EX37 新たな戦争を始めよう 巨悪を裁くための戦争を!
エルナ・ヘイケラは東の大貴族ハンヌネン家を訪ねていた。
「わざわざ時間をどうもー」
応接室に通されたエルナは、高価なソファに腰を下ろしながら言った。
「ふん。さすがの俺も大英雄に会いたいと言われたら断れまい」
テーブルを挟んだ対面のソファに、ハンヌネン家の当主が座っている。
当主の名はタルヴォ・ハンヌネン・レレ。25歳の青年だ。
「それに」タルヴォが言う。「こちらからも大英雄に話があった」
タルヴォは茶髪のオールバックで、身長や体重は平均的。顔立ちは可もなく不可もない。
大貴族なので、着ている服は高級品。少し派手だが、誰が見ても高価だと分かる。
「あらあら?」エルナが言う。「そうなのねー? それじゃあ、先に聞きましょうか」
「俺は軍を起こす。その時に、英雄の力を借りたい」
「英雄は戦争に参加しないわー。その国の軍に所属していない限りはね。知らないわけじゃないでしょー?」
「世界の敵の討伐、と言ったら?」
「《魔王》認定するほどの敵がいるかしら? もしいるなら、わたしの耳に入ってると思うけれど?」
「いや、すでに英雄たちはその敵を知っているはずだ。知っていて、目を背けている。英雄にあるまじき行為だ」
「あらあら? いきなり侮辱? 敵は誰なのかしらー?」
「アスラ・リョナとその傭兵団」
タルヴォは真面目な表情で言った。冗談の類いではなく真剣。
「世界を滅ぼすほどの脅威じゃない……と自信を持って言えればいいのだけれど」
エルナが苦笑いした。
アスラを『脅威ではない』とは嘘でも言えない。あれは脅威だ。あの子こそが世界の脅威だ。そんなこと、とっくにエルナは知っている。
だけれど、知った上で利用しているのだ。
「連中はハールス家を潰した」
「その件は知っているわー」
中貴族が1つ、一夜にして滅んだのだから、噂はフルセンマーク全土を駆け巡った。
「一族郎党、皆殺しだ」タルヴォがきつく拳を握る。「それどころか、私兵や使用人に至るまで、徹底的に殺しやがった」
エルナは何も言わなかった。かなり凄惨な現場だった、という話を聞いているからだ。
「俺はな、大英雄、許せないんだ。連中が許せない。貴族を舐めた連中はみんな許せん。日に日に貴族の栄光は消えていく。貴族の権力が失われていく。ハールス家の滅亡はその象徴的な出来事だ。かつて、かつて貴族が支配していた世界では、そんなことは有り得なかった。許せん、俺は許せんのだ大英雄」
タルヴォの所属する国は、東フルセンの中でも中央集権化が早かった。
それはタルヴォの父がそうなる未来を預言で知っていたからに他ならない。
逆らう意味が薄いと知っているからこそ、中央集権に賛成し、中央官僚という名の利権を得た。
そして多くの貴族たちがそれを真似した。
タルヴォはそのことを酷く悔やんでいる。当時は当主ではなかったので、どうにもできなかったけれど。
それでも、預言が外れ、無意味になるなら、中央集権に逆らっても良かったのではないか? そう思ってしまうのだ。
「貴族の支配は終わりを告げるわねー」エルナが言う。「でもそれは時代の流れで、仕方ないことだわー」
「ふざけるな大英雄!」タルヴォが両手でテーブルを叩いた。「仕方ないだと!? ハールス家の滅亡も仕方ないのか!? 連中は、アスラ・リョナの傭兵団は、中貴族を潰したんだぞ!! 全て殺しやがった!! 文字通りの皆殺しだ!! 許されるのか!? 奴らは誰にも裁かれない!! 誰も奴らに刃向かわない!! 貴様ら英雄もだ!!」
だって利用価値があるんだもの、とエルナは思ったけれど言わなかった。
「どう考えても! 連中は世界の敵だろう!? 金さえ払えば、罪のない中貴族を皆殺しにするような連中だぞ!? 放っておくのか!? それでも英雄か!? お前たちの特権は、人類を脅威から守るからこそ与えられたものだろう!?」
「熱くならないで欲しいわねー」エルナが冷静に言う。「あなたの怒りの理由は他にもありそうねー。もっと個人的なこと。そうねー、たとえば、アスラに親でも殺されたかしらー?」
「バカを言うな!! 俺は連中の無法が、貴族を舐めているのが、許せんのだ!!」
「それは事実だと思うけれど、他にもあるでしょー?」
「話を逸らすな大英雄!」
タルヴォがエルナを睨む。
タルヴォは言わないが、別の理由も当然ある。
預言を利用していた大貴族家にとって、アスラによる預言の破壊は大打撃だったのだ。
ジャンヌの『神滅10年戦争』に備え、コツコツと物資を溜めていたのだ。
武器、防具、薬草、食料、その他。
凄まじい金額だ。物流に大きな影響が出ない程度に、長い年月をかけて蓄えた。長く続く戦争で、世界は荒廃し、物資が足りなくなる。
そこで全部高値で売り払うために、溜めていた。それらは全て無駄になった。
「まぁいいわー。とにかく、あなたはアスラちゃんたちを殺したいのね?」
「違う!! 俺は裁きたいんだ!! 連中に裁きを与えたい!! 数々の犯罪行為に手を染めているという情報もある!! 連中を裁き、貴族の威光を取り戻す!!」
