る。真っ直ぐに見る。

 そして。


「ぼいんぼいん」


 そう言い残して、怪盗紳士は影の中に溶けるように消えてしまった。

 まるで最初から存在しなかったかのように。消えてなくなるのが当然のように。


「はい?」


 アスラは怪盗紳士が消えたことも、残した言葉も理解できなかった。

 何が起こったのか分からない。確かにそこに存在していたはずの男が、煙のように消え去ってしまった。


       ◇


「あああああ! 教官ですら取り逃がすなんてぇぇ! もうダメだわぁぁ! お仕舞いだわぁぁ! 怪盗紳士を捕まえることなんて、できないのよぉぉぉ!!」


 レア・ホルソは机に突っ伏して、盛大に泣き言を吐き散らした。

 ここはフラメキア聖国、聖都ガルガント。

 憲兵団本部に設けられた怪盗紳士対策班の部屋。

 非常に広い部屋で、班員の数も多い。

 ちなみに、班員は東フルセン憲兵機構を通して、多くの国の優秀な憲兵たちが集まっている。


「うざいから泣くな」


 レアの近くに座っているアスラが淡々と言った。


「だってぇぇぇぇ!! あそこまで追い詰めたのにぃぃぃ! あんな風に消えるなんて有りなのぉぉ!? あいつ人間なのぉぉ!? 実は最上位の魔物とかじゃないのぉぉ!?」


 レアはガチ泣きしながら机をガンガンと叩いた。

 レア・ホルソはアスラが育てた行動分析員で、アーニア帝国憲兵団の所属だ。

 21歳の小柄な女性で、可愛いか美人かで言うと、やや美人より。中の上と言ったところ。

 髪色はコバルトグリーンで、髪型はセミロング。特に飾りなどは付けていない。

 瞳の色はルビーレッド。

 服装はアーニア帝国憲兵団の制服。左腕に東フルセン憲兵機構の腕章を装備。武器は短剣だけを所持している。


「不思議なことに、彼の印象が非常に薄くなっている」


 アスラは立ち上がり、木製の掲示板の前に移動した。

 その掲示板には、怪盗紳士に関連した多くのメモがピンで留められている。

 室内の憲兵たちがアスラに視線を向けた。

 レアも涙を拭ってアスラを見る。


「君らはどうだい? 彼の顔を、服装を、挙動を、思い出せるかね?」


 アスラが問うと、憲兵たちは少し困ったように近くの仲間と言葉を交わす。

 そして何人かが「思い出せません」と言った。


「私もそうなんだよね。私は記憶力には自信があるけど、それでも彼のことでハッキリ思い出せるのは、声が良かったことと――」


 アスラは1度言葉を切って、憲兵たちを見回す。


「――私の胸を見ながら『ぼいんぼいん』と言ったことだ」


 憲兵たちの視線がアスラの胸に集中する。

 つるんぺたん、の間違いじゃないの? とレアは思った。

 でも口には出さない。

 他の憲兵たちも同じ事を考えたはずだが、誰もが口にしなかった。みんなアスラがどこの誰なのか知っているからだ。

 困惑が室内を満たす。


「いや、君たちの言いたいことは分かる」アスラが言う。「明らかに違うと言いたいんだろう? でも彼の言葉は確かに『ぼいんぼいん』だったし、私だって納得がいかない。喧嘩を売られたとしか思えない」


「……なぜ彼がその言葉を発したのか」レアが言う。「それを読み解けば、今以上に彼の人格が分かるかも?」


「いや、でも、戯れなんじゃ……」と憲兵の1人。

「魔王さんの言う通り、喧嘩売っただけなんじゃ?」と別の憲兵。


「君らに魔王さんって呼ばれるのはちょっと妙な気分だから、気軽にアスラでいい」アスラが言う。「少なくとも、怪盗紳士を捕まえるまでは仲間だしね」


 憲兵たちは苦笑いでアスラの言葉を流した。まだアスラとの距離感が掴めていないのだと、レアは知っている。

 まぁ、憲兵視点でのアスラは極悪非道の傭兵であり、犯罪者でもあるのだ。同時に各国の憲兵の依頼を請けて、犯罪者の逮捕に協力することもある。

 更にジャンヌを倒してフルセンマークを救ったりもしているので、本当に扱いが難しい。

 それに。

 敵に回したら組織ごと潰されかねないしね、とレアは思った。

 ちなみにレア視点でのアスラは教官である。それが1番に来る。


「とりあえず、今回の件で分かったのは」アスラが言う。「彼は確実に固有属性以上の魔法使いだってこと」


 前からその可能性は示唆されていた。

 魔法使いであることは以前から確定していたが、どの程度の実力者なのかは、正確に掴めていなかった。


「つまり、彼の印象が薄くなっているのも、魔法の効果ですか?」と若い憲兵。


「可能性はある。属性によっては、私らみんな集団催眠のような状態だった可能性もあるし、単に私らが追っていたのが幻だった可能性もある。正直、こいつを捕まえるのは簡単じゃないね」


「……ぶち殺していいなら……」イーナがボソッと言う。「……そこまで、難易度は高く……ないけど」


 ちなみに、イーナはレアの隣の机に座っている。


「イーナさん、逮捕ですよ逮捕」とレア。


「……幻でも何でも……全部殺せば……いつか本体に……当たる」

「だから殺しちゃダメですって」

「あるいは……怪しい奴を……みんな拷問して……吐かせて……」

「違法捜査は止めてくださーい」

「……うん、分かってる」


 イーナはそう言ったが、レアはいまいち信じられなかった。

 この人、本当に大丈夫?

 あはー、ごめん、ウッカリ殺しちゃった、てへ♪

 みたいな感じで殺さない?

