二章

第1話 多くを失うリスクがあるって? そうかな? せいぜい、私たちの命ぐらいのものさ


 アーニア王がさっきまでアスラの座っていた椅子に腰を下ろした。

 アスラはもう一つ椅子を持って来てアーニア王の前に置き、そこに座る。


「アスラ・リョナ、近くないか?」

「アスラでいい。それに私は美少女だから、近くても平気だろう?」


 本当は椅子をセットする位置をミスった。

 直すのが面倒なので、このままいくことにしたのだ。


「う、うむ……」

「それで? 話とは?」

「まずこの戦争について、《月花》団長と副長の率直な意見を聞きたい」

「まだまだ楽しめそうだ、と思っているよ。副長はどうかな?」


 アスラは椅子を少し傾けて振り返り、ベッドの上のルミアを見た。

 ルミアは小さく溜息を吐く。


「率直な意見ですね? アーニア王」

「うむ。頼む」

「アーニアはまず勝てないでしょうね」

「で、あろうな」


 アーニア王は特に肩を落とす様子もなく、淡々と頷いた。


「副長、理由を簡潔に述べてくれるかな?」


「単純にテルバエの方が軍事力が上なのよ。練度も規模も、何もかもね」ルミアも淡々としている。「それに加えて、主要産業である茶畑を焼かれてしまったわ。今の主戦場は南東の草原であってるかしら?」


「うむ」

「長くは保たないんじゃないかしら。たぶん、10日ぐらい?」

「……将軍らもそう言っていた。なぜ分かった?」

「戦力を分析、比較してからこの戦争に参加したのよ、わたしたち」


「うちの副長は頭の中で戦争をシミュレートしているのさ」アスラがニヤッと笑う。「このあと、アーニアがどうなるかも教えて差し上げろ副長。ああ、もちろん、私たちが何もしなかった場合だよ?」


「主戦場で敗戦し、貿易都市が落とされる。主要産業を焼かれ、経済の中心である貿易都市まで陥落したら、経済的には死んだのと同じこと。放っておいてもアーニアは緩やかに滅ぶでしょうね。もちろん、その前にあなたが降伏するけれど、相手が受け入れるかは分からないわね」


「副長殿は……戦争の経験が豊富なのか?」


 アーニア王は驚いたように目を丸くしていた。


「そうね。でも大昔の話よ」

「ふむ……。ところで、アスラが何かしたら、どうなる?」


「南東の主戦場では勝てる」アスラが断言する。「が、このままズルズル戦争が続くと最終的には勝てない。よくて引き分けだろうね。その理由は――」


「――英雄将軍マティアス・アルランデル」


 ルミアが真剣な口調で言った。


「運の悪いことに、敵側に英雄がいる」アスラが言う。「反面、アーニアには英雄どころか英雄候補すらいない。これは痛い。色々な意味で痛い」


「英雄の戦闘能力が人間離れしていることは、アーニア王もご存じでしょう?」

「うむ。彼らはその剣で大地を割り、拳で大岩を砕き、馬より速く駆け抜け、超自然災害《魔王》と戦うことのできる存在」


「《魔王》ね……」アスラが苦笑いした。「超自然的に発生し、人類の生活を脅かす存在、か」


 無限に思えるほどのMPを持ち、衝動のままにあらゆる物を破壊して回る。怒りと憎しみに染まった破壊神。多くの場合、理性を持たない。


「普通の人間は」ルミアが言う。「《魔王》に挑もうなんて思わないわ。見たら分かるの。あれは人にどうこうできるものじゃない、ってことが。でも英雄たちは戦う。それが義務だから。毎回、討伐に向かった英雄たちの半分が死んでしまう」


