第10話 無限の死を体験したらどうなる? 私はとっても楽しいと思うよ?


「ティナ……」


 ジャンヌは左手をティナの方に伸ばした。


「姉様……」


 ティナは少し怯えている様子だった。

 ジャンヌは無理に笑って、魔法を使った。


「今のは……?」とティナが首を傾げた。


 その魔法が何なのか、アスラには分からない。

 ティナにも分からなかった。

 確かに魔法は発動したけれど、何も起こらなかった。


「お守りです」


 ジャンヌは再び、無理に笑った。

 アスラはレコとサルメの腕を掴んで、強引に立たせようとした。

 けれど、


「……ごめんない……腰が……抜けました」


 サルメは震える声で言った。


「団長、ごめん……」


 レコも同じだったようで、立ち上がれない。


「サルメは自分が抱いていく。レコを頼むユルキ」

「おう!」


 マルクスがサルメをお姫様抱っこして、ユルキがレコを抱え上げる。


「行け! 私が殿しんがりだ!」


 アスラが叫び、マルクスとユルキが駆け出す。

 イーナはアイリスの手を握って引っ張るように走った。

 アスラは牽制のため、指をパチンと鳴らして【地雷】を発動させた。

 花びらがジャンヌのMPに触れて爆発。


「どこへ、行こうと、言うのです?」


 ジャンヌは無傷だった。

 MPがジャンヌを守っているのか?

 どうであれ、攻撃が通らなくても目くらましを続けて時間を稼ぐしかない。

 ジャンヌが右手のクレイモアをアスラの方に向けた。

 瞬間、クレイモアから巨大な黒いMPが放出される。

 その黒いMPは一直線にアスラへと向かう。


「くっ! 躱せないっ!」


 アスラは最初、横に飛ぼうと考えた。

 けれど、放出されたMPの速度が速すぎて不可能だと察した。

 そして打つ手もなかった。

 だから、当然、アスラはそのままMPに飲み込まれた。


       ◇


 暗い世界。

 黒い世界。

 何もない。

 冷たくもない。

 暖かくもない。

 私は死んだのか?

 そう思考した瞬間、アスラは知らない場所にいた。

 どこかの村。燃えていて、兵士たちが酷い形相で戦っている。

 自由に身体を動かせないまま、アスラは虐殺された。

 死んだと同時にまた別の場所に移動。

 何も自由にならないまま、複数人の男に犯され、そして殺された。

 次は拷問を受けて死んだ。

 次は信頼していた人物に裏切られて死んだ。

 激しい憎しみと絶望感が、深い悲しみと叫びがアスラの中に入り込む。

 次から次へと、アスラは数多くの死を体験した。

 リアルな痛みとリアルな感覚を伴った、数々の最悪。

 常人ならとっくに正気を失うような、そんな体験を延々と繰り返した。


 100人の死を体験したら、次の100人の死が始まる。

 苦痛の中で、

 無力感の中で、

 憎悪の中で、

 アスラは何度も何度も殺された。

 何度も何度も犯され、何度も何度も拷問される。

 ジャンヌに意味も分からず殺された。

 兵士に槍で突かれた。

 ありとあらゆる死に際。

 まるで実体験のようにリアル。


 1000人の死が終わり、次の1000人の死が始まった。

 ごく希に、知っている顔があった。

 私だ。

 私に殺されている。

 誰だこいつは?