「アスラちゃんたちを裁いて、威光が戻るかしらー?」
「戻る! 貴族の結束を、貴族の力を、全世界が知るからだ!! 俺はすでに全貴族家に対して連名の大貴族命令を出している。ファリアス家の許可もある!!」
連名はタルヴォと、中央の大貴族家の当主だ。名前はコラリー・ジオネ・レレ。金銀財宝と特権が大好きな女性当主だ。
「なるほど。大貴族命令ね。久しぶりに聞いたわねー」エルナが苦笑い。「中貴族、小貴族はそれに従う義務があり、逆らったら貴族号が剥奪される。あってるかしらー?」
「その通りだ。小貴族のクレイヴン家以外は俺に賛同した」
「つまり、分かり易く言うと、すでに全貴族と《月花》の戦争は避けられない、ということね?」
「違う。違うぞ大英雄。俺は各国にも要請を出している。貴族家と敵対したくなければ、部隊を出すはずだ。俺の想定では、貴族の私兵と各国が出した連合軍で、最低でも1万の兵が集まる。よって、これは世界と《月花》の戦争だ」
当然だが、各国が出すのは精々、多くて200かそこらだ。それでも、40の国が出せば8000の兵となる。
「尋常じゃない数ね。大国の軍事力だわ。それだけ集めておいて、更に英雄の力まで借りようって言うのー?」
「俺は手を抜かん。貴族を本気で怒らせればどうなるか、全世界に見せしめる」
アスラ・リョナは預言を覆すだけの力を持った危険な存在である。
ナナリア様ですら死にかけたという話だ、とタルヴォは思った。
大貴族家の当主は、ファリアス家のことを知っている。家督を継ぐ時に前当主から知らされる。
「だとしても戦力過剰じゃないかしらー?」
「あくまで、英雄はアスラたちを《魔王》に認定しないと?」
「いつかは、そうする日が訪れる気がしているわー」エルナが少し曖昧に笑う。「でも今ではないわねー」
「そうか。ではせめて、中立を保て。人類を脅威から守らない英雄など、俺は不要だと思うがな」
「あまり勝手を言わないで欲しいわねー。アスラちゃんたち《月花》がジャンヌ軍のような脅威だとは誰も思わないわ。今のタイミングで《魔王》認定する方が不自然よ」
全人類に対して宣戦布告したわけではないし、大軍で四方八方に戦争を吹っかけたわけでもない。
「中立を保つのか、保たないのか、どっちだ?」
「中立を保つわー。英雄は関わらない。だから、そっちで勝手にやってちょうだいね?」
「ではアイリス・クレイヴン・リリ……」タルヴォが言う。「いや、クレイヴン家は貴族号を剥奪するんだったな。アイリス・クレイヴンを引き上げさせろ。でなければ、うっかり殺してしまうかもしれんぞ?」
なるほど、とエルナは思った。最初からそこが落としどころか。
アイリスという戦力を、英雄を《月花》から遠ざける。
英雄を殺したら面倒だし、そもそも英雄なんか敵側にいない方がいい。単純に勝率が上がる。
「アイリスが死んだら、いかなる理由でも、流れ矢であっても、わたしがあなたを殺す。あなたの軍を殺す。英雄を殺した者は英雄に殺される。ねぇ? 貴族の威光もいいけれど、英雄の威光も忘れないでね?」エルナは冷たい声で言った。「わたしは中立を保つ、アイリスも引かせる。クソみたいな戦争に英雄を巻き込まないでね? お願いだから巻き込まないで? アスラちゃんを裁きたい? ご自由にどうぞ? 英雄には何の関係もないわー。勝手にやって勝手に死になさい」
エルナはアスラの仲間ではない。貴族の仲間でもない。
英雄も同じだ。アスラのための組織でも、貴族のための組織でもない。あくまで人類の脅威の排除が英雄の役目なのだ。
いつかアスラがそうなるとしても、今ではない。
「言ったことは守れよ大英雄」
「ええ、もちろん。くだらない貴族の見栄で、大切な大英雄候補を傷付けたくはないもの」
エルナは立ち上がる。気分が良くないので、もう帰りたいと思ったのだ。
「ふん。それで、そっちの用は?」
「もういいわ。ファリアス家のことを聞こうと思っただけよ」
エルナは部屋を出ようと歩き始める。
「噂なら事実無根だ」タルヴォが言う。「ファリアス家が魔物を飼っていて、暗殺に使っている、だったか? 突然広まった謎の噂を、まさか大英雄様が信じるとはな」
「念のための確認よ。深い意味はないわー」
まぁ、そもそもその噂を広めたのはエルナである。魔殲を動かすための流言だ。
そして予定通りに魔殲はファリアス家を調べに向かっている。エルナは魔殲に監視を付けているのだ。
エルナはハンヌネン家を出て、小さく溜息を吐いた。
「さすがのアスラちゃんたちも、1万の兵じゃお別れかしらねー」
全世界対《月花》の戦争。
あるいは、タルヴォだけを狙って勝つか?
大抵の場合、総大将が死ねば敗戦だ。普通の国同士の戦争ならそうなる。
けれど、今回は連合軍だ。それにタルヴォのあの執念。
タルヴォが死んでも、即座に別の者が指揮を執る可能性がある。
少なくとも、エルナなら事前に自分が死んだあとの指揮系統を確立しておく。更にその次も、そのまた次も。
「うーん、やっぱりお仕舞いかしらねー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます