第5話 英雄の称号に逆らう者はいない 「私以外だろう? このフレーズ何度目だい?」


 マルクス・レドフォードはヘルハティ王国の酒場を訪れた。

 そこは1日中営業している酒場で、主に休暇中の海軍軍人がたむろしている。

 マルクスが店内に入った瞬間、いくつもの視線がマルクスに向いた。

 そして客たちが怪訝そうに顔を歪める。

 マルクスの服装が黒いローブ姿だったからだ。

 海軍の制服でもなければ、海軍を示す黒と赤の三角帽子も被っていない。

 マルクス以外の客は、自分が海軍の所属だと分かるように制服を着用している。

 海軍の制服は、白いシャツの上から黒のコート。

 コートには金色の大きなボタンが7つ。

 階級章はコートの左胸。

 ズボンはグレーで、ブーツは黒。

 マルクスは周囲を見回し、どの階級の人間がどこに座っているのかを確認した。

 そして最奥のボックス席へと歩き始める。


「なんだあいつ?」

「誰かの連れじゃねーの?」

「海軍じゃないよね?」

「ちょっとイケメンじゃない? 赤毛の短髪って好みだわ」


 周囲がざわつくが、マルクスは気にも留めない。

 一定の速度で歩き、最奥のボックス席の前で立ち止まる。

 その席には、2人の美女を両隣に座らせた50歳前後の男が陣取っていた。

 ボックス席はコの字型になっている。


「どけ」


 マルクスは左側の女に言った。


「え? どういうこと?」


 女は意味が分からない、という風にオロオロした。


「なんだテメェは?」


 男が言った。

 男は顔に傷がある。

 間違いなく探していた男だ、とマルクスは確信。


「傭兵団《月花》のマルクス・レドフォード」


 言いながら、マルクスは女の腕を掴んで立たせる。

 そして自分の方に引き寄せ、入れ替わるようにマルクスがボックス席に座った。


「ちょっと、待ってよ、仕事の邪魔……」


 女が怒ったように言った時、マルクスは懐からドーラを出して女に渡した。


「これで足りるだろう? 代わってくれ」


 女は札を数え、満足したようにその場から立ち去った。


「お前も、消えてくれ」


 もう1人の女にも、マルクスが金を渡した。

 女は笑顔で立ち去った。


「魔王軍を討伐した傭兵団」傷の男が言う。「オレに何の用だ?」


 男は酷く警戒した様子で言った。


「最初に団の名前を出しておけば、お前は騒がないと思った」マルクスが言う。「自分たちはそれなりに、有名だからな」


「用は何だ、と聞いてんだ。娼婦の姉ちゃんら、帰しやがって……」

「海軍艦艇ヘルミナの艦長、ユッカ・ホルケリで合っているか?」


 確信はある。

 しかし確認を取るのは大切なこと。


「おう。オレがそうだ。で、用事は?」


 ユッカは酒の瓶を手に取って、グラスに注ぐ。


「ビールか」

「おう。海軍って言やぁ、ビールよ。それで用事は?」


 言ってから、ユッカがビールをあおる。

 警戒しているようで、割と無防備。

 大物を気取りたいのだろうか、とマルクスは思った。


「自分は団長からの手紙に基づいて動いている」


 ヘルハティに到着した時、アスラはすでに監獄島に向かっていた。

 しかし、マルクスがヘルハティに向かう道中で手紙が届いたのだ。


「休暇を楽しんでいるか?」マルクスが言う。「自分がやることは少ない。それに簡単なことだ。フルマフィを知っているな? ジャンヌが運営していた犯罪組織だ」


 ユッカの動きが止まり、ジッとマルクスを見据えた。


「フルマフィはヘルハティに支部を構えていなかった」マルクスが淡々と言う。「代わりに、地元の犯罪組織に麻薬を卸していた」


「そういう話なら、オレじゃなくて憲兵に聞け」

「いや、お前でいい。密輸していたのはお前だろう? 知っている」

