第4話 アイリス、なぜか居座る 「それよりアスラはどうして逮捕されないの?」
リュシは剣の型も騎乗も特に問題はなかった。
それどころか、
「普通に強くないかね?」
アスラが目を丸くするレベルで、リュシの能力は完成されていた。蒼空騎士の合格ラインにある、という意味。
時刻はすでに夕方。そろそろ今日の訓練が終わるという頃。
「そうですね。一般的な騎士より強いのでは?」
マルクスも驚いた様子でそう言った。
ここは相変わらず第三運動場。今は騎乗訓練を行っていたので、みんな馬に乗っている。
アスラとマルクスも手本を見せるために騎乗している。
「よし、今日は模擬戦を最後にやろう。馬を戻してこい。私のはリュシ、マルクスのはトンミが連れて行け」
そう命令して、アスラとマルクスは馬から下りる。
アスラはリュシに、マルクスはトンミにそれぞれ手綱を渡す。
「模擬戦って……勘弁してくれよ……死んじまうぞ俺ら……」
トンミが疲労困憊という様子で言った。
「初日からそんなんじゃ、先が思いやられるよ」とアスラ。
トンミたちはもう反抗する気力もないのか、トボトボと馬を進める。もちろん、厩舎に向かっている。
「おい君たち、15分で戻らなかったら夜間訓練を追加するからね?」
アスラが言うと、トンミたちは馬の速度を上げた。
「どうだいマルクス? 連中、今の時点で騎士に合格できるかね?」
「リュシ以外はギリギリですね。特にサーラは際どいかと思います。レコは落ちるでしょう。騎士としての技能が足りていません」
「やはり合格するなら余裕で合格したいね」
「そうですね。彼らの騎士生活はたぶん短いでしょうが、それでも余裕はあった方がいいでしょう」
リュシとレコ以外の3人は、親の命令でここにいる。本人に騎士になりたいという想いがない。
進んで騎士になろうとする人間と、そうでない人間は明確に差が出る。まぁ、それは騎士だけでなく、何でも同じだけれど、とアスラは思った。
と、北西の空にドラゴンの影が見えた。
「おや? あれはキンドラかね?」
「そのようですな。何かあったのでしょうか?」
「ブリット」
アスラが呼ぶと、アスラの太ももに陣取っている金髪人形がローブの裾から出てきた。
「俺様は何も聞いてねーぞ」と金髪人形。
「報告なしで何かするのはだいたいサルメだけど、サルメはどうしてる?」
「問題なく任務をこなしてるぞ」金髪人形が言う。「少なくとも、俺様の見る限りじゃ、何の問題もねーな」
キンドラが第三運動場に近づくと、その背中でアイリスが手を振っていた。
そしてキンドラが運動場に着陸。アイリスが颯爽とキンドラの背を飛び降りる。
「何事だぁぁ!!」
「ドラゴンが出たぞぉぉぉ!!」
各所で警戒の笛が鳴り響き、蒼空の薔薇の教官たちが集まって来た。
金髪人形はそそくさとアスラの太ももに戻った。
周囲のただならぬ様子に、アイリスは慌ててキンドラを飛び立たせる。
「みんな落ち着いて! 大丈夫! 大丈夫だから! あたしは英雄のアイリス・クレイヴン! ちょっと用があるだけ!」
「……あのバカ」
マルクスが溜息混じりに言った。
「事前に報告しなきゃ、そりゃビビるよねぇ」
アスラは肩を竦めて小さく首を振った。
基本的に、ドラゴンで移動する場合は事前に手紙で相手先に申告する。この場合の相手先は蒼空の薔薇である。
その時間がない場合、アスラたちはいつも人里離れた森や山、または平原に着陸し、そこから歩いて移動している。
もちろん、敵対的な相手先の場合はその限りではない。
若干パニック状態の教官たちが、キンドラに矢を放った。
もちろん、キンドラに矢など効かないのだけれど。
「ああああ! ダメダメ! てかキンドラもう帰って! キンドラ帰って!!」
アイリスが叫び、キンドラはどこか楽しそうに小さく鳴いてから飛び去った。
「教官!! 何があったんだよ! 今、ドラゴンがいたのか!?」
トンミたちが戻って来た。
「だから今のはうちの子だから平気だってば」
レコが溜息混じりに言った。
現場が混乱してしまったので、訓練どころではないな、とアスラは思った。
アイリスと一緒に他の教官たちに事情を説明し、ひとまず場を治めた。
「それでアイリス、何しに来たんだい? しかも突然」
アスラは少し気怠そうに言った。
