十章

第1話 月見酒としゃれ込もう まるでいつか崩れる幸福な夢のように


 あまりにも月が綺麗だったものだから。

 まん丸で、銀色で、闇の中に浮かぶ希望よろしく、キラキラしていたから。

 アスラは前世を思い出した。

 正確には、前世の慣習を思い出した。同時に、なぜ団の名前を《月花》にしたのかも。

 そこからのアスラの行動は素早かった。

 団員全員に声をかけて、中庭に集めた。

 まだ眠るには早い時間だったので、みんなアスラに従った。


 アスラはティナとメルヴィに声をかけて、盃を運んだ。薄くて、底が浅く、月のように丸く広がった盃。

 ユルキとマルクスが、酒樽を担いで中庭に出てくる。

 アイリスとイーナがお菓子を持って出てくる。

 レコとサルメは調理したカエルを山ほど抱えて姿を現した。

 ラウノは何も持っていなかったが、問題ない。アスラはラウノに何か持ってこいとは言っていない。


「さぁみんな、前世の話をしよう」


 アスラはベンチに座って言った。

 他のみんなは芝生の上に座っていて、マルクスが酒を注いでみんなに回している。


「私の母の国では、風景とともに酒を飲む慣習があったんだよ。たとえば、雪を見ながら酒を飲む雪見酒。花を見ながら飲む花見酒。そして?」


 アスラがレコに視線をやる。


「分かった!」


 レコが天を指さす。その先には、銀色に輝くお月様。

 中庭に灯火はないけれど、月明かりと星明かりで十分に明るい。


「その通りだよレコ。君は本当に賢いね」アスラが微笑む。「美しい月を見ながら飲むことを月見酒と呼ぶ。ちなみに、私の親父殿も月見酒が好きでね。砂漠の真ん中で、月を見ながら酒を飲んだものさ。当時11歳の私にも飲ませてくれたけど、私はまだ酒の味が理解できなかった」


