三章

第1話 私に頼みたいことがあるって? ならばまずは、お願いしますだろう?


 治療を済ませたアスラは、憲兵団本部の団長室に足を運んだ。

 団長室はそこそこ広く、思ったより快適そうな空間だった。

 左手の棚にはいくつかの賞状が立てかけられていて、右手の壁には歴代団長の肖像画が飾られている。


「アスラ・リョナさん。どうぞ座ってください」


 執務机に座っている憲兵団団長のシルシィ・ヘルミサロが微笑む。

 海のように青い髪と、白い制服。そしてメガネ。

 シルシィとはすでに自己紹介を済ませている。

 ちなみに、他の《月花》団員は別室で待機している。

 執務机を挟んだシルシィの対面の椅子に、アスラは腰を下ろす。


「アスラでいい。シルシィ、君はいくつだい?」

「今年で31になります。今はまだ30ですよ? アスラさんは13歳でしたよね?」

「その通り。14になるのはまだ先のことだね。それで、いつから団長を?」

「2年前からですが、わたくしは尋問されているのですか?」

「いや。世間話だ。今日はいい天気だね、と同じ。そっちの方が良かったかい?」


「そうですか」シルシィは一度小さく溜息を吐いた。「本題に入っても?」


「その前に、なぜ私の装備を取り上げた?」


 アスラはいつものローブを着ているが、その下の短剣一式は憲兵たちに持って行かれた。

 今のアスラは完全に丸腰の状態だ。


「念のためです。あとで返却しますのでご安心を。本題に入っても?」


 シルシィの毅然とした態度に、アスラは小さく息を吐いた。


「ご自由に。ウーノ・ハッシネンなら殺したよ」


 アスラは明け透けに言った。

 現時点で、隠す意味がない。理由は2つ。

 1つは、憲兵団はすでに証拠を掴んでいる。だからアスラたちを連行したのだ。

 2つ目。ウーノは英雄でも何でもない。一応、死体は処理させたが、別にバレても大きな問題にはならない。

 今なら、

 なんでも言うことを聞いてくれる若き王がいるのだから。


「……そうですか」シルシィは面食らったように言う。「あ、いえ、分かっていましたけれど。死体を埋めた場所も、発見しましたし、証言も取れていますし……」


 酒場の店主と店員が喋ったのだとすぐ分かった。

 まぁ、もう彼らと関わるつもりもないので、報復には行かない。

 店主は一般人だし、店員もウーノに情報を流しただけの一般人だ。彼らを殺せば、ルミアは怒る。

 ルミアはクズには冷徹になれるが、それでも極力殺さない方がいいと考えている。


「で? 私たちは逮捕かね?」

「そうですね。はい。一応、そうさせてもらいますが……」

「でも? しかし? 条件次第で?」

「……なぜアスラさんは先読みするのですか?」


「何か頼みたいことがあるんだろう? そう思った。いや、そうであって欲しかったのかな? だってそうでなければ、君らを討ち倒さなければいけないだろう?」


 ククッとアスラが笑う。

 シルシィがビクッと身を竦めた。

 まぁ、倒すと言っても殺すわけじゃない。アーニア王にお願いして免責してもらうだけの話。

 取引を有利に進めるための脅しみたいなものだ。

 シルシィは唾を飲み、呼吸を整えて平常心を取り戻す。


「わたくしたちは、ウーノ・ハッシネンの背後の組織を探っていました」

「ほう。あいつにバックがいるとはね。ただのカスだと思っていたよ」

「そのために潜入捜査を進めていましたが、アスラさんたちが殺してしまいました。うちの捜査兵を」


 シルシィの声に、怒りが滲む。

 捜査を邪魔された怒りと、仲間を殺された怒り。


「憲兵は3人殺したけど、その中の1人かな? 悪いね。潜入捜査中だとは知らなかった。お悔やみを」

「心にもないことをっ……」


 シルシィの表情が悔しそうに歪んだ。


「ああ、もちろんない。憲兵だろうが何だろうが、敵は敵だよ。君も私の敵になるかね? 怒りに任せて? それは利口とは言えない。取引内容を言いたまえ。内容によっては受けてあげるよ」


