六章

第1話 断崖絶壁、崖っぷちの小国 それって団長の胸に似てるね


 神聖リヨルール帝国、帝城。謁見の間。

 ルミアたちは何の審査もなくリヨルールに入国し、何の検査もなく帝城内に通された。

 謁見の間まで素通りしたのはジャンヌ、ティナ、そしてかつての三柱。

 傭兵団《焔》やフルマフィの連中は帝都付近に陣を張って待機している。


「ジャンヌ様、お待ちしておりました」


 リヨルール皇帝が玉座を立つ。

 そしてジャンヌの前まで歩き、膝を折った。

 その光景に、ルミアは違和感を覚えた。

 そこらの小国の王ならまだしも、いくつも属国を従える強国の皇帝が、跪いたのだ。

 神性によるトランス状態にも見えない。


「約束通り、帝位を貰いに来ました」


 ジャンヌは柔らかく微笑む。

 その言葉に驚いたのはルミアだけ。他は誰も何の反応も示さなかった。

 謁見の間にはリヨルールの実力者たちが集っているのだが、彼らはみな、その場で跪いた。


「どうぞ、ジャンヌ様」


 皇帝は自らの王冠を外し、ジャンヌに差し出す。


「ありがとうございます」


 ジャンヌは王冠を受け取り、自分の頭に載せた。

 似合ってない、とルミアは思った。


「どうなってるの?」とルミアはティナに耳打ち。


「神性を用いながら、長い年月をかけて、姉様に服従するよう調教しましたの」


 なるほど、とルミアは小さく頷いた。

 洗脳したのだ。

 ジャンヌはリヨルールの皇帝を含む実力者たちを全員、洗脳したのだ。


「皇族のみなさまはこちらへ」


 ジャンヌが言うと、皇帝の妻、息子、娘の3人がジャンヌの前に移動。

 そして皇帝と同じように膝を折った。


「あとは、あたくしが行います。『神典』解釈の違う異教徒たちの殲滅、リヨルールによる中央支配。あとはあたくしが遂行します。ご苦労様でした。さようなら。おやすみなさい。悪夢を見られるといいですね」


 ジャンヌはクレイモアを4度振って、彼らの首を刎ねた。

 4人の首から鮮血が噴き出し、身体は力なく倒れる。

 頭は床を転がって、それでも幸福そうな表情だった。


「皇帝の交代を伝えなさい。全ての国民に伝えなさい」ジャンヌが言う。「そして戦争を始めると伝えなさい! リヨルールによる中央支配の夢を叶える時が来たと!」


 跪いていた実力者たちが立ち上がり、「ジャンヌ様万歳!」と声を上げ、そして急いで謁見の間を出た。

 ジャンヌの命令を実行するためだろう、とルミアは思った。


「愚かですねー」クスクスとジャンヌが笑う。「全てが終われば、あたくしに殺されるとも知らずに」


 ジャンヌはクレイモアを仕舞って、玉座に腰掛けて脚を組んだ。

 ルミアは複雑な心境だった。

 ジャンヌは皇族を皆殺しにした。

 それだけではなく、ここに至るまでに多くを殺した。殺しすぎたと言ってもいい。

 古城からリヨルールまでの間に、別の国を通った。

 その国は滅びた。


 虐殺。一切容赦のない虐殺で、誰1人残らなかった。

 あらゆる建物を倒し、焼き払い、家畜に至るまで全て殺した。

 悲鳴が耳に残っている。絶叫に心を痛めた。泣き叫ぶ声が頭から離れない。

 ただ滅びたのではなく、絶滅させたのだ。

 ジャンヌ自身も積極的に前線で剣を振った。

 ルミアはただその様子を見ていた。

 ジャンヌを守りたい。その想いは本物だけれど。

 ルミアの嫌うクズたちとジャンヌの区別が付かない。

 姉妹というだけ。ただ、それだけ。


「はん。目的は10年前の復讐だぜ」ニコラが言う。「リヨルールなんざ踏み台に過ぎない。俺たちの復讐だ。俺たち《宣誓の旅団》のな。お前が戻って嬉しいぜ」


 ニコラがルミアの背中を叩いた。

 ルミアが軽くむせる。


「ちょっと、手加減してよニコラ。思いっきり叩いたでしょ?」

「細かいことは考えるな。10年前、お前はどんな目に遭った? これは世界への復讐だ。神なんざいねぇ。いたとしても殺す。みんな死ねばいいのさ。こんなクソみたない世界、ぶっ壊れて当然だ」


