第5話 《宣誓の旅団》は言いました まるで悪夢のような日だった、と


 その日、人生最大の不幸がミリアムを襲った。

 ミリアムは昨日、ジャンヌの命令で部下を選りすぐった。

 リヨルール軍の兵士、フルマフィ、傭兵団《焔》の中から全部で35人を選抜。

 寄せ集めの混成部隊ではあるが、ミリアムが直接、戦闘能力を確認した35人だ。

 もちろん、誰1人ミリアムに勝てる者はいなかった。

 けれど、それでも上位35名だ。

 傭兵団《月花》がどれほど強力な部隊でも、10人に満たない。

 このメンバーなら、負けはしない。ミリアムはそう信じていた。


 その部隊とともに、今朝早くリヨルールを出た。

 ミリアムはサンジェストに向かう最短ルートを選択。

 順調に進軍し、とある町を通りかかった。

 その町にはすでに何もない。

 町だった残骸が転がっているだけ。

 町人だった死体が転がっているだけ。

 死の香りだけが漂う場所。

 当たり前だが、人の気配は一切感じなかった。


「これが、《宣誓の旅団》の復讐」


 ミリアムは馬上で小さく呟いた。


「いえ、まだ途中、ですね」


 目的は中央フルセンの完全なる破壊。

 少なくとも、ミリアムはそう思っている。

 過去、《宣誓の旅団》は裏切られた。

 信じていた者たちから、守った者たちから、大切だと思っていた者たちから。

 その時の絶望は、生涯忘れることはない。

 自分たちの英雄を、旅団長を、ジャンヌ・オータン・ララを、民衆の前で辱め、拷問したことも忘れない。


「中央は腐っています。だから、我々が……」


 そう呟いた瞬間だった。

 地面が吹き飛んだ。

 ミリアムは何が起こったのか分からなかった。

 衝撃でミリアムは落馬。

 更に地面が爆発。全部で6回。

 あとに続いていた部下たちも、それで多くが落馬した。

 落馬しなかった者たちも激しく混乱している。

 馬の脚が消し飛んでいるのを見て、ミリアムはこれが攻撃だとやっと察した。


「防御方じ……」


 立ち上がり、声を張ろうとした瞬間、矢が両側から降り注いだ。

 その攻撃で、部下の数名が絶命。

 更に連続で矢が襲ってくる。1度に飛んでくる数は少ないが、二射目が恐ろしく早い。

 矢はほぼ確実に頭か、鎧を装備していない者の胸に突き刺さっていた。

《破魔の射手》――東の大英雄エルナ・ヘイケラの名前が浮かんだ。

 それほど正確で緻密な射撃が多かった。


「行け! 行け!」


 まだ幼い声が響き、両側の瓦礫から黒い影が躍り出る。

 その黒い影たちは短剣や剣を装備していて、混乱している部下たちを切り裂いてそのまま反対側の瓦礫まで走って移動し、即座に気配を消した。

 規律のある素早い行動。非常に高度な訓練を積んだ敵。

《宣誓の旅団》でもこれほど規律正しい作戦行動を実行できるか分からない。


 ミリアムはクレイモアを抜いて構える。

 部下のほとんどを失った。

 生き残った者たちは狼狽えている。

 誰かが元来た道へと走った。逃亡だ。

 その誰かは数歩走っただけで頭を矢で抜かれて息絶えた。

 ミリアムは恐怖を感じた。

 ジャンヌが怒った時と同等の恐怖。あるいはそれ以上か。

 立て直せない、と直感。

 立て直すには遅すぎる。


 と、1人の少女が瓦礫の影から出てきた。

 まだ13歳か、14歳ぐらいの見た目。

 黒いローブに、セミロングの茶髪。

 少女は右手を持ち上げ、クイクイっと動かした。

 あからさまな挑発。

 同時に、ミリアムは相手が誰なのか理解した。

 黒いローブを好んで羽織っているのは、傭兵団《月花》だ。

 なぜこんなところに?