「……国内で、あなたたちは人気があります……。そしてウーノは有名な悪人……。あなたたちは犯罪者ですが、断罪したらわたくしたちの方が悪にされる危険もあります……」


「世論が怖いかね?」

「ええ。わたくしたち捜査機関は、市民の矛先になりやすいですから」


 そういえば、とアスラは思い出す。

 前世でも警察は嫌われていたなぁ、と。

 もちろんアスラも嫌いだった。

 みんな警察に頼るのに嫌うという面白い構図だった。

 ちなみに、アスラは警察に頼ったことはない。


「で? 私に何をして欲しい?」

「犯罪組織のアーニア支部の場所と、リトルゴッドと呼ばれる者の特定」

「どういった犯罪組織なのかな?」


「麻薬が主ですが、恐喝、暴行、盗み、殺人、だいたい何でもやります。国際的な組織で、フルセンマーク大地全体に根を張っていて、頂点に立つ者のことをゴッドと呼びます」


「麻薬カルテル……いや、マフィアかな? フルセンマーク・マフィア、ってとこかな。その支部か何かがアーニアにあると?」


 とあるマフィア映画を思い出しながら、アスラは言った。


「マフィアとは何ですか?」

「……犯罪組織の代名詞だよ」


「なるほど。初めて聞きましたが、フルセンマーク・マフィアというのは呼称としてはいいですね。採用します。略称はフルマフィでしょうか」


「採用どうも」


 アスラは小さく肩を竦めた。


「相手はかなり危険な連中です。兵士と違い、汚い手を平気で使うような連中です。しかし、アジトとリトルゴッド……支部長のことですが、彼か彼女を見つけてくれれば、アーニア国内で犯した罪は全て免責します」


「断る」

「そうですか、ではまず……え?」


 シルシィは目を丸くした。


「第一に、なぜ私たちに頼む? 第二に、免責なら王に出してもらう。出せるはずだよね? 議会の承認はいるけれど」


「……えっと……その、《月花》の能力の高さを買ったのですが……。それに、あなたたちが捜査を台無しにしたので、免責の代わりに捜査の続きを請け負ってもらうというのは、そんなに変でしょうか?」


「変ではないよ。君ら実は、何人か殺されてるね? もしくは警告を受けてビビッた?」


 アスラが言うと、シルシィは唇を噛んだ。


「そうか、そういうことか。フルマフィの連中にいいようにやられてるんだね? 打つ手なし? で、藁に縋るように私たちに縋った? 違うかい?」


 アスラはとっても楽しそうに言った。

 憲兵団の手に余るのだ、フルマフィは。

 だから、傭兵に頼んでいるのだ。

 アスラの推測だが、大筋は間違っていないはず。


「潜入捜査は、最後の頼みだったのです……それをあなたたちが……」


「あー、悪い悪い。ごめんごめん。ははっ! 素直に助けてくださいと言いなよ? 偉そうに免責とか言わずにさぁ。お願いしますでもいいよ? そしたら考えてあげるよ?」


 訓練という意味では、悪くない依頼なのだ。

 情報収集はもちろんのこと、戦闘もあるだろう。

 ただ、シルシィの態度が気に入らないだけ。


「わたくしたちは、あなたたちを逮捕することも……」

「やってみろ」


 アスラは急に冷えた声を出した。


「言っておくが、私たちと敵対したら、フルマフィの比じゃないよ? そっちの死人の数のことだけど。明日から誰がこの国の治安を守る? ん? 私は円満に国を去りたい。だから、普通にお願いしたまえ。そして現金を提示しろ」


 しばらく沈黙。

 アスラはシルシィの決断を待った。


「……免責と1万ドーラ」とシルシィが言った。「それと、ユルキ・クーセラとイーナ・クーセラを手配書リストから削除します。アーニア国内だけですが……」


「おや? あいつら手配されているのかい?」


「……知らないのですか?」シルシィの表情が引きつった。「ユルキの方は、手配書リストのトップ10に入る大物ですよ? 名前は知りませんでしたが、ちょっと待ってください」


