十二章

第1話 アスラ嬢のマインドフルネス 「むしろ殺人鬼養成講座じゃない?」


 アスラは小太刀を男の肩口に突き立てた。

 男は両膝を突いた状態で、アスラは立っている。


「いいかい? 今を楽しむのがマインドフルネスの神髄だよ?」


 アスラは淡々と言った。

 男はうめき声を上げているが、大きな抵抗はない。

 抵抗することが無意味だと、男はすでに知っているのだ。

 アスラたち《月花》は、男の屋敷にいた男の関係者を殺した。

 もちろん、その時は抵抗があった。あったのだけれど、圧倒的な武力の前では無意味だった。


「剣で人を刺しながら言うの!?」


 アイリスがビックリして言った。


「今、自分がやっていることに集中する」アスラが言う。「いいかい? 人間の思考というのは過去や未来、妄想に取り憑かれている場合が多いだろう?」


「よく分かるよ」とラウノ。


 ラウノは今現在も、妄想の彼女を見ている。

 ちなみに、ここは西フルセンの大貴族の屋敷。要するに、今アスラが小太刀を突き立てている男は大貴族の当主だ。

 正確には、かつてそうだった男。貴族制度はアスラが廃止にした。


「だけれど諸君、それらは全て幻だよ。存在していない。過去は今には存在していない。未来など永遠に訪れやしない。今が連続するだけさ」アスラが言う。「妄想も不要。意味はない。もちろん、戦術のシミュレーションとか、私らの人生に必要な妄想は別だがね」


