第2話 アスラは『優しさ』を根こそぎ徴兵中 集まるといいなぁ


 早朝。蒼空の薔薇、バツ組の教室。


「おい能無し無能のリュシ、また顔腫らしてんのか?」


 トンミ・ラハティネンが嘲るように言った。

 トンミは17歳の男。東フルセンの元中貴族で、代々蒼空騎士の家系。当然、蒼空騎士団の出資者でもある。

 トンミは親の命令で仕方なく蒼空の薔薇に所属しているだけで、理想も思想もない。


「まぁた雑魚のくせに、面倒に首突っ込んで返り討ちにされて、蒼空の名を汚してついでに輪姦されてきたのか? あ? お前もしかしてそれ趣味なのか? そういう性癖か? きめーんだよバカ女」


 トンミは心の底からリュシをバカにしていた。

 それはそうだ。リュシはこのバツ組において、唯一真面目に頑張っているのに合格できない無能なのだから。

 トンミは短い黒髪をツンツンに逆立てている。目付きが鋭く、悪そうな顔。騎士見習いよりギャング団の一員の方が似合うような風貌。

 リュシはトンミを無視して、自分の席に座った。


 バツ組の教室は、普通の教室だ。特に変わった部分はない。生徒の椅子と机が10個並んでいるが、バツ組の所属は現在4人だけだ。

 今、教室にいるのはリュシ、トンミ、それからヴィクトール・ブラウアーの3人だった。

 4人目は今日も遅刻である。


「君が教室にいると貧乏くさいんですよリュシ」


 ヴィクトールがやれやれと首を振った。

 ヴィクトールはリュシと同じ16歳。性別は男。制服はパリパリで、すこぶる綺麗。

 キチンと整髪された青髪。イケメンではないが、見た目に気を遣っているので、全体的には悪くない印象を受ける。


「貧乏人のバツ組生なんて、蒼空の出資者としてはゴミと同じです。早く辞めて娼婦にでもなった方がいいのでは?」ヴィクトールがいやらしい目でリュシを見た。「その時は1度ぐらい、買いに行ってあげます」


