第3話 私は優しすぎるかもしれないね 「ふざけんなクソ、殺す気か?」


「とりあえず、体力調整をしよう」


 教卓に座って足を組んだアスラが言った。

 ちなみに、遅刻してこの場にいない生徒以外は、自己紹介をすでに済ませた。


「体力?」ヴィクが目を細める。「さすがに、僕らは規定の体力はありますけど?」


 アスラがトンミを軽く殴打して以降、ヴィクはアスラに対して下手に出ている。理由は単純。殴られたくないのだ。

 ヴィクは見た目が1番というタイプの人間だから、顔が腫れるなんて耐えられない。


「ああ、でも、あれじゃあヌル過ぎるから、少しだけ上積みが欲しい」


 アスラはサラッと言って、生徒たちの顔色を読み解く。

 レコ。何も考えてない。

 リュシ。怯えている。あと、多くの疑問を持っている。

 ヴィク。怯えている。なるべく穏便に済ましたいと考えている。

 トンミ。酷く怯えている。だが怒りに震えている。


「大丈夫、そんなに厳しくしないから。騎士の試験に合格することが目標だからね」


 アスラは笑顔を浮かべて、フレンドリーな雰囲気で言った。


「おいっすー! 今日も遅れちったぁ!」


 遅刻の常習犯、サーラ・ランタサルミがバツ組の教室に入ってきた。

 サーラは東フルセンの元小貴族で、当然のように出資者の令嬢。

 茶髪をトップで盛っていて、メイクの濃いギャルだ。必要最低限しか鍛えていないので、胸もそこそこ大きい。


「あっれー? なんか知らないオッサンと女の子と男の子がいる? つーか、うちより可愛い子とか死ねばいいのに」


 サーラはヘラヘラと言ってから、アスラの方に寄っていった。


「私は臨時教官のアスラ。こっちは臨時副教官のマルクス、で、あっちが転入生のレコ」


 アスラが丁寧に紹介した。

 サーラは意味が分からない、という風に首を傾げた。


「教官? はぁ? なんで子供が? ドッキリってやつ?」


「なんで遅刻したんだい?」とアスラ。


「はぁ? 起きるの怠いし? メイクとかもあるし? 集合時間が早すぎるのが問題じゃん? うち悪くないし?」

「そうか。でも明日から遅刻は許さない。1秒でも遅れたら叩きのめす。分かったかね?」

「はぁ? 何? この子、超偉そうじゃなーい? 虐めちゃうぞ?」


 サーラがアスラは睨む。

 アスラが溜息を吐いて、教卓から降りる。

 そして流れるようにサーラの腹部に拳を叩き込んだ。

 サーラの身体がくの字に折れ曲がる。

 サーラは「ぐべぇ」という汚い悲鳴を上げて、その場に膝を突いた。


「分かったかね?」

「……あんた、うちに、こんなことして……」

「それはトンミからも聞いたよ」


 言いながら、アスラはサーラの顔面を蹴飛ばした。

 サーラが床に転がる。


「いいかい君たち? 君たちの両親がどこの誰かなんて、私には何の関係もない。口を出すなら君らの両親も叩きのめす。だから両親に助けを求めない方がいいよ? 君らの頼みで両親が出てきたら、私は両親を半殺しにする。容赦なくそうする。君らの前で、君らが泣きながら『2度とチクりません』って言うまでグチャグチャに痛めつける。分かったかね?」


