第8話 私のヒロインを汚しかけたのだから 壊れる覚悟はできているかい?
アスラが神王を殺した3日後。
アスラはアーニア王国の貿易都市、ニールタの病院を訪れていた。
「アスラ来てくれたんだ?」
全身包帯だらけのアイリスが、病室のベッドに寝たままで言った。
「そりゃね。拷問を受けたって?」
アスラはいつも通りのローブ姿で、椅子に座った。
しかし位置が悪かったので一度立ち上がる。
「アホほど叩かれた上、焼き鏝までされて死ぬかと思ったわ」
アイリスは小さく首を振りながら言った。
アスラはアイリスのベッドのすぐ近くに椅子を置いて、そこに座った。
「君が生きていて本当に良かったよ。手紙を貰った時はさすがの私も硬直した」
「あたしが心配で?」
「そうだよ。君に潜入任務は少し早かったかもね」
アイリスは大切な果実。
甘くてとろける素敵な果実。
こんなところで、失ってたまるか。
「そうかも……」アイリスは少し悲しそうに言った。「危うく、殺しちゃうところだったの……」
「でも殺さなかった?」
「うん。憲兵に任せた。でも殺したかった。痛くて痛くて、泣いちゃったし、漏らしちゃったし、本当に心から殺してやりたかった……」
「ああ、アイリス。それでも手を汚さなかった君は本当に美しいよ」
アスラは思わず手を伸ばし、アイリスの頭を撫でた。
これは常人たちの感じる愛しいという感情に近いはずだ、とアスラは思った。
そう。愛しいのだ。どれほど過酷な目に遭っても闇に落ちないアイリスが愛しい。誰も殺さなかったアイリスが愛しい。
生涯、アイリスが殺すのは私だけでいい。私だけを殺して欲しい。
あるいは私だけが、綺麗なままのアイリスを殺すのだ。
「何それ? 照れるんだけど……」
アイリスが頬を染めた。
アスラは撫でるのを止めて、手を引っ込める。
「思ったことを言ったんだよ、私は」アスラは心から優しい声を出した。「傷跡はルミアに頼んで消してもらおう。でも今、ルミアはラヘーニにいるんだよね。ユルキの友人も火傷の痕が酷いらしくて、ルミアに傷跡を消して欲しいんだってさ」
「あたしは自分で消せるわよ? 時間かかるけど」アイリスが言う。「今だって、毎日MPが尽きるまで回復魔法かけてるんだから」
「そりゃいい。MPは使えば使うほど、固有属性に近づくからね。よし、じゃあ君は自分で傷跡を治すんだ。うちに戻るのはそれからでいいよ」
「アスラが優しすぎて、あたしちょっとビビってるんだけど?」
「君の潜入を許可したのは私だしね」アスラが肩を竦めた。「とはいえ、君が負けるほどの相手だとは思ってなかったよ、正直ね」
「それはあたしも」アイリスが溜息を吐いた。「だけどボスの人、強いかどうかまだ分からないのよね。あたし、思考を鈍くされたから、それで負けた部分も大きいのよね」
「なるほど。もっと詳しく話してくれるかい?」
「もちろんよ」
アイリスは潜入してから今に至るまでの出来事を丁寧に説明した。
その時に、執事の孫が人質にされていることも伝えた。
更にその人質を助けて欲しいことも。
ちょうど説明が終わった頃に、レコがフルーツのバスケットを持って病室に入った。
「アイリス元気?」
レコは言いながら、サイドテーブルにバスケットを置いた。
レコの肩にはレコ人形が乗っている。
「元気よ。復帰はまだ無理だけどね」
「そっか。早く良くなってね? オレも鬼畜じゃないから、今は胸は揉まないよ?」
「ずっと揉むなっ!」とアイリス。
「ふふっ、代わりに団長の胸を……あ、ないや……痛いっ!」
アスラが立ち上がり、レコの頭にチョップした。
「うぅ……今度絶対、乳首引っ張ってやる……」
レコがボソッと言った。
アスラもアイリスも聞こえないフリをした。
「さて、それじゃあ私らは帰るけど、迎えが欲しくなったら手紙をおくれ」
