EX44 幸福な夢は終わり、ここからは地獄? 傭兵にハッピーエンドはない? 本当に?


 その女性はかつての伝説。


「プンティ君、そろそろ真面目に仕事探しなさい」


 ルミア・カナールが言った。

 ルミアは茶色のウェーブセミロング。ちなみにウェーブは癖ッ毛。天然ものである。

 ルミアは両手を腰に当てて、少し怒ったような表情だった。

 その表情と動作が、とっても扇情的で、プンティはドキッとした。


「でもルミアさん、軍には入って欲しくないんでしょー?」


 プンティ・アルランデルはニコニコと笑った。

 プンティは18歳の少年で、銀髪。今は椅子に座っている。

 ちなみにルミアは28歳なのだが、2人は付き合っている。もちろん、結婚を前提にした真面目なお付き合いだ。


「危ないことはダメよ」ルミアが言う。「お互い、もう血生臭いことからは手を引くって約束よ? 自分の強さは大切な者を守るためだけに使う」


 ここはテルバエ大王国の大王都。その片隅の家。片隅と言っても、立地は悪くない。中心街ではないが、中心街から離れすぎてもいない。

 周囲に家も店もあるが、中心街ほど人でごった返してはいない。


 ちなみに家を購入したのはルミアだ。

 それほど大きくはないけれど、新たな生活を始めるにはちょうどいいサイズの家。

 寝室があって、子供部屋がある。

 もちろん、まだ子供は作っていない。ルミアには純潔の誓いがある。分かり易く言うと、結婚するまで性交渉を行わないと決めているのだ。


「あははー、ルミアさん、でもそれだと、僕に何ができるだろう?」


 プンティは英雄将軍の息子として生まれ、英雄将軍の息子として育った。

 要するに、戦うこと以外はあまり知らないのだ。


「安全で収入があれば何でもいいわよ? 安月給でも平気よ? わたしの貯蓄もまだ少しはあるし、わたしも働きに出ようと思っているもの」


 ルミアは腰から手を下ろして、少し笑った。


「じゃあ、大工とかかなー」プンティが言う。「ちょっと興味はあったんだよねー」


「いいわね、大工。わたしはパン屋さんがいいわねー。アスラってクリームパンが好きなのよ? そういうところ、やっぱり子供だなって思うわ」


「クリームパンはみんな好きだよー」プンティが笑った。「よし、それじゃあ早速、職業相談所に行ってくるよ」


 プンティが立ち上がる。


「一緒に行くわ」


 ルミアが手を伸ばし、プンティがその手を握る。

 2人は仲良く手を繋いで、家を出た。

 そして出た瞬間、凄まじい寒気に襲われる。


「ほう。貴様が男と手を繋いでいるとはな」


 修道服の女が立っていた。

 よく晴れた日。涼しい日。死ぬにはうってつけの日。

 修道服の女を見て、ルミアが驚愕した。その驚愕がプンティにも伝わった。

 ルミアがプンティの手をソッと離す。


「純潔の誓いはどうした? それとも結婚したか? だとしたらおめでとう」


 修道服の女は、長い水色の髪で、とっても肉感的な四肢。年齢は31歳。ルミアの知る限り、享年31歳。

 ちなみに、ルミアも胸は小さくないが、修道服の女の方がルミアよりも胸が大きい。


「……死者が、どうして歩いているの?」


 ルミアは警戒しつつ、ハンドサインを出す。

 下がって、わたしの武器を持ってきて。

 ルミアはプンティをずっと鍛えている。いつかプンティがルミアより強くなったら、その時が結婚の時だからだ。

 そういう約束なのだ。


「どうしてだろうな? どうしてだと思う?」


 修道服の女――死んだはずのノエミ・クラピソンが笑った。

 プンティは家の中に引き返したが、ノエミは気にしなかった。


「知らないわよ……」


 ルミアが顔を歪める。

 ノエミは確かに死んだはず。アスラたちが殺した。どう推理しても、何をどう思考しても、納得のいく理由が見つからない。


「我はかつて、貴様に焦がれた。ジャンヌ・オータン・ララは我にとって、特別だった。貴様も、貴様の妹も」


 ノエミはどこか遠くを見る風に語る。


「胸を焦がした。我のモノにしたかった。屈服させたかった。眩しく、羨ましく、美しく、我の心を掻き乱した。ああ、ジャンヌ、だけれど、だけれどジャンヌ」


 ノエミは悲痛の面持ちで続ける。


「もう貴様は我の心を動かさない。貴様はもう眩しくない。貴様はもう羨ましくない。貴様は相変わらず美しいが、もはや我にとって、貴様は特別ではない。悲しい。悲しいぞジャンヌ。我は、我はもう誰も愛せないかもしれない。我の心は動かないかもしれない。貴様でダメなら、もう他はいない。他には誰もいない」


