EX26 紙一重の未来 闇に沈む未来も確かに存在した


 アイリスは久々に実家に戻った。

 メイドに馬を預けた時、メイドはアイリスの帰還を心から喜んだ。

 アイリスも嬉しくなって、メイドに抱き付く。

 アイリスが子供の頃から、仕えているメイドなのだ。

 軽く言葉を交わしたのち、アイリスは玄関を潜り抜ける。


「ただいま!!」


 大きな声で言った。

 アイリスの声が屋敷に響き、ドタバタと慌てたような音が聞こえる。

 そして、

 玄関ロビーのすぐ前にある大きな階段の上に、父と母が走って来た。


「アイリス!?」

「戻ったの!?」


 両親は酷く驚いていた。


「うん! ただいま!」アイリスが笑顔を浮かべる。「でも短い間なの! 英雄選抜試験の審査員に呼ばれてるから!」


「そうか、お帰りアイリス」

「ジャンヌ・オータン・ララを倒して、《魔王》も倒したんですって?」


 両親が階段を下りながら言った。

 両親はともに金髪。年齢は、父が38歳、母が40歳だ。


「倒した! お土産話たくさんあるのよ!」


 アイリスは走って、階段の途中で母に抱き付く。

 続いて父にも抱き付いた。


「アイリス、君が戻って本当に嬉しいんだけど」


 父が複雑な表情で言った。

 アイリスはつい、アスラ式プロファイリングを使ってしまった。

 表情、声音、父の性格などから分析してしまった。


「まずいことがあったのね?」


 そして未解決で困っている。

 父は少し驚いたような表情を見せた。


「誰かに聞いたの?」と母。


 アイリスは首を横に振った。

 道で領民と会うと、みんな笑顔でアイリスを歓迎してくれた。

 でも今思えば、少し困ったような表情もあった。


「英雄の力が必要なこと?」


「いや、巻き込みたくはない」と父。

「そうね。あなたのことは、エルナ様にお願いする手紙を出したの」と母。


「待って。その言い方だと、その、2人とも……」


 死ぬみたい。という言葉は飲み込んだ。

 何かあったのだ。

 何があった?