 レアは非常に心配だった。


「さて諸君」アスラが言う。「彼の次の動きを待ちつつ、情報の分析を行おう」


 アスラはそう言ったけれど、できることは少ない。

 そもそもアスラが合流する前に、持っている情報は全て分析し終わっているのだ。

 そして今回新たに入手した情報は、怪盗紳士が確定で大魔法使いであること。それから、謎の言葉『ぼいんぼいん』だけである。


「大変です!!」


 憲兵が1人、勢いよく部屋に入って来た。

 みんなの視線が、その憲兵に集中する。怪盗紳士対策班の憲兵ではないので、フラメキア聖国の普通の憲兵だろう、とレアは思った。


「怪盗紳士の新たな予告状です!」


 普通の憲兵は手紙を持った右手を高く挙げた。


「バカな!」「早すぎるっ!」「パターンと違う!」


 対策班の憲兵たちがざわつく。


「落ち着きたまえ」アスラが言う。「まずは予告状を確認しよう」


 アスラが普通の憲兵を手招き。

 普通の憲兵はアスラの方に移動し、手紙をアスラに渡す。

 その後、普通の憲兵は掲示板に視線を移した。やっぱり怪盗に興味があるのかな、とレアは思った。

 まぁ、今をときめく怪盗に、興味のない憲兵の方が稀である。


「ふむ。『3日後、フラメキア聖国の国宝、聖槍『ゾーヤの針』を頂く。追伸、銀色の魔王はもっとぼいんぼいんになってから出直せ。怪盗紳士』」


 アスラが予告状の内容を読み上げ、そして苦笑い。


「こいつ全然、紳士じゃないね。そしてパターンが変わったのは私が介入したからだね。私を挑発している」


「それってつまり」レアが言う。「教官を敵として認めたってことだよね!? さすが教官! 怪盗紳士も一目置いたってことだよね! やっほい!」


「前から思っていたけど、君のそのテンションの乱高下ヤバいよね」


 アスラは少し引いた様子で言った。


「てゆーか、ゾーヤの針だって?」と憲兵の誰か。

「それを盗まれたら、我が国の権威は失墜するぞ!」とフラメキアの憲兵。


 ザワザワと、室内が騒がしくなる。

 アスラは小さく溜息を吐いてから、両手を強く叩いた。

 その音で、室内がシンッ、と静まり返る。


「まずゾーヤの針って何かね?」アスラが手紙を持って来た普通の憲兵に視線を送る。「君が説明したまえ」


「あ、えっと……俺ですか?」と普通の憲兵。


 年齢はレアと同じぐらい。目立った特徴のない本当に普通の憲兵である。


「そう。君の名前は?」

「あ、はい。俺はシモン・カセロです。所属は事務処理班です」

「よろしい。ではゾーヤの針について説明したまえ。ここには外国の憲兵も多い。それを知らないのは私だけではないはずだよ」

「あ、えっと、ゾーヤの針はフラメキア聖国が所有する聖遺物です」


「聖遺物?」とアスラ。


「はい。えっと、かつて銀色の神ゾーヤ様が使っていた槍です」

「ふむ。本物かね?」

「もちろんです! 神典にもこの槍のことは……」

「神典に記されているのはただの槍だったと思うがね? ゾーヤの針という名称ではなかったはずだよ」

「名称については、1000年ほど前、当時のイーティスの神王陛下とフラメキア聖王が2人で決めたという話です……」

「なるほど。神典よりも後の時代に決めた名前というわけだね」


 アスラが言うと、シモンがコクコクと頷いた。


「それで? そいつはどこにあるんだい?」

「大聖堂です」


 この国にとって、あるいは東フルセンにとって、大聖堂は特別なものだ。

 誰でも入れるわけではなく、敬虔な信者の中でも、更に選ばれた人間しか中に入ることができない。

 大聖堂を取り仕切っているのは東フルセンで唯一の大司祭。

 更に大聖堂のすぐ隣、同じ敷地内に聖王城が建っている。

 フラメキア聖国の中枢と呼んでも差し障りない場所である。


「元から警備が厳重だね」アスラが言う。「確か、普通の憲兵でも軍でもなく、聖騎士団が守護しているんだよね?」


「あ、はい。そうです」とシモン。


「私らってそこの警備できるのかね?」

「難しいのでは……」

「よろしい。では君がなんとかしたまえシモン。事務処理班だろう? 私らが大聖堂を警備できるよう手続きしたまえ」


「え?」とシモンが目を丸くする。


「断るのかい?」


 アスラは普通に言ったのだが、室内に緊張が走った。

 ゴクリ、と誰かが唾を飲んだ。

 教官は別に圧をかけたつもりはないけど、とレアは思う。

 シモンは災難だなぁ、魔王の頼みをアッサリと断るメンタルの持ち主はそういないよねぇ。


「……いえ、そういうわけでは……」シモンが引きつった声で言う。「ただ、あまり期待は……しないでくださいね?」


「分かった。最善を尽くしてくれたまえ」


 アスラが言うと、シモンは1度頷いてから、急いでその場を後にした。

 若干、部屋の空気が張り詰めているような気がするので、レアは空気を変えようと試みる。


「ところで教官!」レアが言う。「教官なら、大聖堂からどうやって聖槍を盗みますかっ!?」


「え? 正面から歩いて入って、警備を皆殺しにして、槍を担いで歩いて帰る以外の方法でかい?」


 空気が凍ってしまったので、レアは質問したことを後悔した。

 どーして私は教官のやり方を聞いてしまったの!?

 怪盗紳士はどうやって盗むと思いますか? って聞けば良かったのにぃぃぃ!

 失敗しちゃったぁぁ!! お仕舞いだわぁぁ! 空気がお仕舞いだわぁぁ!

 レアは半泣きで笑った。

 

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