第6話 頼むから死なないでおくれよ 私は君の将来が見たい


 ティナが古城に戻ると、酷い有様だった。

 外からでは分からなかったが、中に入ると色々な物が破壊されていた。

 壁も床も机も装飾品も柱も、本当に酷い状態だった。


「姉様!? 姉様!?」


 ティナは慌てて、普段ジャンヌがウロウロしている場所を順番に確認していく。

 あっちに走り、こっちに走り、寝室でジャンヌを発見。

 ジャンヌは部屋の隅でガタガタ震えながら両手で顔を覆って泣いていた。


「姉様! 姉様! 戻りましたわ! 大丈夫ですの!?」


 ティナは駆け寄り、膝を突いてジャンヌの肩に触れる。


「ティナ……ああ! ティナ!」


 ジャンヌはティナの顔を見て、すぐにティナに抱き付いた。

 勢いよく抱き付いたので、ティナが背中から倒れた。


「またフラッシュバックですの?」


 ティナが両手をジャンヌの背中に回す。

 ジャンヌは全体重をティナに預けている。

 やや重いけれど、ティナはそのことには触れない。


「怖い夢を見ました。あの時の夢……」

「姉様、もう大丈夫ですわ。ぼくがいますわ。だからもう何も心配いりませんわ」


 やはり、古城の中で暴れたのはジャンヌだった。

 これが初めてじゃないから、ティナは予想していた。

 ジャンヌはどんどん不安定になっていく。

 最初から不安定だったけれど、2年前を境に酷くなった。

 自らに『呪印』を施してから、加速度的に壊れ始めた。


「なぜ、なぜ側にいてくれなかったのです?」


 ジャンヌは起き上がって、右手で涙を拭った。


「ごめんなさいですわ……」


 ティナも立ち上がる。


「お仕置きします」

「え?」


 ジャンヌはベッドに腰掛けて、自分の膝をポンポンと叩いた。


「姉様!? ぼく、黙って行ってませんわ! 姉様の命令で出荷量の落ちた原因の究明と改善に……」

「ティナ」

「なぜですの……? なぜ、ぼくを叩きますの……? もう嫌ですわ……。痛いの嫌ですわ……」


 ティナの瞳から涙が零れる。

 昔は、こんなに頻繁に叩かれたりしなかった。

 本当に時々のことだった。

 それに、当時は愛撫のようにペチペチと叩かれる程度で、戯れ的な意味合いの方が強かった。

 それで罪悪感が消えるので、ティナとしても歓迎していた。


「ティナが、あたくしの側にいてくれなかったからです。組織のことなんて、ゴッドハンドにやらせれば良かったでしょう?」

「でも……」


 中央のゴッドハンドを、ティナは信用していない。

 裏切るとか、そういう意味ではない。

 あの人は、姉様と神様の区別が付いていませんわ。

 だからこそ、危険。

 最悪、タニアを殺してしまう可能性だってある。

 タニアの性格は最低最悪だが、犯罪者としては非常に有能。


「ティナがいてくれたなら、あたくしはあんなに怖い思いをしなくて済みました。そうでしょう?」

「そうですけれど……。でも、姉様が……」


 ジャンヌの命令でティナは動いたのだ。

 確かに、ゴッドハンドに任せるという選択肢もあったけれど。

 こんなの、あんまりにも理不尽ですわ、とティナは思う。


「ああ、ティナ、あたくしはこんなにもあなたを愛しているのに、あなたは、あたくしを見捨てるのですか?」

「そんな! そんなことありませんわ! ぼくも姉様を愛していますわ! 見捨てたりしませんわ!」


 できれば救いたい。でも、もう自信がない。


「では、早く服を脱いでください」

「……何回……ですの?」


 何回叩くのか、という意味。

 前回、アーニアの支部が壊滅した時のように、気絶するまででないことを願った。


「20回の予定でしたが、素直に来てくれなかったので、30回です」

「……分かりましたわ……」


 ティナは諦めて、服を脱いだ。

 もうこうなったら、選択肢は二つしかない。

 1。ジャンヌの安定のために叩かれる。

 2。ジャンヌを見捨てる。

 ティナはジャンヌの膝の上に腹ばいになった。

 2は選べない。どれだけ叩かれても、見捨てられない。

 ああ、でも。

 誰か助けてくださいませ……。

 痛いのも辛い。

 けれど。

 ジャンヌが壊れていくのも辛い。


「姉様、叩く前に、一つだけ……」

「はい。何でしょうか?」

「ルミアに、会いに行きませんの? 動向は監視していますので、いつでも会いに行けま……いだいっ!」


 ジャンヌが闘気を使って、全力でティナの尻を叩いた。


「会いたいとは思っています」


 言いながら、ジャンヌが連続して叩く。


「救いたいとも思っています」


 違う、とティナは思った。

 救って欲しいのは姉様の方。

 ルミアにジャンヌを救って欲しいのだ。


「ですので、近いうちに、行きましょう」


 前もそう言って、今まで行かなかった。

 でも、今度は何がなんでも、説得して連れて行く。

 ああ、でも、とティナは思う。

 ジャンヌの計画を知ったら、ルミアはどうするだろうか、と。

『呪印』の意味を知っても、

 それでも姉様を救ってくださるでしょうか?

