EX71 かの皇帝は邪悪の極み 「え? 私のことじゃないよね?」


 深い眠りの中で見たのは悪夢だった。

 深い森の中で眠っていた彼女は、その悪夢が恐ろしくて目を醒ました。

 森の中の洞窟の最奥。

 大森林の深い場所、人間が誰も住まない場所。人間が誰も訪れない場所。洞窟はそういう場所を選んだ。


 洞窟の中は、冬は暖かく夏は涼しい。だからとっても快適に眠ることができた。ベッドも豪華ではないが、質はいい。

 永く眠るには最適な場所だった。悪夢さえ見なければ、彼女はきっともっと永く眠っていたはずだ。


「……大きな戦争が……」


 彼女はベッドから身体を起こして呟いた。

 顔面蒼白で、酷く汗をかいていた。

 彼女は乱れた長い銀髪を手で払い、ベッドから降りて立ち上がる。

 久しぶりの地面は、素足に心地よかった。


 彼女は眠る時、基本的に軽装である。ずっとそうだった。

 今、着ている服も、シンプルな水色のワンピースのみ。いわゆる寝間着である。

 洞窟の中は人間の部屋のようになっていて、棚やタンス、樽などが置いてある。中にはもちろん、彼女にとって必要な物が入っている。


「以前の神託と違っているのは、どうしてなの? 今回の神託は……0点……いえ、マイナスまであるわ……最悪すぎる」


 彼女は困惑しながらも、呼吸を整えて頭を整理する。


「姉さん!!」


 突如、彼女の真後ろから声。

 彼女はとくに焦る様子もなく、ゆっくりと振り返った。

 そこには久しぶりに見る弟の顔があった。


「ナシオ。わたくしは、どれぐらい眠っていたのかしら?」

「だいたい1500年ぐらいかな? 起きて大丈夫なの? 呪いはまだ解けていないだろう?」


 ナシオ・ファリアスは困惑した様子で言った。

 困惑していても綺麗な顔をしている、と彼女――ゾーヤは思った。


 さすがわたくしの弟! 顔面は90点!

 優しい性格も90点! 弟可愛い!

 ゾーヤは何にでも点数を付ける癖があった。


「弟の方が見た目年齢が上というのも、またアレですね。悪くないですね」


 ナシオの見た目の年齢は、ゾーヤよりも上だった。

 ゾーヤの見た目年齢は20代前半だが、ナシオは30代の半ばだ。


「新しい肉体を用意しようか、少し迷ってるよ」ナシオが肩を竦める。「って、それより呪いは?」


「今はそれほど、苦しくないわ」ゾーヤが儚げに微笑む。「フルセンマークの人々が、あまり苦しんでいないのはいいことだわ」


「とはいえ、この1年はヤバかったよ?」ナシオが肩を竦める。「ジャンヌの絶滅戦争に、アスラの貴族戦争、トラグ革命なんてのもあったから、その頃に目覚めていたら大変だったかも」


「ジャンヌの戦争以外は、分からないわ」

「ああ、だろうね。説明するよ。まず第一に、姉さんの神託は外れた」

「どの預言?」

「ジャンヌ関連だよ。戦争は起こったけど、結末は違っている。フルセンマークの統一関連も」


「そんな気がしてたの」ゾーヤが言う。「新たに見た夢……神託は、以前と違っていたから。でも、神託の預言が外れるなんてどうして? 創世の世界樹、ユグドラシル様に何かあったのかしら?」


