エルザの缶詰と
「おいおい、冗談だろ……」
最初、俺はそれしか声が出せなかった。
俺とミーナは『エルザの缶詰』とかいう
『エルザの缶詰』はミーナのパンツが垂直にずり落ちた原っぱから、歩いて一時間ほどの所にあった。
ミーナは時々、鼻歌を歌いながら俺をこの遺跡に先導した。観光とか言って俺を連れ回していた時とはまるで違うテンション。体重が半分ぐらいになったような軽い足取りだった。
俺の足取りも軽かった。と言いたい所だが、少し足は重かった。俺の頭の中はもう元の世界に帰った後の事でいっぱいだった。戻ったら俺のリアルが待っている。かと言って元の世界に帰らないわけにもいかなかった。
森の中の少し開けた場所に『エルザの缶詰』はあった。さほど大きな遺跡ではなかった。ピラミッドを上から三分の一カットしたような造形。一辺の長さは、だいたい大型の観光バス一台分ぐらい。特別な装飾も無く、レンガのように切りそろえられた|艶《》のある
それだけなら正直、あまり大した事はなかった。ちょっと珍しい石で出来たピラミッドもどきの建造物だ。でも問題はその上に居座っていた生物だった。いや、生物という柔らかい表現は似合わない。怪物だ。
高い殺意を全身に纏った強大なドラゴンだった。
深い青色をした
絶対に目を合わせてはいけないタイプの生き物だった。命を奪い合う戦いに、常に身を置いている目だった。
ドラゴンは遺跡の上に鳥の巣のようなものを作っていた。少し細めの木を丸ごと使い、組み上げた巣。その上に
ライオンが喉を鳴らすような鼻息が時折聞こえてくる。
汗が一筋背中を伝った。
改めて異世界に来た事を実感した。俺の世界には歩いて一時間ぐらいの場所に、こんな怪物は存在しない。
当然、遺跡に近づけるはずもなく、俺とミーナは少し離れた茂みに身を潜めることになった。
怪物を視界に入れただけで、体が縮こまってしまう。俺たちは無意識に肩が触れ合うぐらいの距離に寄せていた。
「ミーナ、あれは何だ?」
「ド、ドラゴンちゃんですね…ぜ、全然危険じゃないですよ。ああ見えて草食動物なんです。さあ拓海さん、行ってきて下さい…ははは」
「おいこら……安全ならまずお前が先に行け……」
「レ、レディファーストです…拓海さんお先にどうぞ……」
「それ意味正反対だからな…」
元の世界に帰る前に、まずこの世界で生き残っていけるか心配になってきた。
隣のミーナを見た。
というかミーナのやつ、よくこんな世界で生きているな…。
俺はドラゴンについて改めてミーナに聞いてみた。
「なあ、ミーナ。冗談じゃなくて、本当にあいつが何なのか知らないのか?」
「いやー、ドラゴンは何種類か知ってるんですけど…。あそこまで凶暴そうな奴はさすがに…」
嘘をついているような喋り方ではなかった。顔色もどことなく不安げだった。ミーナの演技力はけっこう大根に近いので、言ってる事は本当らしい。
この世界に住んでいるからといって、この世界にいる全ての生物を知っているわけじゃないってことだ。俺だってペンギンは知っているけど、細かい種類を全部知っているわけではない。この場合、ペンギンなんて可愛らしいもんじゃないが…。
「このまま
「そうですね……」
俺たちはドラゴンから距離をとった森の中で、作戦会議をすることにした。何だか最初に逆戻りしてしまった感があった。
ミーナが口を開いた。
「こういうのはどうでしょう…拓海さんがあいつをおびき寄せて、その間に私が……」
「却下だ!」
「
「何を根拠に言ってるんだよ。それより、あのドラゴンは移動したりしないのか?」
凶悪な見た目をしているとはいえ、一応生き物だ。狩りなんかに出掛ける事はあるはず。留守になったその隙を狙って遺跡に入ればいい。俺たちは別にドラゴンの首を取る為に
「うーん、あれは多分メスです。しかも巣を作ってしまっているので、動くことは無いかと…」
「そうなのか?」
「はい…メスのドラゴンは子を産む為に巣を作るんですけど。それをやると、しばらく動かないです…」
あいつが周囲を警戒していた理由が分かった。さしづめ子を抱えた野生の母熊といったところか。だとしたらますます近づくのは困難になる。
なら眠らせるか、倒すか…。
ここで『倒す』という選択肢が頭に出てくるあたり、俺はこの世界に少し順応してしまったのかもしれない。あんまり喜ばしい事じゃないが。