「え? もう帰っちゃうの?」アイリスは寂しそうな表情を浮かべた。「もうちょっと居てもいいのに……」
「オレとか、見舞いの品を買いに行って、そして届けて置いただけ!」
レコはアスラと一緒に貿易都市ニールタまで来た。
しかしアスラの命令で、先にバスケットを買いに行ったのだ。
「心配しなくても、また見舞いに来るよアイリス。私以外のみんなもね」
「そんなに寂しいなら、今度オレが一緒に寝てあげるよ?」
「それは遠慮! あんた何するか分かんないし!」
「よし、じゃあまたね」
アスラが小さくを手を振った。
レコも「ばいばい」と手を振った。
2人が病室の入り口へと移動する。
「ねぇアスラ」
アイリスはアスラの背中を見ながら呼び止めた。
「なんだい?」
アスラが立ち止まって振り返る。
合わせてレコも立ち止まる。
アイリスはしばらくアスラと見詰め合って、だけど首を横に振った。
「なんでもない。呼び止めてごめん。寂しかっただけ」
「そうか」
アスラは優しい笑みを浮かべてから、レコと病室を出た。
アイリスは溜息を吐いて、天井を見る。
あの日からずっと意識していることがある。あの日からずっと疑っていることがある。
エルナが狙撃の練習をしたあの日。
たぶんエルナも、アイリスと同じことを考えたはずなのに。
でも何も言わなかった。アイリスも言わなかった。
ねぇアスラ、本当はマティアスさん殺したのよね?
その質問を、アイリスは飲み込んだのだ。
嘘でもアスラが否定してくれるなら、それはそれでいい。
だけど。
もしも、もしもアスラが笑顔で「そうだよ」って言ったら、どうしていいか分からないから。
◇
アスラとレコは地下牢にいた。
「君が偶然こっちにいて助かったよシルシィ」
「いえいえ。行動分析隊も特殊部隊も、素晴らしい実績をあげています。このくらいは問題ないでしょう。どのみち、ほぼ死刑が確定している者どもですし」
アスラとシルシィは地下牢を奥へと歩いた。
「少しは柔軟になったようだね」とアスラ。
「アスラと関わったからです。あと、彼らがクズだからですね」シルシィは淡々と言った。「本来の彼らの罪も、けっして軽いものではないです。その上で、英雄を監禁、拷問ですからねぇ。こちらとしては、死刑の確定から執行までの経費が浮きますので、大変助かります」
英雄の案件にすることもできたが、アイリスが望まなかった。普通に法で裁いて欲しいとアイリスは言った。
シルシィはある牢の前で立ち止まって、鍵を開けた。
そして鍵束から2つの鍵を取ってアスラに渡す。
「隣の鍵と、その隣の牢の鍵です」シルシィが言う。「ご自由にどうぞ。ただ、夜までには帰って頂けると助かります」
それだけ言うと、シルシィは元来た道を歩いて戻った。
アスラとレコが牢の中に入ると、囚人服を着たカーリン・ジオネが部屋の隅に座って怯えていた。
「やぁカーリン」アスラが言う。「初めましてかな? 私が誰か分かるかい?」
「アスラ……」
カーリンはアスラの姿を確認した時点からずっと震えている。
「レコ」とアスラ。
「はぁい!」
レコは元気よく返事して、カーリンに近寄る。そしてカーリンの髪の毛を掴んだ。
「こっち」
レコはカーリンの髪を乱暴に引っ張って、カーリンをアスラの前まで誘導した。
「君は自分が何をしたか、分かっているかい?」
アスラは笑わなかった。
カーリンは泣いていた。自分がどうなるか、分かっているのだ。ここで殺されると分かっているのだ。
「アレは私の果実だ。アレは私のものだ。その髪の毛から精神に至るまで、完璧に私のものだ! それを! お前は! 汚しかけた!!」
アスラがカーリンの顔を殴った。
カーリンが床に倒れる。
