第11話 私は取引が大好きだよ え? 脅迫? いやいや、取引だよ?


 一つの黒い塊が宙に浮いている。

 帝城の謁見の間。

 アスラとジャンヌを飲み込み、それは球体に近い形になった。


「……やばくね? やっぱ撤退した方がよくね?」


 レコを抱えたユルキが言った。

 アスラは撤退命令を出したが、アスラが黒い塊に飲み込まれた時にマルクスが命令を変更した。


「いや、もう少し待てユルキ。この状況が分からない」


 マルクスはサルメを抱いている。


「あたし逃げた方がいいと思う!」アイリスが言う。「寒気が止まらないの!」


「……でも、ルミアとティナは……焦ってない」


 言いながら、イーナがルミアを見る。

 ルミアは黒い塊を無視して、回復魔法で足を治している。

 ティナは玉座に座ったまま動かない。

 王冠可愛い、とイーナは思った。

 ティナの頭には王冠が乗っていて、似合っていないのが可愛い。


「あ、あの、私もう大丈夫です……」


 サルメが言って、マルクスがサルメを降ろす。


「オレも平気」

「おう。俺の腕の中で漏らされなくて良かったぜ」

「オレ漏らしてないし。漏らしたのサルメだし」


 ユルキがレコを離して、レコが自分の足で立つ。

 サルメは頬を染めて下を向いた。


「あんたたちにはデリカシーってもんがないわけ?」


 アイリスがレコとユルキを睨んだ。


「ない……」イーナが強く頷いた。「期待……するだけ無駄。それより、もう手……離してくれない?」


 最初にアイリスの手を握ったのはイーナの方。

 固まっていたアイリスを引っ張って逃がすためだ。

 今はアイリスの方がギュッと握っている。


「べ、別に握ってないし! イーナが握ったし!」


 アイリスはパッとイーナの手を離した。


「ルミア」マルクスが言う。「状況の説明をしてくれると助かる。我々は逃げた方がいいのか?」


「どうかしら?」ルミアが言う。「アスラが取り込まれてるから、微妙なところね」


「よぉ、これって何なんだ?」


 ユルキが黒い塊を指さす。

 黒い塊が凝縮された途方もないMPの塊であることは誰でも理解できる。

 サルメやレコにだってそれがMPだと分かる。

 ユルキが聞いたのは、もっと根本的なこと。

 何のために存在していて、これから何が起こるのか。


「《魔王》復活の儀式の途中ですわ」ティナが言った。「本当は姉様が1人で《魔王》になるはずでしたの。でも、なぜかアスラが巻き込まれましたわね」


 ティナの言葉で、ルミア以外の全員が目を丸くした。

 数秒の沈黙。


「団長、ついに《魔王》になるの?」とレコ。

「まぁ、団長ならいい《魔王》になるだろうぜ」とユルキ。

「……世界終わった……」とイーナ。

「フルセンマークの歴史も終わりか。感慨深いな」とマルクス。

「団長さんが《魔王》になる。どうしてだか、納得できます」とサルメ。


「納得すんなぁぁぁぁぁぁ!」アイリスが叫ぶ。「どういう原理よ!? 《魔王》って自然災害でしょ!? 人間が《魔王》になるなんて聞いたことないんだけど!?」


「俺だって聞いたことねーよ!」ユルキが言う。「でもこの塊、《魔王》だって言われたら納得するだけのMP量だぞ!?」


「おい。みんな最期の言葉を考えておけ」マルクスが言う。「団長とジャンヌが《魔王》になるというのは、即ち世界の終わりだ。どこにいても死ぬだろう」


「もし団長さんの知性を持ったまま《魔王》が生まれたら悪夢ですね」とサルメ。

「胸もきっと小さいよ?」とレコ。


「……短い人生だった……。まぁ楽しかったからいいけど……」


 イーナがその場に座り込む。


「この状況で活き活きと死ぬにはどうすればいいでしょう?」サルメも座る。「何かゲームでもしますか?」


「諦めんなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」アイリスが叫ぶ。「ひとまず逃げて、英雄たちと合流して対策しましょ!! ここにいたら絶対死ぬわよ!?」


「たぶん、どこにいても死ぬわ」ルミアが淡々と言う。「《魔王》の個体差は、依り代となる人間の能力で決まるのよ? ジャンヌとアスラって、組み合わせとしては最強よ? 英雄たちが勝てるとは思えないわ。今までの《魔王》って、たぶん全部一般人が依り代よ?」


