十一章

第1話 《全世界》VS《月花》と聞いて、両手を叩いて喜ぶのが傭兵


 アスラはアーニア王国で、特殊部隊候補生たちの訓練に参加していた。

 候補生たちは城下町の隅の方の、誰も住んでいない家屋で突入訓練を行っている。

 部隊の指揮を執っているのはイーナで、レコは部隊に混じっている。

 アスラは簡素な木の椅子に座っている。アスラの隣には、ティナが同じ椅子に座っていた。

 午後、天気は晴れ。気温は少し肌寒いが、いつものローブは暖かいので問題ない。

 ティナにもローブを着せている。ティナの服は布面積が小さいので、ローブを羽織っていないと寒いのだ。

 ちなみに、アスラもティナも家屋のキッチンにいる。


「さて、そろそろだね」


 アスラはロープを出して、ティナを後ろ手に縛った。

 それから、短剣を出してティナの首に当てる。

 そうすると、候補生たちが家屋に雪崩れ込んだ。ある者たちは玄関を破り、別の者たちは窓を割って、他にはロープを使って二階の窓から。

 突入しなかった者たちは全ての出入り口を固めている。いい感じである。アスラの教えたことをみんなシッカリと守っている。


「玄関クリア!」「通路クリア!」


 全ての扉を開け、全ての部屋を確認し、全ての脅威を共有する。

 突入した時点では、敵がどこに潜んでいるか分からないからだ。

 この場合の敵とはアスラのことだ。人質を取って、家屋に立てこもったという設定。

 最初にキッチンに入った部隊はレコの部隊だった。


「抵抗するな! 武器を捨てろ! お前はもう逃げられない!」


 レコの部隊の1人が叫んだ。

 アスラは相変わらず、短剣をティナの首に当てたまま。


「大人しく逮捕されるなら」レコが言う。「死刑にはしない。これ正当な取引だよ? 罪状が多いから、今、オレの言う通りにしないと死刑は免れない」


 犯人を発見し、次に人質の安全を確保する。


「無罪にしたまえ。それなら捕まってあげよう」アスラが言う。「そうでないなら、人質を殺して私も死ぬ」


 アスラはレコを見ながら言った。

 アスラの気が人質から逸れた。もっと言うなら、今のアスラはレコしか見ていない。

 その隙に、部隊の1人が短剣を投げた。訓練用の木の短剣だ。

 アスラはそれを躱して、ティナの首を切る真似をした。


「おい、人質が死んだじゃないか」アスラが言う。「私は何がなんでも人質を救えと言わなかったかね?」


「今のは団長じゃなきゃ、躱せないと思うけど……」とレコ。


「甘いことを言うな」アスラが言う。「そこそこ、戦闘技術に長けている者なら躱す」


「すみませんでした!」


 短剣を投げた候補生が深く頭を下げながら言った。

 候補生は誰もアスラに逆らわない。すでにアスラが怖いことを理解しているのだ。今日が最初の訓練ではない。

 すでに、アスラが教え始めて4日が経過している。


「焦る気持ちは分かる」アスラが言う。「しかし、犯人がもっと決定的な隙を見せるまで待ちたまえ。犯人が愚図だと事前に分かっているなら、今の攻撃で倒せたとは思う。だけど、全ての犯人が素人というわけでもない。憲兵のせいで人質が死んだと言われてもいいのかね?」


「いいえ!」


 短剣を投げた候補生が言った。


「君たちは最善を尽くさなければならない。なぜなら、君たちは特殊部隊だからだ。分かるかね? 特殊部隊が来てくれたから、もう大丈夫。国民がそう思えるようになって、やっと一人前だよ? 分かったら返事をしろ」


「「はい教官!」」


 その場にいた候補生たちが、姿勢を正してから言った。


「君たちの存在そのものが、将来の犯罪抑止に役立つ。君たちは完璧でなくてはならない。君たちは突入し、犯人を逮捕、または殺害しなくてはならない。人質がいるなら救出しなければならない」


 もはや、アーニアの憲兵団はアスラが育てたと言っても差し障りない。

 前回、プロファイリングを教えた者たちは新設された《行動分析隊》を率いている。

 そして今回の特殊部隊の育成。

 近い将来、確実にアーニアの憲兵はフルセンマークでトップの憲兵団となる。


「よし、では最初からだ。私は潜む場所を変えるから、15分後に突入したまえ」


 それから何度も何度も突入訓練が行われた。

 特殊部隊は犯罪捜査をする必要はない。だが、最後に凶悪な犯人を捕まえるのは彼らの仕事だ。


       ◇


「疲れたー!」


 宿に戻った瞬間、レコがロビーに座り込んだ。


「……あたしも……疲れた……」


 イーナがレコの背中にもたれるように座り込んだ。

 宿はアスラたちが貸し切っているので、他に客はいない。


「前から思っていましたけれど」ティナが呆れた風に言う。「アスラの訓練って、厳しすぎますわ」


 特殊部隊の候補生たちも、訓練が終わった瞬間に数名が倒れ込んだ。彼らは今夜、きっとよく眠れるはずだ、とアスラは思った。


「割とゆるーくやってるけどね」アスラが言う。「憲兵に合わせて、ゆるゆるな感じだよ? 体罰は封印しているし」


 事実、アスラは誰も殴っていない。玉を潰してもいないし、逆さまに吊るしたりもしていない。

 それでも、アスラはこの訓練を割と楽しんでいた。

 元来、アスラは育成が好きなのだ。


「まぁ、《月花》の訓練に比べたらそうですけれど」ティナが苦笑い。「それはむしろ、《月花》の訓練が常軌を逸しているだけだと思いますわ……。あの訓練で強くならないはずがない、って感じですわ……」


