俺が帰りたい理由

 まさか異世界に来てトイレに悩むとは思わなかった。しかも自分の分じゃなくて、俺を拉致した魔導士まどうしの女の子の分。

 ミーナの声に嘘は混じっていないように思える。でも俺から離れたすきに逃げ出さないとも限らない。ああもう、どうする…。

「う、嘘じゃないだろうな…」

「嘘じゃないです!まさか…め、目の前でしろっていうんですか!そういう方面が好きだったんですね!やっぱり拓海たくみさんは悪魔です!鬼畜プレイヤーです!」

「んなわけあるか!お前が逃げたりするからいけないんだ!身から出たさびだ!」

「じゃあ、どうしろっていうんですか!?」

「目をつぶっててやるから…」

「お、音を楽しむつもりなんですね!そういうプレイをご所望なんですね!」

 ミーナが足をもじもじさせ始めた。

「だー分かった!そうだ、お前の大事なものを一つ俺が預かる!で、俺は離れてあっちを向いてる!それでいいだろ!」

 ミーナが左手にはめていた指輪を外して、俺に渡してきた。足をちょっとバタバタさせている。

「じゃあこれ!絶対無くさないで下さい!絶対です!絶対!」

「ああ、分かったよ!」

 ミーナは近くの木のかげあししていった。

 受け取った指輪は金色でシンプルなものだった。模様は刻まれていないし、宝石もめられていない。凝った装飾の無い金色のっか。なぜこんなものが大事かは分からないが、ミーナはしきりに『絶対』を繰り返していた。理由はともかく、彼女にとって相当大切な物だという事は分かった。

 よし、この指輪には人質としての価値がある。俺は落としたりしないよう、ひとまずそれを自分の小指にはめた。元の世界に帰る直前にでも返してやろう。


 しばらくして用を済ませたミーナが戻ってきた。顔を赤らめている。

「の、のぞいてないですよね…」

「お前のトイレなんて見るわけねーだろ」

「音聞いてないですよね…」

「聞いてねーよ…」

 実はちょっと聞こえていたが…。

 ミーナが手の平を差し出した。

「指輪返して下さい」

「だめだ!」

「なっ…だめです!返して下さい!」

「俺が元の世界に帰れる確証かくしょうが持てたら返してやる!」

「」

 ミーナが気弱な顔をした。動揺しているぞこいつ。このリアクションで確定した。指輪は彼女にとって相当重要な物だ、絶対に渡さん。

 この指輪を持っている限り、ミーナは俺から離れられない。これで俺も用が足せる…。


 少ししてミーナが改まった態度で声をかけてきた。

「あの、拓海たくみさん…」

「元の世界に帰る件なんですけど…」

「おう」

あきらめて、この世界で暮らしません?」

「………そういう訳にもいかねーんだ…」

「何でです?」

「元の世界で約束があるから…」

「約束って?」

「小説家になるって約束をしてるんだ…」

「小説家?」

「ああ……」


 俺は帰りたい理由を話し始めた。

 俺は言葉を覚えた頃から、ずっと妄想の中で生きてきた。架空のキャラクターを頭の中に作って、その子たちと話したり遊んだりする幼稚園児だった。

 初めて小説を書いたのは小学生の頃。その時人気だった探偵漫画の二次創作を作った。ストーリーやトリックは滅茶苦茶。思い出したくも無い程、あまりに稚拙な文章だった。でもそれを読んだ妹と幼馴染は、俺の作った世界に丸をつけてくれた。『続きを読んでみたい』二人からその言葉をもらった時、俺は自分の将来を決めた。

 ちょっと周りに認められただけで、自分の生き方を決めてしまった世間知らずの男子。それが俺だ。続きを読みたいという言葉も、なかばお世辞に近いものだって事は分かってる。でもそれを言ってもらった時の俺の胸の高鳴りは本物だった。俺は二人からの本当に『面白い』と言ってもらえるように書き続けた。