「危うくアイリスが人殺しになるところだったじゃないか!! アイリスだけは!! アイリスだけは綺麗なままでいて欲しいのに!! 私の大切なヒロイン!! 私の宿敵!! それを!! お前が!! お前たちが!! 汚しかけた!! 歪めかけた!! 許せるものかっ!!」
アスラがカーリンを何度も踏みつける。
「アイリスをいじめていいのは、オレたちだけ」レコが冷えた声で言う。「お前たちは違う。だから死ね。苦しんで死ね。安心して、ナラクにも、スロにも、同じことをするから。同じように拷問して殺すから。アイリスにしたこと、全部やるから。もちろんそれ以上もね。オレたちとお前たち、どっちが本当にイカレてるか、分からせてあげるね」
レコの言葉が終わった時、ちょうど憲兵が棒鞭を束で持って来た。
そして牢の前に置く。
「焼き鏝の方も準備しています。少しお待ちくださいアスラ殿」
そう言って、憲兵は引き返した。
「安心していいよカーリン」アスラは言いながら、棒鞭を1本だけ拾った。「君がこれからどうなるか、アイリスは知らない。永遠に知ることはない。アイリスは望まないからね、こんなこと」
「でもオレたちは許さない」
レコも棒鞭を拾った。
「やめて……」カーリンは泣きながら言う。「せめて、せめてひと思いに……殺して……」
「なぜだい?」
アスラがやっと笑った。
それは悪逆極まりない笑み。
それは非道を極めた者の笑み。
カーリンはその表情を見て漏らした。
腰が抜けて立つことさえできない。
「ああそうだ、忘れるところだった」アスラが言う。「アイリスから聞いたんだけど、君はヘルムートの孫を人質にしてるって? 孫はどこだい?」
「わ、私の……屋敷、です……」
「よろしい。ではマルクスが救出に……っと、レコ人形は外に置いてきたんだったか。終わってからでいいか。服を脱げ」
カーリンはガタガタ震えるばかり。
レコがカーリンを殴った。
「レコは脱ぐまで殴るよ? 私の命令に逆らっても、痛みが増えるだけで、得はない。君は死ぬんだよ。私は、私たちは、君に対して殺すための拷問を行う。だから君は助からない。ああ、そうだ、苦悩の梨もあるよ。君たちの拷問部屋から押収したものらしい」
アスラがヘラヘラと言った。
カーリンはその場で土下座した。
「殺してください……。どうか、どうか、ひと思いに殺してください……」
あまりの恐ろしさに、カーリンは死にたいと願った。
心からそう思った。これから訪れる苦痛を想像しただけで、震えが止まらないのだ。
レコがカーリンを蹴った。
「私は脱げと言ったんだよ? まったく、私は拷問するよりされる方が好きなのに、面倒を増やさないでおくれよ。君が何を望もうが、何を願おうが、全ては無意味だよ。君に未来はない。選ぶ力もない。君は悲惨な死に方をする。見るも無惨な死に方をする。私のヒロインを闇に落としかけたのだから、そのぐらいの覚悟はしていたのだろう? アイリス・クレイヴンを、私たちの仲間を、あのアイリスが、人を殺したいと思うほど痛めつけたのだろう?」
「アイリスが人を殺したいなんて、オレもビックリだよ」レコが言う。「だけど本当にムカつくよお前たち。そこまでアイリスを追い詰めるなんて」
「ほら、早く脱げ」アスラが言う。「ズタズタにしてあげるから。こんな玩具の鞭なんて序の口だよ?」
そして時間が経過して。
隣の牢ではナラクが、そしてそのまた隣の牢でスロが、
カーリンの泣き叫ぶ声に震えていた。
次は自分だと分かっているから。
そして更に時間が経過し、カーリンの声が聞こえなくなった頃。
ナラクは糞尿を垂れ流して涙と鼻水で顔を歪めていた。壊れる寸前だった。隣の牢でカーリンが受けた仕打ちは、それほど苛烈だった。
スロはすでに正気を失ってずっと笑っていた。
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