実際、かなり怠い。教官たちは一応、納得してそれぞれ持ち場に戻ったけれど、時間を無駄にした。
「暇だったから……ちょっと驚かそうかなって……」
えへへ、とアイリス。
アスラとマルクスは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
「ああ、実に驚いたよ。君、戻ったらティナ送りね?」
「ええええ!?」
「頼むからサルメに追い付かないでおくれよ?」
ティナ送りの回数のことである。まぁサルメはダントツなので、なかなか追い付くのは難しいけれど。
「英雄アイリス……。か、可愛いですねぇ……」
「おう、可愛いな。俺は前から知ってるぜ?」
ヒソヒソと、ヴィクとトンミが会話を交わしている。
「アイリス嫌い。ムカつく」
サーラがジッとアイリスを見詰めていた。
その視線に気付いたアイリスがサーラと目を合わせる。
「あ、サーラじゃん。何してんの? 蒼空騎士になるの?」
「うちに話しかけんなー、うちより可愛い奴はムカつくー」
「君らは知り合いかね?」とアスラ。
「あたしたち、東フルセンの元小貴族同士で、年も近いから貴族の集まりでよく話してたの」
「話してないしぃ? うちは無視してたしぃ? アイリス嫌いだしぃ?」
「またまたぁ」アイリスがヘラヘラと笑うが、すぐに真顔に。「え? 本当に?」
「今まで、気付いてなかったことに、うちはビックリだしぃ?」
サーラが冷めた様子で言うと、アイリスはガックリと肩を落とした。本気で、今まで自分が嫌われていることに気付いていなかったのだ。
魔法兵になって相手を観察する能力を得たせいで、アイリスはサーラの言葉が真実だと分かってしまった。
「俺とは仲良かっただろう?」とトンミ。
「ええっと? 誰だっけ?」
アイリスが首を傾げると、トンミは「ふざけんなクソ! 俺を忘れたのか!?」と顔を真っ赤にして怒った。
アイリスは煽ったわけではなく、本気でトンミを忘れていた。
「君ら元気そうだし、日が沈む前に模擬戦をやろう。ほら木剣を握れ」
アスラが言うと、生徒たちはみんな地面の木剣を拾った。
「特別に私が相手をしてあげよう。時間もないし、まとめて来たまえ」
アスラの言葉が終わると同時に、レコが突っ込む。
「ぶちのめしてやるぜ!!」
レコに合わせてトンミも突っ込む。
アスラは2人の攻撃を軽く回避しながら、地面の木剣を拾う。そう、アスラはまだ木剣を持ってさえいなかった。
さすがレコ、容赦ないね、とアスラは嬉しく思った。
生徒たちとアスラの模擬戦がしばらく続く。
「ねぇ。あの子はなんで、あんなに怖がってるの?」
アイリスはふと、思ったことをマルクスに言った。
「あの子の名前はリュシだ」マルクスが言う。「身体が硬くなっていて、訓練通りに動けていないな」
それは酷い有様だった。リュシの攻撃は全部素人のようにヘロヘロで、防御も全く機能していない。
よって、アスラに何度も木剣で身体を打たれている。真剣ならもう10回は死んでいるという体たらく。
まぁ、レコ以外の生徒たちも5回ずつは死んでいるけれども。
「能無し、無能のリュシ、か」
マルクスがリュシを見ながら呟いた。
「他人を傷付けるのが怖いのかしら? あたしも小さい頃は怖かったわ」
「ふむ。だとしたら、騎士にはなれんな」マルクスが思案顔で言う。「荒療治が必要かもしれんが……」
「今、いきなり危険に放り込んだらあの子、死ぬわよ?」
「だろうな。時期は団長に委ねよう。自分たちが考えていることぐらい、団長も考えているはずだ」
◇
リュシは寮の自室でボーッとしていた。
動く力が湧かなかったのだ。
アスラが教官になってから5日目。今日はオフである。
昨日、アスラの指定する体力調整が終わった。1番体力の少ないサーラが、アスラ規定に達したのだ。それをもって体力調整を終了し、1日の休みを挟んで次は基礎技術訓練。
「しんどくて、遊びに行けないしぃ……」
同室のサーラも、ベッドの上に転がったままだった。
蒼空の薔薇の寮は2人で一部屋だ。元々、リュシとサーラは別の部屋だったのだが、バツ組ということでまとめられた。
「あの、サーラ……」とリュシ。
「貧乏人のくせに、うちのこと、呼び捨てにすんなし。虐めるよぉ?」
「サーラさん……。あの、教官のことなんだけど……」
