第8話 彼女の笑顔は毒の味 私らに禁忌などない、死ね
トラグ大王国の王は、ゆっくりと玉座に戻った。
そして精一杯の見栄で、背筋を伸ばした。
そして闖入者たちに視線を移す。
銀髪の少女、アスラ・リョナ。極悪非道の傭兵。
体格のいい男、マルクス・レドフォード。同じく傭兵。
身なりのいい男、元宰相。すでに解雇していて、今は奴隷解放運動の指導者的な立ち位置に納まっている。
美しい元奴隷、デリア・ケッペン。革命の旗印。
顔のいい男。誰か知らないが、顔がいいので目立つ。
そして、宰相派の兵士たちと義勇兵が数名。
「王よ、すでに大勢は決した」
最初に口を開いたのは、元宰相。
「はん! アンタら頭悪いだろ!?」ノーラが笑う。「ここでアタシが、王の命令でアンタらを皆殺しにすりゃ、それでこっちの勝ち!! 今まで通り、奴隷どもをこき使えるってなもんさ!」
ノーラはすでに双剣を抜いている。だがまだ構えてはいない。
文官たちは壁際へと避難していて、武官たちは一応、剣を抜いている。
だが、この場で役に立つのは英雄のノーラだけだろう、と王は思っていた。
「まぁ待てノーラ」
しかし王はノーラの動きを牽制。
今は少しでも時間を稼ぎたい。ヨーゼフさえ戻れば、あの大英雄候補さえ戻れば、ここからの逆転も不可能ではないのだ。
「ああ?」
ノーラは酷く不愉快そうに顔を歪めた。
王は少しビクッとなったが、すぐに表情を戻す。
「わざわざ、ここまで来たのだ。元宰相の主張を聞こう」
王が言うと、元宰相が一歩前に出た。
「即時、降伏を。そうすれば、あなたの処分は国外退去で済まそう。他国にパイプぐらいあるだろう? それを頼って、あとは大人しく余生を過ごせばいい」
堂々とした声。すでに勝ったと思っている者の態度。
王はそれが面白くなかった。
「まだノーラがいる」王はノーラをチラッと見る。「それともまさか、英雄たるノーラをこの場で倒せるとでも?」
殺すという言葉は使わない。英雄を殺すなど有り得ないからだ。
「ふふっ、なんのために、私たちがいると?」
ニヤニヤと、悪意たっぷりの笑顔でアスラが言った。
「笑わせるな傭兵」ノーラが言う。「この謁見の間で、まともに戦ってアタシが負けるわけねぇ。街中ならいざしらず、こんな開けた部屋で、アタシが負けるわけねぇ」
ノーラの言葉に、王も賛同する。
確かに《月花》は恐ろしい。恐ろしく強く、そして冷酷だ。王たちが敗戦寸前の状況まで追い込まれたのも、だいたい連中のせいだ。
だが、それでも、正面から戦えば英雄の方が強いはずだ、と王は思った。
その瞬間だった。
突然、胸が苦しくなった。
尋常ではない苦しさに、王は玉座から滑り落ちた。
そして床に転がり、もがく。
何がどうなっている? どうしたというのだ?
毒? まさか毒?
しかし、侍女が毒味をしたはずっ!
混乱する思考の中で、止まりそうな呼吸の中で、王は最後に侍女を見た。
黒髪の侍女が薄く笑っていた。
◇
突然、王が苦しみ出して、そしてそのまま死んだ。
更に、ノーラまで同じように苦しみ始めた。
デリアには意味が分からなかった。
何が起こったというのです?
