第8話 変化しない人間は死んだ人間だけ 良かったね、君は生きている


「リバーシ面白いですわ」


 玉座に座ったティナの膝に、ルミアが手作りした盤面が置かれている。

 白と黒の石も、ルミアがコツコツと作った。

 本当はジャンヌとゲームをしたかったのだが、機会がなかった。


「このゲームは、アスラですら全ての展開を読み切れないそうよ。ルールは単純だけれど、死ぬほど複雑な戦術的ゲームなの」


 ルミアは小さな椅子を持って来て、玉座の前に座っている。

 まだ幼いアスラと、よくこのゲームで遊んだ。

 正確には、先を読む力を養った。

 脳筋全開だったルミアに、理性的で論理的な思考を教えたのはアスラだった。


「隅を取ると有利ですわ」


 ティナが白い石を打った。

 それから、黒い石を引っ繰り返して白に変える。


「1800年代の後半に生まれたゲーム、とアスラは言っていたわね」


 ルミアにとって、このゲームはとっても大切な物。

 初めて、生活用品以外をアスラと一緒に作った。

 盤面と石。不器用なルミアは酷く苦労したし、石の形が歪になった。

 それを見て、君の心みたいになったね、とアスラは笑ったのだ。


「今は銀神歴1623年ですわよ?」

「そうね。アスラは未来の人間なのか、あるいは本当に前世があったのかしら?」


 ルミアが黒い石を打つ。


「分かりませんわ。でも――」ティナがルミアを見て微笑む。「来世があるなら、また姉様に会えますわね」


「そうね」ルミアが立ち上がる。「どうなのアスラ? 死んでからも人生は続くのかしら?」


「何度もそう言っただろうに」


 アスラの声。

 まだアスラと離れてそれほど経っていないのに、酷く懐かしく感じた。


「今の会話だと、すでにジャンヌが死んでいるように聞こえたけれど、まさか死んだのかい?」


 ルミアの視界に、アスラの姿が映っている。

 長い銀髪に、細い身体。グリーンの瞳に、不敵な笑顔。


「姉様は私用で出かけてますの」


 ティナが膝の盤面をゆっくり持ち上げて、床に置いた。


「みんなもいるんでしょ?」ルミアが言う。「完全に気配を断っているけれど、いるのは知ってるのよ? いないはずがない、と言い換えてもいいわ」


 ルミアの言葉が終わると、アスラが右手を上げた。

 そうすると、謁見の間の柱の陰から団員たちとアイリスが出てきた。


「リバーシは面白いだろう、ティナ?」

「はいですわ。単純なのに奥が深いですわ」


 ティナがうんうんと頷いた。


「俺らもやったなぁ、リバーシ」

「うむ。先を読む力を付けるためと言われたな」

「……難しかった……」

「オレまだやってない」

「私もまだです」

「あたしも」

「心配しなくても君たちにも教えるよ。常に展開を読む癖を付ける。こう動けば、相手がどう動くのか、とかね」


 アスラは普段と同じ声音で言った。


「そうね。難しかったけど、本当に楽しかったわねぇ」言いながら、ルミアが背中のラグナロクを抜く。「時々、思うわ。もっと早く思考力を鍛えておけば、悲劇を避けられたかもしれないのに、って」


「仕方ないさルミア。この世界じゃ、戦士が優遇される。そのせいで、戦術や遠距離武器の進化が遅い。マスケットすらないんだから」


「マスケットって?」とレコ。


「いずれ作ってあげるよ」アスラが微笑む。「まぁ、私が作るわけじゃなくて、腕のいい鍛冶職人を見つけて作ってもらう」


「発言的に、遠距離武器ですね」とサルメ。


「ところで」ティナが言う。「ルミアはアスラたちと戦いますの? 別にこのまま姉様を待ってもいいんですのよ?」


「それはいい」アスラが言う。「私も無駄な戦闘は望まない。君たちが手を出さないなら、私らも君らに手を出さない」


「戦いたいわ」


 ルミアがゆっくりと歩いて、アスラの正面に移動した。


「だろうね。きっとそう言うだろうと予測していたよ。君は試したいんだ。分かるよ。だって君は根っからの戦士だからね。私と本気でやり合ったら、どっちが強いのか知りたいんだ。いや、《月花》とやり合ったら、かな? どっちだい?」