「おいおい、海軍船長のオレが、密輸だ? 証拠はあるのか? ん?」

「フルマフィに詳しい者がいる。まぁ、今は拠点に戻っている最中だろうが」


 ティナのことだ。途中まで、一緒に移動していた。

 ティナもアスラの手紙を読んだ。


「もっとも、団長がすでに調べを済ませ、詳しい者はただ頷いただけだったが」

「詳しい者ってのは誰のことを言ってやがる? そりゃ与太話だぜマルクス。うちの憲兵がオレを疑ってねぇんだからよ、それが白の証拠だぜ」

「確かに、ヘルハティの憲兵は質が高い。だが、所詮は憲兵。法の外側には出られない」


 アスラがどのように情報を得たのか、マルクスには容易に想像できた。

 あらゆる手段を用いたのだ。

 必要ならアスラは何でもする。


「仮に、オレが密輸してたとして、それがどうした?」ユッカが言う。「証拠がねぇんだから、逮捕もできねぇ。となりゃ、口止め料を払う必要もない。だろう?」


「憲兵に突き出す気はない。聞きたいことがあるだけだ。答えてくれれば、密輸の件は忘れる」

「言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」

「ある憲兵について。組織犯罪対策部隊にいた女性で、地元犯罪ファミリーに殺された」


「その事件なら知ってるぜ? 大きく報じられたからな」ユッカが笑う。「その後も知ってる。ファミリーはイカレた憲兵野郎にぶっ潰された。皆殺しだったそうだぜ?」


「お前は長いこと、地元の犯罪ファミリーと癒着していた」マルクスが言う。「憲兵は何も掴んでいなかったが、その女性だけが、疑った」


「何が言いたい?」

「殺しを命じたな?」

「オレが? 犯罪ファミリーに? 冗談キツイぜマルクス。オレは海軍一筋35年だ。軍を裏切るような真似はしねぇな」


「ジャンヌに跪いた時、お前は頭を踏んでもらったそうだな?」マルクスが言う。「そしてミリアムがこう言った。『ジャンヌ様のために働け。報酬は多い』と」


「てめぇ、何で……」

「更に寵愛の子はこう言った。『麻薬を海路で運ぶだけの簡単な仕事ですわ。断ってもいいですけど、姉様は許さないかもしれませんわ』だったか?」

「てめぇ、ジャンヌを殺す時に組織の全貌を吐かせたのか……?」

「いや。その必要はない」


 実質、フルマフィを管理していたのはティナだ。

 ティナがいれば、全て分かる。

 正直、ジャンヌが生きていたとしても、ユッカのことを覚えているとは思えない。


「明後日、船を出せ」とマルクス。


「ふざけんな。あと5日は休暇だ」

「帆にバツ印を書いておけ」


「ふざけんな、って言ってんだろ? 今の証言で、オレを逮捕するのは無理だろ? 言う通りにする必要はねぇな」

「何度も言わせるな。憲兵に突き出す気はない。後顧の憂いを絶つチャンスをやる、と言っているのだ、自分は」


「あ? 後顧の憂い?」

「今、お前の正体を知っているのは自分たち《月花》ともう1人。自分たちは別に、お前の過去の犯罪には興味がない。だがもう1人は違う」


「分かり易く言え」

「そいつを団長が連れてくる。始末するチャンスだとは思わないか? 海上なら、お前の部下以外、誰の目にも留まらない」


「てめぇのメリットは何だ?」

「任務だからやっている。お前を連れて行けばそれでいい。そのもう1人と、お前と、どちらが勝つかは知ったことではない」


「もう1人ってのは誰だ?」


「ラウノ・サクサ。お前がイカレた憲兵野郎と言った男だ」マルクスが言う。「お前はラウノの妻を殺すよう命じた男だ。そして、ラウノはそれを知っている」


 今、ラウノがそれを知っているかどうか、マルクスには分からない。

 だが必ず団長が話す。

 要するに、ユッカは餌なのだ。

 ラウノを監獄島から出すための餌。

 恩を売り、仲間にするための切り札。