「そう。だったら、さようなら」ルミアが言う。「わたしも、すでにあなたに興味はないわ」


 ルミアは感じていた。このノエミは違う。ノエミだけど、ノエミじゃない。

 ノエミの雰囲気、圧力、それらは人間のものではない。魔物だ。それも最上位。

 魔物が化けているわけじゃない。ノエミなのだ。だけれど、昔の、人間だった頃のノエミとは違う。


「我には任務がある」ノエミが言う。「しかしながら、任地が非常に寂しい場所でな。貴様は我の心を動かさないが、性処理人形程度にはなるだろう。だから我と来い。愛し合えば、あるいは再び貴様を特別だと思えるかもしれない」


「嫌よ。わたしにはわたしの生活があるの」


「そうか。では両手両足をへし折って、髪を掴んで引きずって行こう」ノエミが醜悪に笑う。「服は全て脱がせて、引きずって行こう」


 ルミアは横に飛んだ。

 飛んだ先で、窓が割れる。プンティが家の中からクレイモアを投げたのだ。

 ルミアはクレイモアを受け取る。抜き身のクレイモアだが、ルミアは上手に柄を握った。


「『邪淫の槍』よ」


 ノエミの右手に、細身の槍が現れる。黒光りしている槍で、柄尻の石突きの形が卑猥だった。


「変態趣味は相変わらずね?」


 ルミアは警戒しながら歩き、家から少し離れる。できれば、もう家は壊したくない。

 ルミアは分析する。

 あの槍は何?

 魔法ではない。ならば、スキルか? 魔物たちが持つ、種族固有のスキル。

 だけれど、ノエミ・クラピソンという種族の魔物をルミアは知らない。


「ふむ。我は女が好きなのだが」ノエミがクルクルと槍を回す。「貴様や美少女にこいつをぶち込むのも悪くないとは思う」


 台詞の終わりと同時に、ノエミが距離を詰めて突きを放った。

 その速度があまりにも速すぎて、ノエミの蹴った地面が抉れている。

 だがルミアはその突きを紙一重で躱す。

 反撃はできない、躱すのが精一杯。人の突きの速度じゃない。


「ほう」ノエミが距離を取る。「貴様、強くなったか?」


「どうかしら?」


 勝てない。一撃で悟ってしまった。無理だ。今のノエミの戦闘能力は、ルミアの妹を凌駕している。

 かつて、人類の頂点だと思った妹の戦闘能力を超えているのだ。


「次はもっと速く突こう」とノエミ。

「あなたは本当にノエミなの?」とルミア。


「基本的には」ノエミが言う。「しかし、我はすでに人を超えている。もはや、この世界で我に勝てるのは、1位とあのお方のみ。そういう領域だ」


「あのお方?」


「ふん。貴様には関係ない。どうせ貴様は死ぬまで、我の性処理人形として生きるのだから、細かいことを思考する能力は不要。我流――」ノエミが槍を構えた。「――『魅月みづき』!!」