 疑問は一瞬で氷解。

 ルミアが言っていたではないか。

 連中は、必ず来る、と。

 少女がもう一度挑発する。

 その時には、ミリアムの部下たちは全滅していた。

 別の少女が瓦礫から出てきて、部下たちに刺さった矢を抜いていた。

 抜いた矢をそのまま矢筒に戻している。


「ミリアムさんですか? 元三柱の」茶髪の少女が言う。「黒髪で背が高くて、《宣誓の旅団》の紋章が入った鎧。間違いないと思いますが、一応」


「《月花》のサルメ・ティッカ……?」


 傭兵団《月花》のメンバーは、全員知っている。

 監視していた者に似顔絵を描かせて、それをルミアに確認してもらっている。


「おーい、さっさと戦えよサルメ。俺らヒマじゃねーぞ?」


 ユルキが瓦礫から出て、矢の回収を始める。


「そうそう。オレたち忙しい。あ、矢の回収は任せて」


 レコは少し弾んだ声で言った。


「あとはミリアムだけだ」マルクスも矢の回収を始めた。「急げサルメ」


「てゆーか正気なの!?」アイリスも姿を見せる。「サルメがミリアムに勝てるわけないじゃないの! アスラ何でサルメにやらせるのよ!?」


 ああ、ここで死ぬんですね、とミリアムは思った。

 勝ち目はない。

 ルミアに《月花》の恐ろしさを聞いてはいた。

 ノエミを倒したことも知っている。

 だけど。

 想定以上の戦力だ。

 いや、個々の能力というよりは、規律か。

 ミリアムの部隊は一瞬で崩壊した。

 まったく対応できなかった。

 たぶん、悔しいけれど、《宣誓の旅団》でも彼らに対応できない。


「まぁいいじゃないか。見ていたまえ。もうすぐサルメがミリアムを殺すから」


 ニヤニヤと笑いながら、アスラ・リョナが出てくる。

 ああ、ジャンヌ様。

 せめてアスラだけでも、道連れにしますっ!