「分かるだろう?」マルクスが言う。「証拠は関係ない。ラウノはお前を殺しに来る。自分たちがその舞台を整えてやる」


「はっ! その憲兵野郎は監獄島送りになったんだ! どうやってオレを殺しに来るってんだ!?」

「うちの団長が脱獄させる」


「……あ?」ユッカが目を丸くした。「脱獄? そりゃ冗談のつもりか? 監獄島から逃げた奴なんて1人もいねぇ」


「最低3人、脱獄する。団長と、団員、そしてラウノ」マルクスが言う。「乗った方がいい。でなければ、お前にチャンスはない。お前がラウノに勝てば、自分たちは去る。お前には何の用もないからだ」


「……誰に雇われてやがる? 話が分からねぇ。ラウノがてめぇらを雇ったとは思えねぇ。奴は監獄島だ。雇い主を言え」

「傭兵が、それを吐くと思うか?」


 そもそも、雇い主などいない。

 これはラウノを仲間に引き入れるためのミッション。


「いくらてめぇらが、ジャンヌ軍を倒したって言ってもよぉ、ここにはオレの部下が10人以上いるぞ?」


「13人だ」マルクスが冷静に言う。「だから何だ?」


「てめぇの態度にイラついたから、テメェをここで痛めつけるってのはどうだ? あ? 憲兵野郎がもし、本当に来たとしても、オレは対応できるぜ?」


「自分は団長と違って、バトルジャンキーではない。だから穏便に話を進めている」マルクスが溜息混じりに言う。「だが敵対するなら、力でねじ伏せて連れて行くことになる」


「海軍舐めてんじゃねぇぞてめぇ」


「お前こそ、《月花》を舐めるな。《月花》は舐められるのが好きじゃない」マルクスが言う。「うちには行動をともにしている英雄もいる。分かるか? ジャンヌ軍は《魔王》認定された。お前も、含まれている。英雄が《魔王》をどうするか知っているだろう?」


 英雄たちは、ジャンヌ軍の残党狩りは行っていない。

 各国の軍や憲兵が主導し、英雄に助けを求めることはあるけれど。

 英雄たちが独自に残党狩りを行っているという情報は無い。

 本物の《魔王》が出現し、それどころではなかったというのもある。


「英雄……」


 さすがのユッカも、英雄と聞いて怯んだ。


「だが、言う通りにするなら、それも不問だ。もっとも、ラウノに殺される可能性もあるが、それでも、お前はラウノを倒せば、完全に自由だ。憲兵に追われることもなければ、英雄に追われることもない」


「確かか? 憲兵はまだしも、英雄に追われるのだけは死んでもゴメンだ」

「英雄の中で、お前のことを知っているのはうちと行動しているアイリス・クレイヴン・リリだけだ」


 嘘である。

 アイリスは知らない。

 今頃、イーナにしごかれて泣いているに違いない。


「アイリスが他の英雄に話さなければ、お前は安全だ。約束しよう。自分たちは傭兵だ。信用を下げるような真似はしない。分かるだろう? 約束は守る」


 まぁ前提そのものが嘘なのだが。

 ユッカは沈黙している。

 必死に考えているのだ。

 どうするのが、自分にとって最善なのかを。


「断るなら、アクセル・エーンルートにお前のことを話す。英雄は私怨や私利私欲では人を殺せないが、《魔王》認定されている相手なら……」


 英雄には義務と特権がある。


「待て! アクセルはやめろ!」ユッカが怯えたように言う。「人類最強の男に追われるとか、地獄じゃねぇか。分かった、船を出す。明後日だな? それでラウノを殺せばいいんだな?」


 情報が古いな、とマルクスは思った。

 アクセルが人類最強と呼ばれていたのは、ずっと昔の話だ。

 今のアクセルは全盛期ではない。

 しかし、名前を出したのは正解だった。


「そうだ。それでお前は自由だ」


 ラウノの方が弱ければ、の話。

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