 シルシィは執務机の引き出しから、本型の手配書を出してペラペラと捲った。


「これです。これ、ユルキ・クーセラですよね?」


 シルシィが手配書を左手で持ち、アスラの方に向ける。

 それから右手で似顔絵を指さした。


「おー、そっくりだね、てゆーか、ユルキだね」


 似顔絵の下に『盗賊団・自由の札束・四代目カシラ・本名不明』と書かれている。


「し、知らずに行動を共にしていたのですか……?」


 シルシィは呆れ口調で言ったあと、手配書を閉じて机の上に置いた。


「盗賊だったのは知っている。でもそんなこと、私には些細なことだよ」


「『自由の札束』ですよ!? 超有名盗賊団ですよ!? 1年ほど前に、突然解散しましたけれど! それでも手配が消えたわけじゃありません!」


「解散じゃなくて壊滅」

「……え?」


「私とルミアがピクニックのついでに潰したんだよ。そこでユルキとイーナを仲間にした。2人とも魔法が使えたし、戦闘能力も高いし、私の部下にいいと思ってね」


 アスラが笑いながら言うと、シルシィは言葉を失ってしまう。


「まぁいいや。それで? アジトとリトルゴッドを見つけるだけかね? 見つけたあとは?」

「あ、はい。そのあとは蒼空騎士団に救援依頼を出して、我々で踏み込みます」


「はん! 蒼空騎士団だって!? ははっ! 彼らの理念は尊敬するよ!? 特定の国に所属せず、助けを求める声あれば駆けつける、だろ!?」


「……何か問題ですか? マルクス・レドフォードと関係が?」


「いや、ない。蒼空騎士団は組織だ。出資者が何人もいるが、それでも騎士団を維持するには金が足りない。だから有料だろ? 彼らの救援は。いくらだい?」


「1小隊で3万ドーラですが?」


「ではそれを寄越せ。私たちが潰してあげるよ! 免責と3万ドーラ、それからユルキとイーナの手配書を国内限定だが削除。それでフルマフィのアーニア支部を見つけて、潰してあげようじゃないか! 私らと蒼空の連中に分割して頼むよりお得だろう?」


 落としどころとしては、申し分ない。団員たちもこの条件なら文句を言わないはず。

 あとは、


「……潰すって、戦場で戦うのとは違いますよ? 相手は根っからの犯罪者たちで……」

「私らも似たようなものだ。心配しなくても尋問用に幹部を数名、生かしておいてあげるよ。あとは皆殺し。それでいいだろう?」

「……できるのなら、はい、お願いします」

「そう、それだ。お願いします。それが聞きたかった。請けよう」


 シルシィのお願いします。

 これで決まり。


「シルシィ団長、失礼します!」


 憲兵が1人、団長室に入ってきた。

 アスラは身体を反らして、そいつの顔を確認。


「どうしました? 今は少し忙しいのですが?」


 シルシィがメガネを右手で直した。

 アスラは憲兵の表情を見て、何かおかしいと感じた。


「すぐ済みます団長。リトルゴッドから伝言です。諦めろ。これは何度目の警告だ?」


 憲兵がナイフを投げた。

 シルシィは反応できていない。


「ちっ」


 アスラは武器を何も持っていない。

 だから、飛来するナイフに左手を伸ばした。

 アスラの掌にナイフが刺さる。

 刺さった瞬間に、毒が塗られていると理解。

 ルミアなら上手に柄を掴んだかな? なんてことを考えた。

 しかし、座った状態でシルシィを守れただけでも、よしとする。

 交渉がまとまった瞬間に依頼主に死なれてはたまったものじゃない。


「何者です!」


 シルシィが立ち上がって剣を抜く。

 憲兵――いや、憲兵に扮したアサシンか。彼が2本目のナイフを投げる。

 アスラは右手の指をパチンと弾く。

 アサシンの頭と両肩が爆発。

 周囲に血肉を撒き散らす。

 花魔法【地雷】を使ったのだ。

 シルシィがナイフを剣で叩き落とした。


「アスラさん!? ありがとうございます! 平気ですか!?」


 平気なわけがない。

 これはまずい。

 毒を喰らったのが最悪。

 即効性か、意識が混濁しそうになる。

 だが、まだ意識を失うわけにはいかない。

 アスラは立ち上がって、大きく息を吸う。


「マァーールクゥーーース!!」


 アスラは腹の底から絶叫するようにマルクスを呼んだ。

 その声量に、シルシィが酷く驚いていた。


「マルクスが来たら、私は毒を受けたと言え。それから、依頼のことは副長に話せ。依頼達成のために最善を尽くすよう伝えてくれ。少し眠る」


 それだけ言って、

 アスラの意識はプツリと途切れた。

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