第2話 訪れなかったハッピーエンドに溺れて 「というか、ゴジラッシュ強くない?」


 ティナは楽しい夢を見ていた。

 まぁ、夢と現実の区別は付いていないけれど。


「姉様は本当に悪い子ですわ」


 ティナはジャンヌの尻を強く叩いた。

 ティナは椅子に座っていて、ジャンヌは全裸でティナの膝の上に腹ばいになっている。


「あぁ、ティナ、ごめんなさい。明日からはあたくし、ちゃんと起きますから……」


 ジャンヌは涙声でそう言った。


「昨日もそう言いましたわよ? 姉様はもっとしっかり躾けないと良い子になれませんわ」


 ティナはより強くジャンヌの尻を叩いた。

 ティナの平手が当たり、ジャンヌの尻がグニャリと変形し、肉を打つ音が部屋中に響く。

 ジャンヌの身体が仰け反る。

 ジャンヌの尻はすでに腫れ上がっているのだが、ティナは容赦なく連続で叩いた。

 ジャンヌが声にならない悲鳴を上げる。


 ティナはジンジンする自分の右手を見詰める。手が痛い。とっても痛い。

 ジャンヌの尻を叩いて跳ね返る感触は十分に楽しんだので、今度は優しく撫でることにした。

 撫でながら、たまに揉む。

 ゾクゾクしますわね!

 ジャンヌを支配している、という快感。立場の逆転による高揚。

 だけど同時に、ちょっと可哀想にも思った。本気で叩かれると痛い。ティナはそのことをよく知っているから。


「こんなに痛いんですね……」ぐすん、と泣きながらジャンヌが言う。「ティナのこと、たくさん叩きましたね、あたくし……」


 ティナの心を読んだかのようなジャンヌの言葉。


「そうですわ……。姉様はぼくを虐待しましたわ……」


 ぐすん、とティナも泣き出した。思い出して辛かった。

 ジャンヌがティナの膝から降りて、それからティナを抱き締めた。

 ジャンヌの肌の温もりを感じて、ティナはジャンヌを抱き返す。


「ごめんなさいティナ。あたくしは、あなたを愛していました。それなのに、あなたを虐待してしまった……」


「もういいですわ……。今、仕返しできましたし……」ティナはジャンヌの肌にキスをした。「姉様、もうどこにも行かないでくださいませ。ずっとぼくと一緒に、いて欲しいですわ。もう二度と死なないで……」


「ええ。分かりました。あたくしは、ずっとティナといます。毎日、一緒に眠って、一緒に起きて、一緒にご飯を食べましょう」ジャンヌが微笑む。「復讐も何もかも忘れて、穏やかに過ごしましょう。お互いのお尻を愛でながら」


「はいですわ……」


 現実世界では有り得なかった展開。幸福な世界。訪れなかったハッピーエンド。

 まるで夢のようですわ、とティナは思った。

 もしかしたら、本当に夢なのかもしれない。だけど、そうだとしたら。

 お願いだから覚めないでと、そう願わずにはいられなかった。


       ◇


「ああ、親父殿、これは本当に素晴らしい夢だと思うよ」


 現代兵器を用いてドラゴン退治をしたアスラが言った。

 親父殿がいて、傭兵団の仲間たちがいる。

 大好きな銃火器を用いてドラゴンを倒せるなんて、酷くロマンチック。アスラの望みそのものだ。


「夢じゃねーって言ってんだろルーク。この感触が夢かよ?」


 親父殿はM4カービンでアスラを小突いた。


「夢だよ。いや、私も楽しくなってドラゴン退治には熱中したけどね」


 アスラが肩を竦める。

 アスラは着替えていて、いつものローブ姿ではない。

 親父殿と同じ砂漠地域用の迷彩服に、ボディアーマー。サングラスと迷彩ヘルメット。手にはパキスタン軍仕様のMP5。命中精度の高いサブマシンガンだ。

 アスラたちは正規軍ではなく傭兵なので、装備がバラバラなのだ。


 大手の民間警備会社なら装備が支給されるだろうが、アスラたちは個人経営の傭兵団。武器は基本、自分に合った物を自腹で用意する。

 防具も同じく、自分たちで調達する。団員の中には、迷彩服すら着ていない奴もいる。ジーンズ姿で銃をぶっ放す姿はテロリストと見分けが付かない。

 ちなみに、アスラは別にMP5が好きなわけではない。親父殿に渡されたから、そのまま使ったというだけ。

 別にMP5が嫌いというわけでもないけれど。


「まったくこのデカイトカゲ野郎は生命力強すぎだろうが」親父殿がニコニコと言う。「弾丸はタダじゃねーってのによぉ」


 凄まじい数の弾丸を撃ち込み、対戦車ロケットまで持ち出して、3人ほど殺されて、それでやっと倒せた。


「やっぱり戦車を買った方がいいよ、親父殿。私は10式戦車がいい。小柄で可愛くて高性能だからね」アスラが言う。「って、夢だからどうでもいいか。とりあえず楽しかった。でも悪いんだけど、私は今を生きるタイプなんだよね。私には私の団がある」