 ちなみに、ヴィクトールは西フルセンの大商人の息子である。

 出資者なのは当然、ヴィクトール本人ではなくその父。そしてトンミと同じく、親の命令で蒼空の薔薇に所属している。

 要するに、トンミもヴィクトールもやる気がないのだ。


 何度落ちたところで、出資者の息子たちは追い出されたりしない。ダラダラと、しばらくここで好き放題に遊ぶつもりなのだ。

 そう、リュシのような生徒を玩具にして遊び、そろそろヤバいな、という限界で合格する。そういう考え。


「そりゃいいぜ」トンミが笑う。「お前、それぐらいしか能がないだろ?」


 リュシは2人を無視して、正面の教壇を見ていた。


「おい、シカトしてんじゃねーぞ? 誰のおかげでお前みたいな貧乏で能無しのバカが薔薇生でいられると思ってんだ?」

「僕たちみたいな出資者のおかげですよね? 無視はないでしょうリュシ」


 2人の横柄な物言いにも、リュシは言い返さなかった。

 リュシはある程度、自分でも認めてしまっているのだ。私は金も能もない、蒼空騎士団のお荷物であると。

 それでも。

 それでもリュシは騎士になりたい。

 リュシの夢なのだ。立派な騎士になって人助けをすることが。今はこうでも、いつか誰かに「助けてくれてありがとう」って、そう言ってもらえる騎士になりたい。

 かつてリュシ自身が、自分を救ってくれた蒼空騎士にそう言ったように。


「ごめんなさい……」


 リュシが謝ると、トンミとヴィクトールはニヤニヤと笑った。


「本当に悪いと思ってんのかてめぇ?」

「だとしたら土下座でしょう? もちろん全裸で」


 トンミもヴィクも極悪人というわけではない。昨日のギャングに比べたら大したことはない。

 蒼空の薔薇の敷地内で誰かを全裸にしたり、死ぬほど殴ったりはしない。

 蹴っ飛ばしたり突き飛ばしたりはするけれど、それだけだ。

 だからつい、リュシは睨むようにトンミを見てしまった。


「あ? てめぇなんだその目? 喧嘩売ってんのか?」


 トンミが席を立ったので、リュシはビクッと身を竦めた。

 実力という意味では、リュシはトンミの足下にも及ばない。少なくとも、自分ではそう思っている。


「席に座れ」


 教室に入ってきた体格のいい男が言った。

 赤毛の短髪で、黒いローブ姿だったが、背中に剣を装備している。魔法剣士? とリュシは目を細めた。


「ああ? なんだてめぇ?」


 トンミが体格のいい男を睨み付ける。


「自分はこの教室の臨時副教官、マルクス・レドフォードだ」


「臨時だぁ?」とトンミ。

「おっぱい先生はどうしたんですか?」とヴィクトール。


「彼女はお前たちのセクハラに耐えられないと、異動した」


 マルクスは淡々と言った。

 怒った様子も悲しんだ様子もなかった。


「では転入生を紹介する。入れ」


 マルクスは本当に淡々と話を進めた。あまりにも淡々としているので、リュシはなんだか違和感を覚えた。

 教室に入ってきたのは茶髪の少年だった。


「レコ……」


 リュシは小声で言った。誰にも聞こえないぐらい、小さな声だった。

 あのあと、憲兵に事情聴取を受けてリュシは大変だったのだ。なんせ、相手がギャング団のメンバーとはいえ、立派な殺人事件だったのだから。


「おいおい、転入ってどういう意味だコラ?」トンミが言う。「ここは試験に落ちた奴の組だろうが? 次の試験は30日後だろうが」


「深い意味はない。ここで騎士としての技術を学ぶ。自己紹介をしろ」


 マルクスが言うと、レコが小さく頷いた。


「オレはレコ・リョナ。よろしく」


 実に、淡々とした自己紹介である。名前を告げただけの、実にシンプルな自己紹介。


「空いている席に座るといい」

「はぁい」


 レコは可愛らしく返事をして、リュシの方に寄ってきた。

 そしてリュシを見て、リュシの胸を見た。


「おっぱい揉んで良い?」

「い、いいわけ、ないでしょ?」


 リュシは突然のセクハラに苦笑い。


「ははっ! 能無しリュシはガキにも舐められてんな!」


 トンミがとっても楽しそうに笑った。


「お前は席に座れ」とマルクス。


「ああ? 俺に命令してんじゃねーぞ? 副教官様? 教官様はどうしたよ?」


「これから紹介するんだが、その前に注意事項だ」マルクスが言う。「いいか? まず自分はお前たちの味方だ。いいか? 大事なことだからもう一度言うぞ? 自分は味方だ」


 トンミとヴィクトールが顔を見合わせ、そして笑った。

 笑ったあと、トンミは机に座った。不遜な態度で。


「味方だってよヴィク」

「笑えますね。出資者の息子である僕たちに逆らえないだけでしょうに」


 2人はバカにしたが、リュシは信じた。

 だって、さっきまで淡々としていたマルクスが、感情を込めて言ったのだから。


「自分はな? 言ったんだぞ? 優しくするようにと。心の中にある、全ての優しさを動員して、指導に当たって欲しいと。誠心誠意、お願いしたんだぞ? 人生でもっとも優しさ溢れる30日にしてくれと、何度も、何度も、根気よく、お願いしたんだぞ? これが味方でなければ、一体、味方とは何なのか」


 マルクスは急にとても疲れた様子で言った。


「ああ? 意味分かんねーぞ?」

「だがそれでも、それでもだ。危険であることに変わりはない。それで、お前たちには守って欲しいルールが……」


「おいおい! 校長が俺ら躾けるのに犯罪ファミリーの奴でも雇ったのか? それともマフィアってやつか? マフィア先生かこのやろう? 面白い、上等だクソ! マフィセン上等だぞ!」


「落ち着け。犯罪ファミリーならどれだけ良かったことか。マフィア先生ならどれほど、心が安らいだことか。本来この仕事は自分が個人的に受ける予定だったんだ。自分はかつて、バツ組の教官をしていたからな」マルクスは小さく首を振った。「とにかく、教官はマフィア先生より恐ろしい。だからルールを……」


「はっはー! 聞いたかヴィク! マフィアより恐ろしいってよ!」

「なんですかそれ? 魔王でも連れて来たんですか? 魔王先生? 笑えます」


 トンミもヴィクトールも、まだ恐怖を知らない。

 彼らは昨日のギャング、あるいは昨日までのリュシと同じく、まだ本物の恐怖に出会っていないのだ。


「おい、真面目に聞け。命は惜しいだろう?」


 マルクスが酷く真剣に言った。

 あまりにも切実だったので、トンミもヴィクも怪訝な顔をした。


「いいか? 逆らうな。自分に言えるのはこれだけだ。いいな? 本当に、本当に大事なことだからもう1度言うぞ? 逆らうな。絶対に逆らうな。優しくするように説得はしている。だが、だがそれでも、お前たちに教官の優しさが伝わるかは微妙なところだ。いいか? 黒い物も教官が白と言えば白だ。教官が全裸で踊れと言ったら全裸で踊れ。間違っても反抗的な態度を取るな? お前、椅子に座るんだ。そんな態度で出迎えてはいけない」


 マルクスがトンミを指さす。


「はん。面白いじゃねーか。呼べよその魔王先生をよぉ!」

「……自己責任だぞ? 自分は注意喚起したからな?」


 マルクスは全てを諦めた風に、大きな溜息を吐いた。

 そして。


「団長、どうぞ」と言った。


「やっほー! みなさんお待ちかね! 臨時教官のアスラ・リョナだよ!!」


 クルクルと、踊るようにアスラが入室した。

 え? なんでそんな横に回りながら入室したの?