 姉様は救済という名の絶望を世界に与える。

 そして。

 があると知っても、

 それでも救ってくださるでしょうか?


       ◇


 ユルキは黒い矢を放った。

 やべぇのに出くわしちまったっ!

 すでに陽が傾きはじめた夕方。今日の到達目標ポイントは目と鼻の先。

 ユルキは樹の枝の上で息を潜める。

 1人で対処できるような魔物じゃない。こっちの存在に気付かれたら、終わりだ。

 ノソノソと歩いている魔物は、魔物図鑑に載っていた上位の魔物。

 獅子の顔に、山羊の身体、そして蛇の尻尾。

 体長は3メートルに届く。

 キマイラ。それがこの魔物の名前。


 ユルキはキマイラを注意深く観察する。

 体毛が硬そうで、短剣や矢ではダメージを与えられない可能性が高い。

 けれど、毛である以上、燃やすことは可能だ。

 全力の【火球】なら、3発ぐらい命中させれば、焼き殺せるか?

 あるいはもっとか?

 つーか、こいつ何してんだ?

 キマイラは同じ場所をグルグルと、ゆっくり歩いていた。

 魔物図鑑には載っていなかった動き。

 と、さっきユルキが黒い矢を放った方向で、獣の叫び声。


 本隊が魔物と遭遇したのだとすぐ理解。

 ユルキの近くのキマイラも合わせて咆哮。

 似たような声。似たような声量。

 さっきの咆哮が同種のものであることが一発で分かった。

 英雄が1人で対処に困るレベルの魔物が、二匹同時に出現したということ。

 キマイラの身体が少し沈む。

 走り出す直前の動作。

 本隊はすでにオフェンスチームを派遣しているはず。

 であるならば、残った戦力はアスラ、アイリス、イーナの3人だけ。レコとサルメは戦力として数えない。

 残った3人でも、キマイラ1匹なら処理できる。

 だが、2匹同時となると、本隊が壊滅する可能性がある。そうでなくても、死傷者が出るかもしれない。


「クソッ!」


 ユルキはキマイラの気を引くために短剣を投げた。

 足止めしないとヤバイと思ったからだ。

 短剣がキマイラの身体に命中するが、体毛に弾かれて地面に落ちた。

 しかし想定通り、キマイラがユルキを見た。


「あーあ、俺も今日で最期かねぇ」


 ユルキが笑う。

 そして腰の片手斧を握る。アスラはこの片手斧をトマホークと呼んでいた。

 短剣よりも殺傷能力が高く、ユルキのお気に入り。

 キマイラが跳躍すると同時に、ユルキは後方に飛んだ。


「でかいくせに速ぇ!」


 キマイラは巨体にもかかわらず、軽くユルキのいた枝まで飛び上がって、その鋭い爪で枝を弾き飛ばした。

 地面に落ちるまでの間に、左手で【火球】を用意。

 射程が短いので、実は【火球】は直接叩き込んだ方がいい。

 キマイラは着地したが、すぐに襲って来ない。

 そして身体を一度仰け反らせて、

 口から火を吐いた。


「ちょっ、火は俺のだぞクソ!」


 思いっきり横に飛んで、直線的に飛来する火柱を避けた。

 ゴロゴロと転がる前に、【火球】を消した。自分の魔法で焼死したらシャレにならない。

 ユルキが起き上がると、目前にキマイラの爪。

 あ、俺、死んだ。

 そう思ったのだが、

 キマイラの爪はルミアのクレイモアによって防がれる。

 キマイラが少し下がって、様子を窺う。


「平気?」とルミア。

「まずいな、周囲が燃えている」とマルクス。


「助かったっす副長」ユルキはちょっと涙目で言った。「マジで死んだかと思ったっす」


 キマイラが咆哮。

 そして再び火を吐いた。


「散開!」


 ルミアが叫び、ユルキたちはそれぞれ飛ぶ。

 ルミアは右に、マルクスは左に、ユルキは上へ。

 ユルキは樹の幹と枝を蹴って、割と高く登った。

 キマイラはルミアを狙って距離を詰めている。


「一番強いのが、誰か分かるのか?」


 言いながら、ユルキは【火球】を用意。

 隙を見てぶち込む。


       ◇


「バカ、アイリス! ボサッとするな!!」


 アスラが叫んだが、アイリスは唐突なキマイラの出現に対応できなかった。

 オフェンスチームを派遣したすぐ後に、真横からキマイラが突っ込んできた。

 気付いた時、キマイラはすでにアイリスの目前。

 アスラは指を弾く。

 だがきっと間に合わない。

 キマイラの爪が、

 動けなかったアイリスを、サルメが押し退けたのだ。

 同時に、キマイラの胴体に三度の爆発。

 キマイラは大きく咆哮し、爪に刺さったサルメを投げ捨てた。

 空中で、サルメの背負っていたリュックの中身が散らばって、リュックもサルメの背から落ちた。

 サルメの身体は樹に叩き付けられて、腕がおかしな方向に曲がり、ズルリとサルメが地面に落下。

 幹に大量の血液が付着。