「マティアス・アルランデルはその《魔王》討伐を二度、生き残った」


 アスラが肩を竦める。

 そのマティアスが、テルバエ大王国軍の総大将を務めている。


「さてアーニア王」アスラが言う。「ひとまず勝利条件を確認しよう」


 アスラはやる気満々だった。まだ何も依頼されていないが、されるのは分かっている。そうでなければアーニア王がお忍びでこんなところまで来ない。


「総大将の撃破、もしくは総大将が撤退を選択する。それか、戦場の銅鑼が鳴り響くか。まずはこの3つのどれかが必要だね」


「厳密には」ルミアが言う。「銅鑼を鳴らすのは大将同士で話したい、という意味よ。一時的な停戦の合図」


「でもその話し合いは多くの場合、条件付きの降伏を提案するためだろう? 兵士や将軍を処刑しないとか、そういう条件」

「うむ。しかしながら、マティアスがいる以上、連中が銅鑼を鳴らすことはなかろう。鳴らすとしたらうちの方であろうな」


 アーニア王が肩を竦める。


「まぁ続けよう。今言った3つはどれも正確には勝利への最初の1歩でしかない」アスラが言う。「最終的な判断はテルバエの大王が行う。最悪、総大将をすげ替えて再び侵攻することも考えられる」


「どうであれ」とルミア。「総大将が英雄である以上、撃破もないわね。アーニアが勝つには撤退させるしかないわ」


「そう。英雄には特権と義務がある。今回適応される特権は、英雄を殺してはいけない、だったかな。これを破ると、全ての英雄が報復にやってくる。さすがに面倒だよね」


「……それは英雄向けの特権よ……」ルミアが苦笑いする。「英雄同士で喧嘩して、殺し合いに発展しないようにという意味合いで作られたもので、一般人が英雄を殺すことなんてそもそも想定されてないわ。わたしが言いたかったのは、過去に英雄を殺した一般人なんていないってことなの。だから撃破も無理という意味よ」


「そもそも英雄を殺そうなど、普通は考えん」アーニア王が言う。「彼らは大英雄の招集に応じ、最上位の魔物や超自然災害《魔王》を討伐し、人類の未来を命がけで守っている。我らはそんな英雄たちに敬意を覚えるが、殺意を覚えることはない」


 英雄に多くの特権が存在するのは、命をかけて未来を守っているから。


「だが、って続くのかな? それとも、しかし、かな?」


 アスラは楽しそうに笑った。


「どちらでもよい。アスラ、余は、それでも余は、アーニアを守りたいのだ」

「ああ。だから? どうして欲しいんだい? ほら、言っちゃいなよ?」

「マティアスを……英雄マティアスを……殺してくれぬか?」


 それは一生に一度あるかどうかの依頼。

 英雄を殺す――それを想像することすら、この世界では許されない。

 そんなことを考える奴は異端だ。

 気が触れていると表現しても過言ではない。


「ははっ!! 聞いたか副長!」


 アスラは歓喜したが、ルミアの表情は引きつっていた。


「アーニア王、取り下げてください。今ならなかったことにできます」

「取り下げなくてもいいよ若き王。楽しくなってきたなぁ」


「待ちなさいアスラ……いえ、団長。請けていい依頼とそうでない依頼があるわ。これは明らかに後者。1億ドーラ積まれてもリスクに見合わないわ。そもそも、英雄を殺すですって? そんなこと、できるわけないでしょう?」


「いや、できるだろう?」


 アスラが身体を反らして、顔を後ろに向ける。

 少し怒ったルミアの表情が逆さまに見えている。


「どうやって?」


「そりゃ、正面に立ってさぁいざ尋常に勝負、って言えば私は勝てない。当たり前の話さ。でも副長、君たちは英雄を神聖視しすぎている。英雄と言っても人間だろう? 毒を飲めば死ぬし、首を絞めても死ぬだろう?」