 ルミアの発言で、また短い沈黙。


「カードでも持ってくれば良かったな」マルクスが座る。「最強の《魔王》に殺されるなら、まぁ悪くはないだろう」


「だな。無駄な抵抗はしない主義だぜ、俺は」


「団長もよく言ってたよね」レコが言う。「相手が自分たちより強ければ、逃げるか避けろって。どっちも無理なら活き活き死ねって」


「だから簡単に諦めるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」アイリスがまた叫んだ。「あたしは諦めないから! 英雄たちと合流して、打ち倒してみせるもん!!」


「あ、リバーシならありますわよ」


 ティナが立ち上がり、床に置いていた盤面を持ち上げる。


「ゲームに誘うなぁぁぁぁぁぁ!!」アイリス、絶叫。「あんたたち、いつも自信満々のくせに、なんでそんな一瞬で諦めてんのよ!?」


「……アイリス、無理なものは、無理……。気合いで勝てるなら……誰も苦労しない」


 イーナは背伸びをしてから、床に寝っ転がった。


「ここにいた方が安全ですわよ」ティナが言う。「依り代の意識が少し残るという話ですので、復活した《魔王》は別の場所で暴れますわ」


「なんで言い切れるのよ!?」

「姉様はぼくとルミアを殺したりしませんわ。アスラも、仲間を殺したりしませんでしょう?」


「そうかもしれないけど、意識が残るってなんで分かるのよ!? その情報正確なの!? 違ってたら!? 《魔王》に人の意識みたいなもの、あるって話聞いたことないわよ!? 会話だって通じないんだから!」


「ただ破壊するだけ、という話だな」マルクスが言う。「だが激しい憎しみは感じ取ることができる、という話だ。醜悪に笑うという情報もある。会話を試みた、という話は確かにないがな。リバーシ、自分と対戦しないかティナ」


「いいですわよ」


 ティナが盤面を持ったまま、トテトテと移動してマルクスの前に座った。


「今更だけど、王冠可愛いな」


 ユルキがニコニコと笑った。


「……それ、あたしも……思ってた」


 イーナが起き上がる。


「オレとサルメにルール教えてよ」とレコ。


「実際に打ちながら教えよう」マルクスが言う。「時間が足りるかは不明だが」


「この王冠、姉様がくれましたの。ぼくもお気に入りですわ」


 ティナは機嫌良さそうに言った。


「失望したぁぁぁぁ! あんたたちには失望したぁぁ!!」アイリスが怒鳴り散らす。「いいもん! あたし1人だけでも英雄たちと合流するもん! 絶対倒してやるから!!」


 アイリスが踵を返した瞬間、

 黒い塊が弾け飛んだ。

 アイリスは慌てて振り返り、他の者たちもさっきまで黒い塊が浮いていた場所を見た。


「おや、戻ったようだね」

「アスラの脅迫が効きましたね」

「いやいや、説得と言ってくれ」

「いえ、あれは脅迫です。正直、心が痛みましたね。彼らに同情すら感じました」


 アスラとジャンヌがにこやかに会話していた。


「ん?」アスラが周囲を見回す。「君ら、ずいぶんと楽しそうにしているね。撤退しろと言わなかったかね?」


「団長が取り込まれたので、自分が方針を変更しました。状況は理解しています。《魔王》復活の場合は、ここで活き活きとゲームでもしながら死のうかと」

「ふむ。まぁいいか。私が《魔王》になったら余裕で世界破壊できるしね。どこにいても死ぬ。なら、無駄な抵抗をしないのも潔い、ってね」

「あたくしでも同じです。どこにいてもみんな死にます」


「姉様……」ティナが酷く驚いたように言う。「……どうして?」


「ああ、ティナ。あたくしは騙されていました。《魔王》になったら、あたくしの意識は残らないのです。だから拒否しました」

「うぅ、姉様!!」


 ティナが立ち上がり、走ってジャンヌに突っ込んだ。

 ジャンヌはティナを受け止めて、頭を撫でた。


「どうやって助かったの、2人とも……」


 ルミアが言った。


「私が心から、誠意を持って説得したんだよ」


       ◇


 少し前。


「ほら、同意してあげるから私の中に入りたまえ。君らはエネルギー体だから、物理攻撃は意味をなさないだろう。だから、君らに私を理解させる。君らのやっていることが無意味だと理解させる。私を乗っ取れないと肌で感じてもらおう」