 ニコラの暗い心の内を知って、ルミアは軽くショックを受けた。

 ああ、でも。

 あの日、アスラに出会わなければ。

 似合いもしない王冠を頭に載せて、

 玉座で脚を組んでいたのは、

 わたし、だったかも。


       ◇


 それから、神聖リヨルール帝国は全方位に戦争を仕掛けた。

 アサシン同盟が各国の実力者を排除し、混乱している最中をリヨルール軍と《焔》が蹂躙した。

 リヨルールの正規軍だけでも数が多いのに、ジャンヌは更に徴兵も行った。

 凄まじい数のジャンヌ軍が形成され、彼らは一心不乱に行軍した。

 彼らは「万歳」を連呼しながらあらゆる国を踏み潰した。

 全方位に向けて、2度と戻らない行軍を続けた。

 彼らは何も知らず、ただ「万歳」を連呼した。


 死体の山が積み重なり、昼間はずっと悲鳴が途絶えなかった。

 夜間も同じだ。傭兵団《焔》は、夜間も休むことなく攻撃を仕掛けた。

 国王を含む実力者たちを失った国々は為す術もなく滅び去った。

 神聖リヨルール帝国の――ジャンヌ軍の快進撃は止まらない。

 近隣諸国は恐怖に震えた。

 次は自分たちの番かもしれない、と。

 だが、

 彼らの進軍は止まった。

 何の特産品もなければ崇高な歴史もない小国を、彼らは落とせなかった。

 王を暗殺し、指導者を奪った。将軍を暗殺し、戦う術を奪った。

 残ったのは昆虫好きの王子様だけ。

 けれど。

 王子は聡明な決断をした。

 王子は突然現れた銀髪の少女たちを雇ったのだ。

 藁に縋るように。


「勝たせてあげるよ」


 そう言って楽しそうに嗤ったアスラを。

 傭兵団《月花》を。


       ◇


「今日は晴れ。私は晴れが好きだよ。戦争するなら晴れの日に限る」


 椅子に座り、脚を組んだアスラが言った。

 空は青く、雲は白く、風が柔らかい。

 昨日は雨が降っていたので、地面はぬかるんでいる。水溜まりだって残っている。


「アスラ殿……今日もボクたちは凌げるでしょうか?」


 サンジェスト王国の王子が言った。

 王子はアスラの右側に立っている。

 王子は青い髪に金の王冠を載せている。

 年齢は17歳で、体型は細い。筋肉もあまり付いておらず、パッと見ただけで戦闘能力が低いと分かった。

 顔立ちは悪くない。知能も低くない。

 人柄もいいので、きっと立派な王になるだろう、とアスラは思った。


「凌げなければ死ぬ。それだけだよ。君は私を信じて、私に指揮権を渡した。自分では何もできないからだ。英断だよ。頭を撫でてあげてもいい」


 アスラの視線の先では、戦争が行われていた。

 殺したり、殺されたり、血が流れたり、身体の一部が飛び交ったりする、本物の戦争。

 サンジェスト王国の相手は、神聖リヨルール帝国。

 新たに皇帝となったジャンヌ・オータン・ララの命令で始まった戦争。

『神典』解釈の違う異教徒を絶滅させるための戦争だ。

 もっとも、アスラはそんな建前を信じてはいない。


「見ての通り、ボクは武闘派じゃない……。戦争なんてできない」王子が息を吐く。「でも、もうボクしかいない。本当は、昆虫学者になりたかったのに……」


「王様も軍を指揮できる立場の者も、みんな暗殺され、君だけが残された。理由は簡単。君ならすぐ降伏すると思ったからさ。ジャンヌらの手だよ」


 神聖リヨルール帝国が全方位に戦争を吹っかけた時に、多くの国の要人が死んだ。

 アサシン同盟の暗躍であることは間違いない。

 その証拠に、アスラもアサシンに狙われた。

 もちろん返り討ちにしたけれど。


「けれど、君は私を雇った。私たちを雇った」アスラが笑う。「だからこそ、2日で陥落すると言われていたこの国が、もう10日も戦い続けている」


 アスラの前にはテーブルがあって、その上には地図と駒が置いてあった。

 地図はこの辺りの詳細地図。

 駒は青が自軍、赤が敵軍。現在の配置と戦力がパッと分かるように置いているのだ。

 正直、アスラには軍を率いた経験がない。

 正規軍に所属していたこともない。

 アスラが前世で指揮したのは、人数が多い時でも50人に満たない傭兵団だった。

 されど一騎当千。

 それはこっちの世界でも同じこと。


「運が良かったのは、敵も一カ所からしか攻められないことだね。全方位に喧嘩売ったんだから、当然だけどさ。人員不足なんだよ。フルマフィや《焔》の連中を動員してはいるがね、それでも人員不足さ。何のための戦争だ? まるで茶番だよ。勝つ気がないとまで思うよ、私は」


「しかしアスラ殿……いくつもの国が滅びたと……聞いています」

「ああ、そうだろうね。負けて滅びて皆殺しにされた。なぜそこまでする? ジャンヌは何がしたい? 目的が見えない。新世界秩序と聞いていたんだけどねぇ」


 市民を皆殺しにするなら、いったい誰のための秩序なのか。

 征服し、統治することが目的ではないのか?