「仮に」ルミアが言う。「殺せたとして、そのあとどうするの? 全ての英雄が敵に回るわ。わたしたちは報復の対象になってしまうわ」


「じゃあ英雄連中と戦争、と言いたいが、まだ私たちにそこまでの力はない。だからまぁ、シラを切ろう。証拠は残さない」

「証拠も何も……今マティアスが死んだら誰がどう見たってアーニアの仕業でしょう? そしてすぐ、傭兵のわたしたちが疑われるわ」

「だろうね。でも前例がないんだろう? なら、証拠は必要さ。英雄どもは勝手な決めつけで報復する暴力集団じゃないのだから」


 アスラがそう言うと、ルミアは右手を額に当てて首を振った。


「それで若き王。報酬は? 副長的には、1億ドーラでも足りないそうだよ? 私も仕事の安売りはしたくない」

「……殺せる……のか? 英雄を……本当に?」


 アーニア王は目を見開いて、心底驚いたような表情をしている。


「いやいや、君が頼んだんじゃないか。私たちならできるかも、って思ったんだろう? ならその直感を最後まで信じなよ」

「う、うむ……。実は、断られることも想定していた……。その時は、我が軍とともに主戦場である南東の草原で戦ってもらおうと……思っていたのだ」


 アーニア王にとっては、そちらが本題だったのかもしれない、とアスラは思った。


「よし、そっちの依頼を請けよう」


「……ん?」とアーニア王。


「……団長が正気で良かったわ……」とルミア。


「日当はそうだなぁ、2万ドーラでどうかな?」

「もちろん、余は構わんが……英雄の方は……?」

「おっと、言葉が足りなかったね。そっちの依頼をカモフラージュに請けよう、ってことさ」

「……どういう意味なの、団長」


 ルミアの声に棘が含まれる。


「私たちはあくまで、日当2万ドーラで雇われた傭兵団。英雄を殺すなんてそんな大きな依頼は請けていないってことさ。大金が動いたら明らかに私たちが犯人じゃないか」

「だったら報酬はどうするの? まさか無償で英雄を敵に回すとでも? それこそ正気じゃないわ」

「そんな怒ったように言わなくてもいいじゃないか副長」

「怒っているの!」

「ちゃんと考えがある」


 アスラは首を振ってから、両手でアーニア王の頭を掴んだ。

 そして自分の方にアーニア王の顔を引き寄せる。


「ちょ、ちょっと団長!?」

「しぃ」


 アスラはアーニア王の目を間近で見ていた。

 アーニア王は目を逸らさない。


「命を懸けられるかね? 若き王」

「アーニアが勝てるのであれば」

「英雄を殺してくれ、なんて前代未聞の依頼だよ。あんたはイカレてる。だからその年齢で王様になれたのかな? あんたは20歳か? 21歳か?」

「22だアスラ。それを引き受けたアスラもイカレていると、余は思うが?」

「だから傭兵をやっているのさ」

「余も、だから王をやっている」


 数秒の沈黙。


「若き王。報酬は君の人生全てだ」

「余の人生? 妻にしろという意味か?」


「なぜこの状況でプロポーズしなきゃいけないんだよ。そうじゃない。若き王、君は今後、死ぬまで私の言いなりだ。私の望みを全て叶えろ。私がやれと言ったことは全てやれ。私に尽くし、私のために死ね。命を懸けろ。人生を懸けろ。君はそれだけのことをお願いした」


