EX47 許すわけないだろう? 私らに手を出して、タダで済むわけない
「そこで止まれ」
客席の20代の男が言った。
アスラは言う通り止まった。そして右側の客席に腰を下ろす。
「だ、誰が座っていいと言った!?」
「ダメなのかい?」
アスラは背伸びをしながら言った。
人質交渉に来た態度ではない。
「身代金は?」
サルメの背後に立っている30代の男が言った。
この男は右手にナイフを持って、サルメの首に当てている。
「それが目的じゃないだろう?」アスラが言う。「金目当てなら、もっと簡単な相手がいくらでもいる。わざわざ私らを試すような真似をしたんだから、別の目的があるだろう?」
「持って来たのか持って来てないのか、どっちだ!?」
20代の男が怒鳴った。アスラの態度にイライラしている様子だ。
「持ってるよ。渡すかはこれから考えるけどね」アスラが言う。「君らのおかげで、警備隊の発足を早めることにしたよ。今後も君らレベルの奴に襲われると割と面倒だからね。私や正規の団員は大丈夫でも、総務部や見習いは対応できない」
警備隊の候補は、監獄島で訓練している《月花》隷下の者たちだ。
「てゆーか、あんたたち何者なのよ?」
アイリスは入り口付近に留まったまま言った。
アイリスは他に人間がいないかコッソリ探っている。視線や気配を探っているのだ。
ちなみに、ラウノは劇場のエントランスなどを見回っている。外の担当だ。
「我々が誰かは関係ない」
30代の男が言った。
こっちの方が冷静だし、上司かな? とアスラは思った。
この2人は明らかにプロだ。何かしらの組織に属している可能性が高い。
「神聖十字連は違うね。隠す必要のない組織だから」アスラが言う。「蒼空騎士団でもないだろう? というか、表の組織じゃないよね? だとしたら傭兵? もしかして、アサシン同盟とか?」
アスラの言葉に、20代の男が少しだけ反応した。ピクッと動いた程度だが、アスラは見逃さない。
「ほう。アサシン同盟か。まさかとは思ったけど、組織を再建したのかね?」
「もう黙れアスラ・リョナ」
30代の男が言った。
冷徹な声だ。今までの淡々とした声音とは違う。
アスラは大きく両手を広げた。黙るよ、というジェスチャー。
「身代金をそこに置け」
「そのあとは?」
「そのままアイリスと去れ。金額を確認したら、サルメを解放する」
「嫌だと言ったら?」
「サルメを殺す」
「だけど、それだと」アスラが薄暗い笑みを浮かべる。「そのあと、君らも死ぬよ?」
空気が変わった。明らかに変わった。アスラを中心に、おぞましいほどの悪意が満ちた。
その唐突な変化に、男たちは困惑した。
さっきまでのアスラは、割とフレンドリーだった。それが急変したのだ。
「私たちは、私たち《月花》は」サルメが言う。「人質交渉に応じません。だから私は死ぬでしょう。嫌ですけど、仕方ないです。そこで団長さんにお願いがあります」
「か、勝手に喋るな」と30代の男。
「私が許す。話せサルメ。願いを言いたまえ。どうせ黙っていても死ぬんだから、話して死ね」
「おいふざけるな! 主導権は……うぎゃぁあああ!」
20代の男の右腕が爆裂した。
男は血をまき散らしながら叫び回った。
「悲鳴がうるさいけど、君の声を聴くよサルメ。ナイフが首に当たっているから喋りにくいかもしれないけどね」
◇
人質なんか通用しない。無理だ。
天井の梁の上に隠れて見ていたナラクはそう確信した。
「この2人が私を殺したら、この2人の知り合いを全部殺してください」
サルメの声は酷く冷えていた。
「いいだろう。一応、確認しておくけど、棺桶に片足を突っ込んだ老人は?」
「殺してください」
「子供は?」
「殺してください」
「よろしい。普通に殺すかね?」
「残虐にお願いします。私を殺すわけですから、酷く残虐にお願いします。そしてその様子を、こいつらに見せてください」
「いいだろう。その通りにしよう」
全盛期のアサシン同盟でも、そこまでやらない。
2人の正気とは思えない会話に、ナラクは身体が震えた。寒気がしたのだ。
「こいつらはその後3年、拷問してから殺してください」
「少し面倒だが、まぁ訓練がてらそうしよう」
「あと、本当はもう1人います。背の低い……と言っても私ぐらいです。そいつも見つけて同じようにしてください」
「分かった。もういいかねサルメ?」
こいつらは、本気だ。
ナラクはそれを理解した。2人の会話には説得力がある。いや、必ずそれを遂行するという強い意志のようなものが見えた。
「最後に、私ちゃんと反省してるんです。最後まで罰を受けられなくて残念です」
「その件なら気にしなくていい。どうせ今日で許す予定だったからね。さぁ、では笑えサルメ」
アスラが言うと、サルメは微笑みを浮かべた。
これから死ぬ者の表情とは思えないような、幸福そうな笑み。
安心しているのだ。アスラが必ず、言ったことを実行してくれると信じているのだ。