 教室内が、シンッ、と静まり返った。

 マルクスは頭痛がした時のように頭を押さえて顔をしかめた。


「よし、沈黙は理解と受け取ろう。それじゃあ諸君、体力調整に入る前にいくつか約束事をしよう」アスラが笑顔に戻る。「おっと、君の自己紹介がまだだったね」


 アスラは床に転がっているサーラを見詰めた。

 サーラがビクッと身を竦める。


「自己紹介したまえ」

「……うちは、サーラ・ランタサルミ……」

「よろしい。席に座れ。5秒以内に座れ」


 アスラが言って、サーラは慌てて立ち上がり、自分の席に座った。


「では約束事その1」アスラが右手の指を1本立てる。「今後、授業中の返事は全て『蒼空』とする。それ以外の返事は不要。分かったかねレコ」


「蒼空」

「よろしい。これは君たちに、常に自分が蒼空騎士であることを意識させるためでもある。分かったかねリュシ」

「え? あ、はい」

「違う。返事は蒼空だと言ったはずだよ? レコを見習え。私は優しいから、今回は見逃すけど、次に違う返事をしたらティナを呼ぶ。いいね?」

「そ、蒼空?」


 リュシはよく分からない、という風に曖昧に返事をした。


「ティナは尻フェチだから、延々とお尻を叩かれるよ。叩くのは素手だけど甘く見ない方がいいよ? 余裕で気絶するぐらいの激痛だから」


 レコが言った。

 リュシたちの顔が青くなる。想像したのだろう、とアスラは思った。


「あは。まぁティナを呼ぶのは冗談だけど、蒼空以外の返事はするな。いいねトンミ」

「……蒼空」


 トンミはやや怯えた様子で返事をした。

 しかし目は死んでない。アスラに対する怒りが浮かんでいる。


「よし、では約束事2つ目」アスラが指を2本立てる。「私に絶対服従すること。一切の反論は許さない。いいかねヴィク」


「そ、蒼空」


 ヴィクは少し照れ気味に言った。

 蒼空、という返事が恥ずかしいのだ。まぁ、ヴィクだけでなく、レコ以外の全員が恥ずかしさを感じていた。


「では最後の約束」アスラが指を3本立てる。「逃がさないから逃げないこと。面倒だからね。どうせ逃げられないのだから、無駄な抵抗はしない方がいい。分かったねサーラ」


「蒼空……」


 サーラは怯えながらも、恨みがましい表情でアスラを見ていた。


「よし、それじゃあ外に出よう。体力調整を始める」


       ◇


「さすがにちょっと、優しくし過ぎたかな?」


 アスラは思案顔で言った。

 ここは蒼空騎士養成学校『蒼空の薔薇』の第三運動場。

 第三運動場は、学校の所有する運動場の中でもっとも小さい運動場だ。主に基礎的なトレーニングをする場合に用いる。

 今はアスラたちバツ組の姿しか見えない。


「どうでしょう? うちならヌルいですが、ここなら、まぁ、厳しい方だと思います」


 マルクスは淡々と言った。


「だけどマルクス、レコを見たまえ」


 アスラは200メートルトラックを走っているバツ組の連中に視線を移す。

 レコが先頭を走っていて、次にリュシ。そこから少し間が空いて、トンミとヴィク。レコから半周以上遅れてサーラ。

 レコは退屈なのか、直線に入ると同時にバク転を開始。そのままバク転で直線を抜け、コーナーは普通に走る。

 次の直線に入ると、今度は側転で直線を抜ける。


「まぁ、何の装備もなく、身軽にただ走るだけですからね……」


 マルクスは小さく肩を竦めた。

 レコたち生徒の服装は、規定の運動服。かなり動きやすい服だ。季節的に、涼しい素材の服だが、長袖長ズボンである。


「そこだよ。何の装備もなく、ただ100周できればいいって、さすがに規定がヌルすぎる」


 ちなみに、アスラとマルクスはトラックのスタート位置付近に立っている。


「ふ、ふざけんなクソ……」ヘロヘロのトンミが、アスラの前を通り過ぎながら言う。「もう180周目だぞ……筋トレも、規定の倍やってんだぞ……殺す気かよ……」


「だからまぁ、私規定として全部2倍にすることにしたんだけど、優しすぎるかな?」


 アスラはトンミを無視して、レコに視線をやる。

 レコは体術の型をやりながら走ったり、この優しい世界でどうにか負荷をかけようと頑張っていた。


「いえ、ちょうどいいでしょう。レコには物足りないでしょうが、それは仕方ない。普段ならハーフ装備で走りますからねぇ」


 マルクスの言うハーフ装備とは、重さ30キロの戦闘背のうを背負うという意味。

 背のうとはバックパックのことで、ローブに収まりきらない多くの装備を収納するのに使用する。

 まぁ、それほど多くの装備が必要な状況は今のところ、滅多にない。


「うちはー、もう無理ぃ」


 アスラの目の前で、サーラがぶっ倒れた。


「嘘だろう? このぐらいで倒れる? サボりたいからって、それはないって」


 アスラが苦笑いしながら、サーラを蹴っ飛ばす。

 サーラはそのまま仰向けに転がって空を見ている。