「両方よ」

「団長、オレ発言していい? まだ空気変わってないよね?」


 レコがアスラをチラチラと見ながら言った。

 前回、レコは空気を読まずに腕を捻り上げられたので、確認を取ったのだ。

 レコとしては、腕を捻られるのは別にいい。むしろ好きだ。

 けれど、アスラに嫌われるのは絶対に嫌だった。


「変わってないよ。発言を許可する。まぁ、禁止してないけどね」


 アスラが笑う。


「ねぇルミア」レコがルミアを真っ直ぐに見詰める。「質問なんだけど、その服、お腹が風邪引かない?」


 レコの言葉で、全員の視線がルミアの腹部に向いた。

 ルミアの頬が赤く染まる。


「俺も実は気になってた」

「……あたしも……」

「破廉恥よね、その服」

「破廉恥は言い過ぎだアイリス。自分的には、割といいと思う。しかし、ティナとお揃いなのはどういうことだ?」


「年齢を考えて服を選んだ方がいいのでは?」サルメが言う。「娼婦でもそんな服は着ませんよ?」


 ルミアの服装は、ミニスカートに胸だけを隠した服。黒いタイツに革のブーツ。

 背中には大剣の鞘。

 鞘のベルトを斜めに掛けているので、ベルトが胸の間を通っていた。

 要するに、胸が強調されている。


「これは……ジャンヌの趣味よ。わたしじゃない」


 ルミアは自分に言い聞かせるように言った。


「ふむ。君はジャンヌの言いなりかね?」アスラがニタァッと笑う。「なるほど。簡単に懐に入れるわけだね。君は結局、何の対策も取らなかったんだね」


「ジャンヌを守りたくてうちを出たんだから、当然、ジャンヌに俺らのことを話したんだろうなぁ」ユルキが言う。「でも、シカトされたか? それで結局、こうなるまで何もできなかった」


「……無意味……」イーナが言う。「……先延ばしにしただけ……。最初から……裏切らなければ良かった……結果は同じだから」


「そう。その通りね」ルミアは否定しなかった。「わたしは結局、あの子の命を救えない。運命なのよ。抗えないわ。でも、さっきアスラが言ったように、わたしは《月花》と敵対してみたかったの。そういう気持ちが、少しあるのよ」


「君は本当に、愛しくもおぞましい奴だよ」とアスラ。


「それって、すっごく危ない思考だわ」アイリスが真面目に言う。「あたし絶対《月花》の敵になりたくないもん」


「ルミアは私らと敵対するために、自分自身を壊してしまったね。でも、焚き付けたのは私だね。ムルクスの村で君に言ったからね」


 アスラが少しだけ悲しそうに笑った。


「私と楽しもう。私と戦争を遊ぼう、だったかしら」ルミアが微笑む。「そうね、アスラの助言に従ったら、こうなったわ」


「敵対して、という意味ではなかったのでは?」マルクスが言う。「いや、それよりもルミアの変化の方が自分は気になる。以前のルミアなら、ジャンヌの虐殺や残虐行為を容認しない。気高く、信念のある人間だった。団長の間違った行いを咎める勇気があった。だが今は違う。なぜそうなった?」


「あんな子でも……たった1人の妹なのよ……」ルミアが言う。「それに、わたしだってあの子と同じよ。あの子の気持ちが分かるもの。痛いくらいに」


「人間は家族や恋人が関わると、人格が変わる場合がある」アスラが言う。「善人が悪人に、悪人が善人にだってなり得る。論理的な思考ができず、感情に身を任せて行動することもあるね」