サルメは自分の死後、ナラクたちがどれほど酷い目に遭うかを想像して、かなりいい気分だった。
「サルメを殺すなら、あたしも止めないわよ?」
英雄アイリスが言った。
アイリスの性格上、サルメを殺さないなら助けてあげる、という裏の意味を含んでいるはず、とナラクは分析した。
「あの、笑い疲れたので早く殺してください」
サルメが真顔で言った。
「ま、待て」30代の男が言う。「べ、別に我々はサルメを殺さなくてもいい」
アサシン同盟に入った時点で、家族や友人とは縁が切れている。今あるのは、アサシンになってからのコネクションのみ。
殺されてもそこまで痛くない。
ああ、でも、とナラクは思った。
アスラたちは僅かな血縁も全て暴いて殺すだろう。
それに、怖いのはアスラが行う殺戮そのものじゃなくて、それを平気で口にするアスラとサルメのイカレ具合だ。
1人を人質にしたナラクたちに対して、無数を人質に取ったアスラ。
1人を殺したらその数十倍か、最悪数百倍を殺すと脅しているのだ。いや、脅しではない。決まったことだ。そうすると、すでに決まったことなのだ。
そんなの、頭がおかしいとしか思えない。どう考えてもナラクたちは割に合わない。
「いやダメだ。殺せ」アスラが言う。「そっちの方が楽しい。サルメは本当に残念だけど、諦めるよ。さぁ、殺せ」
ナラクはアスラが何を言っているのか理解できなかった。
やっぱり頭がおかしいとしか思えない。
30代の男はアイリスに視線を送った。
「何よ? 助けて欲しいの?」とアイリス。
「英雄だろうがお前!!」腕が片方なくなった20代の男が叫ぶ。「その化け物をなんとかしてくれぇぇぇ!!」
「心配しなくても君は死なないよ」アスラが言う。「君の知り合いの死を見せなきゃいけないし、3年間は拷問を施す訓練の対象にするからね」
アスラが浮かべたのは、世にもおぞましい笑み。
まるで恐怖そのもの。あらゆる暗闇、あらゆる冷徹、あらゆる残酷を全て詰め合わせたような、《魔王》が裸足で逃げ出しそうな笑み。
「降伏する。頼む助けてくれ」30代の男が言った。「聞いてない、これほどの相手だとは聞いてない」
いや、話には聞いていたはずだ、とナラクは思った。
ナラクだってアスラが残酷だと知っていたのだから。
でも、実際に目の当たりにして分かったことがある。
敵対してはいけない。震えが止まらない。
アスラ・リョナに触れてはいけない。少し漏れた。必死で我慢しているけれど、恐ろしさで少し漏れたのだ。
アサシン同盟の次期頭領として育てられたナラクが、過酷な訓練を乗り越え、数多の人間をその手にかけ続けたナラクが、嗚咽と尿を漏らした。
隠れているナラクでこの恐ろしさなのだから、あの2人の部下が感じている恐怖は計りしれない。
「降伏は認めないけど、当初の予定通り取引をしよう」
言いながら、アスラが立ち上がる。
そしてポケットをゴソゴソして、何かを指で弾いた。
1ドーラ硬貨だ。
硬貨はクルクルと回転し、舞台の上を転がり、サルメの足下で止まった。
「懐かしいですね」サルメが言う。「私の金額です」
「身代金の1ドーラだよ」アスラが言う。「確か1ドーラだったよね? ほら、それをあげるから、サルメを解放したまえ。今、ここで」
30代の男は急いでサルメの縄を切った。最初に手首の縄を切って、次に足首。
男は足首の縄を切るためにしゃがんでいたので、サルメは両手で男の後頭部を掴み、顔面に膝蹴りを入れた。
「よくも!」
更に2発目。
「漏らしちゃったじゃないですか! もう14歳なのに!」
3発目。
「だいたい、途中で心折れるぐらいなら最初から拉致なんかしないでください!」
4発目。
「はいはい、サルメそこまで」
アイリスがサルメの肩に触れた。
30代の男は呻きながら、舞台にうずくまった。
移動速度の速さに、ナラクは驚いた。
ナラクは英雄すら殺せる自信がある。戦わずに毒を飲ませればいいのだ。
しかし、ナラクは戦闘能力にも自信があった。英雄と対等に渡り合えると思っていた。
ただしアイリスは除く、と今思った。
「降伏したんだし、拉致罪で憲兵に突き出しましょ」
アイリスがそう言った次の瞬間、20代の男の頭が消し飛んだ。
「私は認めてない」
アスラが淡々と言った。
「私も認めてないですよ、アイリスさん」
サルメも淡々としている。
「ちょっと!? 降伏したでしょ!? 珍しく!」
アイリスが片刃の剣を抜いた。
その剣先はアスラに向いている。
「ふむ。ではなぜサルメを拉致したのか話せ。内容によっては生かしておいてあげるよ?」
アスラはゆっくりと歩いて舞台へと移動している。
「ナラク様の命令で……」男がうずくまったまま言う。「サルメ・ティッカを拉致し、《月花》がどう動くか探れと……」
「ほう。ナラクとは誰だい? サルメが言っていたもう1人かな?」