 私が殺した誰かの記憶を追体験。

 他人の身体を通して見る私とは、なんとも可憐に笑うものだ。

 この笑顔を見られるなら、死んでもいいだろう。

 そんなことを思った。


 10000人の死が終幕を迎え、次の10000人の死が開幕。

 数時間か、あるいは数日、もしかしたら数年。

 アスラは延々と死に続けた。

 この世に存在する全ての死を体験したのではないか、とアスラが思った頃。

 急に身体の自由が利くようになった。


「私の身体に戻ったのか?」


 いつもの両手だ。小さなアスラの手。


「身体をよこせ」

「なぜ自我が壊れない?」

「憎い……」

「悲しい……悲しい、なぜこんな目に……」

「復讐してやる。復讐だ! 肉体がいる! 肉体をよこせ!」


 怨嗟の声が黒い空間に響く。

 女の声、男の声、老人の声、子供の声。


「さっきの死者たちか?」


 アスラは冷静に分析した。

 それから、自分の身体をしっかりと確認。

 服を着ていないし、よく見るとわずかに透けている。

 実際の身体でないようだ。


「なぜ身体を明け渡さない!」

「なぜ憎んでいない!?」

「なぜ何も感じていない!?」

「わたしの憎しみを!」

「オレの悲しみを!」

「ぼくの絶望を!」


「そう言われてもねぇ」アスラが肩を竦めた。「私は他者への共感能力が著しく低い。君らの死に際を体験したが、実に有意義な体験だった、としか思っていない」


 実際、あれだけ多くの死を体験できるのは貴重。

 普通、命は一つしかないのだから。


「お前も、あいつも、なぜ身体を渡さない!」

「こいつらはなぜ自我を保っていられる!?」

「ワタシの凄惨な死を体験して、なぜ正気でいるの!?」

「あんな過酷な拷問を受けて、なぜ気が触れない!?」


 怨嗟の声が少し大きくなった。


「君らは変わっているね」アスラが笑う。「人類のささやかな日常を追体験したぐらいで、どうして私の自我が崩壊すると思ったんだい? 君たちは崩壊したのかい? 日常じゃないか。普通のことだよ? よくあること。よく見かけるし、私自身も3歳の時に体験したよ。まぁ私は生きているがね」


「こいつには心がない!」

「心がない!」

「心に入れないから、名前すら分からない!」

「肉体も手に入らない!」


「アスラ・リョナだよ。自己紹介が遅れて悪かったね。怨嗟諸君。いや、負け犬諸君。それとも、もっとシンプルに死者諸君かな?」


 アスラはとっても楽しそうに言った。


「我々を負け犬と呼ぶのか!?」

「鬼畜が!」

「外道が!」


「気付くのが遅い」アスラは低い声で言う。「私はどちらかというと、君らを絶望の底に叩き落とす側の人間だよ? くくっ、君らのようなカスが、私の若くて美しい肉体を手に入れたいだなんて笑えないジョークみたいだね」


「こいつはダメだ!」

「こいつは滅ぼすべき対象だ!」

「こいつは破壊する!」

「もう1人の肉体を!」

「ジャンヌ・オータン・ララの肉体を!」


「ほう。ジャンヌもいるのか。会話から察するに、名前を知っているということは、ジャンヌの心に入れたんだね。おめでとう。ところで、ジャンヌに会わせてくれないかい? そしたら、肉体の提供について一考しようじゃないか」


 嘘ではない。

 アスラは約束を守る。

 ちゃんと一考して、

 それから一蹴するだけの話。

 と、アスラの目の前に少し透けているジャンヌが現れる。

 ジャンヌは全裸で、両手で頭を抱えてもがき苦しんでいた。

 身体を折り曲げ、膝を畳み、奇声を上げながら必死に抵抗しているように見えた。

 胎児の姿勢と呼ばれる形で、大きな心理的ストレスに晒された人間が取る姿勢だ。


「話の分かる奴らだね、君たちは」


 だから死んだのだ。

 愚か者め、とアスラは思った。

 同時に、アスラの同意さえあれば、彼らはアスラの心に入れるのだと分かった。


「正気を保てジャンヌ」


 アスラがジャンヌを蹴飛ばしたが、足がすり抜ける。


「そしてこの状況を私に説明したまえ。何がどうなっている? このクズどもはなぜ私の肉体を欲している?」

「あ……アスラ・リョナ……ぐっ……」


 ジャンヌは酷い顔色でアスラを見た。


「心を明け渡すな。私と話せ。状況を説明しろ」

「……騙した……あたくしを騙しましたね!!」

「いや、私は何もしていない」

「よくも……よくも嘘を! 《魔王》になっても! 自我は……短時間なら残ると言った!」

「《魔王》?」


 アスラは思考する。

 状況を整理して、ジャンヌの発言を考慮して、推測する。


「……ティナとルミアは攻撃しない……あたくしは、あの2人を殺してしまうぐらいなら……《魔王》になりません!」


 ジャンヌが叫んだ瞬間、ジャンヌの身体から何かのエネルギーらしき物が飛び出した。

 ジャンヌは肩で息をしているが、かなり楽になった様子だった。


「これは《魔王》復活の儀式か何かかね? 察するに、生け贄が必要なんだろう? それが私と君というわけかな?」

「酷く悪趣味な体験をさせられました……」


 ジャンヌは深く呼吸しながら、アスラを見た。


「人類のささやかな日常」アスラが言う。「別に悪趣味だとは思わないよ。私は楽しかった。学術的な意味でね。人間の死と、それにまつわる感情の動き。実世界では何の役にも立たないが、面白かった」


 アスラの言葉を聞きながら、ジャンヌは目を丸くしていた。

 まるで奇妙な生命体に遭遇した時のように。


「それで?」アスラが言う。「生け贄という推測は正解かね?」


「半分は」


 ジャンヌがゆっくり立ち上がる。

 まぁ、どこが地面なのかよく分からない空間だが。


「残りの半分は?」


「生け贄ではなく依り代です。そして、依り代はあたくしだけの予定でした。アスラを巻き込んだのは偶然です。どういう原理で巻き込んだのか知りませんが、あたくしの意思ではありません」