「そりゃ今もっしょ」とユルキが笑った。


「まぁね。だけれど、砂漠に浮かぶ月は美しかった。まるで空が海のようで、月は海に浮かんでいるのかと思ったものさ」

「どうぞ団長」


 マルクスが酒の入った盃をアスラに渡した。

 もう全員に盃が行き渡っている。


「レコ、メルヴィ、ティナは無理に飲む必要はない。雰囲気だけ楽しんだら、ジュースを取っておいで」

「今日のアスラはなんだか、とっても穏やかですわね」


 ティナがなんの気なしに言った。


「どうしたの死ぬの?」とアイリス。


「君は無理にでも飲め。そして吐けばいい」アスラが笑った。「まぁ、映画だとこういうシーンのあと、大抵は誰か死ぬけどね」


「映画とは何でしょう?」とサルメ。


「紙芝居……いや、劇だね。演劇のことだよ」アスラは上機嫌で言う。「演劇だと、急にいつもと違うことをしたり、脇役だった奴が急に目立つと、大抵死ぬのさ」


「じゃあ、アイリスは目立っちゃダメだね!」

「ちょっとレコ!! あたしが脇役だって言うの!? 14歳で英雄になったし、そこそこ可愛いし、どう見ても演劇だったら主人公かヒロインじゃないのよ!!」

「……可愛い自慢……ウザ……。てゆーか、主人公、あたしだし……」


 イーナがボソッと言った。


「いえ、私も割とありですよ?」とサルメ。


「おいおい、君たち落ち着きたまえ」アスラが言う。「主人公は私だよ。どう考えても私だろう?」


「いえ団長」マルクスが言う。「団長はどちらかと言うと、役割的には師匠系ですね。主人公にしては完成されすぎています」


「ああ、それは一理あるね。でもまぁ、そんなことはいい。美しい月を見て、酒でも楽しみたまえ」


 アスラが盃に視線を落とす。

 まん丸の月が、盃に映り込んでいる。

 アスラは盃を少し動かしたりして、酒の水面に映える月を楽しんだ。

 アスラの真似をして、他のみんなも盃の月を愛でた。


「風情があるね」とラウノ。

「オシャレよね」とアイリス。

「独特の趣だ」とマルクス。

「悪くねーな」とユルキ。


「……今日の団長は、綺麗な団長……」イーナが言う。「……あたしも、悪くない……と思う……」


「楽しいですわ、こういうの」ティナが嬉しそうに言う。「ぼく、こういう雰囲気は初めてですわ」


「私は、その、お酒は飲めませんが」メルヴィが言う。「みなさんと、ご一緒できて、とっても嬉しいです」


「花が綺麗な時期になったら、今度はみんなで花見酒をしよう」


 アスラが盃を少し持ち上げる。

 みんなも同じように盃を持ち上げて、それから酒に口を付けた。


「月見酒に花見酒」サルメが言う。「月に、花。どこかで聞いたことがありますね」


「《月花》!!」レコが言う。「そっか、《月花》ってそこからなんだね!!」


「そうだよ。好きなモノから取ったのさ」アスラが優しく微笑む。「まぁ、今世の私は酒を楽しめないけれど」


 いつか、もう少し成長したら、前世のように風景を肴に酒を楽しみたい。

 アスラは心からそう思った。


「さぁ、私とジュースを取りに行く人!?」


 アスラが言うと、レコ、ティナ、メルヴィが返事をした。


       ◇


 その夜、アスラは懐かしい夢を見ていた。

 照りつける太陽と、乾いた風。

 灼熱のミドルイースト。

 アスラは小高い丘から、砂漠の城塞都市を見下ろしていた。

 泥レンガで造られた高層ビル群で、建物の上部は白い。


「ほう。世界最古の摩天楼か。ということは、ここは内戦中のあの国か」


 アデン湾を挟んだ対面の共和国には、母の国の軍の基地がある。

 正確には、セルフディフェンスフォース。自衛隊、という呼称だったか。

 2010年から海賊退治のために、こんな遠くまで出張ってきている。

 実にご苦労なことだ、とアスラは思った。


「俺ら雇ってくれりゃ、海賊なんぞ端から皆殺しにしてやるのになぁ? パンプキンボーズ。そうだろう?」


 アスラの隣に立っている男が言った。

 男は砂漠地域用の迷彩服の上から、ボディアーマーを装備している。

 迷彩のヘルメットにサングラス。

 手には、以前ステイツの兵士から奪ったM4カービン。

 M4カービンはコンパクトで扱いやすい銃なので、アスラも好きだった。


「親父殿?」

「おう、パンプキンボーズ。あれが次の目標だ」

「偵察中かね?」

「おいおい、どうしたパンプキン? 太陽光で頭がやられたか?」

「いや。悪い。どれが目標だって? 最古の摩天楼を破壊するのは、さすがの私も気が引けるがね」

「そっちじゃねぇよパンプキン。あれだ」


 親父殿が指さした方向は、城塞都市の外側。

 そして、そこには巨大なドラゴンが鎮座していた。

 ゴジラッシュより遥かに大きく、鱗の色が赤い。


「世界が混じってるようだね。ということは、これは夢か」


 アスラは冷静に状況を分析して、そう結論した。


「おいおい、夢なわけないだろう? 俺たち《ムーンクロス》はドラゴン退治の依頼を請けたんだ。覚えてないのかパンプキン」

「私をパンプキンと呼ぶな。子供じゃない。今の私はアスラだ」

「アスラ? そりゃアレか? 仏教だかカトリックだか何だかの神様か?」

「阿修羅じゃない。親父殿は相変わらずアホだな」


 アスラはクスッと笑った。

 懐かしい。

 懐かしくて、そして幸福な時間。


「テメェはあいつの国から戻って賢くなったな」親父殿が笑う。「あっちでの生活はどうだった?」


「平和が好きなら最高だろう」


 ふむ、とアスラは思う。

 母の島国から戦場に戻った頃か。

 アスラは自分の手を見る。

 それは慣れ親しんだアスラ・リョナの手。

 前世の、男だった頃の手ではない。

 服装も、いつものローブだった。


「んじゃあ、テメェには地獄だな」親父殿が肩を竦めた。「戻って嬉しいぜ


「アスラだよ、私は」

「どっちでもいいだろう? それで? もっとあっちの話をしてくれよ」

「尋常じゃないほど清潔だったね。ゴミが落ちてない。ビビッたよ」

「ロボット大国だからな。お掃除ロボットが大量に導入されてんだろ?」


「いや、違う。誰も外でゴミを捨てないんだよ」アスラが肩を竦めた。「規律のある社会だった。あとはまぁ、良い点も悪い点も多い。というか、親父殿も行ったことあるだろう?」