「姉さんの神託は、ユグドラシル様の見る未来の可能性を、夢でお裾分けして貰う感じだっけ?」


 ナシオの質問に、ゾーヤが頷く。


「まぁ、可能性は可能性に過ぎないってことだね」ナシオが言う。「ユグドラシル様にはたぶん何もない。預言が外れたのは、神託が狂ったのは、ある1人の人間のせいだよ」


「人間が神託を覆した……?」


 ゾーヤの表情は驚きに満ちていた。

 あまりにも驚きすぎてフラッとしたので、ゾーヤは樽の上に座ることにした。

 ナシオが歩み寄って、ゾーヤのすぐ前へ移動。


「その人間の名はアスラ・リョナ」


 ナシオが言った瞬間、ゾーヤは目を見開いた。

 ゾーヤの反応に、ナシオも驚いて目を見開く。


「その名前は、新たな神託に登場していたわ」

「ほう。どんな神託?」

「0点の神託」

「姉さんが0点を付けるなんて、よっぽど酷いんだね……」


 ナシオの言葉に、ゾーヤが頷く。


「大きな戦争が起こるの」

「それって割と未来で、世界大戦ってやつ?」


 ナシオが言うと、ゾーヤは首を横に振った。


「近い未来。1年以内」とゾーヤ。


「だとすると、スカーレットの統一戦争かな?」ナシオが言う。「あ、スカーレットってのは……」


 ナシオはアスラ・リョナがフルセンマークの歴史に登場したところから、スカーレットの現状までを順に話して聞かせた。


「アスラ・リョナ……神託さえねじ曲げるほどの者なのね」

「まぁ、相当イカレてて可愛い。姉さんの次に好きだよ、僕は」


「そう……」ゾーヤは少し落ち込み気味に言った。「だけれど、次の神託はアスラ・リョナにも、どうにもならないと思うわ」


「内容は?」

「かの大帝が攻めてくる……」


 ゾーヤはガタガタと震えながら、両手で自分の肩を抱いた。


「まさか……」ナシオは酷く驚いた。「1600年前の幻影……。姉さんとフルセンマークを呪ったあの男?」


 コクン、とゾーヤが頷く。


「すでに死んでいるだろう? 呪いだけを残して」


「違うの、違うのよナシオ。あの皇帝は、怨念となって残っているの! 代々、新たな皇帝に憑依して残っているのよ! それが見えた!」

「でもなんで、今まで何もしなかった奴がいきなり……」


 そこまで言って、ナシオはハッとする。


「セブンアイズの守りがなくなったから?」


 ナシオは外の世界とフルセンマークを断絶するために、セブンアイズを配置していた。それはフルセンマークを外界から守るという意味もあった。

 でも、今はもうその必要性を感じていない。

 人々に全てを委ねてもいいとナシオは思っているから。


「違う」とゾーヤ。


「だったら、何が原因? 以前の神託では、少なくとも統一までは外の国に攻められることはなかった」


「何かしら、呪いの効力が薄れて焦った、という感じなの」ゾーヤが言う。「わたくしも、割と元気だし、フルセンマークの呪い……今も魔王と呼んでいるのかしら?」


 ナシオが頷く。


「理由は見ていないけれど、魔王がもう生まれたくないとか、なんとか……」


 ゾーヤの言葉に、ナシオは「あっれー?」と苦笑い。


「どうしたの?」とゾーヤ。


「……心当たりが、ちょっとその、あるというか……」ナシオは苦い表情で言う。「魔王や魔王武器を……精神的な意味で、屈服させまくってる奴がね……いてね」


「え?」ゾーヤが目を丸くする。「かの大帝の呪いは、人々の怨念……屈服だなんて、そんなバカなこと……」


 あの苦しみはゾーヤもよく知っている。

 なぜなら、ゾーヤも呪われているから。人々の怨念に苛まれるという呪い。

 常に苛まれるわけではないが、精神的に耐えられなくなり、ゾーヤは眠りに就いた。


「アスラ・リョナって奴なんだけどね!!」


 ナシオは半ば自棄っぱちで言った。


「なんなの、アスラ・リョナって……」ゾーヤは苦笑い。「ともかく、呪いが薄れたせいで、かの大帝はこの地に来る。今も彼はわたくしを忘れていない。裏切り者のわたくしを」


「僕たち、だろう?」

「そう、そうね。わたくしたち。そしてかの帝国から逃げた人々とその末裔を、彼は今も呪っていて、これからも呪い続けたいと願っているの」

「凄まじい妄執だね。1600年以上も前のことなのに」


「かの大帝も、かの軍隊も、あの頃以上に強くなっているの」ゾーヤは怯えた風に言う。「沢山の人が殺される。殺されて、殺されて、血の海ができて、かの大帝が笑っているの。かの大帝の天聖たちも笑っている。それはそれは、悍ましい光景。わたくしたちのフルセンマークを蹂躙する彼らの姿を、わたくしは見てしまった」


「ああ、姉さん」


 ナシオがゾーヤを抱き締めた。


「姉さん、それでフルセンマークはどうなったんだい?」


「分からない……。そこまでは見ていないの……。蹂躙された場面だけ……」ゾーヤが弱々しく言う。「かの大帝は、この世の邪悪を全て詰め込んだような、正真正銘の極悪人。かの大帝は、きっとフルセンマーク最後の敵。戦わなくては……。フルセンマークを失わないために……」


「大丈夫。僕に任せて」ナシオが優しい声を出す。「大丈夫だから。今、この世界にはスカーレットがいる。アレはあらゆる時間軸の中でも、最強のアイリスだから。天聖たちにも、かの大帝にも負けはしないさ。それに――」