「そうか。ところで君は、《魔王》を復活させる手順に詳しいようだね? どこでその知識を?」


 人類は《魔王》のことをよく知らない。

 学者たちも、いくつかの推論や仮説を立てているだけで、検証はされていない。

 だからアスラも《魔王》についての知識は乏しい。

 ジャンヌは何も言わず、ただアスラを見ていた。


「話したくないなら、別に構わない」アスラが片手を広げる。「だが私の推論を聞いておくれ。連中、今は大人しいが、あの怨嗟に塗れた汚物どもは、人間の残留思念か、それに相当するエネルギー体といったところかな? たぶん現実世界の君から漏れ出ていたMPの元だろう。そして《魔王》の大元。エネルギー体である連中は、活動するために肉体が必要。で、生け贄……依り代だったね。依り代の自我を壊して、肉体を乗っ取る。そしてめでたく《魔王》が誕生する、って感じかな? どのぐらい正解だろう?」


 ジャンヌはアスラの推論を聞きながら、眉を上げて口を半開きにしていた。


「表情から察するに、かなりいい線いったんだね? だから君は驚いている。ふふっ、推理は得意でね。シャーロックもビックリして私を褒めるだろうよ」

「……頭がいいんですね」


「そうだよ。だからこんなことも分かる」アスラはジャンヌの瞳をジッと見詰めた。「君は初めて会った時と印象が違う。あの時の君と今の君はまるで別人のようだ。人間は変化する生き物だが、それには大抵の場合、キッカケが必要だ」


「あたくしは……」ジャンヌが曖昧に笑う。「ルミアと再会してから、必死で昔の自分を思い出そうとしていました。なぜかは分かりません。ただ、昔が恋しかっただけなのかもしれません」


「なるほど。それに伴ってソシオパス的傾向が減少しているね。敵としては弱くなったと言わざるを得ない。残念でならないよ」アスラは溜息を一つ吐いてから、小さく笑った。「それでも、それでも君は世界を滅ぼそうとした《魔王》だ。英雄たちは君とその軍勢を《魔王》に認定したが、それは間違っていなかった。なぜなら君は、本当の《魔王》になろうとしていたから」


「そうするはずでした。けれど、今はもうその気がありません。あたくしの自我が少しでも残らないのなら、意味がないのです。ここであたくしが自我なき《魔王》となれば、ルミアとティナが巻き込まれるでしょう?」


「君の人生だから、途中で止めたってそりゃ構わない。でも」アスラが言う。「私は君を殺す。絶対に殺す。売られた喧嘩は買う主義でね。ふふっ、愉快だねぇ。《魔王》ジャンヌを倒しに来た勇者アスラだよ、私は? ククッ、勇者って響き最高だね」


 ジャンヌを打ち倒せば、そうなる。

 各地でアスラと《月花》の名が広まり、今後の仕事がしやすくなる。

 入団希望者も増えることだろう、とアスラは微笑む。


「君には最期まで、私の敵として振る舞って欲しいものだよ。それらしく振る舞って欲しいよ。頼むからそこらの雑魚のように簡単に折れてくれるなよ?」


「あたくしは最期まで、人類の敵です。それは変わりません」ジャンヌは強い意志を持った瞳で言う。「《魔王》になる策は捨てましたが、別の方法を考えます。ですが、ひとまずここは協力して、この空間を脱出しませんか? 続きは現実世界で」


「その必要はない」アスラが肩を竦めた。「おい亡者ども、肉体を提供するかどうか考えた結果、私は君らに協力しないと決めた」


「ふざけるな!」

「約束が違う!」

「何のために我々は待っていたのだ!」

「嘘吐きのクソッタレ!」


 怨嗟の声が激しくアスラを罵る。

 しかしアスラはどこ吹く風。


「おいおい、私は一考すると言っただけだよ? そして約束通り一考したじゃないか? 結果が君らの望むものと違うからって、責められるいわれはないね」


「言っておきますが、あたくしも身体を明け渡しません。【呪印】? 。自我が残らないのなら、《魔王》に価値などありませんね。あたくしが望むあたくしのための破壊でなければ用はありません。用のない者をあたくしがどうするか知っていますか? 首を刎ねるんです。ずっとそうしてきました。死者に対しても同じです」


 2人の言葉を聞いて、凄まじい呪詛が飛び交う。

 この世界の憎しみを全て2人にぶつけるような勢いだった。

 常人なら、恐怖で自我を失う。

 けれど。

 ここにいるのは、

 人間として初めて《魔王》に認定され、世界を敵とした悪の化身、ジャンヌ・オータン・ララ。

 そして、

 道徳が欠如し、良心が欠乏し、善悪を理解せず、倫理が破綻した反社会性人格障害のアスラ・リョナなのだ。

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