 アーニア王は唾を飲み込んだ。

 そして短い時間、考えて。


「分かった」

「言っておくが私は色々お願いするよ? そして報酬を払わない奴は殺す。忘れないで、若き王」


       ◇


 翌日の早朝。


「せっかくのオフに集まってもらって悪いね」


 アスラが笑顔で言った。


「……人口密度……ヤバイ……。床しか座るとこ、ない」


 イーナが無表情で言った。

 ここは宿のアスラの部屋。

 そこに《月花》の全員が集合していた。当然、レコとサルメも含む。


「君たち新しい依頼だよ。嬉しいだろう?」


 アスラはルミアの膝の上に座っている。

 ルミアは普通に椅子に座っているのだが、膝の上にアスラが乗っている。


「ではオフはなしでありますか?」


 マルクスは壁にもたれて立っていた。


「いや、動くのは明日から。私の腕が治ってから」


 アスラは背中にルミアの胸を感じながら、ニヤニヤと言った。


「んで? どんな依頼っすか?」


 ユルキはもう一つの椅子に座っている。


「代わって……」


 イーナがユルキを蹴っ飛ばして、ユルキが床に落ちた。

 その隙にイーナが椅子に座る。


「てんめぇこのアマ、俺が先に座ってたんだろうがよぉ」


 ユルキが怒るが、イーナはどこ吹く風。


「団長、オレも手伝える?」


 レコはサルメと一緒にベッドの上に座っていた。


「もちろんだレコ。今回は小隊を2つに分ける。だから君もサルメも雑用係ではあるが、参加してもらう」

「またブルーセクションとレッドセクション、ということですか?」


 マルクスはいつも通り、非常に冷静だった。


「違う。今回はアルファとベータ。そのままプランAとプランBになる」

「作戦……2つ?」


 イーナが小首を傾げる。


「そう。アルファチームの指揮はルミアが執る。メンバーはユルキ、マルクス、サルメだ。任務は南東の主戦場でアーニア軍とともにテルバエ軍を叩け。全力で叩け。撤退させるつもりで」


「戦争に勝ちに行け、ってことっすか?」

「簡単に言うとそうだ。が、相手の撤退では勝てない可能性がある。英雄将軍が生きている限り、再侵攻の選択肢が残るからね」

「しかし、それはどうにもならないのでは?」

「そこで私率いるベータチームの出番だよマルクス。メンバーはイーナとレコ。私たちは英雄の暗殺を画策する」


「あー、英雄殺したら、さすがに再侵攻は……って! 何言ってんっすか団長! 気でも触れたんすっか!? あ、いや、団長は元々イカレたクソアマっすけど! 英雄殺しちまったら、色々ヤバイっしょ!?」


「自分もユルキと同意見です団長。とても正気とは思えません。そもそも英雄を殺せるとは思えませんし、万が一殺せても、その後の報復で我々は全滅では?」

「……英雄は……さすがに……無理っぽい……」


「ほらね」とルミアが小さく呟いた。


「あ、あの……意見を言っても……?」


 サルメが申し訳なさそうに右手を挙げた。


「許可しよう。言ってみたまえ」

「みなさん……英雄は、その、私たちの未来を守ってくれる人たちで、《魔王》や強い魔物から人類の生活を守ってくれていて、だからその、普通は殺そうなんて思いませんよね?」


 サルメの言葉に、みんなキョトンとした。


「だから何だねサルメ」

「いえ、あの、みなさん……別に英雄なんか殺してもいいけど、って思ってます?」


「いいんじゃねーの? できるなら。俺は無理だと思ってっけど。ぶっちゃけうちの副長倒すようなもんっしょ? みんなで囲んでも無理っすわ」


「命令なら仕方ない。もちろん、自分も英雄を殺せるとは思っていない。知る限り、そんな前例もない。うちの副長を倒すようなもの、というのはいい例だ。副長に勝てない自分たちが英雄に勝てるとはとても思えない」


「……英雄は人間。人間なら殺していい……。でも、あたしも勝てると思えない……。副長は天敵……。あたしにできるのは、水に砂糖を入れるぐらい……」


「わたしの水が甘くて変だなぁと思うことが多々あったのだけど、イーナだったのね。素行の悪さが目立つようだから、あとで躾してあげるわね」


 ルミアが微笑みを浮かべると、イーナは立ち上がってダッシュでマルクスに抱き付いた。


「……マルクスの命令だった……」

「自分を巻き込むな。自分もまだブーツに砂を入れた件を忘れてないぞイーナ。副長、自分がイーナを押さえつけましょうか?」


 マルクスが言うと、イーナは今度はユルキのところに行った。


「お兄ちゃん……」

「うるせぇ。俺を椅子から蹴落としたこと忘れてねぇぞ。自業自得だ。ちょっと痛い目みとけ」


「……なるほど」サルメが小さく頷いた。「団長さんだけなのかなって思ってたんですけど、違うんですね。私も早くみなさんみたいになりたいです」


「どういう意味?」とレコ。


「ああ、いえ、みなさん等しくイカレてるじゃないですか。殺せるか殺せないか、あとは殺せた場合の話しかしてませんよね? 道徳的な意味で、英雄を殺すことを何とも思ってないんですから。副長さんですら」

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