第10話 大丈夫、優しくするから てゆーか、私はいつも優しいだろう?
「わぁぁぁ!! 出たぁぁぁ!」
「ちょ!? 待ちなさい! お菓子のお礼を言うだけよ!!」
走って逃げようとするアイリスに、スカーレットが慌てて声をかけた。
ここは神王城。その中庭。
アイリスは《杭打ち魔》の情報を資料にまとめて、メロディに渡したところだった。
そこに、スカーレットが顔を出したものだから、アイリスは全力で逃げようとしたのである。
「本当!?」
アイリスは立ち止まったが、【閃光弾】の準備はしている。
スカーレットに攻撃の意図がほんの僅かでも見えたら、いつでも光らせて、スカーレットの目を潰して、全身全霊を懸けて逃げる所存だ。
そう、アイリスは逃げ切る自信だけはあった。
戦っても今は勝てない。それは間違いない。だけれど、魔法兵として培った逃走技術を用いれば、全力を投じれば、逃げるだけならば可能だと信じている。
「まるで怪物に出会ったような反応」メロディがニコニコと言う。「あ、お姉様は怪物だった」
「うるさいわね。あんた、あとでぶん殴るわよ?」
スカーレットがメロディを睨む。
メロディは「なにそれ嬉しい」とワクワクした様子。
ちなみに、メロディはアイリスから受け取った資料を抱いている。
「……どういたしまして、それじゃあサヨウナラ」
「まだ何も言ってないじゃないの」
早くこの場を離れたいアイリスと、まだ話したいスカーレットの攻防。
「だいたいアイリスはさぁ」メロディが言う。「気軽にここに来る割に、ビビりすぎじゃない?」
「ふん! あたしは逃げる自信あるんだもの! でも、対峙したらやっぱり怖いのは仕方ないでしょ!」
「まぁ、逃げ切れる可能性は高いわね」スカーレットが肩を竦める。「あたしも追跡する技術は、それほど高くないのよ。とりあえず、殺さないし攻撃しないから、力抜いたら?」
「信じない」とアイリス。
はぁ、とスカーレットが溜息を吐いた。
「そういうの信じて酷い目に遭ったんだから!」アイリスが言う。「あれはアスラたちに初めて会った日……」
「アスラと一緒にされるのは、さすがに不愉快だわ」
スカーレットが引きつった表情で言った。
「わぁぁぁ!! 怒ったぁぁぁ!」
「怒ってないわよ! 逃げるな! ちょっと!?」
アイリスはダッシュでスカーレットから距離を取った。
スカーレットは追わなかった。
そしてまた溜息。
「なるほど。あんた、アホなフリして安全な距離を確保したわね?」
「ありゃ? バレちゃった?」
アイリスが少し驚いた風に言った。
だけどさっきと違い、アイリスには余裕が生まれている。
もちろん、左手に集めた魔力はそのままだ。【閃光弾】だけはいつでも撃てるようにしておく。
「そういう姑息な手法、アスラに習ったわけね?」
「そう。あたしは魔法兵だから」
アイリスの雰囲気が少し変化した。
さっきまでの間抜けな気配は消え、凜とした佇まいに。
その変化に、スカーレットとメロディが少し目を見開いた。
魔法兵にとって大切なのは生き残ること。最後まで自分の命を諦めないこと。全力を尽くし、それでもダメなら活き活きと死ぬこと。
「元々は同じ人間なのに、こうも違うのね」
スカーレットはしみじみと言った。
「最初はあたしも魔法兵になんか、なりたくなかったわ。アスラたちのことだって嫌いだったのよ?」
おどけたように、アイリスが笑った。
「それより気になるんだけど」メロディが言う。「私とアイリスってどっちが強いのかな? 試してみない? ねぇ? 試そう?」
メロディはやや興奮していた。
アイリスの雰囲気の変化が、メロディをその気にしたのだ。
「いきなり!?」とアイリス。
「別に突然じゃないよ?」メロディが言う。「前から気になってたし。魔法兵になったアイリスは、きっと私ともやり合えるはず」
「ちょっと黙ってて?」スカーレットが呆れ顔で言う。「あたし、いつになったらお礼が言えるのかしら?」
「……はぁい」とメロディ。
だが非常に残念そうだった。
アイリスはしばらく神王城を訪ねるのはやめよう、と思った。
今後はメロディに戦闘をせがまれる可能性が高い。
「まぁそういうわけで」スカーレットが言う。「美味しかったし、懐かしかったわ、チョコスティックケーキ。ありがとうアイリス。あなたが優しいままで、少し複雑だけど、嬉しい気持ちもあるわ」
「なんなら、また持ってきてあげるわよ?」
アイリスが言うと、スカーレットは首を横に振った。
「次は殺すわ」
「なんでよ!?」
アイリスは今日1番、いや、30日以内で最も驚いた。
「だって、悲しくなっちゃうんだもの。だからね? ありがとう、でも二度とごめんよ。次は殺す。あたしの心に踏み込むような真似は二度と許さない」
スカーレットとアイリスはしばらく見詰め合った。
「きゃっ! 自分同士で恋とか芽生えたりする!?」
メロディが楽しそうに言った。
そのふざけた発言で、アイリスもスカーレットも溜息を吐いた。
