第5話 地獄の想定訓練の開始 目的地に到着できるかすら怪しい


「えっと、道で私と初めて会った時、人を殺したよね? 私、あのあと、憲兵に尋問されて全部喋ったんだけど……」


 アスラ、レコという名前から見た目の特徴まで全部。


「ああ、あの小さな戦争のことか」とアスラ。


「……なんで戦争になったのよ。出かけたら1度は戦争して帰るってルールでもあるわけ?」


 アイリスが巨大な溜息を吐いた。


「私の進路を塞いだバカがいてね」

「それで殺したの?」

「いや、それでは殺してない」

「じゃあ何で殺したの?」

「私は平和的に道を譲るよう説得したんだけど」

「平和的の意味知ってる? 知らずに言ってるわよね?」

「もちろん知ってるさ。続けるよ? 彼が私の説得に応じず、私を殺すと宣言したから、殺し合いに発展したんだよ」


 果たしてそうだっただろうか? 

 アスラがあまりにも淡々と言ったので、リュシは自分の記憶違いかと思ってしまった。


「アスラに殺す宣言するなんて……」アイリスは頭痛がした時のように顔を歪めた。「自殺志願者か何かだったの?」


「いや、どうやらギャングだったみたいで、私はお咎めなしでいいってさ」

「お咎めなし!? 殺人罪だよね!?」


 リュシは酷く驚いて、危うくアスラの胸ぐらを掴みそうになった。ギリギリで正気を取り戻し、アスラには触れなかったけれど。


「憲兵はバカじゃないからね」アスラが言う。「私を捕まえるメリットとデメリットをよく分かってるんだよ」


「でも、そんなの法治国家じゃない……」

「なんか、アスラたちと出会う前のあたし見てるみたいで、ちょっと恥ずかしいな」


 なぜかアイリスが頬を染めてモジモジと身を捩った。


「ああ、君は言いそうだよね」アスラが笑う。「法がーとか、正義がーとか」


「私は、納得できない。だったら私は何を信じればいいの?」リュシが言う。「あれは良くても過剰防衛だったし、普通に明確な殺意を持った殺人だったわ」


「あのギャングは捕まっても死刑になる奴だったんだよ」アスラが言う。「諸々の費用が浮いた、ありがとう、って言われたよ?」


 捜査費用、逮捕費用、拘留費用、事務費用、処刑費用、諸々のこと。


「まぁ、世の中はそんなに綺麗じゃない」アスラが肩を竦めた。「知ってるだろう? 君の生い立ちなら」


 確かにそう。リュシは知っている。世界が綺麗じゃないこと。

 特に、孤児だったリュシは身に沁みている。ずっと弱者として虐げられた。学校に通って基礎教養を身に付けられたことだけが、唯一良かったこと。

 まぁ、学校でも底辺として虐げられたけれど。

 特にリュシは中央の出身だったので、毎日、色々な体罰を受けた。今まで心が壊れなかったのが不思議なぐらいには、痛めつけられてきた。


「蒼空騎士が心の支えだったのかね?」


 アスラが全てを見透かした風に言った。


「私は1度」リュシが言う。「偶然通りかかった高潔な騎士様に、救われたの」


 あの日を忘れたことはない。

 いつものように、虐められていたのだ。裏通りで、数人に。

 あの時はもう死にたいとさえ思っていた。

 それより何より、どうしてそのことをアスラに話したのか、リュシは自分ですごく不思議だった。


「だとしたら、君が法や正義に拘る理由も分からんでもない。が、それだけじゃ世の中は渡っていけない。特に今のような時代ではね。したたかさも必要だよ」


 ああ、そうか。

 アスラは、理解してくれるのだ。私という人間を理解してくれる。それはあの日、リュシを救った蒼空騎士にもできなかったこと。


「蒼空の理念を捨てる必要はない。それが君をこの場所に連れて来たのだから。それが君の力なのだから」


 アスラがそう言った瞬間、リュシの中で「もっと私を知って欲しい」という欲求が生まれた。

 今まで、誰にも見せなかった心。誰も見てくれなかったリュシという人間。でもアスラは見てくれる。理解してくれる。


「弱者を救いたい? 大いに結構。救えるだけ救えばいい。悪を裁きたい? 大いに結構。じゃんじゃん裁けばいい。だがね、どこかで妥協ってものが必要になる」

「今回の、教官を捕まえなかった憲兵のように?」


「そう。死んだのはどうせ死刑になる予定のギャング1人。そんな奴のために、この私を敵に回す? そんな愚かな奴はいない。少なくとも、憲兵という組織にはいない。英雄にだっていないさ。なぁアイリス?」