 アイリスは思考する。推理する。アスラ式プロファイリングを意識して使う。

 でも情報が足りない。結論が出ない。

 途中で誰かと話せば良かった、とアイリスは思った。

 早く帰りたかったので、領民にも手を振ったり笑顔を返しただけ。


「アイリス」父が言う。「エルナ様のところに行きなさい」


「嫌よ。何があったのか聞くまで、あたしどこにも行かないから」


 もう、子供ではない。お花畑で歌っていた少女ではないのだ。

 解決できる。今のあたしなら、大丈夫。そう強く思った。

 父と母が顔を見合わせる。

 アイリスの決意が固いと、2人は察してしまったのだ。


「階段でする話じゃないわ」母が困ったように笑った。「とりあえず、応接室に行きましょう?」


 アイリスが頷き、父は溜息を吐いた。

 3人はゆっくりと歩いて応接室へ。

 歩いている間、何も話さなかった。

 応接室のソファに、父と母が並んで座った。

 アイリスはテーブルを挟んだ対面に腰を下ろす。


「中央集権化に刃向かうことにしたんだよ、アイリス」


 父は少し悲しそうに笑った。


「は?」とアイリス。


 中央集権化は時代の流れだ。逆らう意味はあまりない。

 それでも逆らうとしたら、条件が悪いのだ。あまりにも。


「どうして? 中央官僚にしてくれないの?」

「違うの、違うのよアイリス……」


 母は少し泣きそうな声だった。


「今、中央の税率は50%」と父。


「は? 50%って……」


 所得の半分が税金として取られるということ。

 そんなの、領民はまともに生活できない。


「中央集権化に伴う、国家改革費用という名目だけど」母が言う。「実体は違うの。王とその側近たちが毎日豪遊するためのお金……」


「何よそれ……」


 自国の王の評判が良くないことはアイリスも知っている。

 だけど、地方分権だったから、領主さえまともなら中央が腐っていても問題なかった。


「領民たちと何度も協議を重ねて」父が言う。「戦うことにした。自治権を求めて」


「バカ言わないでよ! 勝てるわけないじゃない! うちは領土も狭いし、中央軍と戦うなんて……」


 そこで気付く。

 領民がアイリスの帰還を喜びながらも、どこか困ったような表情も見えた理由。

 アイリスを巻き込みたくないのだ。戦わせたくないのだ。


「それでも、領民の生活を守る義務がある。領民が中央集権を望まないのなら、私は戦う」


 父はすでに腹を括っている。


「自治権の交渉は、とてもじゃないけど、飲めない条件だったの」

「おい。それは言わなくてもいい」

「聞かせてよ。あたしはクレイヴン家の娘よ? 次の領主はあたしなの。だから聞かせて。どんな条件なら、自治権を認めてくれるの?」


 アイリスが言うと、母が泣き出した。

 父が母の背中を撫でる。


「差し出せと、言われた」

「何を? うちに何があるの?」


 小貴族の貧乏領主。それがクレイヴン家。金銀財宝もなければ、強力な軍があるわけでもない。

 父はジッとアイリスを見詰めた。

 その視線で、察してしまう。理解してしまう。


「……あたし?」


 クレイヴン家の唯一の資産。

 名誉であり、誇り。

 英雄アイリス。


「お前を嫁にと……」父が悔しそうに拳を握った。「それ以外では、自治権は絶対に認めないと言われた……」


「何よそれ……、そんなの、あたしのために戦うみたいじゃない……」


「あなたは」母が泣きながら言う。「愛されてるの、私たちにも、領民にも……」


「この話をした時、領民たちの怒りが頂点に達した」父が言う。「もはや引くことはできない。アイリス、お前を巻き込みたくはなかった」


「それはおかしい! だって、あたしが嫁に行けば解決することでしょ!?」


 なんでみんなして、あたしを守るのよ。

 王様はアイリスより20歳は年上だけど、そんなの珍しくもない。

 貴族の娘が王族に嫁ぐのだって珍しくない。

 ただ、

 王様がデブで不細工で性格が悪いというだけのこと。

 アイリスが耐えれば、それで済む。


「嫁いでどうなる? お前は今後、うちを人質に取られることになるんだ」


 父が真剣な声と表情で言った。


「英雄のいる国は……戦争では有利よ」母が涙を拭いながら言う。「あなたは、最前線に行かされるわ。戻れば王の玩具にされ、永遠に英雄の称号を利用され続ける。うちの領土を盾に。あなたは、優しい子だから、逆らわないでしょ?」


「娘の人生を、奪うと言っているんだ、あのデブ王は」


 父は怒り心頭といった様子。

 アイリスは考えた。

 打開策がないか。

 でも、それよりも。


「もし、今日戻らなかったら、あたし……何も知らないまま全てを失ってたの?」


 恐ろしい。

 歯車が少し狂えば、アイリスは全てを失っていた。

 その時、アイリスがアイリスのままでいられるか、自信がない。

 ジャンヌやルミアのように、闇に堕ちるかもしれない。


 もしも。

 ジャンヌとの戦争が長引いていれば、

 片刃の剣が折れていなければ、

 魔殲の連中が来なければ、

 ほんの小さな食い違いだけで、全てを失う未来が存在した。

 アイリスは両手で口を押さえた。

 吐き気。

 恐ろしい。

 紙一重の未来が恐ろしい。


「アイリス、エルナ様のところに行きなさい」父は優しく言った。「会えて良かった」


「嫌よ……」アイリスが言う。「あたしね、自分で言うのも変だけど、ずいぶん成長したのよ? それにね、今のあたしには、仲間がいるの。困った時、助けてくれる仲間が」


「仲間と一緒に参戦するつもりなの? 英雄は私怨や私利私欲では戦えないでしょう?」母が言う。「英雄が戦争に参加するなら、軍に籍を置かないと……。うちの軍には、参加させないわよ?」


「それはアスラ喜ぶだろうなー」


 目に浮かぶ。

 アスラは戦争が大好きなのだ。

 それに、アスラなら勝てるかもしれない。中央軍とは大きな戦力差があるけれど、それでもアスラなら、勝てるかもしれない。

 だけど。

 領民が傷付くことは望まない。


「仲間に手紙を書いたら、明日王様のところに行ってくる」


 アイリスが笑顔で言った。


「お前が犠牲になる必要は無い!」


 父が勢い余って立ち上がる。


「ならないよ。話し合いをする。そして解決する。信じて欲しい」


 昔のアイリスなら、母と一緒に泣いて、

 それから嫁ぐのだろう。

 みんなのために。


「すでに決裂しているのに、どうやって、解決すると?」と父。


「分かんない」アイリスが曖昧に笑った。「でも、あたしは英雄。王様も無茶はできない。あたしに何かしたら、英雄みんなが敵になる。だから、ある意味、安全に話ができる」


 それに、話している間は攻められることもない。


「ま、今日はとにかく休ませて? 長旅だったし、疲れちゃった」


 アイリスが両手を広げる。


「そう、そうよね。お風呂と食事を用意させるわね」母が席を立つ。「あなたの部屋はそのままだから、部屋で休んでてね」

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