 ミリアムは迷わなかった。

 どうせ死ぬなら、敵の頭も潰す。

 ミリアムが駆け出した瞬間だった。

 短剣が一本、ミリアムの額に突き刺さった。


「どうして私から目を逸らしたんですか? どうして私から気を逸らしたんですか?」


 ミリアムが最後に見たのは、少し怒ったような表情をしたサルメだった。


       ◇


「ミリアムがアスラの方に神経を集中させた隙を突いた、ってわけね……」


 アイリスは地面に倒れたミリアムの亡骸を見ながら呟いた。


「その通り。実力差があっても、ミリアムの意識からサルメが消えれば、サルメにも勝ち目がある。分かるかいアイリス?」

「……意識の外側からの攻撃は、躱せないってこと?」

「そうだよ。だからマティアスは死んだ。あのマティアスですら、意識の外から攻撃されたら躱せない。だったら、ミリアム程度に躱せるはずがない。以上。簡単だろう?」


 アイリスはマティアスの死因を知っている。

 マティアスが矢で死んだことは誰でも知っている。

 射手が誰かは、当然知らないけれど。


「やりました! やりましたよレコ! 私、元《宣誓の旅団》のミリアムに勝ちました!」


 サルメが嬉しそうに飛び跳ねた。


「9割団長のおかげ」とレコが冷静に言った。


「確かにサルメは私の指示通りに動いただけだよ」アスラが言う。「でも、ちゃんと指示通りに動き、ちゃんと仕留めた。自信を持っていい。君はもう、そこそこ強い」


 サルメにしろレコにしろ、《月花》に加入してから今日まで、毎日コツコツと何かしらの訓練を積んでいるのだ。

 弱いはずがない。

 まぁ、ハッキリ強いとも言えないが。

 個人の戦闘能力だけなら、まだまだアスラの足下にも及ばない。


「ま、最後に1人だけ残っちまったら、そりゃ俺らの団長を道連れにしようと考えるわな」


 ユルキが少し笑った。


「……そして、もう団長しか……見えなくなる……」


 全部アスラの計算だ。

 サルメがまともにミリアムと戦ったら、秒殺される。


「サルメばっかり褒めてさぁ、オレも矢で何人か倒したのに……」


 レコが頬を膨らませた。


「レコもよくやった。弓もまぁ、それなりに扱えるようにはなったね。上手とは言わないが、まぁ的に当たる。MPの認識はどうだね? 1秒で認識できるようになったかね?」


「まだ3秒かかる」とレコ。

「私はまだ7秒です」とサルメ。


 やはり一番進まないのは魔法の修得。


「そろそろ剣や槍などの、大きな武器の扱い方も教えては? 今日の戦闘は2人の自信を深めたでしょう。次のステップに進めるかと」


 矢を回収しながらマルクスが言った。

 そして、マルクスの言葉は正しい。

 今回、サルメにミリアムを殺させたのは、サルメの自信を深めることが目的だった。

 適切に分析し、作戦を立てれば、格上のミリアムを殺せる。

 それをサルメに理解させたかった。

 レコはいつも自信満々なので、こういう小細工は必要ない、とアスラは考えている。


「そうだね。でも焦る必要はない。他にもサバイバル訓練や、拷問訓練、隠密訓練、やることはまだ山のようにある。アイリスもだよ?」

「分かってるわよ。あたしだって魔法兵目指してるんだから。2人より先に魔法兵になってみせるわ」

「後輩のくせにアイリス偉そう。大人しく胸だけ差し出せばいいんだよアイリスは」

「本当ですね。後輩のくせに生意気です。今度私の靴を磨いてもらいます」


 レコとサルメが顔を見合わせて言った。


「なんでよ!?」とアイリス。


「さぁ、雑談は終わりだよ」アスラが両手を叩く。「矢を回収したら征くよ。てゆーか、どうしてこいつらは矢を持っていないのかと……」


 敵兵が矢筒を持っていれば、入れ替えればいい。

 けれど、この部隊は誰も弓矢を装備していない。


「混成部隊のようですし、戦士を選んだのでしょう。《宣誓の旅団》は戦士中心の集まりだったようですし」

「ふむ。古臭い脳筋どもはいつになったら、飛び道具の重要性を理解するのかねぇ。エルナが知ったらきっと嘆くよ。弓矢の普及に努めたんだろう、エルナは」


 アスラは溜息を吐いた。


       ◇


 ニコラ・カナールにとって、今日は悪夢のようだった。

 ニコラの軍はすでに国を一つ灰にした。

 ニコラ自身も司令官でありながら、前線で多くの敵を屠った。

 司令官の戦闘能力は英雄並み、と兵士たちは口々に噂した。

 こちらの士気は高く、敵の有力者はアサシン同盟に始末されている。

 負ける要素はない。

 だから次の国でも、同じように勝てると思っていた。

 そして実際、順調だった。


 けれど。

 たった1人の英雄のせいで、全てが台無しになった。

 彼女は次々に、隊長各を射殺して、ニコラの軍は命令系統が完全に麻痺した。

 あとほんの少しで、戦場に銅鑼が鳴り響くと確信していたのに。

 もちろん、銅鑼を鳴らすのはニコラたちの敵国だ。

 しかし、たった1人のせいで、戦況が変わってしまった。

 敵軍は息を吹き返し、命令系統が麻痺したこちら側は壊滅的打撃を受けた。


「ちくしょう、化け物め!」


 ニコラは馬上で、混乱する戦場を見回す。

 彼女を見つけて、始末しなくてはいけない。

 だが、彼女は1人殺したらすぐに消えてしまう。

 まるで幻のように。

 同じ場所に彼女は留まらない。

 ニコラの副長が、額を撃ち抜かれて死んだ。


「ちくしょう! これが《破魔の射手》かよ! これが大英雄エルナ・ヘイケラっ!」


 下っ端を全て無視して、隊長各だけを狙い撃ち。

 実に効率的な戦争。


「退却しろ! 退却だてめぇら!」


 ニコラが叫ぶ。

 この状況では、全滅しかねない。


「あら、どうしてわたしが逃がすと思ったのかしらー?」


 ニコラの首に短剣の刃が当たる。

 音もなく彼女――エルナ・ヘイケラはニコラの後ろに乗った。


「とんでもねー化け物だな、あんたは」


 ニコラは自分の実力に自信があった。

 この10年、必死に鍛錬した。

 そこらの英雄なら、対等に戦えるという自信があったのだ。


「それって褒め言葉よねー?」


 エルナの声はどこか楽しそうだった。


「はん。そうだよ《破魔の射手》」ニコラは少し笑った。「あんたはヤベェ。マジでとんでもねー。けど、ジャンヌほどじゃねーな」


「うーん。残念だけれど、きっとそうなのねー」エルナは淡々と言う。「現役のジャンヌと、引退したいと考えているわたしじゃ、当然ジャンヌの方が上でしょうねー」


「もしジャンヌだったら、俺らは全滅してる。たった1人でも、ジャンヌなら俺らを皆殺しにできる。あんたら英雄も、ジャンヌなら皆殺しにできる」


「だいぶ差があるような言い方ねー」エルナは少しムッとした。「わたしの方が弱いのは仕方ないけれど、そこまで大差があるかしらー? 神格化してるだけじゃないのー?」


「そりゃ神格化はしてるさ」ニコラは迷わず言う。「けど、ジャンヌは今や、人間の限界だ。あれ以上はいねーさ。あれがきっと人の限界」


「なるほどねー。安心したわー」

「安心だぁ?」

「そうよー。だってわたし、ジャンヌとは会わないもの。他の英雄も、アイリス以外はね」

「……傭兵団《月花》か?」


 ニコラはルミアから《月花》のことを聞いている。

 英雄でさえ殺してしまえると。

 いや、大英雄でさえ殺してしまえるのだ、連中は。

 そして、アイリス・クレイヴン・リリが《月花》と行動をともにしているのも知っている。


「アスラちゃんが言うには、ジャンヌと戦ったら英雄の半分は死んじゃうんですってー。だからまぁ、アスラちゃんに任せるわー。わたしたちは、これ以上被害が広がらないように守る盾みたいなものねー。もちろん、アスラちゃんが失敗したら、わたしたちが戦うけれどねー。《魔王》認定しちゃったから、仕方ないわよねー」


「英雄のくせにセコイ考えだなぁ。まずは傭兵にやらせるのかよ」ニコラが笑う。「まぁいいか。んじゃあ、地獄で待ってるぜ《破魔の射手》。ジャンヌ・オータン・ララの名が生きている限り、《宣誓の旅団》は死なねーんだ」


 ニコラは強引に、腰の長剣を抜こうとした。

 その瞬間、首に熱を感じ、身体の力が抜けていくのが分かった。


「しばらく死ぬ予定はないのよー、わたし」


 首を斬り裂かれ、落馬し、絶命したニコラが最後に聞いた言葉だった。

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