 負傷したキマイラが、踵を返した。

 イーナが【加速】を乗せた矢をキマイラの後ろ足に撃ち込む。

 キマイラがバランスを崩して、倒れ込む。

 アスラが飛んだので、イーナがアスラに【浮船】を使用。

 アスラは一度の跳躍で、キマイラの真上まで飛び、クレイモアを両手で構える。

 いつもの横ではなく、縦に構えた。

 そして、落下の速度と合わせてキマイラの首にクレイモアを叩き込んだ。


「浅いっ!?」


 それでも腕力と体重が足りなかった。

 大きなダメージを与えたが、キマイラの首は落ちなかった。

 キマイラは苦しそうに叫びながら、前足の爪でアスラを攻撃。

 アスラはクレイモアで受けるが、弾き飛ばされる。

 飛ばされながら、指を弾く。

 クレイモアで即死させる目論見は失敗した。

 だが、一つの攻撃に失敗したぐらいで、全てが終わるわけじゃない。


 連続した攻撃が大切なのだ。切り替えながら次々に攻撃すればいいだけの話。

 キマイラの背中にアスラの花びらが落ちる。

 最初の【地雷】でダメージを与え、イーナの【加速】矢を足に撃ち込んで動きを制限。

 それから、アスラがクレイモアで一撃必殺。殺せなかったら、また【地雷】。それでもダメなら、と延々と続けるのだ。

 敵が死に至るまで。

 キマイラの背中が連続で爆ぜる。血肉が飛び散って、キマイラが動かなくなる。


「イーナ! 死んだか確認しろ!」


 叫び、アスラは急いでサルメの方に駆け寄った。

 サルメは酷い状態だった。


「【花麻酔】」


 白色の花びらが、サルメの傷口に貼り付いた。

 アスラはサルメを引っ繰り返して、背中側にも同じ魔法を使った。

 固有属性・花の回復魔法。

 止血と自然治癒能力の向上、それと、痛みを緩和する効果がある。

 アスラは大きく息を吸って、


「ルゥゥゥゥミアァァァァァ!!」


 腹の底から叫んだ。

 アスラの回復魔法では、サルメは死んでしまう。

 ルミアでなければ治せない。

 けれど、ルミアの回復魔法でもサルメが生きられるかどうかは五分五分。


「ビビらずよく動いたね、サルメ」


 サルメの反応はかなり速かった。たぶん、立っていた位置的に、キマイラの姿を最初に目視できたのだろう、とアスラは推測。

 そして声を出す間もなくキマイラが近付き、サルメは咄嗟にアイリスを庇ってしまった、といったところ。


「……団長さん……私……死にますか?」

「大丈夫。大丈夫だサルメ。心配いらない。もうすぐルミアが来るから」


 アスラは微笑んでみせた。


「……団長、キマイラは死んでる……」

「よし。オフェンスチームに合流してくれ。あっちから聞こえた咆哮も、たぶんこいつと同じキマイラだろう。ルミアを呼んだから、向こうの戦力が下がっている」

「……了解」


 イーナが駆け出した。


「あたしのせいだ……あたしのせいだ……あたしの……」


 アイリスが歩いて来て、そのまま崩れ落ちた。


「違う。君のせいじゃない。クソッ、レコ、ここを頼む!」

「はい団長!」


 アスラはレコと入れ替わって、カーロの側に移動。

 護衛対象はあくまでカーロ。任務の達成はカーロが無事であること。

 アスラは集中して周囲を警戒。

 アイリスとゆっくり話している余裕がない。キマイラが2匹だけとは限らない。

 キマイラの咆哮に釣られて、他の魔物が来る可能性だってある。

 最優先で守るのはカーロだ。サルメじゃない。


「ああ……ごめんね、ごめんね、ごめんね……あたしが、あたしが……」


 アイリスがわんわん泣くものだから、アスラは少し苛立った。集中できない。


「うるさい」とレコがアイリスの頬を叩いた。


「サルメは傭兵だから」レコが真顔で言う。「死ぬのは仕方ない。オレもサルメも、傭兵だから。アイリス悪くないよ?」


「……そうですよ、アイリスさん……」サルメが咳き込み、血を吐いた。「……私が、バカやっちゃいました……。それだけの、ことです……」


「本当バカ」レコが笑った。「アイリスを守れなんて命令されてないから、サルメ助かったらきっとお仕置きだよ?」


「……ですかね……」

「オレたち、荷物持ちで、いざという時はカーロの盾になれ、って命令されてたよ?」

「……怖いので、私死にますね……」

「冗談言えるなら、大丈夫だね」


 大丈夫ではない、とアスラは思った。

 レコは素だが、サルメはかなり無理している。

 でも。

 戦場では活き活きと死ね。

 サルメは団規を守ろうとしているのだ。

 サルメはきっといい団員になる。

 だから、ああ、死んでくれるな。そう強く願った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る