リュシはずっと気になっていた。
アスラが初日に、リュシと初めて会った日に殺人を犯したこと。あれから、憲兵が訪ねてくる様子もない。現状どうなっているのか分からなくて、ずっと頭の片隅でチラついてる。
今日まで、リュシはそのことをクラスメイトの誰にも話していない。単に機会と気力がなかっただけだ。
「あのクソビッチ……。いつかぶっ殺す……。ああ、筋肉痛で死にそうだしぃ。あんた、うちのために昼食買ってこい」
「え? 私も筋肉痛で……」
「刃向かうなしぃ。貧乏人のくせに。あんたの分のお金もやるからぁ、行って」
サーラは財布からドーラを出して立ち上がる。
仕方ないのでリュシも立ち上がる。
「はいこれ。お釣りもいらないしぃ。でも変なの買ってきたらビンタするからぁ」
言いながら、サーラはリュシに金を渡した。
正直、今のサーラにビンタする余裕などあるのだろうか? とリュシは思った。仮にあったとしても、絶対に痛くないと思う。
お金を渡す手がプルプルするぐらいには、サーラの筋肉は疲れている。
リュシはラフな格好のまま、部屋を出る。着替えるだけの気力もないし、それにどうせ蒼空の敷地内の購買部に行くだけだ。問題ない。
リュシは移動しながら、体力調整について考えていた。
蒼空の薔薇に在籍して以来、ここまでボロボロになったのは最初の頃以来だ。
トンミとヴィクも、同じようなことを言っていた。
「オヤジに手紙書こうとしたけど、気付いたら寝てたぜ」とはトンミの談。
あれだけアスラに脅されて、それでも親に縋ろうとするトンミは、ある意味すごい。まぁ、縋る相手がいるだけいいのかな、とリュシは思った。
蒼空の薔薇の購買部は割と広い。食堂、パン屋、雑貨屋など、いくつもの店が並んでいる。基本的には、この中だけで生活できるようになっている。
「なぜ! クリームパンがないんだい!? 私は初日から! クリームパンをもっと作れと言っているじゃないか!」
アスラがパン屋にクレームを入れていた。
「んなこと言っても嬢ちゃん、何個作るかは店主が決めるからよぉ。売り子の俺に言われても困るぜ」
パン屋の店員が苦笑いを浮かべている。
「もう、アスラ恥ずかしいから諦めてよ」アイリスが言う。「食堂行きましょ、食堂!」
アイリスがアスラの肩を押して、無理やりアスラを移動させる。
アイリスはなぜか蒼空の薔薇に居座って、アスラとマルクスを手伝っていた。どうやら、すごく暇らしい。
英雄って任務あるんじゃないの? とリュシは思ったけれど、何も言わなかった。
「お、リュシじゃないか。クリームパンなら売り切れだよ?」
リュシに気付いたアスラが寄ってきて、やれやれと首を振った。
別にリュシはクリームパンを買いに来たわけじゃない。それに、リュシは固いパンの方が好きだった。サーラも同じ。
「あの、教官」
今聞かなければ、きっともう聞けない。リュシはそう思ってアスラの目を見る。
アスラの深い緑の瞳がリュシを見ていた。とても綺麗で、そして残酷な目。
リュシはそんなアスラの瞳に吸い込まれて、消えてしまいそうな気がした。
「なんだい? 明日からの基礎訓練、応用訓練はそれほどキツくはならないだろうけど、今日はゆっくり休みたまえ」
体力調整の時もそんな風なことを言っていた気がする。優しくするとか、なんとか。
「本番は想定訓練だからね」
アスラは悪戯を思い付いた子供のように、とっても楽しそうに笑っていた。
想定訓練。
蒼空騎士団の実際の任務を想定して行われる訓練。実働訓練とも言う。訓練の中で1番実戦に近い形式で行われる訓練だ。
「てか、リュシは質問があるんじゃないの?」アイリスが言う。「アスラがペラペラ喋るから、リュシが何も言えなくなってるんじゃない?」
「おっと、そりゃ失礼。質問に答えよう。想定の内容は秘密だよ?」
アスラはやっぱり楽しそうだった。
リュシは小さく息を吸った。
「あの、なんで教官は逮捕されないの?」
リュシの言葉に、アスラがキョトンと首を傾げた。本気で心から、リュシが何を言っているのか理解していない様子だった。
「ええっと? どの件で?」とアイリス。
ああ、そんなに沢山の事案があるのか、この教官は。
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