「貴様ら……」
ノーラが酷い形相でデリアを睨んだ。
デリアは「ひっ」と後ずさってしまう。しかしすぐに、アスラがデリアとノーラの間に立つ。
そのおかげで、デリアは冷静さを取り戻せた。
「こんな……認めねーぞ……」もがきながら、ノーラが言う。「毒なんかで……ちくしょう……汚ねぇ……貴様ら……」
ノーラはそのまま息を引き取った。
「ほう。英雄と言っても、やはり人間」アスラが淡々と言う。「毒を飲めば死ぬんだね」
「あ、あなたが毒を!?」
デリアはアスラの背中に声をかけた。
アスラは振り返り、心外だ、という風な表情で言う。
「いや、私ではない。よって、私の仲間でもない。君の采配じゃないなら、宰相閣下かな?」
アスラが宰相に視線を移すと、宰相は首を横に振った。それも全力で。
「ふむ。では別の誰かの思惑だろう。でも、私たちにとっては悪い結果じゃないね」
「やれやれ」マルクスが言う。「英雄と戦うのを楽しみにしていたのですがねぇ」
「私もそうだよ。英雄をぶっ殺さないまでも、戦闘不能にしたら私らの評判が上がるからね」
マルクスもアスラも本気で落胆しているように見えた。
本当に毒は別の誰かが仕込んだのだ、とデリアは結論を出す。
暗殺など許される行為ではないが、自分では犯人を見つけるのは無理だろう、とデリアは思っている。
「おい! 侍女! 貴様ら! 貴様……?」
剣を持った武官が、茶髪の侍女に詰め寄った。
しかしラウノが即座に間に入った。
「この子が毒を入れたとでも? 何か証拠でも?」ラウノが冷たい声で言う。「短絡的な思考は命を落とすことになる。それとも、僕は弱そうに見えるかい?」
ラウノはすでに短剣を武官の顎先に当てている。
武官が引き下がる。
「それと、勝手に発言しないように」ラウノが言う。「これは命令だよ。刃向かったら殺す。君らは敗者だ。沈黙していろ。か弱い侍女を責めようなんて二度と考えないことだね」
あれ? とデリアは思った。
侍女は1人だったかしら?
よく見ていなかったのだが、2人いたような気がしたのだ。
しかし、侍女は1人しかいない。見間違いか、とデリアは小さく首を振った。
「ともかく、これで終わったのですね……」
ホッ、と息を吐いた。
「違う、ここからだよ」アスラが言う。「宰相閣下と君で、国を立て直さないといけない。少なくとも、王都は酷い有様だし、元に戻すには5年はかかりそうだけどね。まぁ、遷都した方が早いんじゃないかな?」
アスラの言葉は正しい。しばらくは王都の機能を別の都市に移した方がいい。
デリアが小さく頷く。
「それに、英雄が死んだのが問題だね」アスラが言う。「経験あるけど、犯人探しは苛烈になるよ?」
「……そう、ですよね……」
明らかに、そう、これは明らかに、デリアの仲間の犯行だ。直接的な仲間じゃないにしても、熱心な宰相派であり奴隷解放賛成派。
他には考えられない。なんせこのタイミングだ。誰がどう見ても、こちら側の仕業なのだ。
「まぁでも、毒で死んでくれて良かったんじゃない?」ラウノが言う。「僕らも、殺さないように注意はするけど、万が一ってこともあるしね。戦ってたら、ってことだけど」
傭兵団《月花》の恐ろしい部分は、相手が英雄でも引かないことだ。
なんなら、無力化できると思っている。まぁ実際、大英雄候補のヨーゼフを無力化した。
今、勝利できたのはそのおかげである。
「だが疑われるだろうな」マルクスが言う。「前回、英雄が死んだ時も我々が近くにいた」
「まぁ、証拠はないし、殺されやしないさ」アスラが言う。「実際、私らは関係ないしね」
「……英雄による取り調べも含めて」デリアが言う。「もうしばらく、後処理が終わるまで、護衛を頼めますか?」
「もちろん構わないけど、追加料金は貰うよ」アスラが明るく言う。「とりあえず、そこの文官たちと武官たちは捕縛した方がいい。謀を行える立場だからね。侍女はもう行っていい。私の見立てじゃ、その子は普通の子だよ。仮に毒が食事に入っていたとしても、入れたのはこの子じゃない。見たら分かる」
「いや待て」宰相が言う。「念のため、侍女も拘束しておく。英雄たちの取り調べで、当然、この場にいた侍女も調べるはずだ」