「人間は今しか認識できない!」


 レコが楽しそうに言った。

 ここは大貴族の屋敷の大広間。いくつかの死体が転がっている。

 それから、《月花》のメンバーはアスラ、ラウノ、イーナ、レコ。ついでにアイリスが今ここにいる。

 大貴族の当主の関係者で生き残っているのは2人だ。

 1人は一切の抵抗を示さなかった執事の男。年齢は60代後半といったところ。白髪のオールバックで、細身。燕尾服を着用している。

 そしてもう1人は、大貴族に殺されかけていた奴隷の少女だ。

 少女は床にぺったんこ座りしている。


「その通り。だからこそ、私たち人間は今という瞬間に集中し、それを堪能する」


 アスラが小太刀を引き抜くと、当主の男が肩口を押さえて涙を流す。

 男はもう、自分が助からないことを悟っている。


「……今に集中する限り……嫌な思い出も……未来の不安も、消える」イーナが言う。「今、自分が、何をしているか……それが全て」


「まぁそういうことだね」


 アスラは小太刀を仕舞って、床に転がっている棍棒を拾った。

 その棍棒は、貴族たちが遊びで使っていたもの。かなり使い込まれている。

 奴隷を購入し、みんなで殴って殺すためのもの。

 貴族のゲーム。誰がトドメを刺すかを競ったり、何回殴れば相手が死ぬか賭けたりする。東や中央ではすでに禁止されているゲーム。

 正確に言うと、西側でも禁止されている。だがまだ闇で続いているゲーム。


「ほら。君がやるかね?」


 アスラは奴隷の少女に棍棒を渡そうとした。

 少女は怯えていて、棍棒を受け取らない。

 少女の年齢は17歳かそこら。

 アスラたちの突入が5分遅ければ、少女はズタズタに殴られていたはずだ。もしかしたら、死んでいたかもしれない。

 まぁ、アスラたちの目的は少女の救出ではなく、未だに貴族を名乗る者たちの排除だ。


「では執事がやるかね?」


 アスラは執事の方を見た。

 執事の男は特に表情を変えることもなく、小さく首を振って断った。

 なかなか度胸がある、とアスラは思った。

 執事はこの状況でも極めて冷静だ。元軍人か、憲兵か、とにかく修羅場に慣れている。


「……助けてくれ……」


 当主の男が言った。助かるはずがないと、理解しているはずなのに。

 男の年齢は20代の後半。


「なんで?」アスラがニコニコと笑う。「君は貴族を名乗った。私らは、貴族を名乗る者を殺すと宣言したはずだよ?」


「……あと、お金で人間を、売り買いする奴は……死ねばいい」


 イーナが吐き捨てるように言った。


「酷いクズだけど、それでも法で裁くべきだと、あたしは思うけど……」


 アイリスは少し辛そうに言った。


「そのチャンスを棒に振ったのは彼らだよ?」とラウノ。


 残念なことに、アスラはすでに降伏勧告を行った。

 西側でも貴族のゲームは犯罪だ。よって、自首するなら命は助けるという勧告。もちろん、今後二度と貴族を名乗らないことも条件だった。


「それだって、アイリスが必死にお願いするから」アスラが肩を竦める。「仕方なく勧告した。私は殺す気だったよ」


「団長は優しい! キスしていい!?」


「いいわけないだろう!?」アスラがビックリして言う。「脈絡なく私の唇を奪おうとするなっ!」


「ちっ」とレコが舌打ち。


「おや?」ラウノが言う。「レコは最近はキスに興味があるのかな?」


「うん。ラウノで練習してもいい?」

「それはごめん」とラウノ。


「そっか。じゃあユルキと一緒に娼婦のお姉さんを買って、練習させてもらう!」

「君の若さで娼婦を買うとか、娼婦のお姉さんもビックリだろうよ」とアスラ。


「……どうでもいいけど、トドメは……?」


「この子に、と思ったんだけどね」アスラは奴隷の少女を見る。「どうも無理そうだね」


「そりゃね!」アイリスが言う。「普通の人は人殺しとか簡単にできないからね!?」


「レコ、マインドフルネスしながらこれで殺したまえ」


 アスラが棍棒をレコに投げ渡す。


「はぁい!」


 レコは棍棒を受け取って、早速当主の男を殴った。


「オレは今! 棍棒で殴ってる! 殺すために殴ってる! それが今!」


「うぅ……そんな風に楽しそうに言わないでよ」アイリスが顔をしかめる。「てゆーか、どうしてどいつもこいつも降伏しないのよ……」


「わたくしめは、即時降伏しましたが?」と執事が淡々と言った。


「だから手を出してないだろう? まぁ、当主の彼は今、自分が長年楽しく遊んだゲームで殺されているから、本望だろう。気にする必要はない」


 アスラはレコの動きをジッと見ている。

 スピードもテクニックもそれなりにある。パワーは微妙だが、年齢的に仕方ない。

 レコは何をやらせても要領がいい。優等生だ。


「いやいや、彼のような特権階級はそんな風には考えないよ」ラウノが言う。「自分は他人を殴ってもいいけど、自分が殴られたらマジギレする。まぁ、今の状況でキレても何の意味もないし、もう死を受け入れている。その辺はまぁ、潔いかな」


「私は皮肉で言ったんだよ」とアスラ。


「……団長、この奴隷の子……どうする?」


 イーナが奴隷少女を指さした。


「どうもしない。もう自由だよ。好きにすればいい。知らないかもしれないが、私は奴隷制度を肯定したことは一度もない。人は自由であるべきだ」


「アスラは自由過ぎだわね」アイリスが肩を竦める。「意見には同意だけど」


「やっと死んだ!」


 レコが肩で息をしながら言った。

 棍棒は血まみれだ。


「もっと効率よく殺せるようにならないとね」アスラが淡々と言った。「時間かかりすぎ」


「この子の話に戻るけど」ラウノが奴隷少女を見て言う。「このまま西に留まったら、この子は奴隷のままだよ? 助けたならその後の面倒もみるべきだね。最低でも、アーニアの施設に送ってあげるとかね」