まったく同じタイミングでの溜息だった。
「ま、いいわ。帰りなさいアイリス」スカーレットが犬を追い払うように手を振る。「どうせ敵対するのだから、馴れ合う必要はないわ」
「そうね。悲しいけど、仕方ないわね」アイリスが言う。「ところで、次はいつ動くのかしら? 教えてくれると、助かるのだけど?」
「図々しいわね……」スカーレットが苦笑い。「でも、どうせ調べは付いてるんでしょ?」
「思ったほど内政が安定してないから、秋頃まで動かない、と予想してるわね」
イーティスが周辺諸国を勢いよく併合しまくった弊害だ。
「ご名答。前にやった時は、恐怖で押さえつけてたんだけど、今回はあまり、それをしたくないのよね」
「自分がいなくなったあとの統治も考えてるから?」
「そうよ。なんだかムカつくわ。その年齢で頭がいいなんて」
スカーレットはムスッとした様子で言った。
本気で怒っているわけではなく、ただ羨ましいと感じているだけ。
今のスカーレットはそれなりに賢いが、それはアイリスの倍近い人生経験によるものだ。
「褒めてくれてありがと。それじゃあ、今度は秋に会いましょう。願ってはいないけれど」
「ええ。戦場でね、アイリス」
◇
「護衛任務はまだしばらく続きそうですか?」
トラグ大王国の王城で、マルクスが言った。
「そうだね。まだバタバタしているから、その隙を突いてネーポムクやデリアを狙う奴があとを絶たない。何か問題かね?」
アスラはマルクスの隣で言った。
ここは会議室で、デリアが文官たちに交じって話し合いをしている。今後の国家運営についての話だ。
アスラとマルクスは壁にもたれるようにして、会議室全体を見ている。
ちなみに、新たに国王となったネーポムクにはラウノとグレーテルが付いている。
イーナはずっと情報収集中。未だに奴隷解放に難色を示すというか、反対している連中もいて、その中には過激な者も交じっているからだ。
そういった旧国王派の残党たちが、デリアとネーポムクを襲撃する計画が今日までに2回あった。もちろん叩き潰したけれど。
「個人的な依頼の手紙が届きましたので、もし可能なら受けたいと思っております」
「個人的な依頼?」
「ええ、実は……」
「いや言うな。当てる。エステルか……」アスラはマルクスの表情を見ながら言う。「違うね……ならば蒼空騎士団絡み……ふむ。ミルカ・ラムステッドかな?」
東の大英雄にして、蒼空騎士団の団長。それがミルカだ。
「表情に出ていましたか? 無表情を貫いたつもりだったのですが?」
「正解して良かった」アスラが小さく肩を竦めた。「君の無表情は完璧。表情を読めなかったから、推理したんだよ」
「なるほど」とマルクスが頷く。
「内容も当てようか?」
「やってみてください。自分は無表情を貫きます」
「そうだねぇ。君はかつて、団長候補だった……」アスラはゆっくりとした口調で言う。「でもそれは関係なさそうだね。私が君をうちに誘った時、君は教官だったね? 教官としての君は、私の次ぐらいに優秀だから、ふむ。なるほど。騎士学校の問題児の扱いについて、助言か……いや、実際にどうにかしてくれと頼まれたかな?」
「正解です。推理ですか?」
「多くは。あとは身体全体を観察した。顔は無表情だったけれど、全身無表情ってのは難しい。どこかが微かに反応することはある」
「さすがですな」
マルクスがフッと微笑む。
「実に面白そうな依頼だから、私も行きたいな」アスラが言う。「自分で言うけど、私は教師に向いてる。何かを教えるのは得意だよ?」
「ええ。そうですな。それで? 自分は依頼を請けても?」
マルクスはアスラの猛烈なアピールをスルーした。
アスラの訓練に騎士見習いたちが付いてこれるとは思えないのだ。
「請けるなら《月花》として請けよう。私も参加したい。剣の腕がやや微妙なレコも連れて行って、一緒に鍛えたいしね」
「それは良い考えですが……」マルクスが思案顔を浮かべる。「しかし、相手は蒼空騎士団の出資者の子息や令嬢で、追い出すことも厳しくすることも難しいので……」
「うん、楽しそうだね」
アスラはニッコニコの笑顔で言った。
あ、これは、絶対に一緒に来るパターンだな、とマルクスは思った。
「大丈夫。優しくするから」
団長の優しさが伝わるだろうか、とマルクスは思った。
アスラが行くと何かしら揉めそうな予感がしたので、マルクスは最後の足掻きとして今の任務に言及することに。
「……デリアの護衛はどうします?」
「イーナとロイクを回して、サルメに情報収集を任せよう」
「そうですか……。何も問題ないですね……」
これはもう仕方ない。アスラが《月花》の団員にするような訓練をしないよう、言い含めるしかない。
その上で、一切目を離さず見張るしかない。
団長であるアスラを諫めるのは、副長の役目なのだから。
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