「ふむ。それもそうか」
アスラはアッサリと引き下がった。
内戦への積極介入の時とは真逆の態度だ。でも不思議ではない、とデリアは思った。
傭兵というのは、本来は戦争が得意分野なのだから。
ともかく、これで革命は成った。
3日後には宰相が新たな国王としての演説を行い、デリアが宰相としての演説を行った。
◇
ノーラが最後に見たのはアスラの口パクだった。
「し・ね」
心底から楽しそうな、笑顔を添えて。
ノーラにだけ、見えるように。
◇
「団長……始末したよ」
アスラの隣に音もなく立ったイーナが言った。
ここは処刑広場で、今はデリアが新宰相として演説を行っている。
課題が山積みであることや、奴隷の解放など、凜とした声で喋っている。でも顔には少しだけ、疲れの色が見て取れた。
周囲にはたくさんの人が集まっている。
デリアたちの近くにはマルクスとラウノが立っていた。ちなみに、アスラは民衆に紛れている。
「お疲れ。死体は?」
「……消した。今頃……愛しのゴジラッシュと、キンドラの……胃の中……」
あの日、謁見の間にいた文官武官たちのことだ。彼らはイーナの姿を見ている。だから殺した。
彼らはラウノに脅されて沈黙していたが、英雄の取り調べが始まったらペラペラ喋るに違いない。
イーナはフードを被っていて、顔が周囲に見えないようにしていた。
「さすがだよ。私は私の部下が優秀すぎて鼻が高い」
「……て、照れる……けど、ラウノにも、ちょっと手伝って……もらった」
「そうか。侍女は?」
「大丈夫……。予定通り、サンジェストに逃がした……」
イーナに協力していた茶髪の侍女のこと。彼女には多くの金を渡し、協力者として動いてもらった。
特に何ができるわけでもない、普通の奴隷の侍女だった。でもだからこそ、誰にも疑われなかった。
「つまり、捕らえていた者たちが煙のように消えた、ということだね?」
「……そう」
イーナが強く頷いた。
「ふむ。では、あとは前と同じだね」
「……シラを切れ?」
「そう。ノーラを殺した者が見つかることはない」
「……ふふっ……。毒っていいね……。戦闘能力に関係なく、殺せるから……」
ちなみに、毒味でイーナも毒を体内に取り入れている。
だけれど、傭兵団《月花》の正規の魔法兵に毒など効かない。すでに耐性がある。
まぁ、効かないというのは少し過言だけどね、とアスラは思った。
正確には、一般人より遙かに効き辛い、という程度。
「そうだね。経験あるからよく分かるよ」
アスラは過去に毒を受けている。初めましてのシルシィと話をしていた時のことだ。
実に懐かしい、とアスラは思った。
その時に、絶対に毒に耐性を付けようと決めたのだ。
ちなみに、マルクスは固有属性を得たが、回復魔法は今も解毒や消毒、自然治癒力の向上だ。基本属性の時よりも、遙かに効能が上昇しているけれど。
「あ……そういえば、大英雄2人が……向かってる」
「知ってる。正式に国を離れるなと厳命されてる。私らも、宰相派の連中もね」
すでに今朝には書状を受け取っている。
「ヨーゼフは……ブチ切れてるけど……なんとか自分を抑えてる感じ……」
「そうか。また私ボコられるパターンかな?」
「……それは、あたしらが嬉しいけど……」
イーナが可愛らしく笑った。
「まぁ、まだ任務は終わってないし、大怪我をする気はない。君も、引き続き情報収集を頼むよ」
「……時には特殊工作も?」
「もちろん」
「あい」
可愛らしく返事をした2秒後には、すでにイーナは消えていた。
さぁて、英雄たちとの話し合いが楽しみだね。
これで、傭兵団《月花》は英雄を2人殺したことになる。
衝動的に、そのことをアイリスに伝えたくてたまらなくなった。
「……我慢だよ、まだ早い、まだ早いよ……」
アスラは両手で自分の肩を抱いて、ブルッと震えた。
アイリスと戦う前に、やるべきことが多い。
それに、とアスラは思う。
アイリスはきっと、将来はスカーレットを超える。
ならば、その時が収穫の頃合いか。
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