「団長さん! 右翼が突破されます! アイリスさんのいる第三大隊がもう限界です!」


 伝令係をやっているサルメが、すごい勢いで馬を走らせて来た。


「そうか。やはりそっちか」とアスラ。


 左翼の部隊はマルクスが指揮を執っている。

 右翼の部隊にはアイリスを配置した。アイリスは人を殺せないが、それでも英雄。

 アイリスには、敵兵を通すなとだけ命令している。

 だがマルクスより先に崩れるのは予想していた。

 肉体的な問題ではない。

 戦場という極限状態が、アイリスの心を蝕んでいるから。


「これまで、ですかね……」王子が力なく笑った。「ありがとうアスラ殿。感謝します……」


「バカ言うな王子」アスラが立ち上がる。「もうすぐ私の手配した援軍が来るんだ。それまでは死守だよ。意味分かるかい? 死んでも守るんだよ。死ぬ気で守れ。死ぬか守れ。守って死ね。そうでなければ、君はなぜ戦うことを選んだ? 諦めたらみんな無駄死にだよ」


 すでに泥沼なのだ。兵の消耗は半数以上。

 相手側に傭兵団《焔》がいたので、毎晩夜襲の応酬。休む間もない。

 それでもサンジェストが保っているのは、ユルキたちが敵の補給を断ってくれているから。


「しかし……突破されたら……もう終わりでは?」


「君が死ぬか、降伏すればね。それまでは終わらない」アスラが笑う。「それに私が行く。立て直してこよう」


 アスラは青い駒を1つ抓んで、地図の外に置いた。

 この部隊は壊滅した、という意味。


「私はどうします?」とサルメ。


「ここに残れ。各部隊からの報告を聞き、まとめておけ。戦況も動かしておいてくれると助かる。駒1つで大隊1つだよ」


 アスラが地図と駒に目をやった。


「分かりました」


「正直、大軍を率いるのは苦手だよ」アスラが苦笑い。「もっと小規模な部隊しか経験なくてね」


 まぁ、でも、とアスラは思う。

 それなりに楽しめた。


       ◇


「なんで縄を切るだけの簡単な仕事ができないのさ?」


 レコは頬を膨らませながら言った。

 レコに怒られたサンジェスト王国軍の小隊長は、苦々しい表情でレコを見ている。


「おじさんたちの名誉は傷付かないってオレ説明したよね?」


 レコたちは崖の上にいる。

 断崖ではなく、やや角度のある崖。


「しかし、このような罠は……」


 小隊長が顔をしかめた。


「でも作ったよね?」

「……上からの命令で仕方なく……」


 小隊長が崖の下に視線を動かす。

 レコも同じようにそっちを見た。

 大岩に押し潰されたリヨルールの補給部隊の残骸がそこにあった。


「いい?」レコが言う。「罠を作ったのも、使ったのも、オレたち《月花》だから。おじさんたちはここには居なかった。分かった?」


 後世に伝えられるのは、《月花》の仕掛けた罠で補給部隊が全滅した、ということだけ。

 サンジェストの正規部隊の名前は出ない。

 あくまで傭兵がやったこと。


「もー」レコが再び頬を膨らませる。「縄切ったの結局オレだし、別にいいじゃん。何が不満なのおじさんたちは」


「兵士として、1人の戦士として、このような卑劣な手段で勝ちたいとは思えん」

「じゃあ死ねば?」


 レコはニッコリと笑った。

 アスラの真似だ。

 レコの笑顔を見た兵士たちが、酷く驚いたような表情を見せる。


「この罠を発動させなかったら、オレが団長に半殺しにされる。それはそれで興奮するけど、使えない奴って思われたくない。それに、敵に補給が届いたら本当に負けるよ? で、負けたら死ぬ。ジャンヌたちが皆殺しにしてるの知ってるよね?」


 レコ、ユルキ、イーナはそれぞれサンジェストの小隊を率いて敵の補給線を断っている。

 レコのいる崖の下には道があるのだが、そこはいくつかある補給路の中では一番の悪路。

 要するに、他がダメだった時、苦肉の策として通るような道。

 なぜ他がダメになったのかというと、ユルキとイーナがすでに他の道で大暴れしたから。


「上からの命令でなければ、貴様のようなガキに……」


「オレも【地雷】使いたいなぁ」レコは溜息混じりに言う。「そしたらこの人殺すのに」


 相手をするのが面倒になったレコである。


「まぁいいや、本陣に戻るよ。大岩が塞いでるから、もうここは通れないし」


 次の命令は何だろう?

