十七章

第1話 濃い青色の世界で ズタズタになるまで殺し合いたいね


「時々ね、何もかもをぶっ壊したいって思うことがあるの」


 右手を宙に投げ出し、何かを掴むような動作を交えてスカーレットが言った。

 ここはイーティス神王国の神王城、スカーレットの私室。

 飾り気のない私室だけど、ベッドだけは大きくて綺麗だった。

 スカーレットはベッドに寝転がっている。布団を掛けてはいるけれど、服は着ていない。


「やってみればいい。何もかもってことは、きっとどこかで私とかち合う」


 同じベッドに転がり、同じ布団に入っているアスラが言った。

 アスラも服は着ていない。


「そうかもね」


 スカーレットは窓の方に視線を移した。

 時刻は明け方頃。濃い青色の世界が、スカーレットには酷く切なく感じた。


「彼は誰時」とアスラ。


「かはたれどき?」


 聞き慣れない言葉に、スカーレットはアスラの方を向いた。顔だけでなく、全身でアスラの方を向いた。

 右向きに寝ている体勢だ。

 アスラの美しい顔が近くにあったものだから、スカーレットはドキッとした。

 本当、この子、顔だけは尋常じゃないぐらい綺麗ね。

 その肌も、唇も、緑の瞳も、まるで絵画のようで。


「夜明け頃をそう呼ぶんだよ」

「ふぅん。いい響きね」


 そう言った瞬間、アスラが唇を重ねてきた。

 スカーレットは目を瞑って受け入れる。


「……あんた、若いくせになんでそんな上手なわけ? まさか朝まで楽しんじゃうなんて……」

「うん? 前世の話をしなかったかね? 私は結構モテたんだよ」


「そういや、前世を覚えてるんだったわね」スカーレットが溜息を吐いた。「あたしも前の世界のこと、前世みたいに感じ始めたわ」


「君も割と上手だったよ。実は酷い淫乱だったんだなぁって思ったよ」

「誰が淫乱よ!?」


 スカーレットは怒ってアスラに頭突きした。

 アスラが額を押さえて顔を歪める。かなり痛かったのだ。


「せっかくロマンチックだったのに」とアスラ。


「どこがよ!? いきなり淫乱扱いしたくせに!」

「ジョークなのに」

「面白くないわよ!」

「褒めたのに」

「褒められた気しないわよ!」

「突っ込みが冴えてるね」

「誰のせいよ!?」


 怒鳴ったあと、スカーレットは大きく息を吐いた。


「それにしても」


 アスラがスカーレットの頬に触れる。

 温かい、とスカーレットは思った。


「君、本当に可愛いね。そこらの男は気が狂うだろうね」

「何よそれ。魔物みたいに言わないでよ」

「黙っていても可愛いし、口を開いても可愛いし、何をしていても可愛いなんて反則だろう?」


 アスラが微笑みながら言った。


「こっちの台詞よ!」


 スカーレットは褒められて照れた。こんなに照れたのは酷く久しぶりのこと。


「きっと、人を殺す時も可愛いんだろうね」クククッ、とアスラが邪悪に笑う。「血に塗れた手で、泣きながら剣を振る姿なんてきっと天使のようだろうね」


「……剣を振る時は泣かないわ」

「ああ、そうだろうね」


 アスラはまだスカーレットの頬に触れていて、ゆっくりと手を動かす。撫でたのだ。


「でもきっと、君は泣く。いつか、近い未来、私と殺し合う時、君は泣く」

「予言のつもり?」

「推測だよ。というか、泣いてくれなきゃ私も悲しい。だって私らは、こんなに愛し合ったんだよ? 殺し合う時に涙の1つぐらい、自然に流してくれなきゃ」


「あんた、鏡見たことある?」スカーレットは苦笑い。「自分がどれだけ邪悪な顔してるか、1度でも見たことある?」


「さぁ? でも君が傷付いて心を痛めてくれると、すごく興奮するよスカーレット」

「酷い変態ね」


「そうかな? 私もたぶん、心が痛むと思うんだよ」アスラが嬉しそうに言う。「引き裂かれそうな感覚が、きっとあると思うんだよ。かつて、住んでた村が全滅した時みたいな、激しい感情のうねりが、きっとあると思うんだよ。取り乱し、理性を失うような、ね」


「あんた心底イカレてんのね。その点だけは、同情するわ」


 スカーレットは自分の頬に置かれたアスラの手を握る。


「ありがとうスカーレット。こっちの世界に来てくれて、私と敵対してくれて、私と寝てくれて、私と心を通わせてくれて、本当にありがとう。楽しく殺し合おうね。楽しく戦おうね。ズタズタになって千切れるまでやろうね。心も体も」


「……あんたの愛情表現が重すぎてビビるわ」スカーレットが言う。「でも、そうね。死ぬまでやりましょ? どうせ、あたしらは相容れないのだから。ありがとうアスラ。この世界に産まれ直してくれて。あたしの敵になってくれて。あたしと一夜の恋人になってくれて。私に心を重ねてくれて。願えるなら、一緒にフルセンマークを統一して欲しかったわ」


「統一って素敵だね」アスラが邪悪な顔で言う。「だって、統一したらどうなると思う? 次は分裂するんだよ! 分裂するために戦いが起こるのさ! 統一するために戦って、分裂するためにも戦うのさ! ははっ! 素晴らしいだろう!? 人間が人間である限り、戦争はなくならない! 君の理想は永遠に訪れない!」


「それでも、あたしは統一するわ。いつか分裂するその時まで、平和であるように。愚かな人間どもを、なるべく長く管理できるように」

「いっそ滅ぼしてしまえば良かったのに! まぁどっちにしても私とは敵対するけどね!」

「そりゃね、考えたこともあるわよ。いっそ、絶滅させてやろうかなって。愚かすぎて、滅びた方がいいんじゃないかって、何度も思ったわ」


「だけど、それでも君は人を見捨てられなかった。大嫌いだと言いながらも、君は希望を捨て切れなかった」

「あんたは、人が好き?」

「大好きだよ。大好きに決まってる。永遠に争いを続ける人間たちを、愛さずにはいられない!」

「それ、玩具感覚よね? 人が争いを止めたらどうするの?」


 スカーレットはアスラの手を離して仰向けに体勢を変えた。

 視界の隅で、アスラもモゾモゾと動いて仰向けになった。


「有り得ない仮定に意味はないけど、まぁ、そうだねぇ」


 アスラは少し考えた。

 戦争のなくなった世界で。

 争いの消えた世界で。

 自分がどうするのか。


「私が最後の戦争を起こそう」

「あんた本当にクズね」

「知ってるよね?」

「ええ。知ってるわ」

「きっと楽しいよ? だって最後だから。私が死ぬってことだから」

「そうね。あんたが死ななきゃ、終わらないものね」

「いつか、誰かに殺されたいよ、私は」


 誰かの筆頭候補がアイリスであることを、アスラは告げなかった。


「自殺志願者じゃないでしょ? よく理解できないわ」

「単純なことだよアイリス」

「アイリスじゃないわ」

「いいじゃないか、どっちでも。それより、一発で理解できる説明をしてあげるよ」

「やってみて」

「死ぬのも、殺されるのも、大好きな戦争の醍醐味だから」

「イカレてるわ」

「よく言われるよ」


 沈黙が降り積もる。長い時間のようでもあったし、一瞬だったのかもしれない。スカーレットには、どっちでも良かった。

 ただ、この静けさは嫌いじゃない。スカーレットはそう思った。

 そしてふと、ベッドに入る前にアスラが言っていたことを思い出す。


「ねぇアスラ」

「なんだい? もう一回やっとく?」

「違うわよ……。そうじゃなくて、空白の5年の話をして。あんたの雰囲気の変化というか、強くなったって話には興味引かれたのに……」


 ベッドでイチャイチャする方に労力を割いて、あまり多くを語らなかった。

 そういう夜だった。