「てゆーか、イーナ重い……」とレコ。

「……耐えろ……」とイーナ。


 イーナは完全にレコの背中に自分の背中を預けている。レコを壁か、椅子の背もたれだと思っているのだ。


「ほら、2人とも立って」アスラが苦笑い。「部屋に戻って休みたまえ」


 宿は貸し切っているので、全ての部屋を使うことができる。もちろん、誰がどの部屋を使うかは決めているけれど。

 それでもレコはアスラの部屋に侵入し、アスラのベッドに潜り込み、アスラに抱き付いて寝ようとする。

 そしてアスラもそれを咎めない。よくあることだし、本当に1人になりたい時は、そう言えばレコは自室に戻る。


「……レコ、あたしを……おぶれ……」


 イーナが最初に立ち上がり、続いてレコも立ち上がる。


「絶対嫌だし。団長なら気合いで背負うけど」


 レコがアスラを見たので、アスラは小さく肩を竦めた。背負ってもらう必要はない、という意味だ。

 と、貸し切っているはずの宿に、青年が入ってきた。貸し切り中の札が玄関のドアに掛かっているはずなのだが。

 アスラたち全員の視線がその青年へと降り注ぐ。

 青年はニコッと笑って右手を上げた。

 茶髪に、茶色い瞳の青年で、そこそこイケメン。服装は一般的な布の服。防寒を意識した厚手の布だ。

 布の服の上から、防寒用のマントを羽織っている。この時期の夜は冷える。


「また夜這いかね?」とアスラ。


「余はロリコンではない」青年が言った。「アスラが以前、余をロリコン扱いしたせいで、余ロリコン説が国を駆け巡っている。困ったことだ」


 クレータ・カールレラを捕まえた日のことだ。アスラはアーニア王をロリコンだと断言した。

 とはいえ、関係者以外、謁見の間にいなかったはず。


「まぁ、私は大きな声で言ったからねぇ」アスラが曖昧に笑う。「誰か聞いていたのかな? いや、あるいはクレータが流したのかもね? もしかしたら、シルシィの報復も考えられる」