 ノエミは瞬間的に三度の突きを放った。

 最初は下段。ルミアは最小の動きで回避。

 次は中段。ルミアは身体を捻ったが躱し切れず、腹部が切れた。でも突かれたわけではない。掠めただけ。

 そして最後に上段。胸の辺りを狙った突き。ルミアはクレイモアの腹で槍の穂を滑らせて逸らした。


「これも躱すか」ノエミは感心したように言う。「人間とは思えない動きだ」


「それはどうも」


 冗談じゃない、とルミアは思った。

 ルミアは『魅月』を知っている。かなり古い技だ。ノエミとルミアが、まだ姉妹のように仲良しだった頃から、ノエミは『魅月』を使っていた。

 技を知っていた上で、極限に集中して、それでも躱し切れなかったのだ。

 腹部の傷が痛む。


「実は、我は最上位の魔物として生まれ変わった」とノエミ。

「ええ。魔物なのは気付いていたわ」とルミア。


「我には我だけのスキルが2つある」ノエミが言う。「1つはこの『邪淫の槍』を顕現させること」


「禍々しいわね」


 伝説級の武器に等しい。さっき、滑らせただけでクレイモアにガタがきた。

 2回も受ければ上等。3回目はクレイモアの刃が砕ける。

 ラグナロクでなければ、まともにガードもできない。けれど、ラグナロクは手元にない。


「2つ目は」ノエミが槍を横にして高く掲げる。「『淫らな束縛』」


 槍の柄が伸びた。グネッ、とまるで生き物のように卑猥な石突きがルミアを襲う。


「【神罰】!!」


 ルミアは石突きを躱しながら、天使を降臨させる。

 しかし、長く伸びた槍の柄が天使を縛り上げてしまう。かなりいやらしい縛り方だったので、ルミアは顔をしかめた。

 卑猥な石突きが天使の口の中を犯し、天使が消滅する。


「なんて嫌な技っ!」


 絶対に喰らいたくない、とルミアは思った。

 縛られるのも嫌だし、口の中にあの卑猥な石突きが入ってくるのも耐えがたい。


「そうか? 我は気に入っているが?」


 すでに、ノエミの手から槍は自由になっている。つまり、槍が生き物みたいにウネウネしながら、自動的に攻撃してくる状態。

 大きな蛇みたいで、気持ち悪い。


「『邪淫の槍』」


 ノエミの右手に新たな槍が出現。


「冗談でしょっ! それ増やしちゃうの!?」

「『邪淫の槍』」


 ノエミの左手にも、槍が出現。


「この変態女! 【神罰】!」

「『淫らな束縛』」


 ノエミの右手の槍が、新たに自律する。

 そしてルミアの天使を絡め取って、今度は股間を犯して天使を破壊した。


「諦めろジャンヌ」

「ルミアよ! ジャンヌは死んだの! わたしはルミアよ! 【神罰】!」


 天使の出現と同時にノエミが動き、天使を両断した。


「諦めの悪い子には、お仕置きをしなくてはな」


 ノエミがとっても楽しそうに笑った。

 ルミアは背筋が凍ったような気がした。


「無限無数の『邪淫の槍』よ! 愚か者を罰するために舞い降れ!」


 ノエミが叫ぶと、空から無数の槍が降ってきた。

 その槍の雨はルミアの身体を掠めながら地面に突き刺さり、ルミアが動けないように拘束した。

 ルミアの血で地面が染まる。

 ルミアの血で槍が脈打つ。

 直接ルミアの身体を貫いた槍はないが、身体のどこかを掠めて裂いている。


「いったぁい……じゃないのよ……」


 ルミアはギリッと唇を噛む。

 他に何もできない。脚も腕も身体も、無数の槍によって完全に固定されている。


「性処理人形に手足は不要か?」ノエミが首を傾げる。「いや、しかし手足があった方が美しいか。ふむ。だが仕置き代わりにひとまず折っておくか」


 ノエミはルミアに近付き、ルミアの小指を掴んだ。

 そして躊躇なく手の甲側に小指を曲げて、折った。

 ルミアは悲鳴を上げなかった。

 理由は2つ。プンティに悲鳴を聞かせたくない。師匠としてのプライドがある。

 もう1つの理由は、ハナッからこんな程度の痛みで泣きを入れるルミアではない。


「【神罰】はもう使わないのか?」ノエミが言う。「諦めたのなら、こう言え。『ノエミ様、わたしをあなた様のお人形にしてください』」


「ノエミ様、どうかその薄汚い顔を近づけないでください」


 ルミアは淡々と言った。

 ノエミも淡々とルミアの薬指を折った。


「貴様!! 何をしているか!!」


 憲兵が5人、走り寄ってきた。近所の人たちが騒ぎに気付き、通報したのだ。


「逃げなさい!」


 ルミアがそう叫んだ時には、蛇のように伸びた槍が憲兵の1人を縛り上げ、そのまま潰し殺した。

 他の4人が驚愕の表情を浮かべる。

 最初の1人を殺した槍と、別の槍が融合して、かなり長蛇の槍となった。

 そして4人をまとめて縛り上げ、そのまま潰し殺す。

 憲兵たちの血で、地面に赤い水溜まりが完成する。


「こうしようジャンヌ」ノエミがニタッと笑う。「我はこれより、周囲を完全に破壊する。どうだろう? 貴様が我に屈服し、我の人形になるなら、取りやめる。どうだ?」


「相変わらず、本当に、心底、クズね……。大人しく死んでいれば良かったのに」

「無限無数の『邪淫の槍』よ!! 我の目の届く範囲で動く者を全て貫け!!」


 一切の容赦がなかった。

 一切の躊躇もなかった。

 無限に降り注ぐ漆黒の槍は、ノエミの言葉通り、動く全てを貫いた。

 犬でも猫でも人間でも、大人も子供も、風で揺れた植物さえも貫いた。

 その光景は、まるで幾千の墓標のように見える。

 と、プンティがドアを蹴破って家の外へ転がり出る。

 プンティを追うように、槍が何本も地面に刺さった。


「プンティ君!!」ルミアが叫ぶ。「逃げなさい!! これは命令よ!! 逃げて!!」


 プンティは走った。降り注ぐ槍を躱しながら、ルミアの命令通りに。

 ルミアが命令だと言ったら、プンティは死んでも従う。そういう風に教育した。そして、逃げなければいけない状態で、誰を頼るかも事前に決めてある。

 即ち。


「ほう。なかなか、やるではないか」ノエミが言う。「槍を躱しながら走るか」


「いいから、あなたは死んで」


 ルミアは連続で3体の天使を顕現させた。

 ノエミの気を逸らすために2体の天使を使い、1体はプンティを護衛させた。

 護衛の天使は完全自律で、残った全てのMPを込めた。よって、ルミアが死んでもしばらくはプンティを守り続ける。


 プンティが辿り着けるように。

 あの子の元へ。

 ルミアが育てた最強の少女のところへ。

 あの子なら、魔物になったノエミでさえ殺せる。

 あの子に恐れるモノなどない。

 なぜなら、あの子が恐れそのものだからだ。

 ああ、だから、最強じゃなくて、

 かつての伝説が育てた現在の最凶。

 あの子の名はアスラ・リョナ。

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