 誰もがそう思った。

 次に、リュシは「え? アスラ? 昨日の殺人犯? どうして? 生徒じゃなくて教官?」と頭の中に多くの疑問が浮かんだ。



「マルクスから優しくフレンドリーに接するように何度も何度も言われたからね、見たまえこの私の笑顔を! どう見ても優しい教官だろう!?」


 アスラは太陽のように、キラキラと笑っていた。


「いや、いやいやいや!!」トンミが苦笑いを浮かべながら言った。「ただのガキじゃねーか! なんだよ犯罪ファミリーより怖いって! アホか! つーかなんでガキが教官なんだよ! なんだこれ!? ジョークなのか!?」


「君、元気がいいね。自己紹介をしたまえ」


 アスラが相変わらずの笑顔でトンミに寄って行った。


「うるせぇよガキ! 帰ってママのおっぱいでも、しゃぶってろってんだ」


「うむ。私もそうしたいが、ママは旅に出てしまってね」アスラは遠くを見ながら言った。「美人で、深い闇を抱えたいいおっぱい……いい女だった。でもまぁ、とりあえず君は自己紹介したまえ。3度は言わんよ?」


「うるせぇってんだガキ! ジョークの時間は終わりだぜ? 魔法使いみたいな黒ローブなんか着やがって。ダセェんだよボケ! オラうせろ! ひん剥くぞ?」


 トンミは机から降りて、アスラの顔を覗き込むように言った。

 正しくは、アスラを威嚇しているのだ。


「私は優しいから、ちゃんと警告をしよう」


 そう言った次の瞬間、アスラはトンミの顔面を殴打した。

 トンミが吹っ飛んで、机を巻き込んで凄い音を立てながら教室を転がった。


「あんまり調子に乗っていると、次は痛い目に遭わせるよ?」


 つまり、今のは痛い目じゃないと?

 リュシは開いた口が塞がらなかった。

 でも、とリュシは思う。

 昨日のアスラの様子をリュシは知っている。

 確かにこれは、痛い目には程遠い。昨日のギャングがどうなったか、リュシは知っているのだから。あれこそが痛い目だと言われればその通り。

 痛みと恐怖で、脳が生きることを拒絶するような状況こそが、真の痛い目である。

 自分が何を考えているのか、リュシは段々と分からなくなった。


「て、てめぇ、ガキ……」


 トンミは鼻血を流しながら立ち上がる。

 足下がおぼつかない様子で、フラフラしている。


「俺にこんなこと、こんなことして、オヤジが黙ってねーぞ?」

「黙らせるから大丈夫」


 アスラは笑顔で言った。

 ああ、黙らせるってきっと本当に黙らせる気だ!


「オヤジは、出資者なんだぞ?」


 鼻を押さえながらそう虚勢を張るトンミは、酷く滑稽に映った。


「ああ、うん。だから?」


 アスラはキョトンと首を傾げた。

 本気で、心から、意味が分からない、という様子だった。


「……ふ、ふざけんな? 蒼空騎士団は、オヤジたちの出資で成り立って……」


「そうか。でも私には何の関係もない。自己紹介したまえ。あ、3度目言っちゃったね。今のは軽く小突いただけだけど、次はお仕置きするよ? いくら私が天使のように優しいと言っても、我慢の限界というものがある」


 なんて低い限界値っ!

 リュシはブルブルと震えた。

 トンミはアスラを見ていた。

 アスラはニコニコと笑っている。

 トンミはガクッと膝から崩れた。どうやら、ダメージがかなりあったようだ、とリュシは思った。

 むしろトンミはよく立ったなぁ、と。

 リュシだったらそのまま気絶しているに違いない。


「おいおい、大げさだなぁ」アスラが言う。「いくらなんでも、あの程度の殴打でそんなダメージ入らないだろう? 仮にも騎士見習いだろう君?」


「団……いえ、教官」マルクスが言う。「うちの仲間を基準にしないでください」


「え? でも……」

「でも、ではありません教官。見たところ、彼は受け身すら取れていませんでした」

「取る必要のないぐらい、緩い殴打だったからね」

「違います。我々にはそうでも、一般人には違うのです教官。だから優しくしろとあれほど……」


 マルクスは大きな溜息を吐いた。


「嘘だろう? こんなに優しくしてるのに、まだ足りないってのかい?」


 アスラは心底驚いた、という風に目を丸くした。

 本人は本当の本当に、優しくしているつもりらしい、ということだけはリュシにも伝わった。


「こんなの、一瞬で優しさがソールドアウトするじゃないか。私は優しさを根こそぎ徴兵して国家総力戦でもしなきゃいけないのかい?」


 ああ、神様、ゾーヤ様、これからの日々が不安です。

 リュシは思わず祈ってしまった。

 

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