「いや、シルシィとは仲直りしている」と青年――アーニア王が言った。


「それで? 夜這いでないなら何の用かね? 酒でも一緒に飲みたいというなら、少しだけ相手をしてあげよう」

「いや、ゆっくり話したい。アスラたちにとって、大きな危険が迫っている」

「ほう。それは面白そうだから、部屋で話そう」


 アスラが歩き始めると、アーニア王と団員たちも続く。


「団長の部屋に入るための口実かも」レコが言う。「こいつは団長を狙ってる」


「いや、余は狙っていない」アーニア王が言う。「そして、一国の王をこいつ呼ばわりするな」


「……今は、お忍びでしょ……?」とイーナ。


「そうであっても、もう少し敬意があってもいいのでは?」


「レコ。敬意を払ってやれ」アスラが言う。「彼は大切な人間だよ。いずれ、君たちも理解する」


「はぁい」


 レコはアスラの言うことは素直に聞く。

 アスラは自分の部屋の前で立ち止まる。そして振り返り、アーニア王を見詰めた。


「酒は本当にいらないかね?」


「飲んでいる場合ではない」アーニア王が言う。「本当に危険なことだ。真面目に聞いて欲しい」


「分かったよ」


 アスラは肩を竦めてから、自分の部屋のドアを開けて、中に入る。みんなもゾロゾロと入室。

 人口密度は大丈夫。アスラは広い部屋を使っている。ベッドも無駄に2つある。

 ティナが手前のベッドに腰掛ける。イーナはティナの隣へ。最近、ティナとイーナは仲が良い。

 レコは奥のベッドに寝転がって、枕を抱き締めて「団長の匂い」と嬉しそうだった。

 アスラは椅子を移動させて、アーニア王に座れと示す。

 アーニア王は素直に従った。

 アスラはもう一つの椅子をアーニア王の前に移動させて、今度は自分が座る。


「アスラよ、近くないか?」

「ドキドキするかね?」

「いや、特には」


「ああそう」アスラが小さく首を振った。「ではこのままでいいだろう?」


 実は椅子をセットする位置をミスったのだ。前にも同じミスをした気がする。確かそう、英雄将軍マティアス・アルランデルを殺す前ぐらいだったか。


「何か可笑しいか?」とアーニア王。


 アスラは笑っていたが、自分では気付いていなかった。

 あの日は、アーニア王が頭のおかしな依頼を持って来て、アスラはとっても嬉しかった。

 英雄を殺してくれ。それは一生に一度、あるかないかの依頼。

 英雄殺しの共犯者。それがアーニア王。秘密の共有は絆を深める。


「ふん。ちょっと昔を懐かしんだだけだよ。話を聞こう。なるべく簡潔に頼む」

「アスラたちは狙われている」


「そんなの、よくあることですわ」ティナが言った。「別に珍しくもないですわね」


「……まぁまぁ」イーナが言う。「……最後まで、聞こう……。何か面白いこと、言ってくれるかも」


「たぶん、今までとは規模が違うはずだ」アーニア王が言う。「大貴族タルヴォ・ハンヌネン・レレを知っているか?」


「いいや?」とアスラ。


 他の団員たちも首を傾げた。


「奴は軍を起こした」

「それって私らのために?」


 アスラの問いに、アーニア王が深く頷いた。


「大貴族命令を用い、全ての小、中貴族とその私兵を招集した。東フルセンに限れば、クレイヴン家以外の全ての貴族が《月花》討伐軍に参加する」

「……中央と西は?」


「ほぼ参加だろうが、余は他地域のことまでは詳しくない」アーニア王が言う。「諜報に使える人的資源は限られている」


「どうであれ、実に嬉しいじゃないか。私らを討伐するために、そんなに多くの人が集まってくれるなんてね。私が愛され属性だからかな?」


「団長は! 愛される系!」とレコ。

「愛と憎しみが表裏一体なら、ある意味そうかもしれませんわね」とティナ。


「喜んでいる場合ではないぞアスラ」アーニア王が言う。「それだけではないのだ。その程度では済まないのだ」


「簡潔に」とアスラ。


「タルヴォは全ての国に助力を要請した」

「なんだって?」

「全ての国。フルセンマークに存在する全ての国に、《月花》討伐のために軍を出すことを要請した」

「それで? 参加する国はどのぐらいかね?」


「40とも50とも」アーニア王が言う。「貴族たちを敵に回したくないと思っている国は兵を出すだろう。100か200か、規模は各国によるだろうが」


「では1万か2万ぐらいは集まる可能性があるわけか」


 アスラは笑った。

 アーニア王が真面目に話すから、神妙な表情で聞いていたけれど、もう我慢できない。だから笑ったと言うよりは、笑みが零れてしまったのだ。

 その表情を見たアーニア王が唾を飲んだ。


「私は今、本当に、心から、生まれて来て良かったと感じているよ」アスラがおぞましい笑みを浮かべたままで言う。「この私を世界の敵だと人類は認識したのだ。それだけ私を恐れたのだ。素晴らしい! 実に! 実に素晴らしいじゃないか!!」


 アスラは立ち上がり、腹を抱えて笑った。

 その姿は狂気そのもの。


「ああ! 戦争は楽しい! 楽しくて仕方ない! それが向こうからやってきた! 私を討つために! 私たちを討つために! たまらない! 滾る! 1万でも2万でもいい! 蹂躙しよう! 蹂躙されよう! 最後の日になってもいいから楽しもう!」


「……あーあ」イーナが薄暗く笑う。「たくさん殺せる。たくさん、たくさん、あたし、人間なんて嫌い。死ねば良い……全部殺そう団長、あたしらに敵対するなら、1万でも10万でも……殺し尽くそう団長……」


「じゃあ、一旦拠点に戻って準備だね」レコが言う。「巻き込みたくないから、ルミアに会えるのは戦争後かな」


「残念ですわ」ティナが言う。「でも、さっさと終わらせてルミアとお茶しますわ」


「レコ、迎えを寄越すよう手紙を書け! 今すぐだ!」とアスラ。


「はぁい!」


 レコはすぐに立ち上がって、ベッドの側の棚から紙を出して、羽で手紙を書く。


「アーニア王、悪いが特殊部隊の訓練は終わりだ。4日間だったが、彼らはそれなりに仕上がっている。依頼ではなく、免責のためにやった訓練だからね、終わりでも問題ないだろう?」

「あ、ああ……も、問題はない」


 アーニア王は完全に引いていた。

 アスラとイーナの狂気に。レコとティナの冷静さに。


「楽しくなるぞ諸君。楽しくなるぞ。全身全霊で遊ぼうじゃないか。って、あれ?」アスラはふと、思い出したように言う。「なんでそのタルヴォという奴は私を討伐したいんだろうね?」


「ハールス家を、その、アスラたちが滅ぼした報復と聞いている」とアーニア王。


「なるほど! 滅ぼしておくもんだね! 私は何もしてないけど!」


 アスラは両手を叩きながら言った。

 まともな戦争は久しぶりだ。ジャンヌの戦争以来だ。

 アスラは心が躍って仕方なかった。

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