 レコはアスラの命令がとっても楽しみだった。

 命令されるということは、アスラはレコを信頼しているということ。

 レコなら任せても大丈夫だと思っているということ。

 レコにはそれが嬉しくて堪らない。


       ◇


「放て!」


 ユルキの命令で、サンジェスト軍の小隊が火矢を放つ。

 街道を進んでいた荷馬車に矢が刺さり、燃え上がる。

 荷馬車は2台進んでいて、狙ったのは前の荷馬車だけ。

 ユルキたちは街道沿いの草原に身を伏せてずっと待っていた。

 この街道にリヨルール軍の補給部隊が現れるのは4日ぶりだった。


「おっし! 突撃しろ!」


 ユルキが言うと、小隊が弓を置いて剣を抜き、燃え盛る荷馬車に向けて走った。

 荷馬車を守っていた敵の護衛部隊を殲滅するためだ。


「はっはー! ここは盗賊が出るって聞いてなかったのか!?」


 ユルキは弓を置き、トマホークを片手に走った。

 ちなみに、ユルキも含めて、全員が盗賊風の服を着ている。

 サンジェスト軍の名誉を損なわないための偽装だ。

 あくまで、盗賊に襲われて補給ができないと思わせる。

 なぜそんな面倒なことをしているのかというと、サンジェストの兵士たちの要望だ。

 それもかなり強い要望だった。

 補給部隊を奇襲で叩いたという事実を後世に残したくないのだ。

 正々堂々と戦わないのは不名誉である、という理屈。

 国が滅びかけているのに、不名誉もクソもあるか、とユルキは思う。

 しかし、それでも、サンジェスト兵は譲らなかった。

 だから仕方なく、盗賊ということにしているのだ。


「つーか兵士ってこんな弱いのか!?」


 トマホークで敵兵の喉を裂く。

 ユルキは4日前も同じことを思った。

 サンジェストの兵たちは、リヨルールの兵たちと互角の戦いをしている。

 ユルキは【火球】を使ったり、短剣を投げたりして援護した。

 その結果として、結局ほとんどの敵兵をユルキが殺してしまった。

 敵が1人逃走したが、放置する。

 なぜなら、この街道に盗賊が出ることをもう一度本国に報告してもらう必要があるから。


「クーセラ隊長、強すぎませんか?」


 サンジェスト兵の1人が、ポツリと言った。


「ユルキでいいって」ユルキが肩を竦めた。「つーか、お前らが命令通りに動いてくれるから、スムーズなだけじゃね?」


 実際、やりにくさはそれほど感じない。

 もちろん、《月花》のメンバーと比べたら意思疎通に少し問題はある。

 ハンドサインを理解しないし、いちいち何をするか声に出す必要があるからだ。


「いえ、強いでしょう……少なくとも、うちの国にはクーセラ隊長より強い人はいないかと」


 さっき発言したのとは別の兵士が言った。


「まぁ、強い方だとは思ってるけど、そんなにか? 過大評価じゃねーか?」


 ユルキは自分を弱いとは思っていない。

 実績も多い。

 けれど、兵士の言葉は買いかぶりのように思った。

 ユルキは身近な強者を思い浮かべる。

 まずアスラ。絶対勝てない。勝つ可能性はゼロ。何しても負ける。

 ルミア。アスラに同じ。

 アイリス。正当に戦えばまず勝てない。手段を選ばなければ、チャンスはあるかもしれない。

 アクセル。一発殴られたら死ぬ自信がある。

 エルナ。屋外だと勝ち目はない。屋内、それも狭い部屋ならワンチャンあるか?

 ジャンヌ。無理。

 マルクス。それなり戦えるが、結局は負けるだろう。

 あれ? 俺やっぱ弱くね?


「いえ、強いです」兵士が頷く。「ひとまず、前回のように残った荷馬車の物資を回収します」


「おう。敵の物は俺らの物、ってなもんよ」


 比較対象に問題があるんだな、きっと。

 ユルキは考えるのを止めた。

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