 アスラが両手を大きく広げる。

 怨嗟のエネルギーが次々にアスラの中になだれ込む。

 ジャンヌはその様子を見ていた。

 ジャンヌは彼らに心を潰されそうになっていたので、少し心配した。

 しかし、アスラは特に苦しむ様子もなく、平然と立っていた。

 そして。

 アスラの中に入ったエネルギーたちが、まるで我先に逃げ出すようにアスラから飛び出した。


「こいつはイカレてる」

「冷酷すぎる」

「こいつの方がむしろ《魔王》」

「心が強いなんてレベルじゃない」

「あんな酷いこと言われたの、生まれて初めて」

「死んでからも初めてだ」


 怨嗟のエネルギーたちは困惑した様子で言った。


「君らのような低能クズでも、理解できたようだね」アスラが上機嫌で言う。「さてここで取引だ。いい取引だよ」


 アスラが両手を叩く。


「話してみろ」

「いや、こいつらを解放して別の奴のところに行こう」

「こいつは無理だ」

「逃げたい」

「怖い」


「おいおい。どこにも逃がさないよ? もう分かっているんだよ。君らが私を感じたように、。君らは同意なしには何もできない。離れることすらね」


 アスラが笑う。


「ひっ!」


 怨嗟のエネルギーたちの恐怖がジャンヌに伝わった。

 負のエネルギーがビビるって、どういうことですか?


「君らはエネルギー体だから、いつかエネルギーが尽きて死ぬ。無限なんてことは有り得ない。それまでここに幽閉してやってもいいんだよ?」


 立場が逆転していますね、とジャンヌは思った。


「君らは《魔王》になって、人類に報復したいのだろう? だが私に囚われたままでは、それも叶わない。だから取引だ。よく考えたまえ。簡単な取引だから」


 アスラは酷く楽しそうに言った。

 心からこの状況を楽しんでいる。

 尋常な精神力ではない。

 どこか壊れている。

 正直、ジャンヌですらアスラを怖いと感じた。


「君らは西に行け。西フルセンで、依り代を見繕って復活したまえ。そうするなら、私は君たちを解放してあげよう。中央や東で復活するなら、私は君らを殺す。どんな手を使ってでも殺す。だが西なら、私は関知しない。君らが《魔王》として暴れても、私は君らに手を出さないと約束しよう。どうだい?」


 これは脅迫だ。

 ジャンヌは苦笑いした。

 どこの世界に、《魔王》の元を脅迫する人間がいるのか。


「本当に関知しないのか?」

「この悪魔から離れたい」

「早く西に行きましょう」

「西で報復を!」

「憎悪と絶望を西に!」

「西! 西! 西!」


 怨嗟のエネルギーたちが強く団結した。


「本当に関知しない。西フルセンに思い入れはない。中央は今いるし、東は現在の活動拠点だからね。西に行くなら、私は君らを解放しようじゃないか」


 アスラがそう言った瞬間、黒い世界に光が溢れた。


       ◇


「脅迫ですね」とマルクス。

「脅迫だな」とユルキ。

「……脅迫……」とイーナ。


「どこの世界に《魔王》脅迫する奴がいるのよぉぉぉぉぉぉ!!」アイリスが叫ぶ。「しかも西で復活させたの!? 西はどうなってもいいってゆーのぉぉぉぉ!!」


「いいのでは?」サルメが言う。「ここよりマシです」


「東はアーニアあるし」レコが言う。「やっぱ西だね」


「とんでもなさすぎて、言葉が出ないわ」


 ルミアの表情は引きつっている。


「さて。それじゃあ、あたくしたちはこれで」


 ジャンヌが笑顔を浮かべた。


「待てジャンヌ」アスラが言う。「君は今日死ぬ。それは変わらない」


 空気が変わる。

《月花》のメンバーのまとう空気が。


「君は生かしておくと厄介だ。どうせまた、世界を滅ぼそうとするだろう?」


 急速にその場が張り詰めて、

 ルミアが息を呑んだ。


「私には自分の住んでいる世界を滅ぼすなんて理解できないが、君はやるだろう?」


 アスラの目、口調、小さな動作。

 それらが本気を思わせる。

 いや、正確には本気を演出したのだ。


「だから今日死ね」


 終幕への意思を、

 終わりが今日、今この瞬間から始まると強調するために。


「正直、《魔王》を脅迫するような人と戦いたくありませんが、仕方ないですね」


 ジャンヌがティナをゆっくりと押して、自分から離れさせた。


「あたくしは別の方法で世界を滅ぼします。絶対にやります。徹底してやります。この世界が大嫌いです。みんな死ねばいい。だから、アスラも死ねばいいです」


 ジャンヌはアスラに応えた。

 穏やかだった空気を、ジャンヌも鋭く変化させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る