第3話 アスラVS英雄 たまには正面から戦おう(実験)


 アイリス・クレイヴンは実家でダラダラと過ごしていた。


「おはよー」


 アイリスはパジャマ姿で寝癖も酷い。


「もうお昼前よアイリス。ちょっとあなた、緩みすぎじゃない?」


 アイリスの母が苦笑いしながら言った。

 ここはクレイヴン家の小さな屋敷。そのリビングルーム。

 ちなみに、リビングはキッチンと繋がっていて、母はキッチンで何かしていた。


「だってぇ、久々のまとまった休暇だしー」


 言いながら、アイリスはソファに座り込んだ。

 父の体調が悪いという話だったが、思ったほどでもなかった。

 それで安心して、アイリスは気が抜けたのだ。

 まぁ、戻ってからずっと抜けっぱなしなのだけれど。


「お父様がね、今日はまた領地運営を教えたいって言ってたわよ?」と母。


「はーい。お昼からでもいいでしょ?」


「ふふっ、いいわよ」母が笑う。「それにしても、お父様驚いてたわよー? まぁ私もだけどね?」


「ん? 何が?」


 アイリスが小首を傾げた。


「だってあなた、勉強できるようになってたから」母が苦笑い。「学校の成績、あなた逆から数えた方が早かったじゃないの」


「で、でも運動はいつも1番だったわよ!?」


 アイリスが慌てて、自分のいいところを言った。


「そうよねぇ。アイリスは本当、小さい頃から元気だったわね」母は昔を懐かしむ風に言った。「それが今じゃ、英雄だものね。その上、苦手だった勉強もできるようになって、領地運営のこともどんどん吸収してる。本当に凄い」


「……そんなに褒められたら、照れるんだけど……」


 アイリスは頬を染めて、クッションを抱き締めた。

 それから、小さく深呼吸して言う。


「アスラにさぁ、記憶の宮殿を教わったから……」

「記憶の宮殿?」

「そ。記憶術の1つ。頭の中で宮殿……まぁ実家とかでもいいけど、そういうのを創り上げるのね」


「宮殿に住んでみたいわね」と母。


「でね? その宮殿内を歩き回るの。頭の中で。それで、色々な情報を色々な場所に設置して、毎日そこを歩けば、忘れない。たとえばだけど、キッチンには神典を置いておく。キッチンの鍋には第1章、包丁には2章。みたいな」


「……アイリス、あなた神典を暗記してるの?」


「うん。記憶術の練習用だけどね」アイリスが肩を竦めた。「個人的な興味はないわね。他にもストーリー記憶術ってのも教わったわ。例えば、星と月と花と6と1400年とアスラを記憶したい場合、それらを含めた簡単なストーリーを作るの」