「教官、どうやらマジのようです」とマルクス。


「え? どんだけ体力ないの?」アスラが苦笑いを浮かべた。「まぁいいや、みんなが200周するまで休憩したまえ。トラックの内側に入れ」


 アスラが言うと、サーラはグルンとうつ伏せになって、必死な様子で這う。


「邪魔」


 レコがサーラの背中を踏みつけていった。

 サーラは怒る気力もなく、「ぶぎゃぁ」という惨めな悲鳴だけを上げた。

 リュシはサーラを避けた。

 トンミとヴィクはほとんど歩いているような速度で、フラフラとサーラを避けた。

 見かねたマルクスが、サーラの腕を掴んで引きずるようにトラックの内側に移動させる。


「マルクス、リュシは割といいね」

「はい。教官規定の筋トレも全部普通にこなしていました」

「しかしリュシは無能とか言われてなかったかね?」

「技術的な意味では?」

「ふむ。午後は基礎的な技術も見てみようかねぇ」


 本当なら1日中、体力調整の予定だった。

 アスラはなんとなく、違和感を覚えていた。

 昨日のリュシは確かに雑魚だったし、クラスメイトのリュシに対する評価も酷いものだ。

 その割に、レコほどではないが、筋トレもランニングも普通にこなしている。それだけの筋力と体力があれば、剣が重くて振れない、なんてことも有り得ない。


 型が下手だったとしても、真面目に学校で練習していたら、合格レベルには達するはずだ。

 では騎乗に問題があるのだろうか?

 いや、とアスラは思う。それだって練習すれば合格レベルに達するはずだ。年単位で練習して、まったく上達しないはずがない。

 リュシに一体どんな欠陥があるのか、アスラはとっても気になった。


       ◇


「ルンルン♪ アイリス~♪ あたしはアイリス~♪ ランラン♪」


 アイリスはとってもご機嫌な様子で《月花》拠点の城に戻った。


「うるさいですわ。なんでそんなに上機嫌ですの?」


 廊下で対面から歩いてきたティナが言った。

 お互いに立ち止まる。


「あたしは長期休暇明けだもの。リフレッシュしたのよね。ティナはなんか酷い格好ね」


 アイリスはジッとティナを見詰めた。

 ティナの赤毛はボサボサで、目の下に隈がある。服装も、最近いつも着ていた仕事用のドレス姿ではなく、以前の変な服だった。

 お腹の出ている服だ。スカートも短く余裕でパンツが見えそうな服。ジャンヌの趣味。

 ティナはそのお腹の出ている服をパジャマの代わりにしていた。


「……忙しすぎて死にそうですわ。今日は久しぶりに、休むことにしましたの」


 ティナが大きな溜息を吐いた。


「確かに休んだ方が良さそうな見た目してる。ところでみんなは?」

「酷い見た目で悪かったですわね。秘書ちゃんと補佐官ちゃんの可愛いお尻がなければ、ぼくはとっくに死んでいますわ、きっと」

「……あんまり叩いちゃダメよ?」


 アイリスはちょっと心配になって言った。

 ティナの秘書と補佐官は普通の人だ。特に強いわけでもない普通の人。


「ぼくは虐待みたいなことはしませんわ」ティナが苦笑い。「だからアイリス、疲れたぼくにお尻を貸してくださいませ! なんの気兼ねもなく叩けるアイリスのお尻を!」


「ええ!? 絶対に嫌だけど!? てゆーか気兼ねして!」

「そこをなんとか! ぼくのストレスを軽減させると思って!」

「あたしのストレスが溜まりそうなんだけど!?」

「……はぁ、冷たい人ですわね」


 やれやれ、とティナが首を振った。


「他のストレス発散方法を考えて! てゆーかみんなは!? 誰にも会わないんだけど? いないの?」


「ラッツは執務室。執事とメルヴィはいつも通りですわ。ブリットもどこかには、いますわ。戦闘員のみんなは仕事ですわ。イーナ、ラウノ、サルメ、グレーテル、ロイクはトラグ大王国。アスラ、レコ、マルクスは蒼空の薔薇ですわ」


「蒼空の薔薇?」


 アイリスが首を傾げると、ティナが経緯を説明。


「……マルクスが一緒とはいえ、大丈夫なのそれ? 生徒たち死なないかしら?」

「どちゃクソ優しくする、という話ですわ」

「……それでも心配だから、あたしも見に行こうかな」

「好きにすればいいですわ。ぼくはとりあえず、トイレに行きたいので、失礼しますわ」

「あ、引き留めてごめんね。漏らさないでね?」

「漏らしませんわ」


 やれやれ、と溜息を吐いてから、ティナが歩き始める。


「さて、あたしはこのまま蒼空の薔薇……に行くのは少し怠いわね。部屋で休んでから行きましょう」


 この城にはアイリスの部屋もある。まぁ、本当の部屋というわけではなく、《月花》に借りているという感じではあるが。


「ルンルン♪ アイリス~♪」


 アイリスは再びご機嫌な様子で軽やかに歩き始めたのだった。

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