「わたしはアスラと違って人間的ってことね。安心したわ」


「性格も容姿も月日とともに変化する。この私でさえね」アスラが肩を竦める。「だとしたら、普通の人間は良くも悪くも変化し続けていると言える。他者への共感能力が高ければ特にね」


「団長は共感能力低いよね。オレもだけど」


 レコが楽しそうに言った。


「サイコパスは全員低い。共感能力が皆無の場合もある。だから誰も愛せない。執着するだけさ。まぁ、その執着を異常な愛として描く場合もあるがね。前世の話だよ?」


 この世界にはまだ、サイコパスという概念はない。

 アスラの周囲の人間しか知らないことだ。


「愛と執着の違いは何ですの?」


 ティナが小さく首を傾げた。


「独り占めしたいと思うのが執着。相手の幸福を願うのが愛」


「なるほど、ですわ」ティナが安心したように息を吐いた。「ぼくはちゃんと、姉様を愛していますわ」


「お喋りはもう終わりにしない?」ルミアが言う。「ずっと剣を持ってると、腕が疲れるわ。それを狙っているわけじゃないでしょう?」


「いい剣だね、それ」アスラが言う。「高く売れそうだ」


「値段なんか付かないわよ」ルミアが呆れたように言う。「ラグナロクよ、これ。いずれ伝説の武器に仲間入りする名剣よ? それを見て売れそうって感想しか出てこないのがアスラらしいわ」


 ラグナロクと聞いてマルクスが目を丸くした。

 ユルキとイーナは顔を見合わせて口をパクパクと動かした。


「本物の名剣じゃないの……」アイリスが言う。「失われたと思ってたわ……」


「ふむ」アスラが小さく首を傾げた。「ちょっと良さそうなクレイモアにしか見えないがねぇ。どうだい? レコ、サルメ」


「なんか凄そうなのはオレでも分かる」

「はい。宝石みたいです。高く売れそうに見えます」


「私の信条はね」アスラが言う。「この時代の剣に大差なんてないから、斬れれば何でもいい。まぁ、刀があれば別だがね」


「かたなって?」とレコ。


「前世の世界において、私が最強だと思っている剣の総称。芸術品のように美しい。前世の団員にマニアがいて、使い方を教わったから私も扱える。今、鍛冶師に作らせているから、近く様子を見に行こう」


 刀の製造過程は一般的な剣に比べてかなり複雑なので、あまり期待はしていないけれど。


「本当、腹立つわねアスラって」ルミアが言う。「わたしもあの子も、簡単に倒してしまえるかのように振る舞うのね」


「事実その通りだからね。証明しよう。アイリス、イーナ。ルミアを叩きのめせ」

「あい……」

「分かった」


 アスラはルミアに背を向けて、柱の方へと歩く。

 入れ替わりに、アイリスとイーナがルミアに近寄った。


「そう、そうなのね」ルミアが言う。「2人で十分なのね……」


「悪いねルミア。私としても、君とやり合ってあげたいんだけど、任務がある。体力を使いたくないのさ。それに、私よりその2人の方が君を倒す速度は上だよ」

「……あたしの体力は……?」

「少し減るけど、任務に支障はない。私の体力が減ると支障が出る。以上だ」


「ま、ルミアには負けっぱなしだったし」アイリスが片刃の剣を抜いた。「本当は1人で勝ちたいけど、命令なら仕方ないわね」


 アイリスが作戦行動に参加する条件は、殺人以外の命令には服従すること。


「……1人じゃ無理だし……」


 イーナがボソッと言った。


「合図が必要かね?」


 アスラが笑った。


「……いらない。自分で、できるし……」


 イーナが素早くアイリスの腕に【加速】を乗せる。

 アイリスがルミアに斬りかかった。

 ルミアはアイリスの斬撃をガードし、力でアイリスを弾き飛ばす。

 同時に、短剣を両手に握ったイーナがルミアを斬り付けた。

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