最終話 灰色の雲の下


  夢を見た。


 島の集落の夕暮れ。私はどこかに向かって歩いていた。途中、花火を持った小さな男の子が元気良く私の横を駆け抜けていった。その後ろから女の人が「気をつけて〜」と声をかけて、もっと小さな男の子を背負った男の人がのんびりと歩いてきた。女の人はどこかで会ったことがあるような気がしたけど、思い出せなかった。長い綺麗な髪が素敵で、やっぱり私も髪を伸ばそうと思った。男の人とすれ違う時に、背中に背負った小さな男の子が眠たそうに目を開けた。綺麗な青い瞳をしていた。すれ違った後に女の人が「ユウトー!」と声をかけるのが聞こえた。知っている名前だと思って、振り向いたけど、もう道を曲がってしまった後で姿は見えなかった。追いかけるのはやめておいた。


 そして、目が覚めた。



「おはよう。気分はどう?」

 女の人が笑顔で声をかけてきた。

「先生、チェックをお願いします」

 女の人に呼ばれて白衣をきた男の人がやってきた。右手でぎこちなくカルテを受け取って、私の前に座る。腕を怪我したのだろうか。


「初めまして、領域管理官の佐々木です」

「あの、ここは?」

 真っ白な部屋。病院の一室のようだった。何人か顔を知っている子達がまだ眠っていた。

「頭とか痛くありませんか?」

 さらさらと何か書き留めながら私に質問する。「大丈夫です」と言ってから、「何だか少しぼーっとします」とつけ加えた。

「領域から戻るとしばらくはそんな状態になります。心配しないで。時差ぼけみたいなものだから」

 

 何となく思い出した。私たちはこの病室に集められて、眠って・・・それからどうしたんだっけ?

 ぼんやりとする脳を無理矢理起こそうとして頭を回す私を見て、佐々木さんは「急がなくていい」と諭した。


「本当に大事なことは必ず思い出せるよ」

 動けそうだったら動いてもいいよ、屋上で風を浴びるとスッキリするから、と微笑むと佐々木さんは部屋を出て行った。周りのみんなはまだ眠っているようだった。立ち上がると体がフワフワとした。新型ウィルスに感染して寝たきりだったあとに起きた時の気分に近い。


 白い部屋を出ると長い廊下があった。誰もいない。

「屋上」

 つぶやいた自分の声がひんやりとした空気を揺らして反響する。階段の上の方はうっすらと明るく光が差していた。ゆっくりと登る。歩きながら領域で過ごした毎日を思い出そうとしたけれど、なんだかまだ頭がはっきりしない。でも、心配はしていなかった。なぜだか、ゆっくりでも確実に大事な記憶を取り戻せる自信があった。屋上の前の扉で開錠ボタンを押すと、シュッと勢いよく扉が開いた。


 一歩外に出て大きく息を吸い込む。

 

 見慣れた景色が広がっていた。


 どこまでも広がるビルは地平線まで連なっていた。くすんだ空気を浄化しようと始められた屋上庭園の緑は妙に灰色がかって見えた。風が頬をなでる。風はとても乾いていたけど気持ちよかった。清浄化された空気は少し薬品くさい。そう思った時に、今までずっとこの空気の中で過ごしてきたのに「薬品くさい」だなんて思った自分が不思議だった。向こうはそんなに良い香りがしていたかな。思い出そうとしたけど、まだ無理そうだった。


 よく見ると先客がいた。中央部に置かれたモータの上に腰かけている。

 同じ年頃の男の子だった。何かを思い出そうとしているように目を閉じて頬つえをついている。少し伸びた前髪が風に揺れている。


 そっと前を横切って、屋上の手すりの前に立つと後ろから声をかけられた。


「あんたも領域から戻ってきたんだろ?どうだった?」

「うーん、まだうまく思い出せないんだよね・・・」

「俺も」

 見慣れた灰色の空の向こうでぼんやりと太陽が霞んで見える。

「帰ってきてよかったと今は思ってる」

「ふーん」

 少し不満げな声だった。風が吹き、少し焦げ臭い匂いがした。どこかのモータが低く唸る。日没時間が近いのか電灯が夜間用の色味に次々と切り替わっていく。

「凄く素敵だった。なんだかいろんな嫌なこともあった気がしたんだけど、それを全部まとめてあの世界があってよかったと思う」

「でもこっちがいいんだろ」

「こっちがいいというか・・・」

 話しているうちにぼんやりとした記憶がよみがえってくる。風の記憶、海の記憶、そしてあそこで一緒に過ごした人たちがいたこと。一緒に行ったクラスメートだろうか?


「こっちの世界でもう少しあがき続けるためのエネルギーをもらった気分かな。あっちでは、海を見ることができて、林の木陰の中を歩いて、鮮やかな夕焼けを見ることができたんだ。いつか同じようにもう一度、海で夕日を眺められるようにしたいじゃない?そのためには領域を知った上でここに戻ってくることが大切なんだと思う」


 後ろの少年は何も言わなかった。


 ぬるい風が通り過ぎ、厚く曇った空の下で全ての建物の明かりが夜間用に切り替わったときに、

「俺もそんな気する」

 と、愛想のない声でつぶやいた。


 灰色の空の色はほとんど変わらないのに、明度が落ちてゆっくりと夜になっていく。空を見上げて、今日は星が見えないな、と思った。星なんて実物を見たことないはずなのに。


 後ろにいた少年が立ち上がった。

「またな」

 そう言って、屋上から出て行く気配がした。

 振り向いた時はもう後ろ姿しか見えなかった。

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領域世界 ふじの @saikei17253

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