「まぁ、な」親父殿が少し笑った。「母ちゃんは元気だったか?」


「元気だったよ」


 本当に知りたいのは母のことか、とアスラは思った。


「そうか。元気なら、良かった」

「私をまっとうな人間にしたいと言っていたよ」


「お前が戻ったってことは、その目論見は失敗したんだな」と親父殿が笑った。


「最初から無理なんだよ。だってそうだろう?」アスラが薄く笑う。「私はベビーベッドではなく装甲車で眠ったし、ガラガラの代わりにアサルトライフルを与えられ、可愛い服を着る代わりに迷彩服とボディアーマーを着込んだ。ガキどもが三輪車に乗る頃、私は特攻用のドローンを操作して施設を破壊したり人を殺したりしていたんだからね」


 正確には、ドローンを扱ったのは大人になってからだ。

 アスラが子供の頃は、まだドローンは普及していない。もちろん前世の話。


「そりゃそうか」親父殿が言う。「子守歌は銃声と悲鳴と怒声。温かいシチューの代わりにレーション食ってたんだ。くくっ、そりゃそうだ。まっとうに生きられるはずがねーよな」


「そんで私は来世でも同じことをしている。ふん。生まれ変わってもイカレてるのは治らなかったよ親父殿。悲しくないどころか、嬉しくて堪らないがね」


 私が私であることに、心から感謝している。もっとも、感謝する相手が誰なのか分からないけれど。


「そいつは羨ましいぜ。俺も、生まれ変わっても傭兵やりてぇなぁ」

「きっとやってるよ」


 アスラは親父殿に笑顔を向けた。

 ああ、なんて楽しい夢なのだろう。懐かしくて儚くて、愚かで美しい。

 だけれど、結局、夢は夢に過ぎない。

 この幸福な時間は過去の幻影に過ぎないのだ。


       ◇


 傭兵国家《月花》の王城、その城壁の上。


「ふふ、いい夢を見ているようね」


 青い肌の女性が城を見ながら微笑んだ。

 女性の名前はユーナ・メーマ。

 腰まで伸びた長い髪の色は赤く、灼熱の炎を思わせる。

 瞳は空に浮かぶ月よりも明るい金。

 胸が大きく、扇情的な肉体。

 着ている服の布面積が小さく、アスラが見たらきっと「君は露出狂かね?」と質問する。


「深夜の夢は幸福な夢。月明かりと星明かりの下で、永遠に幸せな夢を見るの」


 ユーナの背中にはコウモリのような翼が生えている。


「目覚めることのない夢。幸福だから。望む世界だから。人はそこに留まり続ける。そして――」


 ユーナはうっとりした表情で言う。


「――死ぬ。夢の中で、私に生命エネルギーを全て奪われ、死に至る。幸福とは即ち、死に至る病。攻撃されていることにも気付かず、与えられた幸せを享受し、何も分からぬまま死んで逝く」


 種族固有スキル『空想世界』。

 ユーナはその人生において、多くの人間を殺している。

 夢の中で、幸福に包まれたまま、人間たちは生命エネルギーを奪われ、死んだ。

 誰も夢から覚めなかった。

 人間は幸福に逆らえない。


「傭兵団《月花》のアスラ・リョナ。どれだけ強くても、所詮は人間。私の世界から逃げられない」


 セブンアイズの7位、ユーナ・メーマの見せる幸福に抗った者はいない。

 ユーナはナナリアの命令で、アスラを殺しに来た。

 ついでに、ダブルのティナもできるなら殺せ、と指示されている。

 だからユーナはアスラとティナを『空想世界』に誘った。


「捕食者は私。人間は餌。だけれど、私は優しいでしょう? 穏やかに、幸せに、望む世界で死ねるのだから」


 ユーナは定期的に他者の生命エネルギーを補充しなければ、自分が死んでしまう。

 そういう欠陥品。

 元々、上位の魔物だった夢魔の死体を、ナシオが【再構築】して最上位の魔物にした。

 それがセブンアイズのユーナ。

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