「作家さんみたいに?」

「そう。夜の闇の中で、まん丸な月とキラキラの星が輝いて、その光を6輪の花が反射して1400年間ずっとずっと輝いていたけど、アスラが容赦なく踏み潰した」

「踏み潰されちゃったの!?」


 母が驚いた風に言った。


「うん。インパクトがある方が覚えやすいから」

「確かに、私も覚えちゃったわ。お月様と、星、それから花が6輪と1400年。最後にアスラちゃんが踏み潰す」

「ね? 覚えやすいでしょ?」

「すごいわね」


 母がニコニコと言って、オーブンを開ける。

 オーブンは高価なので、まだそれほど普及していない。貧乏領主の収入で購入したのではなく、アイリスが《月花》で稼いだ金で送ったのだ。

 ちなみに、アイリスは《月花》への借金100万ドーラを全額返している。


「わぁ! チョコレートの匂い!」


 アイリスが興奮して立ち上がった。

 クッションは抱いたまま。


「チョコスティックケーキよ。今日のおやつ用」

「お昼の代わりに食べていい!? ねぇいいでしょ!?」


 アイリスは母に寄っていき、子供のようにおねだりした。

 母は苦笑いしながらも「仕方ないわね」と許可した。


「あ、そうだ」アイリスが思い付いた、という風に頷く。「いくつか包んで貰えない? プレゼント用に!」


「いいわよ。もしかして、殿方?」

「ち、ちち、違うわよ! 何言ってんの母様! あたし、まだそういう人、いないし!」


 アイリスは慌てて両手を振ったので、クッションが床に落ちた。


「そうなの? あなた可愛いのに、おかしいわねぇ」


 母は心配そうに首を傾げた。


「あたしが可愛いのは知ってる!」アイリスがふんす、っと胸を張る。「ちゃんとモテてるから大丈夫! でも今は誰ともお付き合いする気がしないの!」


 男からも女からもモテモテ、とは言わない。

 ちなみに女はアスラのこと。アスラに何度か「君と愛し合いたい」と誘われた。断ったけれど。

 アスラが女好きなのは知っていたが、まさか自分も対象だとは。アイリスは酷く驚いたけど、なぜか悪い気分じゃなかった。


「あらあら。お付き合いを始めたら、ちゃんと紹介するのよ?」

「分かった、分かったから早く包んで? 今から届けに行くから」

「……お庭のドラゴンで?」

「そう。あの子はキンドラよ。名前覚えてあげて」


 なぜかキンドラはアイリスに懐いている。それはもう、ベロンベロンと何度もアイリスを舐め回すのだ。

 そして今回、アイリスは途中まで馬で戻ったのだが、追って来たキンドラが馬を食べてしまったのだ。

 アイリスが休憩中に、目を離した隙に。だから仕方なく、キンドラに乗って戻った。

 領地が軽いパニック状態になったが、アイリスが顔を出すことで収まった。

 で。

 キンドラはそのままアイリスの屋敷の庭に居座っている。


「本当に、本当に、人を襲わないのよね?」

「大丈夫。アスラとティナが超絶厳しく躾けたから、涎垂らしてても許可がないと人は食べないわ」


 人以外は、お腹が空くと勝手に食べるけれど。

 人を食うのに飽きられちゃ困る、とアスラは言っていた。

 ドラゴンは雑食だから、人も食糧の1つでしかない。まぁ割と美味しいみたいだけど。

 死体の処理をさせるからね。必要な時に食べないと困るから、普段は制限しておくのさ。とはアスラの談。

 うまいこと考えたわね、とアイリスは思った。

 アイリスがもし、チョコを我慢させられたら、食べてもいいって言われた時は喜んで思いっ切り食べる。間違いない。


「出かけるなら、ちゃんとしなさいね?」母が言う。「それと、なるべく早く戻ってお父様のところに行ってあげてね?」


「はぁい! 準備してくる!」


 アイリスは急いで自分の部屋へと向かった。


「あ、こら、クッション……」


 母は溜息を吐いてから、アイリスが放置したクッションをソファに戻した。


       ◇


 アスラはデリアと一緒に処刑広場へと向かっていた。

 デリアの日課である自由と平等の演説を行うためだ。

 通りを歩くデリアの周囲には、アスラ以外にも勇士が集まってデリアを護衛している。

 勇士たちの多くは奴隷か元奴隷だ。

 ちなみに、グレーテルは一緒だがラウノとイーナはここにいない。

 ラウノは宰相の護衛で、イーナは情報収集のため、王城に潜入している。

 イーナの情報では、英雄が2人とも敵側に付いたとのこと。

 一応、英雄が動くということで、アスラは増援を呼んだ。到着は今日だ。


 敵側に付いた英雄たちの名前も容姿も、イーナの報告で知っている。

 運が良ければ、今日ぐらいに会えるかもね、とアスラは思った。

 そしてその予感は的中する。

 処刑広場はいつものように多くの人で賑わっていた。もちろん憲兵たちも多数出ていて、暴動などを警戒している。

 いつもと違うのは、デリアが演説をする舞台の上に、オレンジの髪の女が立っていたこと。

 女は巨大な剣を舞台の床板に突き立てて、その隣に立ってアスラの方を見ていた。

 デリアではなく、アスラを見ていた。


「グレーテル、デリアを連れて隠れ家に向かえ。いつもの酒場じゃなくて、私らが用意した隠れ家の方」

「了解ですわ」


 グレーテルも異変には気付いている。

 オレンジの女がジッと見ているのはアスラ。


「わたくしは逃げません」


「うるさい。邪魔だから行け」アスラが鋭い声で言う。「死なれちゃ困る。あの女は英雄だよ。名前は確か」アスラはオレンジの女と目を合わせる。「ノーラ・シューマン」


「英雄……」


 デリアがゴクリと唾を飲んだ。

 周囲の勇士たちも、少し怯んだ。英雄の称号は伊達じゃない。


「デリア、ここは素直に引きましょう」

「デリアさん、プロの傭兵が逃げろと言っています」

「デリアさん、命が大事です!」


 勇士たちが次々に言って、「分かりました」とデリアが踵を返す。

 ノーラは一切動かず、ずっとアスラを見ている。

 アスラもその場に立ったまま、ノーラを見ていた。

 しばらく周囲は沈黙していた。

 デリアとグレーテル、そして勇士たちの姿が見えなくなった時、ノーラが笑った。


「アスラ・リョナだろう! 銀髪のガキ! このアタシを前にして、視線を逸らすこともなく、逃げる素振りを見せないのはさすがだね! おっと! もしかしてビビりすぎて動けないだけとか!?」


 ノーラが言うと、野次馬に集まっていた者たちが雄叫びを上げた。

 当然、雄叫びを上げたのは奴隷解放に反対している連中。


「アンタが護衛してるクソ女はねぇ! この国の法に背いてんだよ!」ノーラが言う。「奴隷の解放!? バカ言うんじゃないよ! 奴隷は大切な財産さね! 解放されてたまるかって話さ!」


「そうだ! そうだ!」と野次馬たち。


 奴隷解放の賛成派もいるようで、野次馬たちの間で小競り合いが発生。


「こらぁ!!」ノーラが叫ぶ。「騒ぐなボケ!! アタシの剣のサビになりてぇのかよ!! ぶっ殺すぞ!! こちとら、噂の傭兵団長様と戦えるってなもんで、興奮してんだよ! ウッカリ、アンタらも巻き込んじまうよ!? これは王命だからね! 巻き込まれても自己責任だよ!」