ミーナの魔法と怪物のようなドラゴンを目にして、俺の中の『可能性』という言葉が変わりつつあった。元いた世界では絶対不可能と思うような事も、この世界では実現可能かもしれない。空を飛ぶ?転送する?もしかしたら性別を行ったり来たりなんてことも…。そう考えると、この異世界が色とりどりの可能性を詰めこんだ不思議なテーマパークのような気さえしてくる。
生い茂る木々の葉の間から太陽の光が差し込んでいる。元いた世界ならただの木漏れ日。でも今この場で見るそれは、少し幻想的に見えた。俺の中に生まれてはいけない気持ちが産声を上げつつあった。ワクワクというやつだ。
俺に可能性を感じさせた物に、もう一度頼ってみようと思った。
「なあ、ミーナ。お前が持ってる
「どうにかというと?」
「眠らせるか、追っ払うでもいい。それかもしくは…」
「もしくは?」
「俺を不死身、もしくはそれに近い状態にできる魔法」
「調べてみます」
ミーナが魔導書を読み始めた。俺は一緒にそこを覗き込んだ。
見た所で文字が読めないのは相変わらずなのだが。この魔導書にどんな事が書いてあるのか、純粋に読んでみたい気持ちが俺をそうさせた。
もしかしたら眺めているうちに読めるようになるかもしれない。普通はそんなことありえないが、ここは俺がいた世界とは違う。
少し調べた後、ミーナが口を開いた。
「こんなのどうでしょう?」
「どんな魔法だ?」
「ドラゴンの痛覚を刺激しますって書いてあります」
「いけそうじゃないか。よし、じゃあとりあえず試し射ちしてみるか!」
「はい!」
ミーナの目が少し輝いた。なんだかこの森が二人だけの秘密基地のような雰囲気になってきた。
ミーナが魔導書を右手に掴み、その手をまっすぐ前に伸ばした。少し鋭い目つきをして呪文を唱えた。
「ドラ・ゲイル・ザガ」
魔導書が光った。でもなんだろう、
「なあ、ミーナ。その魔法使えるのか?」
「うーん、どうでしょう…初めて使う魔法なんで、何とも……」
何度か魔法を発動してみても、同じ調子だった。
やっぱりミーナは何かを発生させる魔法はできないんだろうか。
そう思っていた時、魔導書を改めて読み直していたミーナが何かを見つけた。
「あっ…これは……」
「何か足りなかったのか?」
「いえ、この魔法、手乗りドラゴンの躾用でした」
「おい……ちゃんと読めよ」
魔導書をちゃんと読んでみたら実は…な状態だった。俺をこの世界に拉致した時の失敗が再発する所だった。今度は失敗なんて軽い言葉じゃ済まない。失敗の先に激痛、そして天国という言葉が待っている。
「もっと威力の高い魔法を頼む」
「了解です」
頼んだ後で気づいてしまった。もしミーナが威力の高い魔法を見つけたとしたらどうするだろうか。問答無用で俺にぶっ放してくる可能性があった。
極悪な見た目のドラゴンと、普通の見た目をした高校二年の男子。どちらを相手にするかと聞かれれば、答えは言うまでもない。
まずいな…。こいつに魔導書を読ませるってことは、そういう危険もあるってことだ。目の前の目標に意識がいって、俺の危険度が跳ね上がるって事に気づいていなかった。『魔導書の位置が分かる魔法』を見つけた時も、実はかなりの綱渡りだったわけだ。
可愛らしい見た目はしているが、俺にとってはミーナも怪物。こいつに魔導書を読ませるのはまずい。
俺は持っていたビニール袋から残しておいたチョコを取り出して言った。
「な、なあミーナ。ちょっと休憩しよう」
「あ、まだチョコあったんですか!やったー」
「もう一回魔導書読ませてもらってもいいか?」
「いいですよ。どうぞどうぞ」
俺は板チョコ半分と魔導書を交換した。
とりあえず危機は脱した。あとはこの本をどうするかだな。
作戦を練ろうとしたその時、チョコを小さくかじっていたミーナが俺に声をかけた。
「あのー…」
「なんだ?」
「ちょっと、その辺行ってきます…」
「お前…また逃げるつもりだな!」
「に、逃げないですよ!ちゃんと戻ってきます…」
「信用ならん!てゆうか何しに行くんだよ」
ミーナの顔が少し赤らんでいる。もしかしてまさか。
「えーっと…あのー……トイレ…行きたいん…です…」
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