 ナシオはアスラの顔を思い浮かべた。


「――諸悪の根源……じゃなかった、心強い傭兵もいることだし、ね」


       ◇


「いやいや、私こそがラスボスだよ?」


 宿屋のロビーで、アスラが言った。

 アスラはソファに腰掛けている。アスラの周囲には、《月花》のメンバーとアイリスが集まっている。

 床に座っていたり、壁にもたれていたり、ソファに座っていたりと、みんな自分の好みの体勢でそこにいた。


「知ってるわよ」アイリスが言う。「いつも『私はみんなのラスボスだから、いつかみんな、私と戦うのさ』って言ってるじゃないの。キリッとした顔で」


「そうじゃなくて」グレーテルが言う。「現時点で、わたしたちにとってのラスボスは、スカーレットですわよね? って話」


「スカーレットにとってのラスボスも私」アスラが言う。「つまり私がラスボス」


「ああ、もう分かりましたわ。団長様がラスボスですわ」

「団長は全生命体のラスボス!」


 レコが楽しそうに言った。


「団長さんって、そういうの好きですよね」とサルメ。

「それより、早く2人の属性変化を賭けましょう」とマルクス。


「おっと、そうだったね」アスラが言う。「今回は2人の属性を、両方当てた奴が勝ちね」


「いいね」ラウノが言う。「まずは僕から」


 ラウノがグレーテルを見る。


「君に成ってみた感じ、かなり情熱的な人間だと分かったから、火だね」

「情熱的、ですの?」

「うん。君は売国奴狩りにも、美少女にも、とっても情熱的だよ」


 ラウノが優しく笑い、グレーテルは少し照れた。美少女や美女が好きなグレーテルですら、ラウノの笑顔は眩しく映る。


「……あたしも、同意」とイーナが頷く。


「オレも」「私も」


 レコとサルメもラウノの意見を肯定。


「賭けにならないじゃないの」アイリスが言う。「だってあたしも、そう思ってたし」


「だから両方当てるんだよ」アスラが言う。「私もグレーテルは火だと思ってる」


「では自分は大穴狙いで水にしましょう」マルクスが言う。「理由は消去法。風はまずない。土も関連がない。光はうちの人間では難しい。だが闇というほど闇でもない。水は僅かだがイメージできる。以上」


「俺とグレーテルは賭けないんだよな?」とロイク。


 アスラが頷く。


「さて難しいのはロイクの方」ラウノが言う。「成ってみたけど、イメージが多すぎるんだよ君は。情熱的な部分もあれば、冷静な部分もあり、風のように気ままな時もあれば、うちの団の中では比較的、光っぽい。まぁ闇はないね」


「それで、何にするんだい?」とアスラ。


「そうだねぇ」ラウノが言う。「イーナと仲がいいみたいだし、風にするよ」


「うぇ?」


 ロイクが変な声を出した。

 イーナと仲が良いと言われたからだ。ロイク自身は、そうは思っていない。


「土もなさそうです」サルメが言う。「土ってだって団長さんとレコですし」


「そうよねー」アイリスが言う。「土と闇は除外でいいわね。でも風かって言われると、微妙なところね。あたしは水にするわ。理由は特にないけど、直感ってやつね」


「じゃあ水はないね」レコが言う。「ロイクも火じゃない? オレは2人とも火にする」


「……あたしは、風だと思う」イーナが言う。「話の分かる奴は、だいたい風」


 謎の理由を展開しながらも、イーナは自信満々だった。


「光か水が便利でいいから、どっちかであって欲しいね」アスラが言う。「水はアイリスが選んだし、私は光にしようかな」


「ちょっと!? なんでみんな、あたしが選んだ属性外すのよ!?」


「別に深い意味はないよ」とアスラ。


「自分は再度大穴で闇にする」


 マルクスが淡々と言った。


「じゃあ私もあえて穴狙いで」サルメが言う。「さっきなさそうって言った土にしますね」


「よろしい、ではグレーテルから属性変化を加えたまえ」


 アスラが言うと、グレーテルが属性変化を実行。

 結果は火だった。

 あまりにも予想通りだったので、グレーテルは少し複雑な心境だった。


「……火は便利。メタルマッチ、いらず……」


 イーナは遠くを見る風に言ったので、ユルキを思い出しているのだろうと多くの団員が悟った。

 続いてロイクが属性変化。

 結果は水。


「やった! あたしの勝ち! ほぉら! どうよ! あたしの選んだ属性を外したレコとアスラ!! どうよ!?」


 アイリスは後ろに引っくり返るのか、というぐらい胸を張って言った。

 ちなみに、アイリスの胸は日に日に小さくなっている。それでも揉めるだけあるけれど。


「なんて、うざいんだろうね、君は」


 やれやれ、とアスラ。


「さて、では団長」マルクスが言う。「怪盗退治に向かう者を選抜してください」


「君、本当に真面目だね」アスラが苦笑い。「まぁいいけど」


「僕は行きたくないかな」ラウノが言う。「昔の知り合いに、あまり会いたくない」


「了解。考慮するよ」アスラが言う。「他に意見ある奴はいるかね?」


「怪盗に興味あります。紳士ですし」とサルメ。

「俺も元山賊としては、興味あるな」とロイク。

「……あたしも、元盗賊としては……少し気になる」とイーナ。


「はいはい! あたしも行きたい! 怪盗紳士、見たいわ!」


 アイリスはノリノリで言った。

 賭けに勝ったので気分がいいのだ。


「ふむ。では私とイーナで行こう。残りは城に戻って訓練だね」


「そんな少人数なんだ?」とレコ。


「あまり人数をかけても仕方ないだろう? 貰える金は決まってるからね」

「くぅぅ、紳士な怪盗、見たかったわ!」


 アイリスが悔しそうに言った。


「ふむ。逮捕したあと、牢屋に面会に行きたまえ。もしくは、無償でいいなら付いてくるかね?」


「まさか」アイリスが真顔で言う。「無償で行くほどじゃないわ」


「では決まりだね。イーナ、準備して出発しよう」


「あい」とイーナが楽しそうに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る