第十四章 おっさん、闇と再会す

 翌週のサークル活動の帰り道のことだった。


「お待たせ、加護野君。ごめんね」

「あ、いえ。大丈夫です」

「北島さんが離してくれなくってね。困っちゃったよ」

「あははは」


 自転車を押す加護野君の隣に小走りで駆け寄る。駅まで一緒に帰ろうと言ったのは私なのに、荷物を持った瞬間に北島さんに捕まってしまってすっかり弱ってしまった。


「もう夏も終わりだねえ。夜は半袖だと少し肌寒く感じるよ」

「ですね。でも、このくらいの方が運動した後は気持ち良いじゃないですか」

「うんうん」


 ころころと虫が鳴いている。


「ああ、そうでした!」


 その加護野君の大きめな一声で、ころ、と鳴り止んだ。


「寺崎さん、そろそろポスターの下絵が出来たので、来週、いよいよ描き上げますよ!」

「ええ、本当かい!? いやあ、楽しみだなあ!」

「皆さん驚いてくれると思うんですよね。だって――」




 そこまで言いかけた刹那である。




 道すがらの暗がりに、群れる人影があった。

 ふわりと煙草の臭いが鼻先に触れる。


「……この前の生意気なモヤシとおっさんじゃねえかよ。随分と楽しそうじゃん?」


 かすかに聞き覚えがある、幼さの中にもとがった響きのある声がこちらに届いた。だが、私たちはどちらも口を開かず足も止めず、そろり、と視線を投げただけだ。


「なあ、こっち来て一緒に遊ぼうぜ? なあ――」


 この前の例の連中らしい。目を凝らすと同じく五~六人の影が闇に紛れている。

 だが、やはり私たちは足を止めることはなかった。


 代わりに言う。


「悪いね。これから帰るところなんだ」

「ちぇ――付き合い悪ぃなぁ。ほら、来いって。もしかして、ビビってんの?」

「悪いね」


 辛抱強くそれだけを繰り返す。

 しかし、それがリーダー格の金髪の少年の琴線に触れてしまったようだった。


「おら! 来いつってんだよ! なあ!」

「……」




 ――困った。




 私はもちろん、加護野君も面倒事には巻き込まれたくない。それは言うまでもない。


 ちら、と視線を向けると、加護野君は怒ったようなむすり顔をしたまま、唇を一文字に引き締めている。以前もそうだったが、彼はこういう状況下においても不思議と場慣れしているような落ち着いた表情を見せるのだ。


 では私はと言えば、内心はびくびくと怯えているものの、そこは大人の余裕というか甘えというか、いくらなんでもいきなり物騒な真似はされないだろう、などと高を括っていた。こういう奴が一番危ない目に遭う。日本の平和神話にすっかり慣れ切った甘ちゃん野郎である。


「ナメてんじゃねえぞ、おらぁ!」


 向こうも向こうで、声を掛けたはいいが、引っ込みがつかなくなっているのだろう。その刺々しい恫喝に、加護野君はぼそぼそと呟いた。


「……ナメるとかナメないとか意味が分かりません。僕たちはあなたたちとは無関係です」

「てめえ……!」

「この前も言いました。僕は関係ないって。この人もそうです。放っておいてください」

「……!」


 無言の怒りがじわりと伝わってきた。じゃり、と音を立てて、群れた少年たちが間合いを詰める。


 が、それをすかすように加護野君は、何事もなかったかのように再び歩を進めた。


「行きましょう」

「あ――ああ、うん」


 やっぱり加護野君は、自分で言うように少し『変わっている』。


 それが物事に動じない性質だからなのか、この世の全てがどうでもいいと思っているのかは分からないが――いや、もう加護野君は、どうでもいい、などとは思っていない筈だ。


(今の……この現実が嫌だから、です)


 かつて、血を吐くようにそう呟いた少年ではない。自分で、自分の行くべき道を見つけようと必死に足掻いている、その筈だ。たとえ彼が今、昏い闇の中にいるのだとしても、そこから這い上がり、微かに見える光を掴もうとする限りは、もう現実を捨てたいとは言いはしまい。


 現実が気に入らなければ変えれば良い。

 現実に気に入られなければ変われば良い。


 それが今の加護野君だ。

 そう私は信じている。確信していた。




 しかし――それを快く思わない者もいるのだろう。


「……」


 私たちが進むすぐ後ろに、じゃり、じゃり、という音を立てて闇は蠢く――。



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