 アスラは銃口を親父殿に向けて、そのまま引き金を絞った。


「あは、私の親父殿がこんなに弱いはずがないだろう?」


 アスラの目の前で親父殿が蜂の巣になった。正確には、アスラが撃ち殺した。

 アスラはそのまま、他の団員たちも全員射殺した。

 アスラの周囲に、動く者がいなくなって、乾いた風が吹き抜ける。

 硝煙と血の臭いが鼻腔をくすぐる。


「ふむ。敵は親父殿でもドラゴンでも団員でもなかったか」


 アスラはMP5をその場に捨てた。

 この夢は幸福過ぎる。

 アスラを喜ばせる要素に満ち溢れていた。まるで誰かが操作したかのように。


「私は信じないよ? こんな完璧な世界が構築される可能性はどのぐらいかね?」


 人為的な夢だ。アスラはそう確信している。

 有り得ないのだ。こんなロマンチックで最高に楽しくて、心が躍る夢は。


「ふむ。返事はないか。ということは、敵は夢の外……つまり現実世界かな?」


 アスラは拳銃を取り出して、自分のこめかみに銃口を当てる。

 そして何の迷いもなく自殺した。


       ◇


「目覚めた!? そんなバカな!!」


 ユーナはアスラの覚醒に気付き、狼狽えた。

 月明かりに照らされる城壁の上。


「嘘よ! 有り得ない! どうして!?」


 数多くの人間をこの方法で殺して来たのだ。

 幸福を自分で捨てるなんて普通は有り得ない。

 少なくとも、今までに目覚めた者は1人もいない。


「ナナリア様……」


 ユーナはナナリアの言葉を思い出していた。

 アスラ・リョナは預言を覆した。だから気を抜くな。

 アスラ・リョナは頭のネジが飛んでいる。だから少しも手加減するな。油断するな。5位のゼルマがすでに殺されている。

 そうは言っても、所詮は人間。『空想世界』に入れば、そのまま死ぬだろうとユーナは思っていた。


「ここまで、普通じゃないなんて……」


 人類初の偉業、と言っても差し障りない。なぜなら、過去に誰1人として『空想世界』を打ち破った者はいないからだ。

 神の血脈であるティナですら、完全に落ちたのに。二度と目覚めない眠りに自ら進んで落ちたというのに。

 ギリッと唇を噛み、グッと拳を握った。

 あまりにも悔しい。悔しすぎる。ユーナにとっては、唯一のスキル。それを簡単に破られてしまった。


「どうすれば……」


 もう一度、『空想世界』に引き込んでも、結果は変わらない気がする。

 アスラは何度でも幸福を捨てて、過酷な現実に嬉々として戻ってくる。そんな気がする。

 ティナの方はこのまま殺せそうなので、スキルを解かずにアスラを物理的に倒すしかない。

 そう、最終的には物理的に殺せばいいのだ。『空想世界』に打ち勝ったからと言って、アスラが生き残るわけじゃない。

 ユーナは最上位の魔物だ。弱くなどない。英雄でもない人間1人ぐらい、軽く捻って殺せるはずなのだ。

 と、巨大な咆哮が夜の城に響き渡った。

 星屑の散らばった黒い海を引き裂くような、強烈な怒りに満ちた咆哮。

 ユーナは慌てて、空を見上げる。

 咆哮が上から聞こえたからだ。


「ドラゴン!?」


 ユーナの視線の先には、縄張りに侵入されて怒り狂ったドラゴンの姿があった。

 どう猛な鋭いかぎ爪に、全てを噛み砕く牙、空を駆けるための翼。憤怒の表情に、堅牢な鱗。そのドラゴンは、明らかにユーナを敵視していた。


「ちっ、私の存在が気に入らないのね」


 ユーナはドラゴンの縄張りに侵入し、更に固有スキルまで使っている。

 当然、それなりに強い魔物なら怒って攻撃してくる。

 だがそれは頭の悪い魔物だけだ。ある程度、知性のある魔物ならユーナを攻撃したりしない。

 なぜなら、ユーナは強者だから。上位の魔物であるドラゴン如きが、喧嘩を売っていい相手ではないのだ。

 ユーナはセブンアイズなのだから。普通の魔物とは一線を画した存在なのだから。


「まったく本当にウザいんだから……」


 ユーナは吐き捨てるように言ってから、羽を使って空に舞い上がる。


「上位の魔物は最上位の魔物には……」


 勝てないのよ?

 台詞が終わる前に、ドラゴンが口の中に魔力を溜めた。

 だけれど、それは魔法ではない。種族固有スキル。《魔王》の扱う攻撃魔法に似ているが、違っている。

 ユーナはそのスキルを知っている。知っているのだけれど、理解が追いつかなかった。


「え?」


 次の瞬間には、ドラゴンの吐いた青い熱線でユーナの身体が半分消し飛んでいた。

 青い熱線はそのまま遠くの山に当たり、凄まじい爆発と破壊をもたらした。

 これは。

 この青い熱線を吐くドラゴンは1種類だけ。

 ドラゴンにはいくつかの種類があるけれど、この種族固有スキル『王の暴虐』を扱うのはただ1種類。

 すでに絶滅したはずの種。

 あまりにも脅威度が高すぎて、当時、神の血脈が総出で殺したはずのドラゴン。

 かつての伝説。

 数多の国を気ままに滅ぼした、《魔王》に次ぐ脅威。

 いや、《魔王》はある程度ファリアスの制御下にあるが、この種は違う。

 そういう意味では、《魔王》以上の脅威とも言える。


「竜王種……」


 ユーナは空に留まることができず、墜落し始めた。


「聞いてないですよ、ナナリア様……竜王種がいるなんて……」


 このままでは、ユーナは死んでしまう。

 だけれど、どうすることもできない。

 6位の傀儡師が助けてくれるとも思えない。

 傀儡師とは一緒に来たけれど、傀儡師は「様子……見ますですぅ……最初は、はい」と離れた場所でこちらを窺っている。

 元々、協調性のない奴なのだ。まともにコミュニケーションを取れない薄暗い奴。

 せめて、他の誰かと一緒だったなら、助けを期待できたのに、とユーナは悔やんだ。

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