「ふむ。実に気怠い5年だったよ。なんせ一人ぼっちだったのだから」

「あんた寂しいと死ぬものね?」


「生きてるよ」アスラが肩を竦める。「とにかく、温泉旅行の話からだね」


       ◇


 数日前。

 東フルセンの東の端。大山脈の麓。そこには温泉大国ギルニアと呼ばれる地がある。

 アスラたちは2匹のドラゴンで移動したので、街ではなく大山脈に降り立った。そこからは歩いてギルニアに入国する予定だ。

 現在はまだ午前中。天気は晴れ。


「ありがと。じゃあ私は里に帰るから、またね」


 メロディが手を振ってアスラたちと別れた。


「温泉には入らないんですね」


 サルメが不思議そうに言った。


「温泉に入らないなんて、愚かね」


 アイリスがやれやれと首を振った。

 今日、温泉旅行に来たメンバーは全部で8人。

 アスラ、アイリス、サルメ、レコ、ラウノ、ロイク、グレーテル、メルヴィ。

 魔殲が持って来た温泉旅行団体チケットが8人まで有効だったので、とりあえず8人で来た。

 普段忙しいティナやラッツをアスラは最初に誘ったのだけれど、2人は「別に城のお風呂で満足」と一緒に来なかった。

 マルクスも同じ理由で城に残った。イーナは完全なオフが欲しいと言うので、許可した。

 アスラはメルヴィと手を繋いで、先頭を歩き始める。残りのみんなが雑談しながらそれに続く。

 ちなみに、ドラゴン2匹はさっさと飛び立ってしまった。


「魔王様、メルは温泉すごーく楽しみ!」

「私もだよ。広かったら泳ごうね」

「うん! 泳ぐ!」


「甘いわね」アイリスが言う。「温泉大国ギルニアには、温泉マナーってのがあるのよ」


「ほう。例えば?」とアスラ。


「泳いではいけない」アイリスが得意顔で言う。「ふっふっふ。あたしは子供の頃に温泉で泳いで怒られたから、間違いないわ」


「温泉マナーに違反すると、温泉警備隊に連行されるよ」ラウノが言う。「ギルニアでは温泉関連の事件は憲兵ではなく、温泉警備隊が担当するんだよ。マナーの悪い客はすぐに連行されて、一晩牢に入れられる」


「あたしは怒られただけで済んだわ。子供だったから?」

「だろうね。メルヴィとレコ、あと団長はもしかしたら、口頭注意だけで済むかも」


「なるほど」アスラが頷く。「面倒は起こさない方向で旅行を楽しもう。さすがの私も旅行中に厄介ごとはごめんだからね。君に言ってるんだよサルメ?」


「私ですか!? 大丈夫です、私は何もしませんから!」


 サルメは自信満々で言った。


「温泉旅行かぁ」ロイクがしみじみと言う。「マジでゆっくりしてぇなぁ」


「そうですわねぇ」グレーテルが同意する。「本当にのんびりしたいですわ」


「大丈夫ですよ!?」サルメが言う。「温泉宿も貸し切りみたいですし、他人と揉めようがありません!」


「街ブラする時は?」とレコ。

「街ブラって?」とロイク。


「あらロイク、知りませんの?」グレーテルが言う。「特に目的もなく、街をブラブラ散策するって意味ですわ」


「喧嘩禁止」アイリスが言う。「戦争も禁止。殺し合いも禁止。絡まれたら逃げる。そういう方向で街ブラしましょ」


「舐められたら?」とラウノ。


「ふむ。まぁ休暇中だし」アスラが言う。「広く温かい心で見逃してやろう」


「あんたが1番信用ならないんだけどね?」


 アイリスが苦笑い。

 ちなみに、旅行は2泊3日である。

 無事にのんびりできますように、とみんなが祈った。

 

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