大丈夫、とナラクは思った。部下は月花対策委員会のことは知らない。だからナラクがバレても、委員会のことはバレない。
それに、ナラクの名を知ったところで、姿は分からないのだ。問題ない。
ちなみに、今どこに隠れているかも、部下は知らないはず。
「アサシン同盟のボスは……代々ナラクの名を受け継ぐ」
「どんな奴だい?」
アスラは客席の最前列に座った。そしてサルメを手招き。
サルメはタタッと小走りでアスラの隣に腰掛ける。
「分からない……顔を見たことはない……声は女だ。若い女……それしか知らない」
「まったく役に立たないね」
言いながら、アスラはサルメの頭を撫でた。
「一瞬、私が役に立たないのかと思って焦りました。頭を撫でたタイミング的に」
サルメが引きつった表情で言った。
「そんなことはない。君もそう思うだろう? 隠れているナラク、君だよ」
アスラが顔を少し上に向けたので、ナラクは焦って梁から落ちそうになった。
怖い、怖い。こんな奴、まともに相手にできない。
魔殲のトリスタンはアスラと戦ったと言っていた。半殺しにされたらしいが、よく生きて戻れたものだ。
というか、よくまた戦おうと思えたものだ。
ナラクには無理。冗談にもならないぐらい、怖い。心底怖い。
「上にいるの?」
アイリスが顔を上げた瞬間、30代の男の頭も吹き飛んだ。
アイリスは割と近くにいたので、男の血肉と脳みその一部が身体や髪に張り付いた。
アイリスは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「な、なんでよ!?」アイリスが悲鳴みたいに言う。「降伏したでしょ!? こんなの虐殺……」
アイリスは言葉を途中で止めた。
アスラが怖かったからだ。
「そうだよアイリス」アスラが薄暗い声で言う。「その通り。でも、私らは傭兵なんだよアイリス。舐められちゃ、お仕舞いさ。分かるだろう? 私らの仲間を拉致って、無事で済ませていいはずがない。私らを攻撃したいなら、好きなだけ攻撃してくれていい。その方が私も嬉しい。だけれど、だけれどアイリス。リスクを理解してもらわなきゃ。これほどのリスクを冒してでも、私らを攻撃したいのかどうか、考えて貰わなきゃ。途中で心が折れる程度の、軽い気持ちで攻撃されたくないんだよ。分かるだろう? 攻撃するなら全力でなきゃ。手足を失って這いずり回っても、最期に私に頭突きするぐらいじゃなきゃ。それぐらいの想いをぶつけてくれなきゃ。魔殲のトリスタンやチェーザレのように」
ああ、なんて半端なことをしてしまったのだろう、とナラクは心底後悔した。
傭兵団《月花》を恨んでいると言っても、そこまでじゃないのだ。それほど強い想いじゃないのだ。
アサシン同盟のメンツのために、仕返ししたい、という程度なのだ。
「ナラク。君は生かしておいてあげるよ。慈悲じゃないよ? 誰に雇われたのか知らないけど、雇い主に伝えたまえ。半端はよせ。やるなら全面戦争にしよう。その方が楽しい。あと、私らに人質は通じない。あのままサルメが死んで、私はサルメのお願いを実行しても全然構わなかった」
「死ぬ覚悟はできています」サルメが言う。「傭兵ですから」
「命令違反のクソミスで死ぬ仲間は哀れだがね」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
サルメが頭を抱えて謝り始めた。
「帰ろうサルメ。今日が最後の罰だよ。しっかり耐えるんだ。いいね?」
「はい団長さん」
アスラが立ち上がり、サルメも立ち上がる。
「ちょっと待ってよ、何よこれ?」アイリスが言う。「大団円みたいにしないでよ。最初からこいつらのこと、殺す気だったんじゃない。あたし、法で裁くよう言ったわよね? あたしを騙したわね? 降伏したら法で裁くことも視野に入れるって言ったじゃないの!」
ここに来る前に、そういう相談をしたのだろうとナラクは推測した。
「視野に入れただけで、採用するとは言ってない。よって、騙してもいない。そもそも降伏を受け入れていない。まぁでも、気に入らないなら三択だアイリス」アスラが言う。「ここで私と戦うか、一緒に帰るか、そうでなければ、少し1人で頭を冷やせ。拠点には馬で戻れ」
アスラとサルメは立ち去ったが、アイリスはその場に残った。頭を冷やすを選択したのだ。
ナラクは舞台に飛び降りて、アイリスを見た。
アイリス・クレイヴン。
かねてより、《月花》に不満を持っていた者。
「だから拉致なんて無謀だって言ったでしょ? それより」アイリスが言う。「見ての通り、あたしはもう耐えられない。《月花》潰したいからそっちの組織に入れてよ。もう拠点には戻らないわ」
スロ・ハッシネンの情報提供者。
アイリスは最初から、今回起こることを知っていた。そして、ナラクに接触するためにアスラに付いて来たのだ。
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