「いや私は別に助けてない」


 事実だ。偶然、少女を助けた形になっただけ。少女がここに居ようが、居まいが、アスラは屋敷を襲撃した。

 アイリス、ラウノ、イーナがアスラをジッと見詰める。

 無言でジッと見詰めている。

 レコだけは棍棒をポイッと捨てて背伸びをした。


「……分かった、分かったよ。偶然だけど、そういう感じになってしまったからね。アーニアの施設に送っていい。ラウノ、君が責任を持って送り届けろ。いいね?」


 ちなみに、アーニアはトピアディスを領土として認めた。

 飛び地になるので、現在はアーニア領の自治国家的な扱いだ。


「了解」


 ラウノは奴隷少女に近寄って、優しい笑みを浮かべる。

 ラウノの表情があんまり優しいものだから、少女の表情が少し緩む。

 これも特技だなぁ、とアスラは思った。


「わたくしめは?」と執事。


「好きにしたまえ。君には何の用もない」

「ふむ。では新しい就職先が欲しいのですが、傭兵団《月花》に執事の空きはございませんか?」


 アスラたちは自分が何者なのか、すでに名乗っている。そして何のために来たのかも説明済み。


「……欲しい……」イーナが言う。「……執事、欲しい……。あたしに、忠実な……執事が」


「オレも! 執事って何かかっこいいよね。指ぱっちんってしたらジュース持ってきてくれるんでしょ?」


「ええ。お望みでしたら――」執事がニコニコと言う。「――お菓子も添えましょう」


 イーナとレコがアスラをジッと見詰める。


「え? なにこれ?」アスラが言う。「執事を雇う流れかい?」


 アスラの言葉に、レコとイーナが頷く。


「ふぅん」


 アスラは執事の方に寄っていき、頭から足までを舐めるように見た。

 それから、無遠慮に身体をペタペタと触った。


「君、実はかなり強いだろう?」アスラが言う。「元軍人かね?」


「いえ。わたくしめは元英雄にございます」


「えぇ!?」アイリスが驚いて言う。「英雄がなんで執事に!?」


「引退してから退屈でしたので」執事はニコニコと言う。「それに、小さい頃より執事に憧れがありまして」


「なるほど。趣味で執事をやっていると」アスラが頷く。「君は変人だねきっと」


 好きで他人に仕えるなんて、アスラには理解できない。

 まぁ、好きで殺し合いをしているアスラの理解者も少ないけれど。


「てゆーか、引退まで生き残ったなら、かなりの実力者でしょ?」とアイリス。


「いえいえ。わたくしめは大英雄になれなかった者ですよ」執事が言う。「運良く生き残ったに過ぎません。若き英雄アイリス・クレイヴン・リリ殿」


「あ、ごめん。今はリリじゃないの。貴族制度、終わっちゃったから」


 アイリスはアスラの方をチラッと見た。

 アスラは小さく肩を竦めた。


「それは……そうと」イーナが言う。「……アーニアに行くなら、みんなも行きたいはず……」


 奴隷の少女をアーニアの施設に連れて行く、という話に戻ったのだ。


「オレも思った! ルミアに会いたい!」

「ルミアはアーニアじゃなくてテルバエだよ?」とアスラ。


「隣じゃないのよ!」アイリスが言う。「あたしだって、久しぶりにルミアの顔見たいわね」


「だったらもう、ルミアをうちの城に招待した方が早い。戻ったらティナに手紙を書いてもらおう」


「大英雄会議とかぶっちゃうんじゃない?」とアイリス。


 アスラたちの古城で大英雄会議が開かれる。しかもその会議にアスラも交じるのだ。


「全ての大英雄が僕らの城に集うとか、胸が熱くなるね」


 ラウノは嬉しそうに言った。

 なんだかんだ、英雄は人々の憧れ。その中でも、大英雄は英雄の頂点だ。

 ちなみに、普段の大英雄会議は各地方から1人ずつ集まる。しかし今回は違う。中央の大英雄が入れ替わったこともあり、紹介を兼ねて全員集合するという形だ。


「ルミアも大英雄みたいなもんだし、いいんじゃない?」とレコ。


「……それは実力の話だけど……。しかもこの前の、強さ談義の話……だし」イーナが苦笑い。「……ルミアの立場は主婦……かな?」


「少しずらそう」アスラが言う。「さすがにルミアの顔を大英雄たちに見せるのはよくない」


 ルミアはジャンヌ軍の大幹部。

 アクセルだけはルミアの生存を知っているが、他の大英雄は知らない。


「それが無難よね」とアイリス。

「まぁ、とにかく用は済んだから拠点に戻ろう。ゴジラッシュも待ってる」


 アスラが小さく両手を広げた。

 ちなみに、ゴジラッシュは屋敷の庭で丸くなっている。

 暴れたり動き回ったりしないように言い聞かせているが、憲兵あたりが集まってくると自己防衛のために戦う可能性はある。

 アスラたちはかなり迅速に行動したが、そろそろ憲兵が駆けつけてもおかしくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る