「そうね。ぶっちゃけ、ギャングでしょ? 英雄でも憲兵と同じ判断よ。そりゃあたしだって、法で裁くべきだとは思ってるのよ? それでも、社会のクズ1人のために、傭兵国家《月花》の初代皇帝を敵に回すなんて冗談じゃないわ」


 アイリスが両手を広げて、小さく肩を竦めた。


「……え? 皇帝?」


 リュシはアイリスを見て、アスラを見て、もう一回アイリスを見た。


「私、こう見えても国持ち」アスラがへラッと笑う。「《月花》って聞いたことないかな? 最近では割と有名で、みんな知ってると思ってたよ」


 噂程度なら、リュシも聞いたことがある。でも全然、詳しくは知らない。リュシには友達と呼べるほどの相手もいない。

 誰かが話しているのが、耳に入った程度。

 でも、確かに《月花》という名前は知っていた。


 曰く、ジャンヌ軍を倒した。曰く、圧倒的な数の貴族軍を数名で壊滅させた。曰く、依頼の達成率は100%を維持。曰く、世界最強の傭兵団。

 そこのトップ? 私より若い少女が?

 ああ、でも、納得してしまえる程度には、アスラはイカレている。ギャングを殺した時のアスラは、確かに正常な人間とはかけ離れていたのだから。


「いいねその顔」アスラが言う。「驚愕と畏怖に満ちている」


 ああ、理解できた。リュシは心から理解できた。憲兵なんか、この人が吹けば飛ぶ。妥協せざるを得ない。

 アスラを捕まえるメリットとデメリット。

 ぶっちゃけ、メリットなんてない。デメリットばかりだ。捕まえるはずがない。アスラがいきなり大通りで大量虐殺でもしない限り、手を出せない。


 そんな、遙か高みの雲の上の存在。そんな人が、バツ組の指導?

 なんで?

 リュシの頭は考えすぎて爆発しそうになった。

 色々と整理したいしお使いもあるので、リュシは一旦この場を離れようと決める。


「納得したから、もう行く……行きます」


 思わず敬語で言い直してしまう。


「ヘラヘラ喋ってくれて構わんよ。まぁ、敬語がシックリくるなら、それでもいいけど」


 アスラが普通に言ったけれど、もうタメ口は無理だ。

 トンミやサーラ、よく殺されなかったなぁ、とリュシは思った。

 本当に、優しくしてくれているんだなぁ。

 寮に戻って早速、サーラにこのことを教えた。


 サーラは顔面蒼白で布団に潜って「どうしよう、どうしよう。アスラ・リョナってどっかで聞いたことあるなー、とか暢気に思ってたしぃ。貴族制度を廃止した悪魔じゃん……。うち、生意気言った……どうしよう、殺される? 殺される?」と終日震えていた。

 あのいつも上から目線のサーラがこんな風になるぐらい、ヤバい人なんだと、リュシはアスラの危険度を再定義。

 上位の魔物から最上位の魔物にランクアップさせる。まぁアスラは魔物じゃないけれど、似たようなものだ。


       ◇


 その後の基礎訓練と応用訓練は非常に順調に進んだ。

 理由は単純。みんながアスラの正体を知ったからである。トンミもヴィクも、一切の口答えをしなくなった。

 そしてアスラが教官になってから16日目の早朝。

 今日は全員がフル装備で厩舎の前に集合していた。

 フル装備というのは、蒼空騎士に支給される青い鎧のレプリカ、蒼空騎士団の紋章入りマント、同じく紋章入りの剣、そして肩掛け鞄。


「おはよう諸君、これより想定訓練を開始する」アスラが言う。「まず、マルクス先生は先に現地入りして準備をしている。道中は私とアイリスで引率するが、ほとんど口は挟まないからそのつもりで」


「「蒼空!」」


 リュシたちはすでに、「蒼空」と返事することに慣れていた。恥ずかしいとも何とも思わない。


「まずは小隊長を決める。今回は初の……私が教官になって初の想定訓練だね。よって、もっとも指揮能力の高いリュシが小隊長を務める」


「え?」とリュシ。


「ちょっと待ってくれよ」トンミが言う。「指揮なら、俺かサーラじゃねぇのか? これは反抗じゃねぇぞ? 意見具申ってやつだぞ? ぶっちゃけ、リュシは訓練はできるけど、実戦じゃ能無しのままだろ? 教官の訓練でマシにはなってるけどな。それでも指揮官やらすのは不安だぜ」


「……指揮ならオレだと思うけど……。このメンバーなら」


 レコがボソッと言った。


「落ち着きたまえ。まずレコ。君はこのメンバーに馴染んでいるが、それでもゲストだからねぇ。小隊長は想定によって変えるけど、君はやらなくていい。いずれ時期を見て、うちでやらせてあげるから」


