第十五章 おっさん、断固として動かず

 じゃり――。


 駅までの帰り道、必ず通る小さな公園のそばで音は止んだ。




「おい――」


 ぴん、と足元に火のついたままの煙草が転がってきた。

 ゆる、とそこから立ち昇る煙が私たちの足元に這い寄ってくる。


「……シカトこいてんじゃねえよ。てめえらん家まで付いてくぞ? あぁん?」

「うるさいな――」


 驚いたのは私の方だ。

 苛立ちを抑えきれないその科白を吐いたのは加護野君だった。


「関係ないって言ってんだろっ! いい加減にしろよっ!」


 これもだ。

 誰もいない公園に、加護野君の叫びが響き渡る。


「何で放っておいてくれないんだよ! あんたたちには何も関係ないだろ!? 邪魔するな! 僕の人生に入ってくるなよ! 鬱陶しいんだよ! どっかに行ってくれよ!」


 身を折るようにして腹の底から絞り出すようにして吐き出す。

 さすがにそれには彼らも一瞬呆気に取られたようだったが――。


「ナマ言ってくれんじゃねえかよ、モヤシ! てめえ、喧嘩売ってんのか、ごらぁっ!」


 一瞬にして殺気立つ。私は慌てるばかりだ。


「か、加護野君! 相手にしちゃダメだって! 行こう!」

「……負けないです、こんな連中。口ばっかで群れないと何もできない奴らじゃないですか」

「いやいやいや! そういうことじゃなくってさ――!」


 これはまずい。

 やっぱり加護野君も、高校生で男の子だ。完全に頭に血が昇ってしまっている。


 だが、いくらサークルで鍛えたと言っても、剣を使った殺陣と喧嘩ではまるで道理が違う。ましてや向こうの方が人数も多い。それに絡んできた連中はひとまず置いておいても、加護野君が喧嘩をしてしまったことが知れれば学校生活にも支障をきたすだろう。何より、大切な弟弟子にこんなつまらないことで怪我なんて、絶対にさせたくない。


「て……てめえ! この野――!」

「ス、ストップストップ! やめようよ、駄目々々!」


 大慌てで割って入る。とりあえず私ができることは、身体を張ってこの争いを止めることくらいだ。何発か頭を掠めてひやりとしたが、亀のように首を引っ込め身を屈めて防御の姿勢らしきものをとっていたので大事には至らなかった。それにしてもよく身体が動いたものだ。


「無駄なことはやめようよ。こっちも言い過ぎたけど、本当に君らと関わる気はないんだ」

「どけよ、おっさん!」

「どかないよ。やめようって言ってるじゃ――」


 ごきん。

 何とか場を和ませようと浮かべていた薄ら笑いの中心に、金髪少年の拳がめり込んだ。


「――っ!」


 しかし、軽い。少なくともそう思った。

 これくらいで済むならいいや、そんなことを思い浮かべつつ、にこり、と笑ってみせる。


「ほら、気が済んだかい? さ、これでもういいだろう? 終わりだ」

「勝手に終わらせてんじゃねえよ!」

「あのね、君。他人を殴ったら立派な傷害罪なんだよ?」

「んなこたぁどうでもいいんだよ! どけって! どけよ、おっさん!」

「良くないんだって。ほら、もう行ってくれ。終わりだ終わり」


 鼻の奥が、つん、とする。それでも私は断固としてその場を動こうとしなかった。


 あとから思えば不思議な話だ。私はそう、何の取柄もないごくごく普通の何処にでもいる『つまらない人間』だった筈なのに。ちょっと風変わりなサークルに入会して、ほんの少しだけ周りと馴染めない『変わっている』高校生と知り合っただけなのに。いつの間にやらこんな馬鹿な真似をしでかす妙な糞度胸を持ち合わせた『おっさん』になってしまったのだろう。


 変わったのかな、そう思う。そして、その変化は嫌ではなかった。


「やられっ放しかよ? おら、来いよ。殴り返してみろって」

「……断るよ。まだその線は越えたくないんだ。これで終わり」


 あまりにも簡単に良いパンチが入ったからか金髪の少年は調子が出てきたようで、さかんにシャドーボクシングの真似事をして挑発してきたが私はまるで相手にしなかった。薄暗がりで見づらかったが、正直に言ってその拳は、今の私には脅威にすら思えなかったのだ。


 遅い――。

 兄弟子・北島さんの剣筋、会長・龍ヶ峰さんの華麗な剣捌きに比べたらお粗末極まりない。


 強くなるとはこういうことなのだろうか。初めての経験でまごついている自分がいる。戸惑いはしていたものの、この程度なら何とかなるだろう、と変な余裕すら生まれていた。


「寺崎さん……!」

「いやいや、君もだよ、加護野君。さっきので終わり。さ、もう帰ろう」


 しかし――。


 ちゃきり。


「おらぁあああ! てめえら、こいつでぶっ刺すぞ!?」


 バタフライナイフの銀光が街灯の光を反射して煌めく。


 次の瞬間――公園中を照らすように、一台の車のヘッドライトが闇を切り裂いた。



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