 ノーラが言うと、野次馬たちが沈黙し、次の瞬間にはザッと舞台から離れる。

 広場の外まで野次馬たちは引いたが、それでも戦闘という名の娯楽を楽しみたいのか、家に帰ろうとはせず、そこで見ていた。


「やれやれ」アスラが小さく首を振った。「王命は私の抹殺じゃなくて、デリアの抹殺だろう?」


「うっさい! アンタを殺せば、あとはゴミ虫の集まりさね! もう1人の英雄がなんとかするって話よ! アタシはアンタ! アタシの目的は、ただアンタを殺したいってだけさ! この新作、ノーラエッジでね!」


 ノーラは舞台に突き立てていたグレートソードの柄に手を伸ばし、グレートソードを持ち上げ、構える。


「ふん。君は任務より楽しみを優先するタイプのようだね」アスラが言う。「まぁいい。おかげさまで、デリアを巻き込むことなく戦える」


 アスラは腰の小太刀に手を伸ばし、柄を握り、深く呼吸する。

 そしてただノーラを見詰めた。

 アスラも少し試したいと思ったのだ。自分の今の実力が、果たして英雄に通用するのか。真っ正面からどの程度通じるのか。

 または、覇王降臨の実験的使用にちょうどいい相手だから。

 まぁ私が一撃入れるまでだ。あとは普段通り、いつも通りにただ殺す。

 正確には、戦闘不能にする。殺すならバレないように殺す必要がある。今はまだ。


「ああん? アンタ、卑怯な戦法使うってんで有名になったんじゃなかったかねぇ?」


 ノーラが表情を歪めた。


「私は生まれてから一度も、卑怯な真似をしたことがないし、嘘を吐いたこともないし、悪事に手を染めたこともないんだよ」


 アスラがヘラヘラと言った。

 そのヘラヘラ顔が癇にさわったのか、ノーラの表情に怒りが浮かぶ。

 次の瞬間、ノーラは闘気を使用して舞台から下りて、地面に着地したと同時に一気に踏み込んだ。

 ノーラはグレートソードを縦に振った。

 アスラは瞬間的に覇王降臨を使用して、横に飛ぶ。

 グレートソードが地面を抉る。とんでもない威力。明らかなパワー型だが、スピードが遅いわけじゃない。


 ただ、テクニックは微妙だね、とアスラはノーラを分析。

 ノーラは即座にアスラを追って、今度はグレートソードを横に振る。

 アスラは同じように覇王降臨を瞬間使用。

 身体を後方に反らして躱す。ほとんどブリッジした時のような極端な反らし方。

 グレートソードの刃がアスラのすぐ鼻先を掠めて横に走り抜ける。

 アスラはすぐに身体を戻すと同時に、再び小太刀の柄に手をやる。

 ノーラが今度は縦にグレードソードを振り下ろす。


 真上からの斬撃に対して、アスラはまた瞬間的に覇王降臨。

 小太刀を抜き、その刃をグレートソードに斜めに当てて、そして綺麗にスッと流す。

 ノーラが酷く驚いた風に目を丸くした。

 ノーラは少し崩れた。剣筋を強引に変えられたからだ。

 これがテクニックの境地。圧倒的なパワーで放たれた一撃を、冷静かつ確実に逸らして見せたのだ。

 お互いのテクニックに大きな差があったから綺麗に決まった。

 まぁ、覇王降臨でアスラ自身のパワーも割と上がっているから、体幹がブレないというのもあるけれど。

 グレートソードが地面を抉ると同時に、アスラは二の太刀でノーラに斬りかかる。

 ノーラはグレートソードを捨てて後方に飛んだ。


「ほう。武器を捨てて逃げるだけの知能はあるわけだね」

「アンタ、クソ強いじゃないか! 嬉しいねぇ! ただ卑怯なだけじゃないってのが、本当嬉しい! ぶっ殺した時、アタシの評判がまた上がるってなもんさ!」


 ノーラはツナギの前面が裂けている。正確には、アスラが二の太刀で裂いたのだ。

 それは皮膚にも到達しているが、致命傷とは遠い。

 まぁ、こんなもんかな、とアスラは納得。

 これ以上の覇王降臨の使用は、これからの魔法使用に影響が出る。


「てか、あんたの赤い闘気! ちょこちょこ使ってたけど! なんだいそれは!」


 ノーラは覇王降臨の存在を知らないようだ。

 メロディとアイリスが使うからか、東では割とみんな知っている。みんなというのは、英雄みんなという意味。

 その上、みんなそれを目指すようになったから厄介だ。

 まぁ、簡単に到達できる境地ではないのが救いか。


「実験に付き合ってくれてありがとう。本来の私の能力に比べたらカスみたいな戦闘能力だったけど、褒めてくれてありがとう。ここからは魔法兵として相手しよう」


 実験の結果は上々。

 使用回数を制限し、瞬間利用に限れば、覇王降臨で英雄とやり合える。

 これなら試合形式でもいい線いける。

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