「団長やらせてくれるの!?」


「団長じゃなくて教官」アスラが淡々と言う。「あと、やらせるのは小隊長だからね?」


「オレ、小隊長よりエッチがいい」

「ああ、そうかい」


 アスラは小さく首を振った。すごくどうでも良さそうな雰囲気だった。


「さてトンミ。後半に限れば、君の発言は正しい。でも決定は覆らない。分かったら返事をしたまえ」

「……蒼空」


 トンミはやや不満そうだが、それ以上は何も言わなかった。


「そしてリュシ」アスラがリュシを見る。「君の判断ミスで仲間が死ぬことも有り得る。だから恐れるな。君は強い。いいね?」


「そ、蒼空……」


 実際に任務に就けば、仲間が死ぬ可能性だって確かにある。それに、騎士を続けていれば、自分が小隊長になることだって将来的には有り得るのだ。

 逃げるわけにはいかない。リュシは蒼空騎士になりたいのだから。


「では想定の内容を発表する。アイリス」


 アスラがアイリスに振って、アイリスが頷く。

 アイリスは持っていた地図を地面に広げる。


「山賊退治の依頼が入ったわ。蒼空騎士団は1個小隊にてこの山賊を撃滅することを決定。あんたたちが派遣される。山賊のアジトはここから南の隣国……」


 アイリスが地図を指でなぞり、ある一点で指を止める。


「この山の中にアジトがあるわ。アジトの位置は正確ではなく、だいたいこのあたりという位置情報ね。よって、あんたたちは山に入ったのち、山賊のアジトを捜索、発見後、即座にこれを撃滅」


 そこまで移動するのに、かなりの時間が必要だ。

 早くても明日の昼は過ぎる、とリュシは予測した。


「サーチ&デストロイ作戦だよ」


 アスラがとっても楽しそうに付け足した。


「今日、日が沈むまでに山の麓に到達し、そこで野営すること。野営……」


「は? そんなの間に合うわけ……」とサーラ。


「あたしまだ説明の途中なんだけど?」


 アイリスがサーラを睨む。

 サーラは慌てて口を押さえた。

 何気に英雄のアイリスは厳しい。というか、アスラやマルクスと大差ない。同じ穴のムジナである。

 頭がおかしくないだけ、マシではあるけれど。


「野営は隠密を重視。山賊に見つかったら逃げられちゃうから、火は使わない、大きな声や音を出さない。テントも張らない。見つかりにくい場所を見つけ、寝袋だけで過ごす。いいわね?」

「蒼空」


 返事をしたのはレコだけ。

 他は誰も返事をしなかった。そんなの無理だ、と思ったから。

 何が無理って、サーラが言った通り、今日の夜までに目的地に到達するのが無理。

 隠密を重視した野営は問題ない。応用訓練ですでに経験済みだ。


「返事が聞こえないんだけど? アスラもしかして、この子たちに返事の仕方教えなかったの?」

「おかしいなぁ。優しくしすぎたのかな、私。なんなら最初から訓練をやり直そうか? 次はハードモードで」


「ちょっと、待ってくださいよ教官」ヴィクが怯えながらも意見する。「夜までに到達は不可能です。遠すぎます」


「いや、間に合う。余裕だよ。間に合わないはずがない」アスラが言う。「だけどそうだね、もし間に合わなかったら、夜通し走ってここまで戻れ。そして明日の朝、再度移動からやろう。間に合うまで何度でも、繰り返そう。これは脅しじゃない。分かるよね? 私が本気でそれをさせるって」


 本気だと言うのは、みんな一発で理解した。


「返事はどうした?」

「「蒼空!!」」


 ほとんど自棄っぱちで、みんな声を出した。

 やりたくない、と言ってもどうせ半殺しにされるだけ。そして半殺しにされたあと、結局想定を開始するのだ。それなら、今やった方がマシ。


「レコ。このぐらいの距離、替え馬なしでも行けるだろう?」

「うん。夜までなら普通に行けると思うけど? なんでみんな行けないと思うのか不思議」


 レコがキョトンと首を傾げた。

 馬の問題じゃなくて、人間の体力が保たないって話なの! とリュシはそう思った。


「普段、どんな訓練してんだよ……」とトンミ。


「行ける? これ行けるぅ?」


 サーラは半信半疑だが、レコがかなり軽いノリで言ったので、少しは行ける気がしている。


「では小隊長、日没に間に合わせろ。君の責任だよ」


 アスラがリュシを見て、リュシはビクッと身を竦めた。

 責任が、重すぎる。

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