 でも書き続けてきた俺の物語は何一つ世間には認められなかった。高校二年になるまで、幾多いくたの賞に送ってはみた。結果は落選に次ぐ落選。正直、土俵にすら立てていない状態だった。一度目のノックアウトは妹にも幼馴染にも笑って話すこともできた。でもそれが二回三回と続くと…。

 俺は妄想を現実に出来ていない、小説家のなりそこないに過ぎなかった。

 俺がこの世界に拉致された次の日は特別な日だった。これが最後と決めて送った賞の発表日だった。

 この世界と元いた世界の時間が同じように進んでいるなら、今頃、俺が放った最後の一撃の結果が判明するはずだ。

 だから俺は帰りたい。本音を言うと帰りたくない気持ちもあるが…。

「もし結果がダメだったら、その時は、この世界で暮らすのも…まあ、ありかな……」


 ミーナは黙って俺の話を聞いていた。小説家になりたいという話は妹と幼馴染以外にはした事がなかった。

 心のどこかでプレッシャーのはけ口を求めていたのかもしれない。でもこんな年下の女の子に語ってしまうなんて。俺も情けない。


 話し終えると、何となく口さみしさを覚えた。俺はビニール袋に入っていた桃を一口かじった。最初、ミーナと森を歩いていた時に、彼女がお土産と言って俺に渡したものだ。

 その時だった。


 頭の中で突然何かが作られた。『エルザ』という言葉。いや言葉と概念がいねんが混ざり合ったものというべきか。魔導書まどうしょの表紙の文字を目にした瞬間、脳裏に浮かび上がった。

 何だこれ?驚きで手にしていた魔導書を地面に落としてしまった。落としたそれを拾って改めて見てみた。表紙の文字が目に入ると、また言葉が頭の中で作られた。『エルザ第三の書』これって本のタイトルってことか。でも何で急に読めるようになったんだ。

 俺はもう片方の手にあった桃を見た。原因はおそらくこれだ。こいつを食べた瞬間、魔導書の文字が読めるようになった。この世界の物質を体に取り込んだからなのか。はっきりした事は分からないが…。

 魔導書を開いてみた。読む事ができた。


 『髪がツヤツヤになる魔法。人族、エルフ族、猫族ねこぞく対応。尻尾しっぽにも有効』

 『二人を永遠に繋げる魔法。男女の命を繋げます。心中成功率百パーセント』

 『死の障壁しょうへきで包み込む魔法。草一本生えなくなります。注意!二百年続きます』

 ………


 おいおい何だこの滅茶苦茶な内容は。ほとんどが『爪を綺麗にする魔法』だとか『好きな相手と目が合う魔法』だとか、ほぼおまじないレベル魔法だったが、時々とんでもなく物騒なものが混じっていた。

 この魔導書の作者はおそらくエルザという奴だ。でも一体何を考えてこんな本を作ったんだ。この世界のやつは全員頭のネジが一本外れてるんだろうか。

 内容が分かった以上、益々ますますこの魔導書をミーナに渡すわけにはいかない。下手したら世界が吹っ飛ぶ威力いりょくを持った魔法がこの本の中に入っている可能性もある。

 魔導書の文字は次第に読めなくなっていった。そして、もう一度桃をかじると読めるようになった。やっぱりこの世界の物質を体に取り込む事が必要らしい。

 そもそもこの魔導書をミーナが持っている事自体に疑問が湧いた。この本はかなり危ないもののはずだ。ミーナはこれを何処で手に入れたんだ?まさか盗んできた?

 滅茶苦茶な内容の魔導書と自称魔導士のミーナ。この二つの正体をはっきりさせないとまずいかもしれない。


 俺が考えをめぐらせていると、ミーナが口を開いた。

「分かりました…。本当はやりたくなかったんですけど…。ちょっと助っ人呼びます……」

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イタズラ心の異世界転送 倉田京 @kuratakyou

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